【完結】村を救うために身を差し出したはずなのに、肝心のαが手を出してきません

窪野

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第2章 ラジナ城砦

10話

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 玄関ポーチから足を踏み出せば、朝の清廉な空気に鼻腔びくうが満たされた。
 一昨日は村が襲われ、昨日は丸一日馬車に揺られ。なんだか久しぶりに息をしっかり吸った気がする。

 肺の奥まで吸った空気を吐き出し、ようやく目の前の光景に目が向いた。
 昨日は、なぜ庭がこんなに荒れ放題なのかと思ったが、なるほど、住人たちがここへ来て一週間だからまだ手が回っていないのかと納得した。

 玄関ポーチから門へ、クリーム色のレンガの道が続いている。向かって右手側は、かつて芝生が広がっていたのだろうが、今は背の高い雑草に覆われていた。
 向かって左手側には、生垣だったのであろう木々が植わっているが、整える者がいなくなって久しい緑たちは、なんとも生命力に溢れ、四方八方に枝葉を伸ばし続けている。
 生垣の切れ目にはアーチがあり、枯れ切った薔薇の蔓の残骸が絡みついていた。

 ぶぅん、と低い飛翔音がして、春先の虫たちが縦横無尽に飛び回り、そんな虫を目当てに、鳥が木々やレンガの壁にとまって目を光らせている。
 そんな混沌とした自然の楽園の中で唯一、門から玄関ポーチまで、三十メートルほどはある石畳の道まわりだけは、雑草がきちんと刈られていた。

 ヴェルはリウに声を掛ける。
「雑草刈るのも大変だっただろ」
「え?」
「短ければまだしも、腰の位置まで育っちゃうとな」
 村の畑でも、天候はもとより、散々苦戦してきたのが雑草や虫の類いである。
 わかるよ、と頷くと、リウは一瞬、きょとんと首を傾げたものの、すぐに言った。
「ああ、雑草の手入れは殿下がやりました」
 今度はヴェルが目を丸くする番だった。
「へ? 殿下?」
「はい。カイ王子自ら」
「王族って雑草刈るもんなの……?」
「他の王族は知りませんけど、殿下は刈りましたね」

 リウは一週間前を回顧するように、顎に手を当てた。
「僕はこの庭を見た瞬間、除草薬を撒こうって心に決めたんですよ。超強力なやつを王都から取り寄せようかと」
「まあ、ある程度の除草薬は俺も賛成だな。農地でもよく使うし……。ただ、強すぎると花木も枯れるだろ?」
 最近の除草薬というのは中々に進化しており、特定の雑草にのみ効くもの。逆に、特定の農作物にだけは効かないものなど、様々な種類がある。
 だが使い過ぎると土も疲弊するし、場合によっては他の品種に影響が出ることもある。除草薬にしても、虫除けにしても、使いすぎは禁物だ。

 ガド爺さんの教えをつらつら思い出していたヴェルを見ながら、リウは言い放つ。
「花木っていります? 全部枯らしたほうが楽じゃないですか」
 一切曇りのない目でそう返され、ヴェルは「ええ……」と頬を引き攣らせる。
「全部枯らしたら、せっかくの庭が勿体ないだろ」
「いや、管理が面倒くさいじゃないですか」
「それはまあ……」
 なんと身も蓋もない。この庭を作った庭師が聞いたら卒倒しそうな話である。リウは続けた。
「でも、それを話したら、殿下が『俺が手入れをするからお前は何もするな』って」
「はあ、なるほど」
 ヴェルは思わずリウを上から下まで見やる。
 朝日を受けて輝く金髪は柔らかく、長い睫毛で縁どられた空色の瞳はどこまでも澄んでいる。
 白い肌は陶器のようになめらかで、華奢な身体を相まって、まるで精巧な人形のような美しい少年だ。美しい少年なのだが。
「あれだな、……リウって結構豪快なんだな」
 豪快と言えば良いのか、大雑把と言えば良いのか。
 花を愛でていそうな姿をしているのだが、面倒だから全て枯らしてしまえ、とは。中身はとんだ覇王である。慎重に選んだ言葉に、リウは「それほどでも」と照れた。

 しかし、根こそぎ枯らして不毛の土地にせんとするリウの覇業を止めた。ということは、あのアルファ王子はそれなりに植物を大事にしようとしているということか。
 丹精込めて農作物を育てていた身としては、少なからず好感を持つ。
 ふと、ヴェルはリウに訊ねた。
「なあ。この館にいてもやる事ないし、庭の手入れしていいんだったら俺がやろうか?」
「え!? 奇特……いえ、願ってもないことですが。お客様にそんな……」
「じっとしてる方が落ち着かないんだよ」
 ヴェルの言葉に、リウは半分の困惑と、半分の歓迎が混ざった眼差しで頷いた。
「そういうことでしたら。道具は一通り納屋にありますし、自由に使っていただいて大丈夫です。水場は池の向こうにあります」
「池?」
 リウはアーチの向こうを指差す。

 アーチからは小道が延び、その奥には白い半円屋根のガゼボがあった。伸び放題の雑草を踏みしめながら、ヴェルとリウは小道沿いに進んでいく。
 ぶんぶんと顔の周りを飛び回る虫を片手で払いつつ、ガゼボまで辿り着くと、ようやく雑草の合間から池が見えた。
 大人が五、六人で手を繋いで円を作ればぐるりと囲めるだろう、小さな池だ。

 これだけ荒れた庭の池ならば、もう枯れているのかと思いきや、藻と苔にまみれながらも、水は澄んだ状態で静かに陽の光を受けていた。
「溜め池じゃなく、湧き水か。綺麗なもんだ」
 少し視線を巡らせると、ガゼボの脇、庭の一番端には井戸がある。
 湧き水の池と井戸。ここに貴族の館が建てられたのは、有事の際、水の確保が一番しやすいからということか。
 池の周りはレンガで補強されており、劣化も少ない。以前ここに住んでいた人たちは、ガゼボのベンチに腰掛けて、ゆったりとお茶でも飲みながら、この池や、その向こうの薔薇のアーチを見て昼下がりの時間を楽しんだことだろう。

 これだけ戦闘に特化した城砦の中で、この場所だけはまるで異世界のような優雅さだ。
 貴族の娯楽、と断じてしまうには惜しい庭である。戦という、非人道的なものを日常にはすまい、という、抵抗のようなものが伺えた。
 ふと、池の周りに、同じ形の葉っぱが群生しているのが見えた。
「あ……」
 ヴェルは思わず声を漏らしてしゃがみ込み、葉を指先でつまむ。

 厚めで大ぶりの葉は、水気をたっぷり含んでおり、日差しを受けて生き生きとしている。この館に来てから何度か見ている葉の形だ。ダイニングテーブルの彫刻。ベッドサイドの透かし彫り。必ず入っていたのは同じ花だった。そして、その花を囲むようにしてこの葉が彫られていた。
 この館のかつての主人は、きっとあの花を愛していたのだろう。
「あの花、なんて名前だったかなぁ……」
「あの花?」
「ああ。この館の家具にも彫られてる花だよ。葉っぱの形が同じだ」
 ヴェルはおぼろげな記憶を辿る。
 かつて自分もどこかで見たことがある。白色と、薄い朱色がうっすらと混じったような花弁が脳裏をよぎった。
 確かにこの葉の形と同じだったはずだ。しかし肝心の名前が出てこず、ヴェルはこめかみを何度か指でぐいぐいと押した。
「水辺でよく見かけて……、夏に咲く花の……。ほら、なんだっけ? 名前」
「ヴェル様……」
 リウは口の端を持ち上げ、目を細めて微笑んだ。

「僕に分かるとお思いですか?」
「何で得意げなんだよ」
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