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第2章 恐怖の残渣

第36話 迎撃、そして…

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 ひぃっ! ひいっ!
 集落からエルフの叫び声。
 ファントム・デーモンは魔力を持つものが目に魔力を宿し、「魔力眼」と呼ばれる状態になって初めて視認ができる。

 ある者は、魔力眼を発動させる前に霊体を捕食され
 ある者は、魔力眼を発動させ眼前のモンスターに恐怖しながら霊体を捕食され
 ある者は、抵抗を試みるも攻撃の効果が全く得られないまま霊体を捕食された。

「メアリー、魔力眼は使える?」
「うん。魔法は上手じゃないけど魔力眼くらいなら…。」
 メアリーは私の傍で常に大人しくしているけれど、さすがに表情がこわばっている。
「大丈夫よ。私が守るから、ね?」
 そう言ってメアリーの頭をなでると、少し安堵の表情が浮かんだ。

「レオンさん、さっそく防御結界の魔法を展開しますね。」
「頼みます、ユメさん!」
 イメージするのは魔法の効果範囲。対象をこの屋敷に設定。

――防御結界!

 魔力眼を発動している人には建物を覆う透明のフィルターのようなものが見えていることだろう。
「これが防御結界か…あのエクストラ級魔法の…」
「初めて見た」
 エルフは人間よりも魔法適性が高く、魔法の知見も豊富。
 優秀な魔法使いを数多く輩出する種族でもある。
 そのエルフたちがどよめいているところを見ると、やはりこれは高度な魔法なのだと実感する。
「でも今、あの女のほうが魔法を使わなかったか?」
「さすが一等魔法使いの付き人、あの女も半端じゃないんだろう」
 ん?
 んん?
 ちょっと気になる声がエルフたちから聞こえてきたが、私は知らんぷりをした。

「長老、早くこの屋敷に集落の皆さんを。屋敷にさえいれば安全ですから!」
「わかった。皆の者、手分けして無事なものを屋敷に避難させるのじゃ!」
 長老の指示のもと、配下のエルフたちがバタバタと動く。

 ファントム・デーモン自体の動きは鈍重で、魔力眼で注意しながら動けば、襲われずに済む。
 エルフは敏捷性が高いので、魔力眼を発動させて襲われる恐怖に打ち克てば逃げることは容易い。
 まだ霊体を捕食されていない無事なエルフの最後の一人が屋敷に避難したところで、とうとうファントム・デーモンが屋敷にたどり着いた。

 ファントム・デーモンは人型に近い形状をしている。ただとにかく体格が大きい。5メートルくらいの高さはありそうだった。
 この大きさのファントム・デーモンから見れば、建物も人形もおままごとの遊具程度の存在でしかないだろう。

 ぐわん

 防御結界が少したわむ。
 が、壊れるようなそぶりはない。むしろ柔軟に力をいなしているように見える。
 ファントム・デーモンに「顔」と呼べるものはないので表情はうかがえないが、なんとなく困惑しているようにも思えた。

「こ…これはまさか…」
 長老が私の防御結界を見てわなわな震えている。
「どうかされましたか?」
 と傍にいたエルフが心配そうに尋ねた。
「ファントム・デーモンは物理攻撃はおろか、魔法攻撃も受け付けん。つまり、基本的な防御結界の魔法ではファントム・デーモンを防ぐことはできんのじゃ。」
「それじゃぁ、これは…」

 と、その瞬間、その場にいた人々に声が響いた。
 ファントム・デーモンには口や声帯など、声を出す器官はない。もっとこう、脳内に直接響く声だ。
『コロす こロス ミンナしンデシマエ イナクナッテシマえ』
 他にもいくつか聞こえてきたが、これが一番はっきり聞こえた。
 耳をふさぐ者もいるが、聴覚を経由して聞いているわけではないので、それで聞こえなくなるわけではない。
 恐れおののき、ガクガク震える者もいる。
 あまりの恐怖に気を失いそうな者もいる。
 もはや一刻の猶予もない。

「レオンさん、魔法を!ファントム・デーモンの動きが止まっている今がチャンスです!」
 私は防御結界の魔法の状態を確認しつつ、レオンさんに叫ぶ。
「ああ、そうだね!」

――ハイリグベアディグン神聖なる葬送

 …
 …
 何も起きない。
「そんな!?魔法がキャンセルされている?」
 レオンは戸惑った。高度な魔法とはいえ、失敗するなんてありえない。
「もう一度…」
 そう呟いたレオンを
「無駄じゃ!」
 とエルフの長老が一喝して止めた。
「長老殿、どういうことですか!?」
「一等魔法使いの、わからんか?防御結界じゃよ!この防御結界、ただの防御結界ではない。物理も魔法も、そして霊体からも守られる完全無欠の防御結界。わしも勇者が使うのを見て以来、目にしたことはなかったがの。」

 …えっ!?そんな、勇者しか使ったことがないって、そういうの困る。
 今は勇者であることは内緒にしているので!

「外からも内からも、攻撃性のあるものを完全に防ぐ、それがたとえ聖なる魔法であっても。」
 !!
 この長老の解説で、私もようやく理解した。
 皮肉なことに、ファントム・デーモンから身を守るための防御結界が、ファントム・デーモンへの攻撃も防いでいたのだ。
 能力値最大カンストの弊害…でもないか。ファントム・デーモンからの攻撃は防げているわけだし。

「ユメさん、僕が防御結界の外に出て、ファントム・デーモンに直接魔法を放ちます。ユメさんは援護を!」
 そうなるよね。
 攻撃が届かないのであれば、攻撃の届くところ、つまり防御結界の外から攻撃するしかないもん。
 でも、援護といっても私も防御結界の中にいては何もできない。
「レオンさん、待って!」
 私もレオンさんに続き、防御結界の外に出た。

 …そして私はこの時の自分の浅はかさをこの後悔やむことになる。

 ファントム・デーモンの動きが鈍重だから油断していなかった?
 防御結界が効いているから高をくくっていなかった?
 どうして私は、レオンさん自身に防御結界の魔法を使わなかった?
 能力値最大だから最後は何とかなると思っていなかった?
 勇者と言われて、天狗になっていなかった?

 ファントム・デーモンと対峙する私たちにメアリーの悲鳴が聞こえる。
「ユメ!後ろ!」
 え?ファントム・デーモンは目の前にいるじゃない?
 メアリーったら、後ろってどういうこと…よ?え?

「2体目!?」
 そうよ、ファントム・デーモンが一体だけだとどうして決めつけていたの?
 ほんと、馬鹿だ。大馬鹿だわ。
 2体目のファントム・デーモンが大きな拳を振り下ろし、私たちにたたきつけようとしている。
 ダメ、回避が間に合わない。
 このままだと直撃しちゃう!
 身構えた瞬間、拳は私たちの身体を通過した。
 そうだ、相手は物理攻撃が効かない、つまり私たちに物理的なダメージを与えることはできない。

 しかし次の瞬間、身体がおぞましい感覚に包まれた。
 例えるのが難しいのだけれど、頭、お腹、手と足、体中のありとあらゆるところに30センチくらいのムカデが入ってきてのたうち回っているような、気色悪い感覚。
 どうしようもできない、ただ耐えるしかないぞわぞわ感。
 気持ち悪い。とにかく気持ち悪い。
 あまりの不快さに吐き気をもよおしそうになる。
 いや、それすら生ぬるい。あまりの不快さに気絶しそうになる。
「んっ、ぐっ!」
 必死にあらがうも、気を保つのが精一杯だ。
「ユメ!ユメ!」
 メアリーが泣きそうな顔で叫んでいる。今にもこちらに駆け寄ってきそうだ。

(こんにゃろー!娘の前で負けるもんかぁあ!)

 私は精一杯のつくり笑顔で手のひらをメアリーの方に向けて
「メアリー、大丈夫だから!いい子だからそこにいなさい!」
 と制止した。
「でも!レオンさんが…レオンさんが!」
 そうだ、レオンさん!
 慌ててレオンさんの方に振り向くと、ドサツという音とともにレオンさんが床に崩れ落ちた。

「レオンさん!?レオンさんっ!!」
 そんな!
 もしかしてレオンさん、霊体を捕食されたの!?
 このおぞましい不快感…これが霊体を食われている感覚!?

 レオンさん、嫌だそんなの。
 さっきまでお話して、一緒にファントム・デーモンを倒そうって言って…。
 魔法もあんなに凄いのに。強い人なのに。
「レオンさん!目を覚まして!レオンさん!」

 ダメだ、レオンさんの意識は完全に刈り取られている。
 すぐにでもレオンさんのところに駆け寄りたいのに、身体が言う事を聞かない。
 動け、動いてよ、私の身体!
 全能力値最大カンストなんでしょ?チートなんでしょ!
 いま動けずに、いつ動くのよ!

 私の思いとは別に全身を襲う不快感は続く。
 苦しさにとうとう私は片膝をついた。
 もうダメかもしれない…そう覚悟を決めた。だがスッと不快感が消えた。ファントム・デーモンが振り下ろした拳を上げたからだった。
『オまエ ナニもノ』
 また脳内にあの声が響く。
「あ、あなた達こそなんなのよ!」
『ワたシ エルふ コろスモノ』
 女性の声だろうか。さっきの声とは違う高い声だ。
『オれ ニんゲン コロすモノ』
 続けてさっきと同じ低い声もした。

『オまエラ スてファニーヲ コロしタ にクイ ユルセなイ』
『アナたタチ テオドーるヲ コロしタ にクイ クヤしイ』

 ステファニーって誰?テオドールって誰よ?
 人の名前…よね?

「そんな…嘘…。」
 え?思いもよらぬ声がした。
「だって…こんなの…。」
 声の主はメアリーだ。瞳孔が開き、手を口元にあてて震えている。

「どうしたの!メアリー。」
 私はメアリーに呼びかけるが、メアリーは全く反応してくれない。
 そして次の瞬間、メアリーの口から出た言葉に私も言葉を失った。

――やめて!パパ、ママ…!!
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