カフェ・コン・レーチェ

こうらい ゆあ

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7.あの日…

 彼と付き合い始めたあの日から、十五年の月日が経った。
 告白も勢いでしてしまったが、同棲も結構強引だったと自覚している。
 少しでも長く彼と一緒にいたいという願望から、つい口を滑らせてしまった。
 
「このまま、ここに住めばいいのに……」
 彼は最初、大きな目が零れ落ちそうなくらい目を見開き、パチパチと何度か瞬きをしたあと、大声で笑っていた。
「ねぇ、それってプロポーズ?」
 イタズラっぽく笑みを浮かべながら問うてくる彼に、俺はバツが悪そうな表情を浮かべることしかできなかった。
 本当は、プロポーズをするなら景色の良いレストランで、最高の料理を食べながら告げるつもりだったから……
 まさか、こんな形で言うつもりなんて、毛頭なかった。
 それでも彼は、嬉しそうな笑みを浮かべ、俺のゴツイだけの手をそっと握って言ってくれた。

「いいよ。僕も大和さんとずっと一緒にいたいから、ここに住んであげる」
 目の端に涙を浮かべながら言ってくれた言葉に、胸が締め付けられた。
 絶対に幸せにする。
 ずっとそばにいる。
 そう誓った。

 十五年、彼だけを愛し続けた。
 これからも、ずっとそばにいると信じていた。

「これからもずっと一緒にいようね」
 初詣の帰り道、手を繋ぎながら彼の言った言葉が、今でも耳の奥に残っている。
 おみくじを結んだ枝にマフラーを引っ掛けてしまい、ぐちゃぐちゃになってしまったのを笑いながら彼は直してくれた。
 そのとき触れた彼の冷たい指先を、俺は自分の手で包み込んで温めた。
 いつも美味しい珈琲を淹れてくれる、優しくて柔らかな愛おしい手。
 恥ずかしそうにしながらも、照れたように笑ってくれる彼に、自然と笑みが零れた。
「当たり前だ。俺が愛しているのは優斗だけだ。ずっと、ずっと……一緒にいる」
 あのとき触れ合った彼の体温が、今でも手のひらに残ってる気がする。

 初詣から数日後、彼は体調を崩してしまい、寝込んでしまった。
「頭がズキズキする……」
 毛布に包まりながらソファーで横になったまま動けない様子の彼が、ポツリと呟いた。
 俺はスーツの上着を羽織りながら、何度も何度も彼に言った。
「今日は絶対に病院に行くこと」
「何かあれば、必ずすぐに連絡すること」
「やっぱり、今日は休んで……」
 俺が休みを口にすると、彼は弱々しい笑みを浮かべながら「大丈夫だから」と言って、手を振って早く行くように促してきた。
「……できるだけ、早く帰って来る」
 俺の言葉に、彼は笑みを浮かべ「いってらっしゃい」と小さく言った。
 毛布に包まり、眠そうな目で俺を見上げる彼の姿に後ろ髪を引かれる思いだったが、俺は会社へ向かった。
 まさか、それが生きている優斗を見る最後になるなんて、思いもしなかった。

 年始で溜まった仕事が山のようにあって、帰宅は夜の十一時を回っていた。
 玄関の鍵を開けた瞬間、いつもなら漏れてくるオレンジ色の明かりがなく、部屋は真っ暗だった。
「……優斗?」
 俺が彼の名前を呼ぶも、返事はない。
 リビングへ駆け込み、スイッチを入れる。
 電気はついたのに、家の中がやけに冷たく感じた。
 彼の姿はなく、朝包まっていた毛布もない。
 ベッドで眠っているのかと思い、俺は寝室へと向かった。
 
 寝室に入ると、カーテンの隙間から街灯の光が細く差し込んで、ベッドに横たわる優斗を照らしていた。
 毛布を胸まで引き上げて、いつもと変わらない可愛らしい寝顔で眠っている彼。
 彼の姿を確認し、ほっと胸を撫で下ろす。
「ただいま、優斗」
 眠る彼の頬にそっと手を触れる。
「…………」
 冷たい。
 冗談じゃなく、氷みたいに冷たい。
 硬く、冷ややかな彼の頬に触れた瞬間、何も信じられなかった。
 まだ温もりが残っているはずなのに、指先が震えて熱を奪われていく。
 
「優斗……おい、優斗っ!」
 抱き起こしても、彼が起きる気配はなく、首が力なく俺の肩に落ちるだけだった。
 救急車の中で、俺は何度も彼の名前を呼び続けた。
 何度彼の手を握り締め名前を呼び続けても握り返してくれはくれなかった。
 病院に到着したものの、医師に彼の死を告げられる。
「亡くなって、数時間が経過しています。症状をみるに、脳梗塞でしょう……」
 静かに告げられた言葉に、俺は返す言葉が浮かばなかった。

『いってらっしゃい』
 最後に見た、彼の笑顔が何度も頭の中でリピートされ、耳の奥に彼の声が響き続ける。

 あの朝、俺が休みを取っていれば……
 いや、頭が痛いと言っていたときに、抱えて病院に駆け込んでいれば……
 残業なんか、全部断ればよかった。
『大丈夫だから』と笑った彼を、無理矢理にでも、引きずってでも病院に連れて行けばよかった……
 何を考えても、後悔が喉の奥に詰まって声にならない。
 冷たくなった彼の指を握ったまま、俺は何時間も泣き続けた。
 
──優斗は、眠るように、静かに息を引き取った。
 俺の知らないところで、ひとり。
「これからもずっと一緒にいようね」
 その言葉を、俺は守ってやれなかった。
 彼の言った願いは、もう二度と叶うことはない。
 ひとりで逝かせてしまった俺は、一生分の後悔を抱えて、まだ生きている。
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