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第3章
闇の先の再会
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――かつん、かつん。
真っ暗闇の中、靴音が響く。
ダーティたちの先を行く女の手には蝋燭。頼りない光を持つ女は、暗闇の中でも笑顔を浮かべているとわかる、しっかりした声で尋ねた。
「ぼうやは、ここに初めて来たのよね」
「はあ」
「で、感想はどう?」
「ええっと……。意外と普通……」
マックに述べた感想を、ダーティはまた口にした。
からからとカールは笑う。「そっかあ、普通かあ」
その陽気な反応に、ついダーティはこう言ってしまった。
「なんでここ、死霊や魔霊がいないんですか?」
ダーティの素朴な疑問に、カールの足が一瞬止まった気がした。
“視えない”マックは、これまた素朴に尋ねる。
「え? いないの?」
「うん」
ダーティがこの至宝美術館に来て、まず感じた違和感はそれだった。
この至宝美術館は、魔霊の森内に建っている。
魔霊の森は、スキターニエ建国以前から存在する黄泉への通り道で、すべての死者はこの森を通ってあの世へ行くと言われている。
事実、森に入ってからずっと、ほほほ、はははという、陽気な笑い声と悲鳴の中間のような音がやむことはなかったし、魔霊には遭遇しなかったものの、死霊はちらほら見かけた。
ちなみに、魔霊と死霊の違いは、人に悪意を持っているかどうか。
悪意をもって襲いかかってくれば、魔霊。そうでなければ、死霊。
どちらも死者には違いなく、同じくらい意思疎通は難しい。
もっとも、その難しいことをやってのけた挙げ句、命令に従わせるというのが、ダーティの目指す魔剣士、つまり、敬愛すべき隊長、エレノア・ハーティリ・オウルホウトなわけだが。
しかし、この建物に近づくにつれ、彼らの声は遠ざかり、その姿はまったく“視えなく”なった。
「何でだろ?」
ひとりごとのようなダーティの言葉に、カールは相変わらずの陽気な声で答えた。
「あたしはドゥシャーじゃないからわからないけど、ひょっとしたら、それこそが至宝美術館の成せる業なのかもしれないわね」
「至宝美術館の?」
「――ここ、至宝美術館の役割はいくつかあるけど」
まるで地獄に続いているかのような長い階段を、三人は降り続けている。
二人が招き入れられた館長室は、これといった特徴もない普通の部屋だったが、入って正面にある執務用のデスクの向こうに見える鉄の扉。そこだけが異彩を放っており、いま三人にはその鉄の扉の向こう側、つまり、ここにいる。
「主な仕事は美術品にかけられた魔術・魔法の復活。それによる、新たな魔術と魔法の獲得。そして、その美術品を展示できるよう説得、もしくは制圧」
「制圧?」
辺りを見回しながら、ダーティは尋ねた。
真っ黒な空間には、カール、マック、ダーティのほか何も見えない。階段がついているなら、当然あるべき壁も。ただ、木でできた手すりが螺旋状の階段に合わせて、どこまでも続いている。
前を行くカールの顔が、微かにこちらを向くのがわかった。
「魔術・魔法がかかった美術品を“生き返らせる”ということは、その美術品がかけられた魔術・魔法を開法――つまり、発動させること。ここで働く人間の一番の死因は、発動させた魔術・魔法に殺されることなのよ。つまり、未知の魔術・魔法に対抗すること――制圧ができなければ、死ぬことになる」
ダーティは思わず震え上る。
気配で伝わったのか、くすりとカールは笑った。
「まあ、いきなり殺されるは大げさだったわね。もちろん、そんな乱暴な美術品たちばかりじゃない。例えば、さっきのサー・ナイジャル。彼は、さる貴族の娘の嫁入り道具だったのよ」
「嫁入り道具……」
(あれが?)
あんな悪趣味な嫁入り道具を持たせるってどんな親だよ、ダーティは内心ごちた。
「もとはその貴族に使えていた忠義の厚い騎士でね。嫁入り先でも娘が守られるようにって、父親が彼の姿を絵に描かせた。使われた魔法論式は、存在再現法。彼は入り口にかけられ、番犬の役割を果たしていたの。残念ながらその家が没落して、魔法論式が切れた状態で、この美術館に持ち込まれたってわけ」
「あいかわらず、楽しそうな職場だなあ。おれ、隊長辞めてここに勤めようかな」
のんびりしたマックの呟きに、思わずダーティは噛みつく。
「冗談じゃねえ! こんな所に勤めてたら、命がいくつあっても足りねえよ!」
「そうよ。大体、女と見れば誰彼かまわず口説く様な節操なし、とても職員には迎えられやしない」
「心外だな」
マックは真剣な顔で言った。
「女と見れば誰彼かまわずじゃない。おれは、お前だけは口説いたことがないのが自慢なんだ」
「エルもでしょ。まったく、そういうところはサー・ナイジャルとは違うね」
「へ? そうなの?」
カールが、がっくりと肩を落とす。
「ちょっと騎士道精神が高すぎる絵でさ。『か弱き女性に手をあげるわけには』って、女相手には、てんで使えない絵なのよ。それさえなけりゃ、美術館の正面入口に飾って、門番代わりに使うんだけどね」
カールは心底残念そうだ。
「せっかくこの世に舞い戻ったんだからさ。ちょっとは働いても罰当たらないと思わない?」
同意を求められても。「はあ」、ダーティは曖昧な返事をする。
が、マックは至極真っ当な言葉を返した。
「えー、おれだったらやだな。死んでも働かなきゃならないなんて」
ダーティは心の中で両手をあげて、その意見に賛成した。
確かに死んだらもう働きたくない。
が、さらに上手がここにいた。
「えー、あたし、いまだって働きたくない。だからさー、死んでる人に働いてもらって楽したいのよー」
「……館長にあるまじき発言だな」
マックの言葉に、ダーティもこくこくとうなずく。
「だってさー、椅子に腰かけて偉そうに命令できるのが、上司の特権ってものじゃない?」
ダーティは、マックの顔を見た。できれば反論してもらいたい。――が。
「まあ、そうだな」
あっさりと、マックはカールの意見に同意した。
(おおい!)
「でもさあ、上司って意外と暇じゃないのよね」
「そうそう」
「あたしさあ、パパ・ドランがここの館長だったとき、ほんっと暇そうだなあって思ってたのよ」
「いや、あの人は暇だったと思う。なんせ、美術品を殴ることしかできなかった人だし」
「そっかあ。つまり、あたしがそれだけ有能だったのね」
「そうそう」
ダーティには、さっぱり話が見えない。まず、基本的なことから。
「あの」
「なに?」
「パパ・ドランって?」
「ああ」、気づいたように、カールは説明を始める。
「ここの先代館長よ。あたしが歴代最強なら、パパ・ドランは歴代最大の変わり者。何せ、美術品とはこぶしを交えればわかりあえるって信じてた、工芸員って言うより、ただの筋肉バカ」
「実際、でかかったし、筋肉隆々だったし、ハゲだったし」
(いや、最後のは関係ないだろ)
ダーティのつっこみに気づくことなく、マックは話を続ける。
「おれも会うたび、殴られたもんな。ほんと無駄に」
「あら、あたしも朝の挨拶代わりに、いつもこぶしが飛んできたわよ。ほんと、ケンカの好きだった人よね。おまけに使える魔法論式は存在認証法だけ。ま、館長としての仕事には全く差し支えなかったから、良かったんだけどね」
「……そういうもん?」
マックが真剣な顔で言う。
「あのな、ダーティ。無能な上司の下に使える部下がいりゃ、仕事って回るんだよ。恐ろしいことに」
「……そうなのかなあ」
まだ若いダーティに、上司がいなくとも仕事が務まるということの、真の恐ろしさはわからない。うなずいて、マックは言った。
「もっとも、カールは有能すぎるくらい有能な美術復元師だったんだけどな」
「へ? そうなの?」
ダーティがカールを見る。
「そう。ちなみに、カールの階級は少尉で、おれとエルより立場は下だけど、入隊当時の魔法論式の成績はおれたちより上だった。いまも、実力的にはそうだと思う」
「ええ? マジ?」
こう見えても、マックは上級召喚師、そして上級魔術師、さらには中級魔法論士という、すごいやつなのだ。国の盾第一小隊長の称号、そして、リリ家の血筋は伊達ではない。
「たまたまよ、たまたま」
カールは快活に笑う。
「うちの親父が優秀な美術復元師だったのよ。あたしの才能は親父譲りね」
「……そうなんだ」
少し複雑な気持ちで、ダーティは答えた。
「ところでさ」
マックがふいに口を開く。
「これ、ほんとどこまで続いてるんだ?」
暗闇には、まだゴールが見えてこない。
「例の絵、第二作業室にあるのよ。つまり、地下七階。これでも短縮ルートを歩いているんだけどね」
「地下七階?」
ダーティは思わず叫んだ。カールが当然のように言う。
「そりゃ、あんた。数万点もある美術品を収めるには、それくらいの広さがなくちゃ」
なんとなく心細くなってきた。ダーティは思わず呟く。
「なあ、一体、本当どこまで降りて行くんだ?」
前を行くマックが顔だけこちらに向けて、からかうように言った。
「なんだ、怖いのか?」
「だ、誰が!」
強がってはみたものの、やっぱり怖い。
何というか、底のない地獄に、降りるというより落ちている気がする。
ダーティの不安を読み取ったのか、カールが口を開いた。
「空間断絶法を体感するのは初めて? ぼうや」
「空間断絶法?」
ダーティの疑問には、マックが答えた。
「入られたら困る部屋や、物を隠すために使われる魔法だよ。おれたちがさっき扉をくぐるとき、カールがドアに手を突っ込んだだろ? あれは、存在認証法。美術品の盗難、及び逃走をさけるため、至宝美術館員、体得必須の魔法論式だ。期限は術者が死ぬまで」
「盗難はわかるけど、逃走?」
カールが足を止める。振り返った彼女は驚いたように尋ねた。
「なによ、マック。あんた、何も説明してないの?」
「んー? 口で説明するの面倒でさ。連れてきたほうが早いと思って」
心底あきれたようにカールは言った。
「なにそれ! あいかわらず適当なやつねえ」
「いやいや、百聞は一見にしかずって言うだろ? ごちゃごちゃ口で説明するより、見たほうがわかるって」
「そりゃそうかもしれないけどさ」
カールは、しかし、すぐに気を取り直したように「ま、いっか」と呟いた。
「ここまで来ちゃったんだもんねえ」
彼女は再び歩き出し、説明を再開した。
「魔法美術品に込められた魔法論式を取り出す方法は、すごくシンプル。まず、絵なら特殊な黒の絵の具で塗りつぶし、思い出草(メモリス)の粉を振りかける。そうすると、絵を描く前に書かれた魔法論式が浮かび上がる。魔法論式は別名、書式魔術と呼ばれているものだから、理屈としては、欠けたり薄れている文字を書き直せばいいってことなんだけど、これがなかなか難しい。昔使われていた言葉や、ある特定の民族にしか使われていない言葉で書かれたり、凝ったのになると、そいつが造った言葉で書かれてたりね。魔法を開法、つまり発動させるには大抵発音も必要だから、結局、読めないと意味もないしね。この至宝美術館の建物にも、あたしたちがまだ読めない論式がたくさん書かれているのよ」
ダーティは、ふと思った。
ひょっとして、至宝美術館の建立に十年もかかったのは、魔法論式の構築に時間がかかったからではないだろうか。それなら、内装が簡素なのもわかる。建物中に記述された論式が万が一欠けたとき、あまり込み入った内装だと論式の修復だけでなく、修繕の手間までかかってしまう。
「復元された美術品たちが、どんな歴史を語るのか。この至宝美術館の全ての論式が発動するとき、どんな姿になるのか……。ねえ、考えるだけでわくわくしない?」
突然、三人の前に扉がたちはだかった。
「あ、着いた」
その扉は下から上に向かって、大きく歪曲している。まるで、目の前に立つ人間を飲み込もうとしているかのように。
そして、その扉には、こんなプレートがかかっている。
『第二作業室』
カールが扉を叩いた。
「リジー、いる?」
(リジー? リジーって?)
ダーティの頭の中を、一人の男の姿がよぎる。
声が聞こえた。
「どうぞ」
カールがドアノブを回す。
ダーティは、ごくりと喉を鳴らす。
「おや、ダーティ」
あまり驚いたふうもなく、青年は言った。
(やっぱり)
「久しぶり」
まくられた袖からのぞく、彼の二の腕。飛び散った絵の具に混じって、そこを黒い蔦のようなものが這っている。
(……これは)
マックは、ダーティに尋ねた。
「知り合いか?」
ダーティは珍しく、固い表情だ。
「うん。前の事件のとき会った、ハーディって覚えてる? あいつの兄貴」
マックは彼と同じ黒い髪をした少年のことを思い出す。が。
(あまり似てないな)
顔立ちもさることながら、ハーディとは違い、この男の瞳は青だ。
何より、身に纏う雰囲気がまるで違う。
この男、どこか薄暗い。
それに、ダーティの様子も少しおかしい。
「突然家出たと思ったら、こんなところにいたのかよ」
「まあね」
「ハーディは知ってるのか?」
「知ってると思う?」
ダーティは黙った。
二人の会話が途切れたのを幸いに、マックは口を挟む。
「カール、紹介してくれ」
「ああ、そうだね」
気を取り直して、カールが紹介を始める。
「こっちの若いのは、最近入った美術復元師でね。リジストリィ・ボルダ。リジー、こちらは国の盾第一小隊隊長、マッカラス・ロッケンジー・リリ。で、こっちの若い子が」
「知ってますよ。ダートハルト・ハリオット。ぼくの弟の、親友ですから」
カールが目を見開く。
「へえ。そうなの?」
後半はダーティにだ。
ダーティは曖昧な顔で答えた。
「ええ、まあ」
「……のわりには」
仲よさそうには見えないわねえ、とは彼女は言わなかった。
「ま、話を先に進めようか」
カールがリジーの目の前にある、白い布のかかったイーゼルに目を向ける。
「これが今回の依頼、『アンナとバルバザン』よ」
ばさり、と布がはぎ取られる。
絵の中には、むっつりした顔の美少女がいた。
真っ暗闇の中、靴音が響く。
ダーティたちの先を行く女の手には蝋燭。頼りない光を持つ女は、暗闇の中でも笑顔を浮かべているとわかる、しっかりした声で尋ねた。
「ぼうやは、ここに初めて来たのよね」
「はあ」
「で、感想はどう?」
「ええっと……。意外と普通……」
マックに述べた感想を、ダーティはまた口にした。
からからとカールは笑う。「そっかあ、普通かあ」
その陽気な反応に、ついダーティはこう言ってしまった。
「なんでここ、死霊や魔霊がいないんですか?」
ダーティの素朴な疑問に、カールの足が一瞬止まった気がした。
“視えない”マックは、これまた素朴に尋ねる。
「え? いないの?」
「うん」
ダーティがこの至宝美術館に来て、まず感じた違和感はそれだった。
この至宝美術館は、魔霊の森内に建っている。
魔霊の森は、スキターニエ建国以前から存在する黄泉への通り道で、すべての死者はこの森を通ってあの世へ行くと言われている。
事実、森に入ってからずっと、ほほほ、はははという、陽気な笑い声と悲鳴の中間のような音がやむことはなかったし、魔霊には遭遇しなかったものの、死霊はちらほら見かけた。
ちなみに、魔霊と死霊の違いは、人に悪意を持っているかどうか。
悪意をもって襲いかかってくれば、魔霊。そうでなければ、死霊。
どちらも死者には違いなく、同じくらい意思疎通は難しい。
もっとも、その難しいことをやってのけた挙げ句、命令に従わせるというのが、ダーティの目指す魔剣士、つまり、敬愛すべき隊長、エレノア・ハーティリ・オウルホウトなわけだが。
しかし、この建物に近づくにつれ、彼らの声は遠ざかり、その姿はまったく“視えなく”なった。
「何でだろ?」
ひとりごとのようなダーティの言葉に、カールは相変わらずの陽気な声で答えた。
「あたしはドゥシャーじゃないからわからないけど、ひょっとしたら、それこそが至宝美術館の成せる業なのかもしれないわね」
「至宝美術館の?」
「――ここ、至宝美術館の役割はいくつかあるけど」
まるで地獄に続いているかのような長い階段を、三人は降り続けている。
二人が招き入れられた館長室は、これといった特徴もない普通の部屋だったが、入って正面にある執務用のデスクの向こうに見える鉄の扉。そこだけが異彩を放っており、いま三人にはその鉄の扉の向こう側、つまり、ここにいる。
「主な仕事は美術品にかけられた魔術・魔法の復活。それによる、新たな魔術と魔法の獲得。そして、その美術品を展示できるよう説得、もしくは制圧」
「制圧?」
辺りを見回しながら、ダーティは尋ねた。
真っ黒な空間には、カール、マック、ダーティのほか何も見えない。階段がついているなら、当然あるべき壁も。ただ、木でできた手すりが螺旋状の階段に合わせて、どこまでも続いている。
前を行くカールの顔が、微かにこちらを向くのがわかった。
「魔術・魔法がかかった美術品を“生き返らせる”ということは、その美術品がかけられた魔術・魔法を開法――つまり、発動させること。ここで働く人間の一番の死因は、発動させた魔術・魔法に殺されることなのよ。つまり、未知の魔術・魔法に対抗すること――制圧ができなければ、死ぬことになる」
ダーティは思わず震え上る。
気配で伝わったのか、くすりとカールは笑った。
「まあ、いきなり殺されるは大げさだったわね。もちろん、そんな乱暴な美術品たちばかりじゃない。例えば、さっきのサー・ナイジャル。彼は、さる貴族の娘の嫁入り道具だったのよ」
「嫁入り道具……」
(あれが?)
あんな悪趣味な嫁入り道具を持たせるってどんな親だよ、ダーティは内心ごちた。
「もとはその貴族に使えていた忠義の厚い騎士でね。嫁入り先でも娘が守られるようにって、父親が彼の姿を絵に描かせた。使われた魔法論式は、存在再現法。彼は入り口にかけられ、番犬の役割を果たしていたの。残念ながらその家が没落して、魔法論式が切れた状態で、この美術館に持ち込まれたってわけ」
「あいかわらず、楽しそうな職場だなあ。おれ、隊長辞めてここに勤めようかな」
のんびりしたマックの呟きに、思わずダーティは噛みつく。
「冗談じゃねえ! こんな所に勤めてたら、命がいくつあっても足りねえよ!」
「そうよ。大体、女と見れば誰彼かまわず口説く様な節操なし、とても職員には迎えられやしない」
「心外だな」
マックは真剣な顔で言った。
「女と見れば誰彼かまわずじゃない。おれは、お前だけは口説いたことがないのが自慢なんだ」
「エルもでしょ。まったく、そういうところはサー・ナイジャルとは違うね」
「へ? そうなの?」
カールが、がっくりと肩を落とす。
「ちょっと騎士道精神が高すぎる絵でさ。『か弱き女性に手をあげるわけには』って、女相手には、てんで使えない絵なのよ。それさえなけりゃ、美術館の正面入口に飾って、門番代わりに使うんだけどね」
カールは心底残念そうだ。
「せっかくこの世に舞い戻ったんだからさ。ちょっとは働いても罰当たらないと思わない?」
同意を求められても。「はあ」、ダーティは曖昧な返事をする。
が、マックは至極真っ当な言葉を返した。
「えー、おれだったらやだな。死んでも働かなきゃならないなんて」
ダーティは心の中で両手をあげて、その意見に賛成した。
確かに死んだらもう働きたくない。
が、さらに上手がここにいた。
「えー、あたし、いまだって働きたくない。だからさー、死んでる人に働いてもらって楽したいのよー」
「……館長にあるまじき発言だな」
マックの言葉に、ダーティもこくこくとうなずく。
「だってさー、椅子に腰かけて偉そうに命令できるのが、上司の特権ってものじゃない?」
ダーティは、マックの顔を見た。できれば反論してもらいたい。――が。
「まあ、そうだな」
あっさりと、マックはカールの意見に同意した。
(おおい!)
「でもさあ、上司って意外と暇じゃないのよね」
「そうそう」
「あたしさあ、パパ・ドランがここの館長だったとき、ほんっと暇そうだなあって思ってたのよ」
「いや、あの人は暇だったと思う。なんせ、美術品を殴ることしかできなかった人だし」
「そっかあ。つまり、あたしがそれだけ有能だったのね」
「そうそう」
ダーティには、さっぱり話が見えない。まず、基本的なことから。
「あの」
「なに?」
「パパ・ドランって?」
「ああ」、気づいたように、カールは説明を始める。
「ここの先代館長よ。あたしが歴代最強なら、パパ・ドランは歴代最大の変わり者。何せ、美術品とはこぶしを交えればわかりあえるって信じてた、工芸員って言うより、ただの筋肉バカ」
「実際、でかかったし、筋肉隆々だったし、ハゲだったし」
(いや、最後のは関係ないだろ)
ダーティのつっこみに気づくことなく、マックは話を続ける。
「おれも会うたび、殴られたもんな。ほんと無駄に」
「あら、あたしも朝の挨拶代わりに、いつもこぶしが飛んできたわよ。ほんと、ケンカの好きだった人よね。おまけに使える魔法論式は存在認証法だけ。ま、館長としての仕事には全く差し支えなかったから、良かったんだけどね」
「……そういうもん?」
マックが真剣な顔で言う。
「あのな、ダーティ。無能な上司の下に使える部下がいりゃ、仕事って回るんだよ。恐ろしいことに」
「……そうなのかなあ」
まだ若いダーティに、上司がいなくとも仕事が務まるということの、真の恐ろしさはわからない。うなずいて、マックは言った。
「もっとも、カールは有能すぎるくらい有能な美術復元師だったんだけどな」
「へ? そうなの?」
ダーティがカールを見る。
「そう。ちなみに、カールの階級は少尉で、おれとエルより立場は下だけど、入隊当時の魔法論式の成績はおれたちより上だった。いまも、実力的にはそうだと思う」
「ええ? マジ?」
こう見えても、マックは上級召喚師、そして上級魔術師、さらには中級魔法論士という、すごいやつなのだ。国の盾第一小隊長の称号、そして、リリ家の血筋は伊達ではない。
「たまたまよ、たまたま」
カールは快活に笑う。
「うちの親父が優秀な美術復元師だったのよ。あたしの才能は親父譲りね」
「……そうなんだ」
少し複雑な気持ちで、ダーティは答えた。
「ところでさ」
マックがふいに口を開く。
「これ、ほんとどこまで続いてるんだ?」
暗闇には、まだゴールが見えてこない。
「例の絵、第二作業室にあるのよ。つまり、地下七階。これでも短縮ルートを歩いているんだけどね」
「地下七階?」
ダーティは思わず叫んだ。カールが当然のように言う。
「そりゃ、あんた。数万点もある美術品を収めるには、それくらいの広さがなくちゃ」
なんとなく心細くなってきた。ダーティは思わず呟く。
「なあ、一体、本当どこまで降りて行くんだ?」
前を行くマックが顔だけこちらに向けて、からかうように言った。
「なんだ、怖いのか?」
「だ、誰が!」
強がってはみたものの、やっぱり怖い。
何というか、底のない地獄に、降りるというより落ちている気がする。
ダーティの不安を読み取ったのか、カールが口を開いた。
「空間断絶法を体感するのは初めて? ぼうや」
「空間断絶法?」
ダーティの疑問には、マックが答えた。
「入られたら困る部屋や、物を隠すために使われる魔法だよ。おれたちがさっき扉をくぐるとき、カールがドアに手を突っ込んだだろ? あれは、存在認証法。美術品の盗難、及び逃走をさけるため、至宝美術館員、体得必須の魔法論式だ。期限は術者が死ぬまで」
「盗難はわかるけど、逃走?」
カールが足を止める。振り返った彼女は驚いたように尋ねた。
「なによ、マック。あんた、何も説明してないの?」
「んー? 口で説明するの面倒でさ。連れてきたほうが早いと思って」
心底あきれたようにカールは言った。
「なにそれ! あいかわらず適当なやつねえ」
「いやいや、百聞は一見にしかずって言うだろ? ごちゃごちゃ口で説明するより、見たほうがわかるって」
「そりゃそうかもしれないけどさ」
カールは、しかし、すぐに気を取り直したように「ま、いっか」と呟いた。
「ここまで来ちゃったんだもんねえ」
彼女は再び歩き出し、説明を再開した。
「魔法美術品に込められた魔法論式を取り出す方法は、すごくシンプル。まず、絵なら特殊な黒の絵の具で塗りつぶし、思い出草(メモリス)の粉を振りかける。そうすると、絵を描く前に書かれた魔法論式が浮かび上がる。魔法論式は別名、書式魔術と呼ばれているものだから、理屈としては、欠けたり薄れている文字を書き直せばいいってことなんだけど、これがなかなか難しい。昔使われていた言葉や、ある特定の民族にしか使われていない言葉で書かれたり、凝ったのになると、そいつが造った言葉で書かれてたりね。魔法を開法、つまり発動させるには大抵発音も必要だから、結局、読めないと意味もないしね。この至宝美術館の建物にも、あたしたちがまだ読めない論式がたくさん書かれているのよ」
ダーティは、ふと思った。
ひょっとして、至宝美術館の建立に十年もかかったのは、魔法論式の構築に時間がかかったからではないだろうか。それなら、内装が簡素なのもわかる。建物中に記述された論式が万が一欠けたとき、あまり込み入った内装だと論式の修復だけでなく、修繕の手間までかかってしまう。
「復元された美術品たちが、どんな歴史を語るのか。この至宝美術館の全ての論式が発動するとき、どんな姿になるのか……。ねえ、考えるだけでわくわくしない?」
突然、三人の前に扉がたちはだかった。
「あ、着いた」
その扉は下から上に向かって、大きく歪曲している。まるで、目の前に立つ人間を飲み込もうとしているかのように。
そして、その扉には、こんなプレートがかかっている。
『第二作業室』
カールが扉を叩いた。
「リジー、いる?」
(リジー? リジーって?)
ダーティの頭の中を、一人の男の姿がよぎる。
声が聞こえた。
「どうぞ」
カールがドアノブを回す。
ダーティは、ごくりと喉を鳴らす。
「おや、ダーティ」
あまり驚いたふうもなく、青年は言った。
(やっぱり)
「久しぶり」
まくられた袖からのぞく、彼の二の腕。飛び散った絵の具に混じって、そこを黒い蔦のようなものが這っている。
(……これは)
マックは、ダーティに尋ねた。
「知り合いか?」
ダーティは珍しく、固い表情だ。
「うん。前の事件のとき会った、ハーディって覚えてる? あいつの兄貴」
マックは彼と同じ黒い髪をした少年のことを思い出す。が。
(あまり似てないな)
顔立ちもさることながら、ハーディとは違い、この男の瞳は青だ。
何より、身に纏う雰囲気がまるで違う。
この男、どこか薄暗い。
それに、ダーティの様子も少しおかしい。
「突然家出たと思ったら、こんなところにいたのかよ」
「まあね」
「ハーディは知ってるのか?」
「知ってると思う?」
ダーティは黙った。
二人の会話が途切れたのを幸いに、マックは口を挟む。
「カール、紹介してくれ」
「ああ、そうだね」
気を取り直して、カールが紹介を始める。
「こっちの若いのは、最近入った美術復元師でね。リジストリィ・ボルダ。リジー、こちらは国の盾第一小隊隊長、マッカラス・ロッケンジー・リリ。で、こっちの若い子が」
「知ってますよ。ダートハルト・ハリオット。ぼくの弟の、親友ですから」
カールが目を見開く。
「へえ。そうなの?」
後半はダーティにだ。
ダーティは曖昧な顔で答えた。
「ええ、まあ」
「……のわりには」
仲よさそうには見えないわねえ、とは彼女は言わなかった。
「ま、話を先に進めようか」
カールがリジーの目の前にある、白い布のかかったイーゼルに目を向ける。
「これが今回の依頼、『アンナとバルバザン』よ」
ばさり、と布がはぎ取られる。
絵の中には、むっつりした顔の美少女がいた。
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