BUDDY-0-

TERRA

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不完全な世界の中で

6

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森は湿気を帯びていた。
日中に降った雨がまだ葉の裏に残っており、足元の土もぬかるんでいる。
黒川は無言でカメラの角度を調整した。
三脚の足を少し埋めるようにして安定させ、レンズをロッジの裏手に向ける。
「よし……。」

誰に聞かせるでもない呟きだった。
手には工務店のコードレスのインパクトドライバー。
余った木材と金属パイプを組み合わせて作った擬装ケースに、小型の集音マイクを仕込む。
機材はすべてネットで手に入れた安物だが、工夫次第で意外と使える。

木々の枝に擬態させた形で、森の高所へとマイクを括りつける。
配線は黒の延長ケーブルを這わせて落ち葉の下に隠した。
ロッジまで直線距離でおよそ八十メートル。
人の声が届く距離ではないが、何かが聞こえるかもしれない。

「……これで三台目。」
一台はロッジ正面を狙う広角カメラ、もう一台は地下へ続く階段付近の定点。
そして今、集音マイク。
すべて夜間撮影対応だが、画質はやや心許ない。
だが、これで彼の行動を多角的に捉えられる。そう信じていた。

そのときだった。
背筋に冷たい何かが走った。

「……?」
思わず振り返る。
森の中。
誰もいないはずの空間に、妙な気配があった。

視線。
確かに、自分の行動を見られているという感覚が、皮膚の裏側に這い上がってくる。
だが、見回しても何もない。
風に揺れる葉の音、鳥の羽ばたきすら聞こえない静寂。

「気のせいだ……。」
言葉にして、自分に言い聞かせるように呟いた。
だが、その一瞬の違和感は確かに存在した。
誰もいないはずの森の奥に、こちらを見つめる目があるような感触。
黒川は道具をまとめて森を後にした。

三日後。
自室のモニターには、ロッジの映像が映し出されていた。
無音のまま倍速で再生される映像。
白崎が車を降り、大きな袋を肩に担いで階段を下っていく様子。
その動きは、何度見ても一定だった。
まるで儀式のように無感情で、滑らかで、不自然に整っている。

再生スピードを落とす。
階段に足をかける瞬間、白崎の手元がわずかに揺れた。
袋が重いのか中で何かが動いたのか、判然としない。
カメラのフォーカスが追いつかず、輪郭はぼやけたままだ。

「……ピントが甘い……。」
黒川は思わず舌打ちする。

次に音声を確認する。
森の中に設置した集音マイクの記録。
イヤホンを耳に差し込み、ノイズ混じりの音源を再生した。

最初は風の音。
枝が擦れる。
虫の羽音。
遠くにフクロウの鳴き声。
だが、それらに混じって、何か人為的な音があった。

……カン。カン……キィ……キィ……。

金属を擦る音。
何かが繰り返し打ち付けられているような。
時折、その背後で呻き声のような微かな音が混ざる。
聞き間違いかもしれないが、うめき、もしくは、助けを乞うような……。

「……やっぱり……誰か……?」
黒川は息を呑んだ。
だが音は途切れがちで、全体に雑音が多い。
何をしているのか断定はできない。
証拠にはならない。
ただ、雰囲気と感覚だけが、異常性を伝えてくる。

映像と音声を何度も見返すうちに、部屋の空気が重たく淀んでいった。

机の上には、これまでの記録がずらりと並んでいる。
日付別に整理された映像ファイル、録音データ、観察メモ、手書きの地図、動線分析、心理傾向のメモ。
壁には、ロッジ周辺の地図が画鋲でとめられ、赤ペンでルートが幾重にも重ねられていた。

段ボール箱には、過去数週間の録画ディスク。
ベッド脇には、裁がロッジに出入りする日を記した手帳。

そのすべてが、記録のためだけに存在している。
黒川の生活は、いつの間にかこのロッジと白崎にすべてを捧げていた。
仕事は放り出し、連絡は絶ち、日々のリズムさえ、彼の動きに同期している。

……ふと、思う。
「……狂ってるのは、俺の方なんじゃないか?」
その疑念は、鋭い棘のように胸を突いた。

だが、すぐに首を振る。
違う。あの袋は動いていた。
裁は夜ごと何かを運び、あのロッジで音を立てている。
誰かが、中にいる。

「俺は間違ってない……。」
囁きのように、自分に言い聞かせる。
そうしなければ、このすべてが妄想になってしまう。
そうなったら、自分の存在が崩れてしまう。

黒川は再び再生ボタンを押した。
画面の向こうで、白崎が袋を引きずりながら階段を下りていく。
その足元に、ひとしずく、何かが滴っているように見えた。
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