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第一章「和」国大乱
幕間「遊子橋さんの一日」後編
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「さて、お次は……、そうだ。結界の確認ですね」
「結界ですか?」
都の人々の依頼が落ち着いた、麗かな陽気の昼下がり。
昼食を済ませた俺たちは、次なる業務へと取り掛かろうとしていた。
「私、知ってます! 遊子橋さんは、都を魔物から守る結界を、おひとりで管理されているのですよね?」
「うん。正直、そんな重要事項が遊子橋さん一人に任されているのは、異常だと思うけどね」
まあ、それほど彼が、政府からも信頼されているということなのだろうが――とにかく。
つまり俺たちは今から、彼が管理下に置いている都の結界のメンテナンスの業務をしようとしているのだ。
このメンテナンスを怠れば、外から妖魔が流れ込みやすくなってしまうという、最重要事項――山姥の時のような例外はあれど、彼の結界によって、都の安寧は保たれているのである。
「そうですね。お札を貼っている箇所を、定期的に点検する必要があるので、今からそこに向かいます。今日は、二か所ですね」
言うと彼は、先ほど手鏡に貼ったお札とは違う模様のお札を取り出し、俺たちに説明をする。どうやらまずは、都の『北西』にあるスポットへと向かうそうだ。
「……本当は今でも、もっとやり方があるのではないかと、思うこともあるのですがね」
「やり方、って?」
昼食後の満腹感に眠気を誘われつつも、目的地に向かって昼下がりの町を歩いていたその時。遊子橋さんが、急に口を開く。
「人と妖怪の、今の状態についてです」
「状態――って、戦争をしている状態のことですか?」
つまり彼は、国交の断絶により、生息地を分けている今の状態について、思うことがあるってことなのか?
「……お父様に聞いたことがあります。確か、昔は人と妖怪は、仲が良かったって――それが、様々な事情により、争うことになったと」
「そうなのです。現在、我らの帝と魔王は、関係を断ち切っています――しかし、依然は普通に交流があった。ならば、それを維持する方法も、あったのではないかと」
こんなふうに、札を貼り結界を張り、拒絶するような形を、取らずに済んだのではないかと――彼は、物憂げな表情で語る。
「……つくづく、規模のでかいことを考えますね」
勿論俺だって、仲良くできるならした方が良いとは思うが、しかしそれを真剣に考えたことなんて、一度も無い――どころか、世界や社会について真面目に議論をするなど、した経験がない。
それは、向こうの世界でだって。
「まあ、仕方ないですよ。それに、遊子橋さんの責任じゃないですし。あなたが気を揉むことは、無いと思いますけど」
「……そうですね」
俺が言うと、彼は視線を下に向けながら、珍しく声のトーンを下げ、そう答えるのだった。
そこから俺たちは、町の大通りから少し外れたところ、『北西』の神木に到着した。
周りが注連縄で囲まれており、その木の真ん中に、彼が先ほど見せたのと同じお札が――少し汚れて、風化しかけているお札が貼られている。
「これを剥がして――と」
彼は、懐から新しいものを取り出すと、それを丁寧に貼り換えた。
「よし。これで完璧です。古いものは、神社に持ち帰って燃やすので――善乃ちゃん、後ほど手伝ってくださいね」
「はい! お任せください!」
遊子橋さんの言いつけに、嫌な顔をせず、むしろ爛漫な笑みで答える善乃ちゃん――彼女は彼女で、遊子橋さんに負けず劣らずのポジティブさである。
普段も、元気な笑顔で仕事をこなしているし。俺のような人間とは、根本が違うのだろう。
「……やっぱ、偉いな、善乃ちゃんは。あんなことがあったってのに、いっつも前向きでさ」
「え、えへへ……そんな、褒められることじゃないですよ」
次の目的地、『北東』のポイントに向かう道すがら、俺は善乃ちゃんに言う。実の父に裏切られ、元々の住処を追い出されるという事件があったのに……彼女は、それを引きずることも無く、日々生活をしている。
彼女は、照れくさそうに頬を掻きながら答える。
「私は、お二人のように発現者でもなければ、大人でもなくて……できる事は、限られています。だからこそ、今やれることには、全力で取り組みたいんです」
「い、良い子過ぎる……!」
「はい。若干ながら、素晴らしい心がけです」
俺と遊子橋さんは、感銘を受けつつも、彼女の頭を撫で繰り回す。彼女は、「や、止めてください~」と、子どもらしく笑いながら赤面している。
「そ、それに、お兄様が仰ったのですよ。自分を責めちゃいけないって。何があっても、腐っちゃいけないって。その言葉をずっと胸に抱いて、善乃は生きているのです」
「善乃ちゃん……」
なんて健気なんだろうか。この殊勝さの一億分の一で良いから、結に分けてあげて欲しい。それこそ、爪の垢を煎じて飲ませてあげて欲しいぜ。
と、そんなハートウォーミングな話をして歩き続けること、十分ほど。
秋に関わらず温かい気温に、仕事とはいえ三人で並んで散歩をする、平和なお昼だ――だと、思っていたのだが。
「――おい、あれって、例のアイツじゃないか?」
人の往来が少ない住宅街の間を、通り抜けるとき――声が、どこからともなく聞こえてきた。
その声の発されたほう、木造の家が立ち並ぶその陰のほうへ目線を向けると――
「ああ。やくざもんの娘だろ? 巫女服なんか着て、よくもまあ、堂々と都を歩けたもんだ」
「おい、遊子橋さんと一緒に居るじゃねえかよ――後ろのぱっとしない男はどうでもいいが、御機嫌取りが見え見えだぜ」
不届きな言葉を――あからさまな陰口を発している二人の影がある。
横目で見る限り、小学生ほどの年齢の男児のようだ。比較的体格が大きい子と、小さい子の二人組で、こちらを――善乃ちゃんを指さしながら、話している。
……いきなりのことで理解が追い付かないが、この子供たち、善乃ちゃんの悪口を言っているのか?
あとちゃっかり、俺のこともディスったよね?
いや、俺のことはどうでもいいが……問題は、善乃ちゃんのことだ。
確かにこの子は、闇組織であった東久部良家の一人娘だけど、彼女自身は、悪い子じゃないのに。聞こえるほどの大きさの声で、偏見に満ちた陰口を……。
「……あまり気にするなよ、善乃ちゃん。君には何の落ち度も無いんだから」
「……」
目線を伏せて俯く善乃ちゃんを、俺は肩に手を置きながら慰める。
古今東西いつの時代も、陰口を叩く者はいるものだ。それに一々反応したって仕方がない。ああいうのは、適当に流して、放っておくのが一番――
「ちょっと、君達」
と。
俺たちはそこで、歩いていた足を止めた。
しかしそれは、自発的にではない――先頭を歩いていた遊子橋さんが止まった、その動きに合わせてだった。
「君達、聞こえていますよ。こちらへ来なさい」
厳かに言って、物陰からその男児たちを呼び寄せる遊子橋さん。悪行がばれた男の子たちは、おっかなびっくり、こちらへと姿を現す。
――驚いた。遊子橋さんは、この子たちを叱るために、足を止めたのか。普通こういう時は、スルーして、流してしまうものだろうに。
「君たち、名前は?」
「だ、大介……」
「譲です……」
彼が問うと、体の大きい方が先に、小さい方が後に、それぞれ名を名乗る。
「大介くん、譲くん。君たちは、何故あのようなことを言ったのですか」
「だ、だって……こ、こいつは、悪い奴の娘で……」
「そうですよ、遊子橋さんは、なんでこんな奴を……」
遊子橋さんはまず、彼らに先ほどの行為の意を問うた。すると彼らは、あくまで自分らに非はないと――そういう意図にも取れるような言葉を吐く。
「……確かにこの子の父は、悪い組織の親玉でした。それは、紛れもない事実です――しかし君達は、この子のことを何も知らないでしょう。それなのに君達は、この子のことを謗った」
それは、偏見というものです――と、温厚な彼には珍しく、目を厳しく細めながら、言葉を続ける。
「良いですか。陰口は、誰が何と言おうと低俗な行為です。中には、大人でも悪口を言う人がいますが、それを見習ってはいけない。陰口は、言われた人を傷つける刀であるのは勿論、言った人の心を腐らせる毒でもあるのです」
彼はできる限り丁寧な口調で、彼らの目を見据えながら、諭すように語る。
「人を貶めることは、自分を貶めることにも繋がります。自分を棚に上げ、他人を下に見て安心する習慣が付くことで、精神を安定しようとさせる癖がつく。相対的に自分が上であると勘違いをし、堕落をし続ける――これはとても、善くないことです」
彼の滔々とした説教を黙って聞いていた二人の男児は、彼の問いに、こくりと首肯する――目に涙を溜めながらも、彼の話に真剣に傾聴している。
「さすれば、どうすればよいのか、分かりますね?」
「……はい」
「分かります……」
男の子たちはそう言うと、静かに善乃ちゃんの前まで来て――揃えて、謝罪の言葉を述べる。
「ごめんなさい……」
「す、すみませんでした……」
「……いいですよ。そんなに、気にしていないですから」
彼らの言葉を受け、鷹揚に許しの言葉をかける善乃ちゃん。うん、相変わらずできた娘だ――と。
遊子橋さんは、うなずきながら微笑んで――まるで、我が子を見守る親のような眼で、彼らのことを見ていた。
(――ああ、そういう人なのか、この人は)
その一部始終を隣で見ていた俺は、遊子橋さんの性格を、少しだけ掴んだような気になった。
つまり彼は、『自分事』の範囲が広いのだ――普通の人ならば『他人事』と言って斬り捨てることをも、彼は自分のこととして捉えているのだ。
普通、他人の子供が陰口を叩いていたからって、それを一々咎めようだなんて思わない。それは、責任を負うのを嫌うから。いらないことに首を突っ込んで、ややしくなることを厭うから。
しかし彼は、禮斎神宮のトップとしての立場がありながら――いや、立場があるからこそ、この都の人々のことを、自分事として捉えている。
都の人の悩みがあれば、行って、嫌な顔せず助けてやり、諍いや中傷があれば、毅然としてやめろと言い――困って住処が無い人があれば、住居を分け与える。
他人を、まるで友のように、親のように、兄弟のように、子どものように考える。神社のトップとして、都の守護役としての役目を、その身に課している。
本当に、器の大きい人――故に、皆に人徳者と呼ばれ、褒められ、気に留められるのだ。
(サウイフモノニワタシハナリタイ――って、素直には思えないのが、やっぱり俺の限界なんだろうな)
そんなことを思いつつ、俺はそのやり取りを、どこか遠い目で見つめていた。
遊子橋さんが水族館の水槽だとしたら、俺はコップなのだろうな――と。自分の器の小ささを、まざまざと見せつけられているような、そんな気分だった。
―――――――――――――――――――
「逆だったんですよね」
「……何がですか?」
坊主たちへの説教が終わり、二か所目のお札の貼り換えも完了し、今日の仕事が一段落した、傾いた日が道を照らす黄昏時。
神社までの帰り道の間、俺は遊子橋さんに、気になっていたことを尋ねた。
「今朝のことですよ、遊子橋さん。あなたは、俺を呼んだ後に、怒って出ていく結の姿を見たって言ってましたけど――それは逆だったんじゃないですか?」
「……」
俺の質問に、いつものように微笑みながらも、沈黙を貫く遊子橋さん。
「今日一日、遊子橋さんの仕事に付き合う中で、何となくわかりました。あなたの、人との接し方というか――心持ちというか。それを見せることで、俺たちの喧嘩の解決の糸口になればいいと思ったからこそ、俺を呼んだんじゃないですか?」
「……ふふ。さあ、どうでしょうね。買い被りすぎだと思いますが」
素知らぬふりで、今にも口笛を吹きだしそうな顔で、俺の言葉を受け流す彼。
まあ、彼の真意に気づいたからと言って、それを口に出すのが、野暮なことだと理解しているが――しかし、今の俺は、言わずにはいられなかったのだ。
それは、一人の人間として。彼に、相談を持ち掛けたかったから。
「その、それは、とてもありがたいことなんですけど。でも、正直俺は、そんなに立派な人間じゃなくて。器の狭い人間でして。遊子橋さんみたいには、なれないのかなって、思ったりもして……」
彼の性分に気付いてからずっと、自分の中で反芻していたことだが――やっぱり俺は、彼のような心持ちを抱けないと思う。
善人悪人構わず、全てのひとのことを自分事として考えるなど、限られた聖人の領分だ。俺のような一介の兵卒に、真似できるような境地ではない。
「……だから俺は、どうすればいいのかな、って……」
「別に、いいんですよ」
俺が質問を投げかけると、彼はあっさりとした答えを返す。
別にいい、って……。
「別に、誰もが私のようになる必要なんて、無いと思います。そもそも私は、そうせずにはいられない性分で、行動しているだけなのですから」
肇さんは、肇さんの道を往けば善い――と、彼は続ける。
「それに、程度というものもありましょう。極端な選択をせずとも、身近なところから始めるという手段もある――それならば、あなたにもできると私は思う」
「身近なところ……」
自分事として考える、その範囲について――彼のように、都ごとを包み込む必要はない。
せめて、周りの人のことだけでも。身近な人のことだけでも。と、彼は、そう言いたいのだろう。
「そうですよ、お兄様。現にお兄様はあの時、私に寄り添ってくれたでしょう。そういうことから始めれば、それでいいと思います。それに――」
横で俺の相談を聞いていた善乃ちゃんは、そう話した後、俺の耳を貸してくれと手招きのジェスチャーをする。
俺がそのジェスチャーに従い、彼女に顔を寄せると――
(――それに、他の誰でもない私だけの味方をしてくれたのは、正直嬉しかったですっ)
(……!)
遊子橋さんに聞こえないほどの小声で、耳元でそう囁く。
……そうか。そうだよな。
せめて、自分の大事な人だけは、大いに慮る。今の俺には、それが限界なのだ。それが、今の俺にできることなのだ。
だとすれば、だからこそ。
やれることには、全力で取り組まなければ――それが、今の俺がやるべきことなのだ。
「……ありがとう、ございます。二人とも」
「いいえ、お礼など――それに、もう結さんが、帰ってきているのではないですか?」
遊子橋さんはそう言うと、神社の敷地内、俺たちの部屋がある棟を指さす――どうやら俺の気が付かないうちに、もう神社の前まで到着していたようだ。
傾いていた陽は、もう山に入ってしまいそうなくらいだ。
「――じゃ、ちょっくら仲直りしてきます」
「はい、それがいいでしょう。それではまた、夕飯時に」
俺は二人に会釈をすると、駆け足で自室へと。結が待つ家へと向かう。
凪いで、ひんやりとした空気に、爽快感を感じながら。
一歩、また一歩と、地面を踏みしめながら。俺は、着実に前進をした。
これにて。俺の相談事を、最後に片付けたことによって。
俺と善乃ちゃんと――そして、遊子橋さんの一日が、終了したのだった。
「結界ですか?」
都の人々の依頼が落ち着いた、麗かな陽気の昼下がり。
昼食を済ませた俺たちは、次なる業務へと取り掛かろうとしていた。
「私、知ってます! 遊子橋さんは、都を魔物から守る結界を、おひとりで管理されているのですよね?」
「うん。正直、そんな重要事項が遊子橋さん一人に任されているのは、異常だと思うけどね」
まあ、それほど彼が、政府からも信頼されているということなのだろうが――とにかく。
つまり俺たちは今から、彼が管理下に置いている都の結界のメンテナンスの業務をしようとしているのだ。
このメンテナンスを怠れば、外から妖魔が流れ込みやすくなってしまうという、最重要事項――山姥の時のような例外はあれど、彼の結界によって、都の安寧は保たれているのである。
「そうですね。お札を貼っている箇所を、定期的に点検する必要があるので、今からそこに向かいます。今日は、二か所ですね」
言うと彼は、先ほど手鏡に貼ったお札とは違う模様のお札を取り出し、俺たちに説明をする。どうやらまずは、都の『北西』にあるスポットへと向かうそうだ。
「……本当は今でも、もっとやり方があるのではないかと、思うこともあるのですがね」
「やり方、って?」
昼食後の満腹感に眠気を誘われつつも、目的地に向かって昼下がりの町を歩いていたその時。遊子橋さんが、急に口を開く。
「人と妖怪の、今の状態についてです」
「状態――って、戦争をしている状態のことですか?」
つまり彼は、国交の断絶により、生息地を分けている今の状態について、思うことがあるってことなのか?
「……お父様に聞いたことがあります。確か、昔は人と妖怪は、仲が良かったって――それが、様々な事情により、争うことになったと」
「そうなのです。現在、我らの帝と魔王は、関係を断ち切っています――しかし、依然は普通に交流があった。ならば、それを維持する方法も、あったのではないかと」
こんなふうに、札を貼り結界を張り、拒絶するような形を、取らずに済んだのではないかと――彼は、物憂げな表情で語る。
「……つくづく、規模のでかいことを考えますね」
勿論俺だって、仲良くできるならした方が良いとは思うが、しかしそれを真剣に考えたことなんて、一度も無い――どころか、世界や社会について真面目に議論をするなど、した経験がない。
それは、向こうの世界でだって。
「まあ、仕方ないですよ。それに、遊子橋さんの責任じゃないですし。あなたが気を揉むことは、無いと思いますけど」
「……そうですね」
俺が言うと、彼は視線を下に向けながら、珍しく声のトーンを下げ、そう答えるのだった。
そこから俺たちは、町の大通りから少し外れたところ、『北西』の神木に到着した。
周りが注連縄で囲まれており、その木の真ん中に、彼が先ほど見せたのと同じお札が――少し汚れて、風化しかけているお札が貼られている。
「これを剥がして――と」
彼は、懐から新しいものを取り出すと、それを丁寧に貼り換えた。
「よし。これで完璧です。古いものは、神社に持ち帰って燃やすので――善乃ちゃん、後ほど手伝ってくださいね」
「はい! お任せください!」
遊子橋さんの言いつけに、嫌な顔をせず、むしろ爛漫な笑みで答える善乃ちゃん――彼女は彼女で、遊子橋さんに負けず劣らずのポジティブさである。
普段も、元気な笑顔で仕事をこなしているし。俺のような人間とは、根本が違うのだろう。
「……やっぱ、偉いな、善乃ちゃんは。あんなことがあったってのに、いっつも前向きでさ」
「え、えへへ……そんな、褒められることじゃないですよ」
次の目的地、『北東』のポイントに向かう道すがら、俺は善乃ちゃんに言う。実の父に裏切られ、元々の住処を追い出されるという事件があったのに……彼女は、それを引きずることも無く、日々生活をしている。
彼女は、照れくさそうに頬を掻きながら答える。
「私は、お二人のように発現者でもなければ、大人でもなくて……できる事は、限られています。だからこそ、今やれることには、全力で取り組みたいんです」
「い、良い子過ぎる……!」
「はい。若干ながら、素晴らしい心がけです」
俺と遊子橋さんは、感銘を受けつつも、彼女の頭を撫で繰り回す。彼女は、「や、止めてください~」と、子どもらしく笑いながら赤面している。
「そ、それに、お兄様が仰ったのですよ。自分を責めちゃいけないって。何があっても、腐っちゃいけないって。その言葉をずっと胸に抱いて、善乃は生きているのです」
「善乃ちゃん……」
なんて健気なんだろうか。この殊勝さの一億分の一で良いから、結に分けてあげて欲しい。それこそ、爪の垢を煎じて飲ませてあげて欲しいぜ。
と、そんなハートウォーミングな話をして歩き続けること、十分ほど。
秋に関わらず温かい気温に、仕事とはいえ三人で並んで散歩をする、平和なお昼だ――だと、思っていたのだが。
「――おい、あれって、例のアイツじゃないか?」
人の往来が少ない住宅街の間を、通り抜けるとき――声が、どこからともなく聞こえてきた。
その声の発されたほう、木造の家が立ち並ぶその陰のほうへ目線を向けると――
「ああ。やくざもんの娘だろ? 巫女服なんか着て、よくもまあ、堂々と都を歩けたもんだ」
「おい、遊子橋さんと一緒に居るじゃねえかよ――後ろのぱっとしない男はどうでもいいが、御機嫌取りが見え見えだぜ」
不届きな言葉を――あからさまな陰口を発している二人の影がある。
横目で見る限り、小学生ほどの年齢の男児のようだ。比較的体格が大きい子と、小さい子の二人組で、こちらを――善乃ちゃんを指さしながら、話している。
……いきなりのことで理解が追い付かないが、この子供たち、善乃ちゃんの悪口を言っているのか?
あとちゃっかり、俺のこともディスったよね?
いや、俺のことはどうでもいいが……問題は、善乃ちゃんのことだ。
確かにこの子は、闇組織であった東久部良家の一人娘だけど、彼女自身は、悪い子じゃないのに。聞こえるほどの大きさの声で、偏見に満ちた陰口を……。
「……あまり気にするなよ、善乃ちゃん。君には何の落ち度も無いんだから」
「……」
目線を伏せて俯く善乃ちゃんを、俺は肩に手を置きながら慰める。
古今東西いつの時代も、陰口を叩く者はいるものだ。それに一々反応したって仕方がない。ああいうのは、適当に流して、放っておくのが一番――
「ちょっと、君達」
と。
俺たちはそこで、歩いていた足を止めた。
しかしそれは、自発的にではない――先頭を歩いていた遊子橋さんが止まった、その動きに合わせてだった。
「君達、聞こえていますよ。こちらへ来なさい」
厳かに言って、物陰からその男児たちを呼び寄せる遊子橋さん。悪行がばれた男の子たちは、おっかなびっくり、こちらへと姿を現す。
――驚いた。遊子橋さんは、この子たちを叱るために、足を止めたのか。普通こういう時は、スルーして、流してしまうものだろうに。
「君たち、名前は?」
「だ、大介……」
「譲です……」
彼が問うと、体の大きい方が先に、小さい方が後に、それぞれ名を名乗る。
「大介くん、譲くん。君たちは、何故あのようなことを言ったのですか」
「だ、だって……こ、こいつは、悪い奴の娘で……」
「そうですよ、遊子橋さんは、なんでこんな奴を……」
遊子橋さんはまず、彼らに先ほどの行為の意を問うた。すると彼らは、あくまで自分らに非はないと――そういう意図にも取れるような言葉を吐く。
「……確かにこの子の父は、悪い組織の親玉でした。それは、紛れもない事実です――しかし君達は、この子のことを何も知らないでしょう。それなのに君達は、この子のことを謗った」
それは、偏見というものです――と、温厚な彼には珍しく、目を厳しく細めながら、言葉を続ける。
「良いですか。陰口は、誰が何と言おうと低俗な行為です。中には、大人でも悪口を言う人がいますが、それを見習ってはいけない。陰口は、言われた人を傷つける刀であるのは勿論、言った人の心を腐らせる毒でもあるのです」
彼はできる限り丁寧な口調で、彼らの目を見据えながら、諭すように語る。
「人を貶めることは、自分を貶めることにも繋がります。自分を棚に上げ、他人を下に見て安心する習慣が付くことで、精神を安定しようとさせる癖がつく。相対的に自分が上であると勘違いをし、堕落をし続ける――これはとても、善くないことです」
彼の滔々とした説教を黙って聞いていた二人の男児は、彼の問いに、こくりと首肯する――目に涙を溜めながらも、彼の話に真剣に傾聴している。
「さすれば、どうすればよいのか、分かりますね?」
「……はい」
「分かります……」
男の子たちはそう言うと、静かに善乃ちゃんの前まで来て――揃えて、謝罪の言葉を述べる。
「ごめんなさい……」
「す、すみませんでした……」
「……いいですよ。そんなに、気にしていないですから」
彼らの言葉を受け、鷹揚に許しの言葉をかける善乃ちゃん。うん、相変わらずできた娘だ――と。
遊子橋さんは、うなずきながら微笑んで――まるで、我が子を見守る親のような眼で、彼らのことを見ていた。
(――ああ、そういう人なのか、この人は)
その一部始終を隣で見ていた俺は、遊子橋さんの性格を、少しだけ掴んだような気になった。
つまり彼は、『自分事』の範囲が広いのだ――普通の人ならば『他人事』と言って斬り捨てることをも、彼は自分のこととして捉えているのだ。
普通、他人の子供が陰口を叩いていたからって、それを一々咎めようだなんて思わない。それは、責任を負うのを嫌うから。いらないことに首を突っ込んで、ややしくなることを厭うから。
しかし彼は、禮斎神宮のトップとしての立場がありながら――いや、立場があるからこそ、この都の人々のことを、自分事として捉えている。
都の人の悩みがあれば、行って、嫌な顔せず助けてやり、諍いや中傷があれば、毅然としてやめろと言い――困って住処が無い人があれば、住居を分け与える。
他人を、まるで友のように、親のように、兄弟のように、子どものように考える。神社のトップとして、都の守護役としての役目を、その身に課している。
本当に、器の大きい人――故に、皆に人徳者と呼ばれ、褒められ、気に留められるのだ。
(サウイフモノニワタシハナリタイ――って、素直には思えないのが、やっぱり俺の限界なんだろうな)
そんなことを思いつつ、俺はそのやり取りを、どこか遠い目で見つめていた。
遊子橋さんが水族館の水槽だとしたら、俺はコップなのだろうな――と。自分の器の小ささを、まざまざと見せつけられているような、そんな気分だった。
―――――――――――――――――――
「逆だったんですよね」
「……何がですか?」
坊主たちへの説教が終わり、二か所目のお札の貼り換えも完了し、今日の仕事が一段落した、傾いた日が道を照らす黄昏時。
神社までの帰り道の間、俺は遊子橋さんに、気になっていたことを尋ねた。
「今朝のことですよ、遊子橋さん。あなたは、俺を呼んだ後に、怒って出ていく結の姿を見たって言ってましたけど――それは逆だったんじゃないですか?」
「……」
俺の質問に、いつものように微笑みながらも、沈黙を貫く遊子橋さん。
「今日一日、遊子橋さんの仕事に付き合う中で、何となくわかりました。あなたの、人との接し方というか――心持ちというか。それを見せることで、俺たちの喧嘩の解決の糸口になればいいと思ったからこそ、俺を呼んだんじゃないですか?」
「……ふふ。さあ、どうでしょうね。買い被りすぎだと思いますが」
素知らぬふりで、今にも口笛を吹きだしそうな顔で、俺の言葉を受け流す彼。
まあ、彼の真意に気づいたからと言って、それを口に出すのが、野暮なことだと理解しているが――しかし、今の俺は、言わずにはいられなかったのだ。
それは、一人の人間として。彼に、相談を持ち掛けたかったから。
「その、それは、とてもありがたいことなんですけど。でも、正直俺は、そんなに立派な人間じゃなくて。器の狭い人間でして。遊子橋さんみたいには、なれないのかなって、思ったりもして……」
彼の性分に気付いてからずっと、自分の中で反芻していたことだが――やっぱり俺は、彼のような心持ちを抱けないと思う。
善人悪人構わず、全てのひとのことを自分事として考えるなど、限られた聖人の領分だ。俺のような一介の兵卒に、真似できるような境地ではない。
「……だから俺は、どうすればいいのかな、って……」
「別に、いいんですよ」
俺が質問を投げかけると、彼はあっさりとした答えを返す。
別にいい、って……。
「別に、誰もが私のようになる必要なんて、無いと思います。そもそも私は、そうせずにはいられない性分で、行動しているだけなのですから」
肇さんは、肇さんの道を往けば善い――と、彼は続ける。
「それに、程度というものもありましょう。極端な選択をせずとも、身近なところから始めるという手段もある――それならば、あなたにもできると私は思う」
「身近なところ……」
自分事として考える、その範囲について――彼のように、都ごとを包み込む必要はない。
せめて、周りの人のことだけでも。身近な人のことだけでも。と、彼は、そう言いたいのだろう。
「そうですよ、お兄様。現にお兄様はあの時、私に寄り添ってくれたでしょう。そういうことから始めれば、それでいいと思います。それに――」
横で俺の相談を聞いていた善乃ちゃんは、そう話した後、俺の耳を貸してくれと手招きのジェスチャーをする。
俺がそのジェスチャーに従い、彼女に顔を寄せると――
(――それに、他の誰でもない私だけの味方をしてくれたのは、正直嬉しかったですっ)
(……!)
遊子橋さんに聞こえないほどの小声で、耳元でそう囁く。
……そうか。そうだよな。
せめて、自分の大事な人だけは、大いに慮る。今の俺には、それが限界なのだ。それが、今の俺にできることなのだ。
だとすれば、だからこそ。
やれることには、全力で取り組まなければ――それが、今の俺がやるべきことなのだ。
「……ありがとう、ございます。二人とも」
「いいえ、お礼など――それに、もう結さんが、帰ってきているのではないですか?」
遊子橋さんはそう言うと、神社の敷地内、俺たちの部屋がある棟を指さす――どうやら俺の気が付かないうちに、もう神社の前まで到着していたようだ。
傾いていた陽は、もう山に入ってしまいそうなくらいだ。
「――じゃ、ちょっくら仲直りしてきます」
「はい、それがいいでしょう。それではまた、夕飯時に」
俺は二人に会釈をすると、駆け足で自室へと。結が待つ家へと向かう。
凪いで、ひんやりとした空気に、爽快感を感じながら。
一歩、また一歩と、地面を踏みしめながら。俺は、着実に前進をした。
これにて。俺の相談事を、最後に片付けたことによって。
俺と善乃ちゃんと――そして、遊子橋さんの一日が、終了したのだった。
応援ありがとうございます!
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