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第一章「和」国大乱

幕間「遊子橋さんの一日」前編

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 突然だが、先ほど結と喧嘩をした。

 俺は布団に寝そべり、天井を見上げながら先刻の状況を思い出す。

 原因は、些細なことだった――確か、「親指と人差し指はどちらが重要か」とか、「爪の垢を煎じて飲むときの爪とは手の爪か足の爪か」とか、そんな本当にくそしょうもなくてどうでもいいことが端緒たんちょだった。

 その段階では、和やかな雑談であったはずなのだが――徐々にヒートアップを重ねていき、最後には互いの人格の欠点を指摘するにまで発展したのだ。

 そうして怒った結は、禮斎神宮らいさいじんぐうの一室、俺たち夫婦が間借りしている部屋から、飛び出してしまった。あの調子じゃ、しばらく口を聞いてくれないかもしれない。

「……ったく、久しぶりの休暇だってのにさ」
「本当ですね、お兄様。全く、結さんの短気には困ったものです」
「うぇ、善乃ちゃん!? いつからいたの!?」

 俺が声に驚き振り返ると、鈴を転がしたような声の美少女が――つい先日、この神社の巫女見習いとして生活を始めた東久部良善乃ありくぶらよしのちゃんが、そこにいた。

「お兄様が、『突然だが……』とかぶつぶつ言い始めたときからですが?」
「最初からじゃねえか……」
 
 てか、盛大な独り言を聞かれるのって、相当恥ずかしいな――俺はひとりになるとかなり独り言を話すタイプなので、音もなく入室してくるのは止めて欲しい。

「そんなことよりもお兄様。今日は非番なのですよね?」
「夫婦喧嘩を『そんなこと』扱いされたのはびっくりだけど、そうだよ。俺も結も、今日は非番だ」
「良かったです。実は遊子橋さんが、お兄様のことを呼んでいらして」
「遊子橋さんが?」

 つまり彼女は、彼の使いで、俺を呼びに来たということか。

「はい。何やら用事があるとのことで。私と一緒に、庶務室に行きましょう?」
「う、うん。まあ、あの人の呼び出しなら、行かないとな」

 普段ものぐさな俺ではあるが、いつもお世話になりっぱなしの彼が言う用事とあらば、馳せ参じないわけにはいかない。普段貰っている恩を、少しでも返さねば。

「ささ、行きましょう、お兄様!」
「分かってるよ……引っ張らなくても」

 俺は善乃ちゃんに、やや強引に手を引かれながら、少し離れた庶務室へと歩いていく。

 爽やかな秋風が、俺たちの間を吹いていったが――なにか。

 俺の心にはなにか、しこりのようなものが、依然残っていた。




―――――――――――――




「ははは、肇さん。結さんを怒らせてしまったようですね。すごい剣幕で神社を出ていきましたよ」
「はあ……、お恥ずかしい限りです」

 朝の陽光が窓から差し込む庶務室。

 俺は、善乃ちゃんと並びながら、部屋の中央に正座している遊子橋さんと、対峙していた。今朝の夫婦喧嘩を、説諭されながら。

 遊子橋崇文ゆずはしたかふみさん――この禮斎神宮の宮司であり、都の守護を任されている、長髪で美形の男性。いつもの白衣しらきぬに、紫の袴をはいている、都で一番の人徳者。

「ああ、あんなに鴛鴦夫婦だったのに、遂に見捨てられてしまったのですね……」
「お、大袈裟ですよ……」

 オーバーにリアクションをする彼に対し、俺はバツが悪いながらも答える。

 というか別に、見捨てられてなどいない。いないと信じたい。

「いやいや、肇さんの話ではありませんが、相手の優しさに胡坐をかく者が、あとで痛い目を見るというのは、良くある話ですよ――そうですね。ここはひとつ、妻に見捨てられてしまった男の、とある実話を披露しましょう」
「いや、しないでください」
「これは、かなり昔の話なのですが」

 聞けよ、人の話を。

「その男女は、始めは普通の夫婦だった。男は女を気遣い、女は男を立てる、はたから見れば、理想の二人だったのでしょう……しかし、次第に男は、そんな相手の優しさに安心し、そして、慢心した。もともと酒好きだったことも手伝い、飲んだくれの素封家になってしまったのです。それでも女は、彼の帰りを健気に待ち、帰ってきたならば『ご飯が良いですか、それとも、寝るのが良いですか』と、献身的に男の世話をしていました」

 そう、ある時期までは、と、遊子橋さんは続ける。

 俺と善乃ちゃんは揃い、ごくり、と生唾を呑む。

「しかし、数年が立った頃でしょうか。いつものように、何日かぶりに家に帰った男は、違和感に気付く。おや、あいつの姿がないな、と。不審に思った男は、家の中に足を踏み入れるのですが――突如、後ろから誰かに突き飛ばされた。驚き振り向くと、そこには、彼の妻が、いつもと変わらぬ無表情で仁王立ちをしていた。なんと、俺はこいつに突き飛ばされたのかと思ったのも束の間、彼女は、懐から取り出した包丁を抜き出し、彼の首元を掴んでこう言い放ったのです――」

 そう言うと、彼は無表情になって、一言。

「――『首が良いですか、それとも、腹がいいですか』、と」
「…………」

 いや、こえーよ。

 こんな秋の深まった、しかも朝の早くから、怪談を披露しないでいただきたい。

 ただでさえ背筋は冷え切っているというのに――それに、猟奇的なオチで終わる、というポイントが結に重なる所もあるので、他人事でない感が半端ない。

 ほら、横にいる善乃ちゃんが、泣きそうになっているじゃないか……俺は彼女の背中をさすり、その震えを収める。

「まあ、実話と言うのは嘘ですが」
「嘘かい!!」
「嘘なんですか!?」

 俺たちは揃って、彼にツッコミをする。

「ははは。驚きましたか? これが本当ならば、誰がこの話を伝えたのか、ということになりますからね」

 ころころと笑いながら、俺たちをからかう遊子橋さん。

 彼は意外と、会話に独特なユニークをさしはさんでくるのが好きなのだ……何というか、色々な意味で、彼には勝てる気がしない。

「まあ、それはさておき。肇さん、どうせ今日一日、暇ですよね?」
「その物言いには大いに物申したいですけど、確かに今日は暇です」
「良かった! それでは、ひとつ頼まれてくれませんか?」
「頼み事ですか?」

 何だろう、彼から頼られるという経験があまりないので、考えが読めない。

 もし戦闘をして欲しいという依頼なら、今は俺一人だけなので、大した力になれないが――結と一緒の時でないと、『比翼連理』は発動しない。俺の魔術は、本領を発揮しないのだ。

「いえ、そんな物騒な話ではありませんよ。ただ単に、仕事を手伝ってほしいのです」
「仕事?」
「ええ、肇さん。それに善乃ちゃん。今日の私の、一日の仕事を手伝ってください――まずは、お掃除からです」




――――――――




「……ふう、この辺りは、これくらいでいいか」
「いいえ、お兄様。もっとこう、溝も掃くように――そう、そうです!」

 庶務室を出てから半刻、およそ一時間。俺と善乃ちゃんと遊子橋さんは、石畳で舗装された神社の道の掃き掃除をしていた。

 まだ紅葉の季節ではないといえ、落葉やらなんやらで汚くなっていたのを一掃し、綺麗にしたのだ。善乃ちゃんに、マンツーマンで手ほどきを受けながらも。

「うん、この道も、この位で良いでしょう。取り敢えず、掃除はこれくらいにしておきましょうか。お二人とも、お疲れ様です!」

 敷地内を見回し、掃除の結果を認めた遊子橋さんは、俺たちに終わりの合図を告げる。

「……それにしても、宮司の遊子橋さん自ら掃除をしてるんですよね。それも、毎朝」
「当然です。清掃とはすなわち、穢れを祓う行為。神事の根幹に繋がる、重要な業務なのですから、私自らそれに従事するのは、当たり前のことです」

 言いながら、彼は掃除の後始末をする――うーん、相変わらずの篤実とくじつぶりだな。ここまで前向きに掃除に取り組めるのは、遊子橋さんくらいのものだろう。

「さて……それでは、次の業務に向かいましょう」

 掃除道具をかたづけた彼は、すぐに方向を転換し、神社の外へと歩を進めた。俺たちもならって、それに続く。

「……あれ? 神社から出るんですか?」
「はい。いつもならこの時間は、神社の仕事があるのですが……今日は珍しく立て込んでいないので。町へ出て、依頼を片付けようかと思いまして」

 俺の疑問に、彼は歩を止めずに答える。

 なるほど、彼は今から、神社の宮司としての仕事ではなく、もう一つの仕事――彼が普段からやっている、あの仕事をするつもりなのだろう。

「都の人のお悩みや厄介ごとを引き受けて、対応する仕事ですね! やっぱり遊子橋さんはすごいです。そんなことを、常日頃からやっているなんて」
「いやあ、宮司になる前からの、癖が抜けないだけですよ」

 善乃ちゃんの羨望の眼差しに、はにかみながら、彼は返す。

 そう、彼は、お悩み相談のようなものを、普段から受け付けている――都の人からの依頼を引き受け、解決するということを行っているのだ。

 神事に関わることだけでなく、些細なことまでも。神社の領域を飛び越え、都の守護役としての役割を、存分に果たしている。大和で一番大きな神社の、トップ自らが。

(これだから、頭が上がらないんだよな……俺だったら、絶対立場に胡坐をかいてるぞ)

 彼のあまりの善行ぶりに、自分の卑賎さを認識させられてしまうほどだ――

 と、そんなことを考えているうちに、俺たちは、件の依頼があった家へと到着する。

「こんにちは、遊子橋です」
「はいはい、今行きます……ああ、ありがとうねえ、来てくれて」

 遊子橋さんが戸を叩いて自分の名を告げると、中から老婆が――穏やかな様子のおばあちゃんが、ゆっくりと出てきて、彼にお礼を告げた。

「最近また、変なのが家にいてねえ――遊子橋さん、祓ってくれるかい?」
「ええ、おやすい御用ですよ……肇さん、手伝ってくれますか?」
「は、はい」

 どうやらその依頼とは、彼女の家に、悪いものが――有体に言うと妖気が溜まっており、それをどうにかして欲しいというものらしい。

「善乃ちゃんは、後ろで見ていてくださいね。いずれ巫女として、こういった仕事をするかもしれませんから」
「はい。善乃、しかと見学させていただきます」

 善乃ちゃんを一歩引かせた俺たちは、おばあさんに連れられ、家の一番奥にある部屋に入る。

 畳が敷かれ、押入れが備え付けられている和室。一見、普通の部屋に見えるが――しかし、足を踏み入れると同時に、悪寒がぞわりと肌を伝う。

 なるほど、これは確かに、『悪いもの』だ。言い表せないようなおぞましい気が、この部屋中に充満している。

「うーん、これは酷いですね……この部屋自体が、悪い気の吹き溜まりのようになっています」
「でしょう? 私もう、居心地が悪くってねえ」

 遊子橋さんも、その異様な空気を察知したのだろう。口元を手で抑えながら、おばあさんに説明をしている。

「ここまで酷いからには、この部屋に悪い気が溜まった原因があると考えられますが――おばあさん、何か心当たりはありますか?」
「いや、そう言われてもねえ……てんで見当がつかないよ」
「そうですか――では、少し物色させていただきますね」

 言うと彼は、部屋の押入れをがらっとあけ、その中を探索し始める――原因とやらを、見つけようとしているのだろうか。

「僕も、手伝いますよ」
「……いいえ、肇さん。その必要はありません――何故ならもう、見つけてしまったので」

 俺が後ろから声をかけると、彼はにっと笑って、とあるものを手にしながら振り返る。

 これは――鏡だ。一般的なサイズの取っ手が付いている手鏡で、特筆すべきような特徴もない鏡だが――

「ああ。それは、私の母さんの置き土産だよ。久しぶりに見たねえ」

 その鏡を見たおばあさんは、目を見開きながら、懐かしそうに言う。

「そうだったのですね。とっても素敵な品です――が、それと同時に、これが触媒となっていたようです」

 彼は笑いながらも、真面目な口調で続ける。

「鏡とは、まことを写し出す聖なる道具ですが――同時に、良くないものを引き寄せる道具でもある。今回は、後者の性格が強まってしまったようです。これをお祓いすれば、この部屋に溜まったものも無くなるでしょう」

 遊子橋さんは慇懃に解説すると、俺にその手鏡を手渡す。

「肇さん。自分の魔力を込めながら、その鏡をしっかり握っていてください。よいですか。絶対に、何があろうと離さないでくださいね?」
「あ……は、はい。わかりました」

 物々しい物言いをする彼に、ぐっと身構える俺。

 今から何をするのだろう。正直、いまいち状況が呑み込めていないが――しかし彼の言うことだ。聞いておいて損はないだろうと、言われたままに、その手鏡に自分の魔力を込める。

「行きます――はっ!」

 言うと彼は、迫真の表情で、懐からお札を取り出し――そして、ぴとっ、と、それを鏡に。

 正確に言うと、鏡のついていない裏側に貼りつけた。

「はい、終わりです」
「……え、終わり!?」

 今の彼の様子から、何かもっとこう、詠唱とか、儀式とかがあるのかと思っていたが――まさか、ただお札を貼りつけるだけだとは。

 何だか、肩透かしを食らった気分だ――また、からかわれたのか? からかい上手の遊子橋さんなのか?

「後は、この部屋を十分換気しておけば大丈夫です。いずれ悪い気は抜けるでしょう。あ、このお札は、剥がさないようにしてくださいね」
「おお、これで大丈夫なのかい。ありがとうねえ」

 俺の理解がおよばないまま、彼らの話は進んでいくが――しかし、言われてみれば、悪い気が肌に感じてなくなっている。本当に、このお札に効果があったらしい。

 俺は手に持っている鏡をおばあさんに手渡す。取り敢えずこれで、一件落着らしい。

 ……うん。これ、俺要ったのかな、と思わなくもないが。まあ、魔力を込めた分だけの仕事はできただろう。

「ほんに助かったよ、遊子橋さん」
「いえいえ、また何かあれば、気軽にご相談ください。それでは!」

 家の軒先でぺこりと頭を下げるおばあさんに対し、遊子橋さんは屈託のない笑顔で会釈をしながら、その場を後にする。俺と善乃ちゃんもそれに続いて、また歩き出していく。

「さあ、依頼はまだまだありますからね。気合い入れていきましょう!」

 飛びきり前向きな姿勢で――笑顔を崩さぬままに、遊子橋さんは俺たちを先導する。

 まだあるのか――なんて、そんな風に後ろ向きに捉えてしまう自分の小ささに、やっぱり気が滅入ってしまう。

「……まあ、人助けをすること自体に、悪い気はしないけど」
「ふふ、流石、お兄様ですね」
「あ……、はは。また、独り言聞かれちゃったな」

 そんなことを話しながらも、俺たちは彼の背中を追いかけていた。

 秋の優しい空気を乗せた風が、さらりと頬を撫でた。
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