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✿9.

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 千尋は、ぐっと腕に力を込めて新崎を引きはがした。それでもくっついていようとする新崎に「めっ」としかる。しょぼんとして、肩を落とす新崎に、千尋はため息をついた。
「きみは駄犬かな?」
「へ?」
「いや、今のはひとりごと。……ぼくはきみに会いに来たんだよ」
 千尋は新崎に背中を向けた。新崎はその背中が遠ざかっていくかのように感じて、縋りつきたくなった。しかし、体が動かなかった。拒否されることが――すごく、怖くて。
 だけど、千尋は部屋の隅に置いた自身の鞄を取りに行っただけらしい。すぐに新崎のもとに戻ってくる。そして、鞄の中から包みを取り出した。
「これは?」
「新崎くんへ」
「え。えっと」
「今日、ホワイト・ディだから」
 一瞬、新崎の頭は硬直フリーズした。何度も千尋のことばが頭のなかでリフレインする。その意味をとらえた途端、新崎は得体のしれない幸福感に包まれていた。
「それって……その、そういう意味、ですよね」
 おずおずと尋ねてきた新崎がやけに幼く見えて千尋はまた吹き出した。
「あ、あの! なんでそんな笑うんですか!」
 少し怒ったように、むっと不機嫌を外に出す新崎。TVテレビでも配信でもそんな姿は見ることができない。俳優でもなく生身の新崎だから見れる素の表情。それをいま独占しているということがたまらなく愉快であるとまではさすがに言えないけれど。千尋は、微笑んで彼の頬に触れた。
「叩いた?」
「へ?」
「撮影に入る前に、ほっぺ叩いていたなぁって」
「……見てたんですか?」
「うん。ずっと、見てた。知ってるでしょ。ぼくが見ているのは」
「最初は俺がずっと、千尋さんのこと見てたのに」
「そう。いまはぼくも見ている。答えはそれでわかるでしょう?」
「ただの……バレンタインのお返しじゃないってことですよね」
「そういうの、聞かなくてもわかるでしょう?」
 ずるい。
 新崎は千尋を見つめた。いつも彼だけがずるい。
 不安なとき、助言をくれるのも、安心感をくれるのも、みんな千尋ばかりだ。
「なーに? まだぐずついてるの?」
「ぐずついてません……」
「なんか瞳、うるんできてない? 泣いちゃだめだよ。明日だって撮影あるんでしょ」
 俳優の仕事は自身の体が資本だ。泣きはらした真っ赤な目でカメラの前には立てない。必死であふれそうになるものをこらえる。
「けど、涙は我慢しても、感情までは抑え込まなくていいからね。……ぼくの前では」
 ほら。やっぱり、そういうところ、ずるい。
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