12年目の恋物語

真矢すみれ

文字の大きさ
64 / 151
13年目のやさしい願い

30.本当の言葉3

しおりを挟む
 一ヶ谷くんが帰るのをベッドの上から見送ると、急に身体が重さを増した。
 肘をついて、ゆっくりと横になると吐息がもれた。
 ……疲れた。
 まだ朝なのに、もう一日の終わりのような気がしてならない。
 でも、疲労感は強かったけど、隠れていた色んなことが見えたおかげで心の中は随分とスッキリした。

 一ヶ谷くんがわたしに執着していたのは、一目惚れではなくて、去年の秋からの想いがあったから。

 大きな手のひらの上に乗っていたドングリは、虹色。回したときにキレイに見えるようにと思って、レインボーカラーのストライプに塗ったんだ。
 五つあった見本のコマの中から、迷わず、それを選んだ一ヶ谷くんを思い出す。
 コマを手に取り、はにかみながら、

「ありがとう」

 と言ってくれた一ヶ谷くんを思い出す。

 別の日にも一言、二言、話をした。
 けど、どんな言葉を交わしたかは覚えていない。

 会う度にケガは少しずつ良くなっていて、ある日、病室に行くといなくなっていた。
 最後まで、整形に行かずに小児科にいた一ヶ谷くん。もしかしたら、「ここでいい」って言ったのかも知れない。

 篠塚さんは一ヶ谷くんのお兄さんに、何年も片想いをして、高校まで追いかけていった。
 お兄さんに彼女ができていたと知った時、どう思ったんだろう?
 カナに助けられた後、どうしてカナを好きになったんだろう?
 随分と偉そうな人だと思った。
 ひどい言葉をたくさん浴びせかけられた。
 冷たい人だと思った。
 でも、きっと、それが篠塚さんのすべてっていう訳じゃない。

 この学校にいるお友だちからの情報収集。一ヶ谷くんをムリヤリ動かすパワー。その行動力には目を見張るものがあった。
 もしかしたら、一ヶ谷くんのお兄さんには、何のアプローチも取っていなかったのかも知れない。
 ……後悔したのかな?

 ああ、そうだ。
 カナとお兄ちゃんに、もう篠塚さんのことは大丈夫だって言わなきゃ。
 だから、何もしないでって、言わなきゃ。
 そう思って、携帯電話を手に取ったけど、二人とも授業中だと思い出す。
 取りあえず、メールで……と思って、新規作成ボタンを押したところまでは覚えている。

 何て書こうかと思い悩んでいる内に、気がついたら、わたしはまた眠りに落ちていた。



「……るな。……陽菜」

 誰かに呼ばれた気がして、ゆっくりと目を開けた。まだ寝ていたかったのに、そう思いながら。
 ぼんやりとした視界の中で笑っていたのは、白衣を着たママだった。

「お昼ご飯よ」

 そう言いながら、ママはわたしの昼食の横にお弁当箱の入った袋をトンと置いた。
 寝ぼけた頭で、ぼんやりママを見る。
 白衣を着ている勤務時間中のママ。こんな風に、時間ができると病室を覗きに来てくれる。

「……ご飯?」

「そう。一緒に食べましょう」

 もう……お昼?
 時計を見ると、十二時半。
 朝の回診もまったく記憶になかった。
 何の夢も見なかった。
 ……こんなに熟睡したのは、本当に久しぶりだった。

「陽菜? 大丈夫?」

 ぼーっとしていると、ママに顔をのぞき込まれる。
 小さくうなずいたけど、頭は中々動き出さない。

「陽菜?」

 ママはまたわたしを呼ぶ。
 朝、カナが来て、その後、一ヶ谷くんが来て……。
 あれって、今日だよね?
 寝る前と起きた後で、身体の感覚も記憶も断絶している感じがする。

「大丈夫? 気分悪い?」

「あ……ううん。大丈夫」

 目を何度も瞬かせた。
 深く深く息を吸う。
 それから、ママを見て、ようやく笑顔を見せることができた。

「ごめんね。……なんか、すごくよく寝たみたいで、頭が回らなくて」

「ああ」

 ママも笑った。
 そういうことあるよねって。そう言いながら、リモコンを手に取りベッドの背を起こしてくれる。

「さあ、食べるわよ!」

 いつ呼び出されないとも限らない。
 まだ寝ぼけているわたしを尻目に、ママは気合い十分、お弁当の包みを開いた。

「あ。今日のお弁当、畑野はたのさんだ」

 お弁当の蓋を開けて、ママが顔をしかめた。
 畑野さんは沙代さんの他、もう一人いる若いお手伝いさん。何年も前から通って来ているけど、お料理の腕は沙代さんの方が上で、ママは断然、沙代さんのお料理が好きだ。

「沙代さんのご飯のが美味しいわよね?」

「……畑野さんだって十分上手よ?」

 思わず、そう言うと、ママはしまったと言うかのように肩をすくめた。

「はい。……感謝していただきます」

 別に叱ったわけでも、たしなめたわけでもないのに、と思わずクスッと笑ってしまう。
 お料理もお裁縫もお掃除も、いわゆる家事と呼ばれるようなものは全般的に、ママは苦手だ。

「……沙代さんのお料理はプロ級だし、確かに絶品だものね」

 思わず助け船を出すと、ママはそうよねと嬉しそうに笑う。
 それから、ふと真顔になった。

「ねえ、……一体誰の教育? 陽菜、あなた、人間が出来過ぎよ」

「え?」

「出されたものは感謝していただく……まあ、基本だと思うんだけどね。その伝え方なんかも押しつけがましくないし、フォローも絶妙。他にも、どんな時にも、ありがとうを忘れない、すぐにごめんなさいって謝れる」

 いきなり何の話かと、わたしはポカンとママを見る。

「昔から物欲はないし、ワガママ言って周りを困らせることもない。どんなツライ検査でも文句一つ言わない。どんなに身体がツラくても愚痴一つ言わない。出来過ぎでしょ!?」

 ママは一気にまくし立てて、それから、ハーッと息を吸うとごくごくとお茶を一気飲みした。
 動作のすべてが豪快で素早くてついて行けない。これが、すべてにおいてスローペースのわたしのママって言うんだから、不思議なくらいだ。
 わたしから返事が返ってこないのは気にせず、ママは大きなおにぎりをほおばりながら、首を傾げた。

「……誰の影響かしら?」

 しゃべりながらも、ママのお弁当はみるみる内に減っていく。反対にわたしの昼食はなかなか減らない。寝てばかりだから、お腹なんて減りようがない。
 ママは相変わらず、不思議そうにわたしを見る。
 確かに、わたしとママの性格は正反対というくらいに、まるで違う。

「おばあちゃんかしら?」

「……ああ、お義母さん」

 ママの手が、ほんの一瞬だけ止まった。

 隣の家に住むおばあちゃんは、凜とした空気をまとった、いかにも貴婦人という感じの人。
 おじいちゃんとおばあちゃんの家にもお手伝いさんはいるけど、おばあちゃんはお料理もお掃除もするし、おじいちゃんの身の回りのお世話ももちろんしている。お仕事はしていない。
 だから、小さな頃、体調を崩すと、よくわたしはおばあちゃんに預けられた。
 おばあちゃんは、いつだって優しかったけど、ダメなものはダメだと、人としてこうあるべきだと、丁寧にくり返し教えてくれた。

「なるほど。……お義母さんかぁ」

 ママは顔をしかめる。
 どうにも、おばあちゃんに苦手意識があるらしい。
 仲は良い。でも、あまりに違い過ぎる二人。お互いがお互いを認めていながらも、密かにお互いを敬遠している。二人の間にはそんな空気が感じられる。

「あのさ、陽菜」

 そう言うママのお弁当は、既に空っぽになっていた。
 ママは、冷蔵庫から素早く取ってきた栄養ドリンクのフタを開けながら、軽い口調で言った。

「ワガママ言ってもいいのよ?」

「え?」

「そんなにいい子でいなくて、いいのよ?」

「ママ?」

「そんなにストイックに自分を律する必要はないと思うんだけど」

「……一体、どうしたの?」

 突然の話に、ろくに進んでいなかった食事が完全に止まる。

「普通、もう少しワガママよ、あなたくらいの年の子って」

「そうかしら?」

「世界は自分を中心に回ってるくらいに思ってるでしょ?」

 壮大な例えに、思わずクスリと笑う。世界がわたしを中心に回ってるはずがないじゃない、って。

「笑うところじゃないし」

 ママは肩をすくめた。

 だって、ママ、……わたし、今だって、十分にみんなに迷惑も心配もかけているもの。
 いっぱい心配かけて、それから、山ほど愛してもらって大切にしてもらってる。
 その上、これ以上、ワガママを言う?
 ムリ。そんなの、絶対、ムリ。

 大体、パパだってママだって、わたしが何かをしたいと言った時、反対することなんてほとんどない。
 反対する時だって、どれもわたしのためを思ってのことだって、分かってる。
 それに欲しいものは、多分、すべて与えてもらっている。

「まあ。陽菜に限って、ある日突然プツンとキレて非行に走る……なんてことはないと思うけどね」

「ひ、非行!?」

 ママ、飛躍しすぎ。
 目を丸くしていると、ママはふっと笑顔を浮かべた。

「何でもいいけど、とにかく自分の感情に素直にね。我慢しないで、何でも取りあえず言ってみなさい」

 突然の話に、かえってママの真意が気になる。
 だけど、何でそんな話をしたのって聞く前に、ママは腕時計を見て、慌てて言った。

「行かなきゃ!」

 お医者さんのママはとにかく多忙。もちろん、お昼休みは一時間なんて取れない。
 これを、もちろんと言って良いのか分からないけど、未だかつて、そんなにゆっくり休んでいたママを見たことはない。
 ママは残った栄養ドリンクをぐいっと飲み干すと、

「じゃあねっ!」

 と、空っぽのお弁当箱の入った袋を手に取り、軽く手を上げ、足早に病室を後にした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない

彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。 酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。 「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」 そんなことを、言い出した。

社長から逃げろっ

鳴宮鶉子
恋愛
社長から逃げろっ

フッてくれてありがとう

nanahi
恋愛
【25th Anniversary CUP】にて、最終ランキング3位に入りました。投票してくださった皆様、読んでくださった皆様、ありがとうございました! 「子どもができたんだ」 ある冬の25日、突然、彼が私に告げた。 「誰の」 私の短い問いにあなたは、しばらく無言だった。 でも私は知っている。 大学生時代の元カノだ。 「じゃあ。元気で」 彼からは謝罪の一言さえなかった。 下を向き、私はひたすら涙を流した。 それから二年後、私は偶然、元彼と再会する。 過去とは全く変わった私と出会って、元彼はふたたび──

自信家CEOは花嫁を略奪する

朝陽ゆりね
恋愛
「あなたとは、一夜限りの関係です」 そのはずだったのに、 そう言ったはずなのに―― 私には婚約者がいて、あなたと交際することはできない。 それにあなたは特定の女とはつきあわないのでしょ? だったら、なぜ? お願いだからもうかまわないで―― 松坂和眞は特定の相手とは交際しないと宣言し、言い寄る女と一時を愉しむ男だ。 だが、経営者としての手腕は世間に広く知られている。 璃桜はそんな和眞に憧れて入社したが、親からもらった自由な時間は3年だった。 そしてその期間が来てしまった。 半年後、親が決めた相手と結婚する。 退職する前日、和眞を誘惑する決意をし、成功するが――

片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜

橘しづき
恋愛
 姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。    私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。    だが当日、姉は結婚式に来なかった。  パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。 「私が……蒼一さんと結婚します」    姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』

鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、 仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。 厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議―― 最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。 だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、 結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。 そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、 次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。 同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。 数々の試練が二人を襲うが―― 蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、 結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。 そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、 秘書と社長の関係を静かに越えていく。 「これからの人生も、そばで支えてほしい。」 それは、彼が初めて見せた弱さであり、 結衣だけに向けた真剣な想いだった。 秘書として。 一人の女性として。 結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。 仕事も恋も全力で駆け抜ける、 “冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。

32歳、恋愛未経験の私に彼氏ができました。お相手は次期社長で完璧王子なのに、なぜか可愛い。

さくしゃ
恋愛
32歳、恋愛未経験の私に彼氏ができました。お相手は次期社長で完璧王子なのに、なぜか可愛い。 「甘酒って甘くないんだ!」 ピュアで、 「さ、さお…ふしゅうう」 私の名前を呼ぼうとして呼べなくて。 だけど、 「し、しゅ…ふしゅうう」 それは私も同じで。 不器用な2人による優しい恋愛物語。 果たして私たちは 「さ…ふしゅぅぅ」 下の名前で呼び合えるのでしょうか?

処理中です...