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第09話 アイリーン大尉の活躍 そのニ

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「おい、ちょっと待ちな!」
 
 いきなり背後から呼び止められた。
 恐る恐る振り返ると、

「見かけねえ顔だな? 今までどこにいた?」

 不審な表情も露わに、わたしを睨み付けた。
 
「二階です。わたし、ファーストクラスの担当ですから」
「へえ、そうかい。ファーストクラスの……」

 巨漢は嫌らしい目付きで、わたしを上から下までめ回した。

「聞けばファーストクラスっていうのはサービスがとてもいいって言うじゃねえか。どうだい、一つ、俺にもサービスしてくれねえか?」

 クククッ……。
 
 舌なめずりしながら、聞くに堪えない下品な笑い声を発した。
 うっ~、鳥肌が立つ。いったい、どのようなたぐいのサービスを要求するつもりなのか。

「一度、ファーストクラスの食事ってのを食べてみたくてよ。あとで持ってきてくれ」
 
 ハァ?

 なんか拍子抜けしてしまった。
 テロリストのくせに、なんて緊張感のない。むろん、そんなふざけた要求に応じるつもりはない。

「エコノミークラスのお客様に、そのようなサービスはしておりません」

 こんなやからは無視するに限る。
 踵を返したわたしの手首を、巨漢が厳つい手で握り締めた。

 痛ィ……。

 このバカ力! 少しは手加減しなさいよ。
 
「ネエチャン、いきがっているのも今のうちだぜ。俺たちの要求を知ったら、アムリア政府は取り引きに応じねえかもしれねえからな。そうなったら乗客の命の保証はできねえって」
「取り引きに応じる必要はありません。その前に軍がわたしたちを救出してくれます」
「いくら世界最強のアムリア軍でも、クルシアには手出しはできねえぜ。そんなことすりゃ、戦争になるって、ボスが言ってたからな。まあ、助けられるのは神様くれえなもんだ。普段の悪行を悔い改めて一心に祈りゃ、あるいは助かるかもしれねえが……」
 
 行き先はクルシア共和国か。
 思わぬところから貴重な情報を入手できた。まったく、おめでたいテロリストもいたもんだ。

「もし神様に見捨てられたら、今度はあなたに祈ることにするわ」
「……そりゃ、どういう意味だ?」
「あなたの教えはとても貴いということよ」
「……」

 ポカンと佇む巨漢テロリスト。
 自身の教えを褒められて満更でもなさそう。
 通行証は手軽な価格で入手できた。
 エコノミークラスへ入室すると、それとなく周囲に目を走らせる。
 なるほど、通路の中央に一人、それと通路の奥に一人。
 合計三人。
 いずれのテロリストもイングラムMACタイプの軽機関銃を肩にかけている。
 どうしてそんな物持ち込めたのか。たぶん空港関係者に複数の仲間がいたのだろう。たとえば運輸保安局TSAの職員とか。

 室内には絶えず緊張感が漂っているものの、乗客は落ち着きを取り戻しているようだ。
 大体の様子はわかった。取り敢えず、入手した情報を伝えよう。
 そのとき中央の階段から人が降りてくるのが見えた。
 あの神父のテロリストだ。
 彼には顔を知られている恐れがある。とっさに背を向けると、手近な座席に座っていた老婦人に声をかけた。
 
「あの、大丈夫ですか?」

 必死に目で合図を送る。
 お願い、話を合わせて。
 
「すみませんねえ。吐き気がしたものですから」

 老婦人は一瞬、驚いた表情をしたものの、すぐにわたしの意図を理解してくれた。
 よかった。気転の利く人で。
 神父の視線は民族衣装ガラベイヤを着た同士の一人に向けられていた。
 ホッと一息。掌は老婦人の背中へ、そして眼と耳は神父と相方の方へ。

「で、どうなのだ? 燃料補給の方は……」

 長い顎鬚を生やした初老のテロリストが神父に問いかけた。
 あの顔、見覚えがる。
 そうだ、イスラム教バーミア派の幹部、マフムート・ハシムだ。

尊師ムッラーよ、いま交渉中ですが、どうやら連中は要求を拒否するかまえのようです」
「フン、異教徒どもめ、そんなに同胞を殺されたいか」

 激高したのも束の間、ハシムはすぐに声を潜めて卑屈な忍び笑いを漏らした。
 
「ではその望み、叶えてやろうではないか」
「そのことならすでに通達済みです。三十分以内に要求に応じなければ、人質を一人射殺すると」
「いや、言い直せ。三十分おきだ。三十分おきに一人ずつだ」
 
 その囁きを耳にした乗客たちは、恐怖で全身を震わせたに違いない。
 ハシムは本気だ。
 頬に浮かんだ酷薄な笑みが言葉に真実味を付与している。
 
「……わかりました。さっそく空港側へ伝えます」

 立ち去ろうとした神父の背中へ、ハシムが囁きかけた。

「その祭服キャソックは目障りだ。いい加減、脱いだらどうだ?」
「ーー祭服は我が皮膚なり。長年馴染んだ服なので、脱ぐとどうも落ち着きません」
「神を捨てた者が今更なにを躊躇する?」

 ハシムの瞳に妖しい光が宿った。
 神父は黙したまま答えない。
 ハシムは激しく頭を振ると、再び金縁を睨み付けた。

「まだ決断がつかぬのか? 愚か者よ、そのようなことでは計画の成就は覚束ぬぞ。神に縋ろうとする限り、我々は神に成り得ぬ。神の鉄槌を世界に下すことはできぬのだ!」

 最早、ハシムは神父を見てはいなかった。
 いや、実際には何も見てはいなかったのかもしれない。その見開かれた双眼は天井へ、自身の理想と信条にのみ向けられていた。
 
「間もなく世の終わりがやってくる。神が望んだ世界だ。そして我々が創造する世界だ。我々は神に代わり、新たなる世界の支柱となるのだ。そのような者が何故神のしもべに甘んじるのだ?」

 乾いた唇から発せられた言葉が次第に熱を帯びてくる。
 
「おまえも神に裏切られた人間だ。そして神を殺した人間だ。だから我々と手を組んだのであろうが!」
「神など……。わたしは見たことがありません。もう見たいとも思いません」

 神父の双眼が憎しみで歪んだ。その先に主が実在するとでもいうように。
 ハシムが両手を掲げて興奮気味に座席から立ち上がった。

「わしも長年探し求めた。そしてようやく見つけたのだ。神とは力なのだと。人は愛ではない。力にかしずくのだと。安寧は秩序により生み出される。秩序は力により生み出される。では安寧と秩序がもたらすものは? それこそ人の望む法ではないか!」

 ゴホッ、ゴホッ……。

 ハシムが激しく咳き込んだ。

尊師ムッラーを頼む」

 神父はそう言い残して階段のステップに足をかけた。
 巨漢の野太い声が後を追った。

「ボス! ついでに飯も要求してくれ。もう半日、なにも食ってねえんだ。このままじゃ、御国に辿り着く前に飢え死にしちまうぜ」
「わかった」

 神父の姿が階上へ消えた。

 世界の終末とは、なんともスケールの大きな話だが。
 彼らの目的が世界の変革を望んだものだとしたら?
 確か主は既存の世界が燃え尽きることを望んだはず。現在なら人の手でも可能だ。大量破壊兵器を使用すれば、新しい世界は容易に創造できる。地獄という名の新世界が。煉獄という名の聖域が。
 
 彼らの真の目的とは?

 アンジェは頭を軽く振って妄想を追い払った。
 そこから先は考えたくもないし、考える暇もない。
 三十分おきに人質が射殺されるのだ。入手した情報を早く空港側へ伝えなければ……。

「ありがとう、助かりました」

 老婦人に小声で礼を述べると、足早に一階の化粧室へと駆け込んだ。
 イヤリングを外して発信機として使用する。
 たぶん一方的に情報を伝えるだけだが、それでも十分役に立つ。
 空港側へ伝わることを祈りつつ、わたしはヒソヒソと小声で入手した情報を囁き始めた。
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