初対面の悪魔に「君の快楽を味わわせて」と言われて断ったら家に居付かれ、定期的に美味しく戴かれて困ってます(悪魔×少年/R-18)

宇晴ハル(原稿中)

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[同人誌/本編]

青檸邂逅の章 サンプル1

 時にヒトは悪魔と化し、時に悪魔はヒトに化ける。
 しかし、ヒトと悪魔は似て非なるもの。
 その明確な違いは――…。



 人の気配が一つとしてない夜の埠頭。
 積み上げられたコンテナを照らすオレンジ色の灯りは、ひとたび何かに遮られると闇に続く濃い影を落とす。
 細波の微かな音に紛れ、一人分の足音と車輪のゴムが地面と擦れる音がとある建物に近付いた。

「ツカサ様、敵の気配がN53に一つ、W8の倉庫裏に二つございます。どちらから向かわれますか」
「この立地で二箇所に分散していると些か厄介なことになるだろうな。まずは手短に一体を片付けようか。――ミッシェル、くれぐれもぬかるなよ」
「承知いたしました」

 足音の主――ミッシェルと呼ばれた女性はグリップを握る。
 黒髪のポニーテールを軽く揺らして一礼し、静かに北へと進んだ。

「まだ気付かれていないな。――なるほど、あのコンテナの裏か。なら、右側から迂回して一つ目の角を曲がった物陰で一旦止めてくれ」

 周囲の気配を探り、相手の居場所を正確に突き止めたツカサと呼ばれた少年は宙で辿るルートをなぞってみせる。

「車椅子では小回りが利きにくい通路に見受けられますが、よろしいのですか?」
「構わない。コレの世話になってまだひと月だが、多少はまともに扱えるようになってきたからな」

 敵に気付かれることなど造作もないと堂々たる態度で会話を交わす少年は、冷えた潮風の匂いを嗅いで気を落ち着ける。やがて指定した物陰に留まると、ミッシェルを下がらせて右手をハンドリムに添えた。

(他にも二体居ると言っていたな。一撃で仕留めるか)

 タイミングを見計らい、一気に前進する。
 左折の間際に視界の端で捉えた敵。今夜最初の獲物は貧相な体躯とその外見に相応しい、骨と皮だけの翼を生やした紫紺色の悪魔だった。
 突然のヒトの出現にただちに敵対した低級悪魔は奇声を発しながらこちらを目掛けて突進してくる。少年は相手から目を逸らさず左手でピストルを形づくり、全身の法力を高めた。
 それはわずか数秒の出来事。標的をロックオンした指先の一点に法力を集中させるなり、躊躇なく胴体を狙って解き放つ。瞬時にして圧縮された高エネルギーは一筋の光となって直線状の悪魔を貫き、その身を覆うように白い炎が立ち昇る。骨と皮だけの体躯はたちまち焼き焦げ、跡形もなく消滅した。

(残るはあっちか)

 少年のように不思議な力が使えないミッシェルは敵の目につかないよう待機してもらっている。
 最初の報告があった通り、次に滅すは西の二体。
 移動の制限をものともせず、前進と曲折を繰り返して目的の倉庫に着いたツカサは半開きの入口の前で一度留まった。

(こちらも低級悪魔か)

 これだけ近付いても一向に気付く気配がないのだからさして階級は高くないのだろう。

「さあ、手早く片付けさせてもらうとしようか!」

 わざと大声を発し、敵の注意を引く。
 その場に佇む少年は鋭さを増した縹色の瞳でしっかりと相手を見据え、両手を前方に突き出して法力を放った。


 ***


「本日もお見事でございました」

 埠頭の温かな灯りとは異なり、人工の眩い光を感じさせる街灯の下。
 行きと同じく帰りも彼女に任せて帰路を辿っていた二人は見慣れた街並みまで戻っていた。

「潮風のせいか髪が少しベタついてるな。帰ったらシャワーを浴びたい」
「承知いたしました。今宵の疲れもゆっくりと癒してくださいませ」

 低級悪魔三体の祓魔ごときに疲労するほどヤワな身体ではないが、海風に晒され続けていた髪が心なしかきしんでいる気がする。肌のベタつきも感じるように思えて、帰宅後の予定を彼女に伝えると、ある知識が脳裏を過った。

「そう言えば潮風は金属が錆びやすくなるんだったな。明日メンテナンスをしておかないと」
「でしたら、私にお任せください」

 彼女はツカサを主人と仰ぎ、身の回りの世話を何から何までこなす付き人のような存在だ。
 面倒なメンテナンスまでしてもらえるのは有難いことこの上ないのだが、成すべきことまで奪われては将来の己の自立性が不安になる。
 このひと月の新たな相棒の手入れくらい自分ですると言っても、使用人の性なのかなかなか引いてくれないことは理解しているつもりだ。過保護は程々にと少年は小さく息を吐きつつ釘を刺す。

「手伝うだけに留めてくれ。僕の所有物は僕の手で大切にしたい」
「左様でございますか。ではツカサ様の仰られるように、お手伝いのみとさせていただきます」
「ああ、そうしてくれ」

 街全体が就寝の準備をしている時間帯だからだろうか。行き交う人の数はそう多くない。
 日々の疲労が蓄積しているのか、猫背気味な社会人やバイト帰りの青年とたまにすれ違う程度で、今日の街はいつになく静かに思えた。
 住まいとしているマンションが次第に見えてきて、ツカサは一日の終わりを実感する――が。

「おっと、こんなところにも上玉がいるとは」

 向かいから歩み寄る人影。街灯が照らすその姿はすらっとした背丈にラテ色の髪で、毛先は瞳と同じグリーンのグラデーションに染まっている。印象はチャラついた大学生、といったところだろうか。
 しかし、ツカサは彼から漂う違和感に警戒し、自らハンドリムに手を掛けて相手と距離を取る。
 対する青年は片方の手をポケットに突っ込んで正面の少年を真っすぐに捉え、ゆっくりと歩み寄った。彼の瞳には光が宿っておらず、気味の悪さを感じるほど虚無が渦巻いている。何も映さない眼がニタリと歪められるのを見てツカサはさらに警戒を高めた。

「若いのに車椅子生活で祓魔を生業とするなんて余程苦労してるみたいだね」

 いかにも女子ウケしそうな甘いマスクと透き通る声。一目でツカサを祓魔師と見抜いた彼はやはり只者ではないらしい。危機感を抱く主を庇うようにミッシェルは前に出た。

「貴様何者だ!? なぜツカサ様のことを知っている!?」
「よせ、ミッシェル。僕らが敵う相手じゃない」

 威嚇のため声を荒げた彼女を制して少年は眼前の男を睨む。
 見かけに反した底知れぬ淀みのオーラ。ツカサは言い様のない焦燥感に駆られつつも、とにかく平静を保つことを優先して頭をフル回転させた。

(さっき滅した悪魔とは比肩できないほどコイツは強い。この体で勝ち目がないことは一目瞭然だ)

 これまで自分が出会った悪魔の中で一、二を争うほど圧倒的な実力差を感じる。もはや最上位級の悪魔と判断しても過言ではないかもしれない。
 どうすれば格上の相手との一触即発を避けられるか。とにかく思考を巡らせるツカサだったが、何故か悪魔は少年の前に片膝をついた。

「その足を治す代わりに、君の快楽を味わわせてくれないかな」
「―――……はぁ?」

 コイツは淫魔族の類か何かだろうか。
 ヒトの願いを叶えることを引き換えにとんでもない代償を要求してくるのは悪魔の常套手段。しかし、こちらを祓魔師と知りながらわざわざ本人に――しかも男相手に珍妙なことを言ってのける相手の気が知れない。
 ひとたび希望を口にすれば絶望を与えられ、挙句の果てにはこの身を喰らわれるだけと知っているので、話を聞く価値もないと大きな溜息を一つ零す。

「……無駄だと思うが不審者が出たと警察に通報しておけ」
「承知いたしました」

 主の制止を守り、相手と敵対するのを堪えていたミッシェルに新たな指示を出し、ツカサは目の前の悪魔をスルーして自宅へと向かう。

「こんな法力の高い祓魔師に、二回も出会えるなんて本当にツイてるよ。――ね、今日のオレは機嫌がいいんだ。もちろんそういうコトにはなるけど、絶対に損はさせないし、優しくするよ?」

 下手なナンパかとツッコミを入れたくなるド直球な誘い文句。
 両足が不自由なツカサとしても足が治ることは願ったり叶ったりの提案である。だが、生憎と悪魔の協力を得るほど落ちぶれてはいない。
 まったく以て耳を貸す気などないのに、しつこさに磨きのかかった彼は猶も少年に付きまとう。

「シカトだなんて随分な対応だなあ」

 言葉を返せばコイツはここぞとばかりに弱みに付け込んでくるのが悪魔というもの。祓おうと手を出せば返り討ちに遭うことは分かりきっているし、今は何をしても無駄なのだからとにかく無視を決め込むしかない。
 飽きるまで待つ、それが今の最善の方法だと判断して極力言葉は交わさない。

「貴様、どこまで着いてくる気だ」
「どこまでって……。もちろん、彼が頷いてくれるまでかな」

 マンションのエントランスホールを抜けても平然と着いてくる男。
 痺れを切らしたミッシェルが唸るように吠え、主に触れさせまいと可能な限り距離を取り続けているが、エレベーターのような閉鎖空間では何の意味も成さない。

「ミッシェル、悪魔との対話は同時にこちらの情報を与えることにも繋がる。家に上がり込まれたところで弱みを握られるような怠惰な生活もしていないんだ。放っておけ」

 胡散臭い男の話は聞き流し、気を緩めるなと彼女に促しつつ最上階のフロアに降り立つ。

「いやあ、現実は小説より奇なり、とはよく言ったものだ。まさかこんな偶然があるとは」

 車椅子を押す侍女の後ろで何やら独りごちている悪魔。
 ツカサがこの建物に住んでいることを『奇』と言うのならば、一つだけ思い当たることがある。

(……わざわざ尋ねるメリットはないな)

 人並み以上の法力と実力を自負するツカサでさえ敵わない悪魔なのだから、この心当たりも当然知り得ているだろう。隣人のためにも余計な情報は漏らさないべきだと判断し、ミッシェルの介助を借りて家に上がる。
 ソファーに下ろしてもらい、羽織っていた上着を脱いでいると、一部始終を黙って見ていた悪魔はクスリと笑った。

「ほら、やっぱり彼女の手を借りないと移動もままならないんじゃないか」

 自分一人では何もできない事実に付け込もうとする彼は、嬉々とした笑みを浮かべながらさらに言葉を重ねる。

「足が治れば以前の生活に戻るし、家族の元にも帰れる。彼女は君を介助しない時間は別のことに使えて、君もわざわざ不便な生活から脱却できるんだから円満に解決するはずだけど?」
「―――――」

 初めから調べがついていたのか、あるいはその空虚な瞳でこちらを見透かしたのか。
 自身にまつわることを言い当てられたところで、ツカサは動揺するほど経験の浅い祓魔師ではないのだが、一般人のミッシェルとなると話は別で。ギクリと体を強張らせた刹那の反応を手練れた悪魔が見逃すはずもなく。すかさず標的を彼女に変えた彼は矢継ぎ早に捲し立てた。

「事故で彼の足があのようになってしまったのは残念だけど、君も心から主の回復を願っているんだろう? 医者に治せないものをオレが治すって言ってるのに、どうして拒み続けるんだろうね?」
「そ、それは……」

 わからない、と言いたげな戸惑いの声。甘い声に囁かれて狼狽える彼女を少年はきつく睨んだ。

「放っておけと言ったはずだ。仮にコイツの甘言が本当だったとしても代償は必ず払うことになる。僕は人の手に負えないことを求めないし、ましてや悪魔の手を借りるつもりなど毛頭ない」

 何かを得れば何かを失う。足の治癒の代償に快楽を求められているが、この悪魔の搾取量がそこらの淫魔たちと同じとも限らない。軽率に頷いたがために祓魔師としての人生を終えるのは御免だ。
 どれだけ好条件を提示されようが耳を貸す気はないと断言する。

「イマドキの子どもにしては珍しく強情だなあ。思春期の子ならキモチイイコトだって好きでしょ?」
「僕じゃなければそうだったかもしれないな」
「ふふ、不自由な思いをしているだろう君のために提案しているのに随分な言い草だ」

 後でシャワーを浴びることを考えてアルコールで手指の消毒を簡易的に行う。何を言われようといかなる内容もとにかく突っぱねた。
 押してもダメ、引いてもダメと判断したらしい悪魔は「そう」と軽く相槌を打って再びミッシェルに話かける。

「ワガママな主人に仕えるのも大変だね、彼は君の負担のことなど何一つ考えていないようだ。オレは君か彼のどちらかの精気か法力を快楽として少し味見させて欲しいだけなのにさ。何度も言うように彼の足が治ればいくつもの選択肢が増えて、君も毎日重労働をしなくて済むのに――ねえ?」
「……………」

 思い悩むのは、少年か、侍女か。
 心動かされるに違いない甘美な囁き。ツカサはミッシェルがその誘いに乗りやしないかと返答に耳を澄ませ、彼女は胡散臭く笑む悪魔の表情を不安げに窺う。

「……本当に、私なぞの精気でツカサ様の足が治るのか」
「おい、ミッシェル!」

 あれだけ話を聞くなと言ったのに、彼女の心は完全に傾きかけている。
 こちらが強く名を呼んでも目を逸らさないミッシェルの反応に手ごたえを感じたらしい悪魔は彼女の艶やかな黒の毛束を手で掬い、さらに耳元で囁きかけた。

「さすがに完治はオレが不利になりかねないから、両足は勘弁してほしいけど……。せめて一人での移動が差し支えない程度には治してあげられるよ。――ツカサ君のために協力してくれる?」
「―――……」

 優位なポジションをキープしつつ弱者の心の隙間に付け込む巧妙な手口。
 自制の利く者ですら悪魔の誘惑に抗うのは難しいとされているのに、このような最上位級の悪魔の誘いを彼女が拒絶できるはずもない。
 やれやれと嘆息したツカサは内心で覚悟を決めて鋭い眼差しを侍女へと向け、揺れる本心へと問いかけた。

「僕の足の治癒を願ってくれるのは嬉しい。だが、悪魔の声に揺さぶられる主な理由は何だ?」

 純粋に主のためを思っているのなら、悪魔の提案に乗らないと宣言した少年の意向を汲んでくれるはずだ。他者の献身と引き換えに得た幸福など、ツカサが最も好まない方法であることは少年の成長を見届けてきた彼女なら承知しているはずなのに、彼女の心の奥底に秘められた思考に手が届かない。

「私は、以前のようなツカサ様の元気な御姿をもう一度拝見したいのです。お一人で日本に残られるのはさぞかし寂しいことでしょう。一人で歩くことができれば、きっとご家族の元にも――」
「本当にそれだけか?」
「本当にそれだけかな?」

 少年と悪魔から同時に問い質され、ミッシェルは言葉を詰まらせて視線を彷徨わせる。
 怯えを宿した瞳から察するに、彼女はやはり別の本心を隠しているようだ。

「どう答えようと僕は怒ったりしない。ミッシェルの本意がそれだけならそれでいい」
「ツカサ様……」

 主の名を呟いたかと思えば、しばらくの沈黙が続く。
 その場で俯き、考えをまとめていたらしい彼女はゆっくりと顔を上げて結論を出した。

「――はい、それだけです」

 彼女の答えを正面から受け止めるも、視界の端で目を伏せた悪魔の口元が弧を描いたのをツカサは見逃さなかった。ああ、嘘か――そう察したもののさらに言及する気になれず、事態の好転も見出せないことから「そうか」と一言の返答で留めた。

「ふふ、嘘のなかに欲が見え隠れする甘く芳醇な香り。今の君を逃すのは惜しいなあ……。良かったらこれからホテルに行かない?」

 絶好のチャンスとばかりにミッシェルとの距離を縮めた悪魔は、彼女の細い腰を抱き寄せて俗な誘い文句を放つ。恐らく日頃からこのような魅了の手口で多くの女性の精気を喰らっているのだろう。
 祓魔師の前で堂々と口説くとは。憤るどころか呆れが勝ったことは言うまでもない。

「それは、ちょっと……」
「ああ、見られてる方が興奮するタイプ? 思春期真っ盛りの少年の前で官能的な姿を晒したいだなんてイケナイお姉さんだ。――もしかして、ツカサ様を交えたプレイをご所望かな?」
「なっ、だ、断じて違う!!」

 実にくだらないやりとりだ。これ以上は付き合うだけ時間の無駄だと判断したツカサは深い溜息を吐いて集合ポストに投函されていたチラシを適当に仕分ける。
 法力も持たない一般人の精気が上級悪魔の腹の足しになるはずがない。彼の『味見』が言葉通りの意味だとして、果たして無事に帰ってこられるかというと――もちろん、その保障はない。

(このままでは間違いなく喰い尽くされて終わりだろうな)

 どうにか被害を最小限に留めて、ミッシェルをアイツから遠ざける手立てはないだろうか。
 あまり集中しすぎても思考が読まれかねない。こうとなっては二人が外出してから策を練ることを決めて自身の腕を枕代わりにソファーに横たわった。

「随分と空気が読める少年だね。彼がひと眠りしている間にオレたちは――」
「それはダメだ。ツカサ様はシャワーが浴びたいと仰っていた。貴様の用事はそれが終わってからだ」

 悪魔に絆されたように見えた彼女の声が凛と通る。
 そう言えば帰宅前にそんなことも言っていたな、とツカサは瞑っていた目を開けて体を起こした。主の世話を優先する姿勢は大いに評価するが、いい感じだったムードと誘いを一蹴するのは如何なものかと子どもながらに心配してしまう。
 所謂オアズケなるものを喰らった悪魔が機嫌を損ねていなければいいのだが。
 浴室に向かうすれ違いざまに相手の反応を窺おうとしたところ「実に忠実な下僕だ」と何故か嬉しそうな声音で囁かれただけだった。
 彼の言葉の意味も、嬉々としていた意味もツカサには分からない。
 しかし、何かを伝えるとしたらこのタイミングしかないような気がした。

「――くれぐれも壊すなよ」

 彼の虚無な瞳を睨んで釘を刺す。
 その真意をどう捉えたか分からないが、彼は口元に弧を描いて僅かに肩を竦めてみせた。


***


 世界には人智を越えたものが数多く存在する。
 それは宗教や信仰に根付いた文化から派生するものであったり、摩訶不思議な現象から名付けられた怪異の名称であったりなど様々だ。
 一昔前のイギリスで名を馳せたというエクソシストを祖母に持つツカサもまた、イギリス系祓魔師の家系に生まれた一人であり、本国から救援の要請を受けた偉大な彼女とともに家族で渡英することになっていたのだが。
 日本を発つ数日前。ある事故が原因で両足が不自由となり、この国に留まることを余儀なくされた。
 もちろん、怪異や魑魅魍魎といった類は日本にも古来より存在する。それは近代化が進んだ現代になっても時に社会や秩序を脅かすことがあり、邪を祓う『法力』と呼ばれる特異な能力を持った一部の人間が退魔師や祓魔師といった職に就いて日常的にこの国を影から支えている。
 幸いなことに日常的に対峙する怪異や悪鬼は低級なものが多く、侍女ミッシェルの協力があればツカサでも祓うことができるレベルだった。
 今日の埠頭での仕事も容易にこなせる程度の相手で、以後も日本で祓魔を続ける予定でいたのに。

(さて、どうしたものか)

 二人がホテルへ向かって程なくしたころ。
 ベッドではなくリビングで一夜を明かすことを決めたツカサは、本日何度目かの大きな溜息を吐き出した。
 明け方まで彼女が戻ってこないことを考慮し、傍には普段使用している枕と薄手の毛布が置かれている。それらを手繰り寄せて横になり、煌々と点るライトに照らされた真っ白な天井を見上げた。

(ヒトに化ける悪魔は上級悪魔の中でも限られていると聞くが――)

 傲慢で、残虐で、私利私欲を満たすためなら手段を選ばない罪の権化。
 上位になればなるほど彼らは狡猾になり、自己顕示欲を満たすためにド派手な振る舞いを好む者が多いと聞くが、今日遭遇したあの悪魔からはそのような印象は受けなかった。
 実力を隠して人間社会に溶け込むことに非常に慣れている――もっと簡潔に言えば、自分をヒトに見せる方法を知っていると言った方がいいかもしれない。

(僕やミッシェルを殺せば、法力も精気も簡単に得られるだろうに)

 悪魔の好物は人間の血肉、法力や精気、願望や欲望など種族によりけりらしいが、出会い頭にこちらの快楽を求めてきたあの変人は少なくとも淫魔族ではなさそうだ。
 直感で敵わないと悟るほどの魔力。死を覚悟したツカサに圧倒的な実力差を脅しの道具にして優位に立たなかったのは何故なのか。
 法力や精気だけを求めるのなら、あの場で強引にでも手早く済ませるのが最善だ。淫魔や夢魔の真似事で情事に及ぶことが目的だとしても、わざわざツカサの足のことを引き合いに出す必要性はないわけで。
 あらゆる角度から何度考えてもアイツの目的が読めない。

(とにかく彼女が無事であればいいんだが……)

 情事の最中に悪魔に貪り喰われやしないか。妙な抵抗をしたゆえに肉片になっていやしないか。
 今はそれだけが気がかりだ。

(僕はこんな身体だからどうなろうと構わないが――。あの悪魔が今後もストーキングし続けるのなら、今の状況を放っておくわけにもいかないな)

 兎にも角にもミッシェルの身の安全について考えなければならない。
 彼女は我が家に代々仕えている侍女の家系の生まれで、法力を持たない一般人だ。
 現在二十代後半のミッシェルはツカサが生まれたころから面倒を見てくれている専属の付き人で、日本にツカサだけが残ると決まった折も自らの意思で留まってくれた。
 彼女の母はツカサの祖母や家族と一緒に渡英しているし、本心では向こうに着いて行きたかったに違いない。悪魔の誘惑に抗えなかったのも、秘めていたはずの思いを暴かれたからだろう。
 夜明けを迎える前に、どうにか彼女を自分から引き離す策を考えなければ。
 ローテーブルに置かれたリモコンを手に取り、リビングの照明を消して毛布を頭まで被る。
 実力も上。狡猾さも上。そんな悪魔を相手に一体どんな交渉ができるだろうと思考を巡らす。

 ――そもそも、何を交渉の着地とするか?
 それはミッシェルだけでもイギリスに戻すことだ。自分も一緒に戻った場合、あの悪魔が着いてくる可能性もある。おばあ様たちを危険に晒すのは極論避けるべきだ。

 ――では、どのような理由付けが好ましいか?
 彼女が負傷した、もしくは手助けが不要になったとするのが自然だろう。だが、負傷とした場合はツカサの世話をする者が居なくなる。彼女をイギリスに返せたところで新たに別の誰かが世話係として派遣され、悪魔の餌食になるか支配下に置かれるかのどちらかになることは明白だ。

 ――となれば、理想は?
 悪魔が言っていたように、ツカサが一人で生活できる程度に足が回復することが望ましい。
 衣食住のすべてにおいて誰のサポートも受けずにこなせたなら、世話係も不要と判断されるだろう。

(問題は、アイツの存在をどう伝えるかだが……)

 ミッシェルが無事に渡英できるよう交渉できたとしても、あの悪魔については日本の祓魔師協会と祖母に一報を入れておくべきだろう。
 宣言通りに悪魔がツカサの足を治したとして、その直後に殺される可能性も否定できない。本来ならば今すぐにでもテーブルに備えられたメモとペンで書き残しておくのが最善なのだが。

(高位の悪魔が現れたことは綴るべきだが、仮に延命できたとして治癒の件をどう伝える?)

 悪魔に慈悲や同情という概念はない。『悪魔の私欲と交換条件により、少年の片足を治せるほどの相手と元気に過ごしてます』なんて報告は受け手に混乱を生じさせるだけだ。
 かといって『隙を見て祓いました』なんて一文も、足の不自由な少年祓魔師にできる芸当ではないので明らかに虚偽とバレる。

(二、三人の祓魔師を派遣したところで滅せるはずもないだろうしな)

 あのヘンタイは隣人に同業者が住む祓魔師の家に堂々と上がり込む悪魔なのだ。何一つ臆する様子を見せないことからも彼にとってはそのような状況など不利にも及ばないという判断なのだろう。

(どれもこれも現実的な案が浮かばないな……)

 毛布を口元まで下ろして暗く静かな空間を見つめる。
 誰もいない家には時計の秒針の音が響き、近くを走る車の音がノイズのように聞こえてくる。
 平穏を告げる何気ない音のひとつひとつに耳を澄ませ、ゆっくりと目を閉じたときだった。

==========

サンプルは以上になります。
続きは「快刀祓魔譚-青檸邂逅の章」でお楽しみください。
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