12年目の恋物語

真矢すみれ

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番外編1 初デート

2.躓き

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 九時。

「ちょっと出かけて来るわね」

 玄関先で、植木に水をあげていたお手伝いさんに声をかける。
 花びらも葉っぱも、水と太陽をふんだんに浴びてキラキラ輝いていた。
 空は青く澄んでいて、ぽっかり浮かんだ雲は白くて、頬をなでる風が気持ちよくて、ああ、今日は良い日だなぁ、って自然と思う。

「珍しいですね、お休みの日にお出かけなんて」

 お手伝いさんが笑顔で答えてくれる。
 そこまでじゃないと思うんだけど……。
 そう言いたいけど、五月は学校に行くだけで精一杯、六月には二週間近く入院、とここ二ヶ月は何とか登校はできても、休日を楽しむ余裕なんて確かになかった。
 ようやく少し動けるようになったばかり。
 そう、今日が社会復帰の日なのかも知れない。

「いってらっしゃいませ」

「いってきます」

 向かうのは正面に見えるうちの門ではなく、裏に立つおじいちゃんとおばあちゃんの家の門。そっちの方が駅に近い。
 おじいちゃんとおばあちゃんの家の隣には、カナの家がある。でも、今日の行き先は、カナの家ではない。
 大きな和風の門を開けて、外に出ると、不思議な開放感でいっぱいになった。
 この門を出て、カナの家に行ったことはあるけど、それ以外の場所には、思えば、行ったことがないかも知れない。

 お出かけはいつも車で、子どもの頃から外遊びはお庭だけだった。
 近所の公園がどこにあるかすら、わたしは知らない。
 中等部の時、子どもたちだけで班を作って電車に乗って行く社会見学があった。楽しみにしていたその日は、熱を出してお休み。
 一度だけ乗った新幹線は修学旅行の時。家のすぐ側を電車が通っているのに、車で送ってもらった。
 その時は、何の疑問も感じなかった。
 でも、考えてみたら、世間知らずだよね。

「今時、天然記念物みたい」

 梨乃ちゃんや亜矢ちゃんに言われた言葉が、脳裏に浮かぶ。
 意地悪で言われたんじゃない。ちゃんと分かってる。だけど、なんだか、自分が恥ずかしくなっちゃったんだ。
 小学生や中学生なら、まだしも、もう高校生だよ。
 だから、わたしは、ひとりで電車に乗りに行くことに決めたんだ。

 どうしても、ひとりで乗ってみたかったのかというと、そう、ひとりで乗ってみたかった。
 みんながひとりで乗っている電車に、わたしだけ付添いが必要なんておかしいよね。うちの学園に初等部から通う子の多くは電車通学だもの。近所から来る子の方が少なくて、バス通学なんて近い方。
 で、みんながみんな、毎日元気いっぱいなはずはない。それでも、休まず登校してきてる。
 だったら、わたしだって元気な日なら大丈夫だよね?
 そう思ったんだ。

 だけど、わたしは甘かったみたい。
 まず、切符の買い方が分からない。
 何とか買ってホームに上がると、今度はどの電車に乗ればいいのか分からない。
 だって、線路が四本もあるんだもん。
 さすがに、T市行きがどっちかは分かった。でも、残り二本の内、どっちに乗れば目的地に行けるのかで戸惑い……。

 初等部時代から電車通学している友人、しーちゃんの顔を思い浮かべて、自分の世間知らずにうんざりした。
 ようやく電車に乗った頃には、すっかり疲れきって、わたしのささやかな自立心も萎えかけていた。
 それでも、一人で電車に乗れたということには興奮していて、ほどほどに混みあった車内では、車ではあり得ないスピードで流れる景色に見惚れたりもした。

 次々に目に飛び込んでくるたくさんの家。
 一瞬で見えなくなる道を歩く人たち。
 綺麗に広がった緑の田園風景。

 だけど、それもほんの短時間のことだった。
 電車も初めてだけど、そもそも、乗りものに立って乗るというのが、わたしにとって初体験だった。
 思いの外、きつかった。
 なんだかだんだん気持ちが悪くなって来て、景色が霞んできて、手すりにつかまっても、立っているのがつらくなって、頭の中を、どうしよう、どうしよう、という言葉が渦巻き始めた頃。

 すぐ側に座っていた人が、

「大丈夫? 代わろうか?」

 と席を立ってくれた。
 もう本当に気持ち悪くて、視界は黄色がかってよく見えなくて……。
 お言葉に甘えようかと思っていると、後ろに引っ張られるような重力を感じ、電車は駅に着いた。

「……あの、ありがとう、ございます。でも、降り…ます」

 とにかく、この電車という乗り物から、降りたかった。
 ささやくような声で、なんとかお礼を言ってドアに向かう。
 もしかして、一駅? それとも、二駅?
 たった、それだけも乗ってられないなんて。これじゃあ、ママが心配するはず……。
 電車から降りようとすると、後ろから来た人に押された。

 あっ。

 グラリと身体が揺れる。
 わたしを押した人は、わたしを押しのけるように、先に降りてしまい、わたしにはもう自分の身体を立て直す力なんて、残っていなくて……。
 倒れる!
 そう思った時、

「危ない!」

 と、声がして、誰かの大きな腕に抱き留められた。
 さっき、席を譲ろうとして立ってくれた男の人の声だった。

「ひどいなぁ」

 その人はそう言って、そのまま、わたしの身体を支えて一緒に電車を降りてくれた。

「大丈夫? ベンチまで行こうか」

「……あの、電車、」

「ああ、別に急いでいるわけじゃないから大丈夫」

「ありがと…ござい、ます」

 気持ち悪くて仕方ない。
 ふらふらして、まともに歩けない。
 結局、その人に支えられて、震える足で何とかベンチまで連れて行ってもらった。
 電車を降りても、気持ち悪さはなかなか治まらない。
 貧血と乗り物酔い。でも、心臓から来ている何かじゃないから、きっと、しばらく休めば……。

「大丈夫? 駅員さん、呼んでこようか?」

 心配そうな声。
 わたしを助けてくれた親切な人。

「座って、休めば……たぶん、落ち着く、ので」

 お礼を言おうとして顔を上げると、背筋にぞくりと悪寒が走って涙目になってしまった。
 だいたい、顔がどこにあるかは分かるけど、相変わらず視界は霞がかっていてしっかり見えていない。
 結局、わたしはすぐにうつむいてギュッと目を瞑った。

「貧血かな?」

「……たぶん、…あの、……後は一人、で」

 大丈夫という言葉は続けさせてもらえなかった。

「いや! ぜんぜん大丈夫そうじゃないから」

 その人はきっぱりと否定すると、心配そうに続けた。

「駅長室で休ませてもらうならいいけど、そうじゃないなら置いて行けないよ」

「……でも」

「落ち着くまで、ね。それか誰かに、迎えに来てもらえるかな?」

 ……誰か? 呼べば、きっと、誰か来てくれる。
 でも、嫌だ。
 と言うか、恥ずかしくて、そんなこと……できない。
 でも、通りすがりの人に、いつまでも迷惑をかけるのも申し訳ない。
 どうしたらいいのか考えないといけないと思うのに、気分の悪さから思考がまとまらなかった。

 ブルルル、ブルルル。

 俯いて目をつむり、浅い呼吸をくり返している内に、斜めがけにしたポシェットの中で携帯電話が震えているのに気が付いた。
 今は、出られないよ。そう思って放置していると、数分もおかずにまたかかって来る。

「電話、鳴ってるみたいだけど?」

 隣にいる親切な人に言われて、三回目、とうとう携帯を取り出すと通話ボタンを押した。

「……はい。陽菜です」

 小さな声で何とか名乗ると、

「ハル!? どこにいる!?」

 とカナの声が耳に飛び込んできた。

「……カナ? なんで?」

 目をつむったまま、のっそり答えるとカナは切羽詰まった声を上げた。

「具合悪いのか!?」

 ……イヤだなぁ。

 付き合いが長いから、声の調子で何でもバレちゃう。

「そんなことないよ」

 そう言ってみたけど、カナは聞いていない。

「すぐ行くから、とにかく、どこにいるか教えろよ」

 どこって。……ここ、どこだろう?

 来なくていいよと言いたいけど、心配をかけている自覚はあるので、そうも言えない。
 仕方なく駅名を探そうと顔を上げてみるけど、駅名のかんばんを見つける以前に、やっぱりまだよく目が見えなかった。
 どうしよう。そう思っていると、隣に座る男の人が、教えてくれた。

「駅名? なら、ここはS駅だよ」

「S駅?」

 駅名を聞き返すと、電話の向こうからカナの困惑した声が聞こえてきた。

「ハル、誰かいるの!?」

「……え、と。親切な人」

「親切な人? ……まあいいや、S駅でいいんだな?」

「……うん」

 S駅と言われても、正直よく分からない。
 乗る駅と降りる駅は覚えてきたし、路線図も一応見たけど、あまりに駅名が多すぎてほとんど頭には残っていなかった。
 けど、カナにはすぐ分かったみたいでホッとしたような声を上げた。

「よかった! 行き過ぎてなかった! 五分くらいで行けるから。待ってて!」

 カナはそう言うと、電話を切った。
 ……五分?
 そう言えば、カナの声の向こうの雑音はすごかった。
 もしかして、電車の中?
 電車の中では電話しちゃいけないんだよね? だって、駅にそんなポスターが貼ってあった。
 そんなことを思いつつも、カナにそれをさせたのが自分だと分かっているので、なんだか、複雑な気持ちになってしまった。
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