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6巻 春の嵐と新学期
ディアリンドの本気
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俺を膝に抱いているリンの身体が、なんだか熱くなってきた。
リンの青みがかった黒い瞳は、じわりと欲を滲ませつつも、俺の全てを貫いてしまいそうなほどの力強さでまっすぐ俺を射抜いていて、俺は視線をチラとも逸らせそうにない。
……えっと、俺、今、別れ話的なものを切り出してる、よね……?
それなのに、リンは悲しそうな顔をするでもショックを受けるでもなく、こんな熱い視線を、これでもかと俺に送ってきている。
これはどういう事なんだろう……。
「私の中のケイトを消されてしまうくらいなら、私はケイトの記憶を消そう」
「……え?」
「これは私だけの意思ではない。アオイ様もそう思っている」
「ぇええ!?」
何それ!? 蒼に話が通ってるって、何、怖いんだけど!?
待って待って、そんなの俺、記憶消去二回目になっちゃうよ!?
「ケイトには、もうフロウリアの危機など忘れてほしい。貴方がこちらの世界でずっと私を側に置いてくれるなら、私は……」
「何て事言うんだよ!」
まさかリンが……、誰よりもフロウリアの平和を願っていた騎士の……、リンがそんな事を言うだなんて、俺には信じられなかった。
「そんな事できるわけない! フロウリアにはリンの家族もいるんだよ!?」
リンは俺の言葉にも揺らぐ事なく、俺だけをまっすぐ見つめたまま答える。
「わかっている。家族は愛している。……それでも、私は貴方だけを選ぶ」
「っ、そんな、事……っ」
ギュウっと胸の中央が握り締められるような感触に、俺は息を詰めた。
「私はもう公正な騎士ではいられない。それを分かってしまったから、私は騎士団を抜けたんだ。私にとって貴方が、世を救う聖女様よりも守るべき存在になってしまったから……」
「それは……間違ってるよ……、俺は世界と比べるような存在じゃないから」
リンの指が、俺の髪を優しく撫でてくる。
こんな時にそんな風に触れるのは、ずるいと思う……。
「騎士としてどれだけ間違っていようと、私はケイトに全てを捧げて生きる。そう決めた時から、貴方を守るためなら世界の全てを敵にしても構わない覚悟をしている」
リンの覚悟は、俺とは逆方向に決まりまくっていた。
「でも俺は、フロウリアの皆を助けたいんだ……」
……これは、俺の本心なんだよ。
俺は、リンと離れるのが……この幸せを手放してしまうのが辛いだけで。
フロウリアの皆を助けることに迷いはないんだ。
俺は強い意志を込めてリンを見つめ返す。
リンは俺の覚悟をわかってくれたのか、ゆっくりひとつ瞬いて、それから口を開いた。
「ではどうかせめて……。貴方を手助けしたいと願う私に、貴方の迷いを見せてほしい」
ああ、そこかぁ……。
結局そこに戻ってきちゃうのか……。
だってそんなの。
聞き出したって、リンまで辛い気持ちになるだけじゃないか。
苦しいのは、俺だけで十分だよ……。
「私はあの日、全てを捨てる覚悟で貴方を攫った。もう二度とフロウリアには戻れないつもりで挑んだ。だから、ケイトが思っているほど私は向こうに未練がない」
……そうは言っても、そんな簡単に割り切れる事じゃないよね……?
って、そう思っているのは俺だけなのか……?
事後に知った俺と違って、リンは少なくとも一年近い時間をかけて考えて考え抜いて、俺と来てくれたって事か……。
俺はなんだか場違いに嬉しくなってしまって、緩んでしまいそうな口元を隠そうと手を持ち上げる。
その途端、俺の手はリンの大きな手に下から掬い上げられた。
「どうか分かってほしい」
リンはそう言って俺の指を大切そうに持ち上げて、俺の指先に口付ける。
愛しげに伏せられたまつ毛と、丁寧で恭しい仕草。
そっと触れてくる柔らかな唇が、リンが俺をどれほど大切に想っているのかを俺の指先に直接伝えてくる。
「っ……」
カッと顔に熱が集まる。
そんな俺から決して視線を逸らさないままに、リンは続けた。
「私が守りたいのは、全ての世界を含めても、貴方唯一人だけなのだと」
も、ものすごく綺麗な顔をした、ものすごくカッコイイ人が、なんかもう俺以外いらないって勢いで迫ってくる……!
「っ、でもっ、リンが好きになったのは、聖女の俺……だから……」
俺は、リンの愛の告白にいっぱいいっぱいになってしまって、気づいた時には胸の内を漏らしてしまっていた。
リンは少し驚いたように瞬いて、それから満足そうな笑みを滲ませた。
「確かに、初めて心を惹かれたのは聖女のケイト様だ。けれど、こうして共に過ごしケイトの新しい一面を知る度に、私は毎日貴方に惚れ直している」
楽しそうに上がった口端をそのままに、リンは俺の指先に唇を寄せる。
ひぇぇ……。
イケメンが色気たっぷりにイイ顔をし過ぎていて、とても直視できない……のに、全然目が逸らせなくて、どうしたらいいのか分からない……っっ。
「日を追うほどに貴方に夢中になってしまって、自分でもどうしたらいいのか分からないほどだ」
お、俺は、この現状をどうしたらいいのかが分からないよ……。
「今の私が愛しているのは、あの頃の聖女様の面影ではない。今この世界で大学生として生きている、アシヤケイト、貴方だ」
「……っ」
俺の喉の奥で、言葉が詰まる。
そんなの……、そんなこと言われたら……。
じわりと視界が小さく滲む。
「私は貴方に善性や聖性のみを求めているわけではない」
リンは俺に言い聞かせるようにしながら、俺をベッドに仰向けに倒していた。
あまりにゆっくりとした動きに、背がベッドに触れてからようやく気づく。
「貴方の揺れる心も、迷う弱さも、貴方の全てが愛しい」
リンの長い前髪が、俺の上でサラリと揺れる。
「貴方が皆から懸命に隠すそれを、もし私だけに許してもらえたなら、どんなに……甘美だろうかと……」
俺はハッと息を呑む。
今……俺の目の前で、リンの瞳に劣情が灯る様を、俺は見てしまった。
「……いや、それどころか……。挙げ句の果てには、貴方が世界の人々よりも私ひとりを選んでくれたら、どれほど良いかと……」
リンの僅かに青を残した黒い瞳が、俺を求めてじわりと細められる。
「そんな愚かしい願いを持ってしまうほどに、私は貴方に溺れているんだ……」
整い過ぎたリンの顔が俺に近づいてくる。
「心から、愛している……ケイト」
鼻先が触れ合って、リンの熱い吐息が俺にかかる。
「私は、貴方さえいればいい……」
リンの言葉の終わりは、俺の口の中に直接注がれた。
「……っ」
そんな事……。
だって、リンがそんな事を言ってしまったら……。
リンのためにフロウリアを救いたいと思う俺の根底が崩れてしまうじゃないか。
……どうしてそんな事を、今更言うんだよ……っ!
俺は、リンの胸を力いっぱい押した。
いつの間にか重なっていた唇が静かに離れる。
「俺は……っ……」
足元が崩れてしまうような感覚に、身体が震える。
どうしよう。ダメだ……。
涙が、堪えられない……っ。
「っ、ごめん……っ」
ベッドの上で、俺はリンに背を向ける。
「ケイト……、ひとりで抱えないでくれ。その涙を分けてくれないか……?」
リンはベッドにうつ伏せた俺を軽々とひっくり返すと、タオルを手渡しながらもリンの腕の中にしっかり抱き込んだ。
うう、こんな情けない顔、リンに見られたくないのに……。
俺はリンのくれたタオルに顔を突っ込んだまま、リンの胸に顔を埋めた。
しばらくの間、嗚咽を漏らすだけの俺の背を、リンは大きな手でゆっくり撫でていた。
「俺……。俺……は……、リンの、その気持ちには応えられないよ……」
俺は拒絶の言葉を伝えたのに、リンは驚くくらい優しい声で応えてくれた。
「ああ。構わない」
「ごめん……。俺はリンより欲張りで……。リンだけでいいって……言えなくて……ごめんね……」
「謝る必要などない。私は、全て救おうとする貴方を、この上なく愛している」
リンは静かな声でそう言ってから「ただ……」と言葉を切った。
何だろう。と考える俺の頭に、リンの顔が埋められる。
「……私がもっと頼れる男なら、貴方を不安にさせずに済んだのだろうか。と、反省している……」
それは、酷く苦しそうな声だった。
「えっ、そんなことないよっ」
俺は慌てて顔を上げる。
俺の動きに合わせて俺から顔を離したリンと、すぐ近くで視線が絡み合う。
「俺はリンのことすごく頼りにしてるし、いつも助けられてるよ」
俺の言葉に、リンはどこか痛そうな顔で小さく微笑んだ。
……どうしてそんな顔……。
リンが俺をいつも助けてくれるのは、本当の事なのに……。
……ああ、そうか。
リンはそれでも、足りないと感じてるんだ。
俺がこうやって、リンに迷いや不安を隠そうとしてしまったから……?
「ごめん。その……、言えなかったのは、俺が弱かったからで、リンのせいじゃ……」
俯きかけた俺を、リンの腕がぐいと引き寄せる。
リンの分厚い胸に顔が埋まって、言葉は途中で途切れてしまった。
「私こそ、強引な手段に出たせいで貴方を泣かせてしまって、すまない……」
それってもしかして、さっきチラッと出た蒼の話かな。
ぐいとリンの胸を押して顔を離す。
「蒼になんか言われたんでしょ?」
リンの肩が小さく揺れる。
「その……、ケイトがフロウリア行きを迷うようなら、と……」
なるほど。
それで、リンはわざわざ普段言わないような言い方をしてたのか。
聖女じゃなくてもいいとか、迷っても弱くてもいいとか、リンだけの俺でいてほしいとか、そんな事……。
俺はまんまとリンの術中にかかって、大変揺さぶられてしまったわけだ。
俺は思わずリンをジトリと見つめる。
少なからず恨みがましい目を向けたはずなのに、リンはそんな俺の視線を受けて、どこか嬉しそうに微笑み返した。
「だが、私が口にした言葉に偽りはない。私は貴方を何より優先している」
えええ……。
「向こうの事をもう割り切ったと言い切ったのは、少し言い過ぎだったが。それでもどちらかしか選べないのなら、私は迷わない」
それってつまり……。
「じゃあ、俺がフロウリアにはもう行かないって、リンとずっとこっちに居るって言ったら……?」
リンは美しく整った顔で、これ以上ないほど甘く微笑んで言った。
「私は貴方がその決断をする事がどれほど苦しいのかを理解している。だから貴方がそう言うのなら、私は私だけを選んでもらえた事をただ嬉しいと思うだけだ」
うう……、リンが俺にだけ甘過ぎる……。
俺だけを愛してくれるリンの愛は、思ったよりもかなりズッシリと重かったけれど、まっすぐに気持ちを伝えてくれるリンに、俺の心は喜びに震えてしまう。
「そんなことばっかり言われたら、俺は、元聖女としての自分を支えられなくなってしまうよ……」
「私は、そんなケイトの姿も見てみたいと思ってはいるぞ?」
リンは楽しそうにクスクス笑って言う。
それはまるで「でも、そんなことにはならないだろう?」と言われているようだった。
うん……。
結局俺は、リンがフロウリアをもういらないと言っても、それでもフロウリアが見捨てられなかった。
教会の聖騎士達や護衛騎士達に司祭様に侍女さん達、式典に来てくれた街の人々や巡礼でお世話になった人達。
そんな沢山の人達を、一体どうすれば全て失ってもいいって思えるんだろう。
リンはそんな人達を守る為に、ずっと自らを鍛えて、戦い続けてきたというのに。
そんな人生の全てと天秤にかけても、俺の方が重いだなんて……。
それに対して「俺もリンだけいればいい」と返してあげられない俺は、やっぱり薄情なんじゃないだろうか。
俺は、リンの一途な愛を受け取るには、分不相応なんじゃないかな……。
「ケイト……?」
甘く尋ねるような響きに、いつの間にか俯いていた顔を上げると、唇が優しく触れ合う。
一瞬で離れた唇を目で追うと、リンは少しだけ困ったような顔で苦笑していた。
「また私の事で心を痛めていたのか?」
「っ」
リンの問いが図星過ぎて、俺は返事に詰まる。
「本当に……ケイトはいつも私の事ばかり考えているんだな……」
「そんな事……」ないって、言えない自分が恨めしい。
「……あるけど」と小さく続けるしかなかった言葉は、自分で思う以上に拗ねたような声に聞こえた。
ごくり。と間近でリンの喉が鳴る。
恥ずかしすぎて逸らしていた俺の顔が、リンの長い指に引かれて優しくリンと向き合わされる。
リンの瞳には俺への愛とそれによる欲が、溢れんばかりに滲んでいた。
リンの青みがかった黒い瞳は、じわりと欲を滲ませつつも、俺の全てを貫いてしまいそうなほどの力強さでまっすぐ俺を射抜いていて、俺は視線をチラとも逸らせそうにない。
……えっと、俺、今、別れ話的なものを切り出してる、よね……?
それなのに、リンは悲しそうな顔をするでもショックを受けるでもなく、こんな熱い視線を、これでもかと俺に送ってきている。
これはどういう事なんだろう……。
「私の中のケイトを消されてしまうくらいなら、私はケイトの記憶を消そう」
「……え?」
「これは私だけの意思ではない。アオイ様もそう思っている」
「ぇええ!?」
何それ!? 蒼に話が通ってるって、何、怖いんだけど!?
待って待って、そんなの俺、記憶消去二回目になっちゃうよ!?
「ケイトには、もうフロウリアの危機など忘れてほしい。貴方がこちらの世界でずっと私を側に置いてくれるなら、私は……」
「何て事言うんだよ!」
まさかリンが……、誰よりもフロウリアの平和を願っていた騎士の……、リンがそんな事を言うだなんて、俺には信じられなかった。
「そんな事できるわけない! フロウリアにはリンの家族もいるんだよ!?」
リンは俺の言葉にも揺らぐ事なく、俺だけをまっすぐ見つめたまま答える。
「わかっている。家族は愛している。……それでも、私は貴方だけを選ぶ」
「っ、そんな、事……っ」
ギュウっと胸の中央が握り締められるような感触に、俺は息を詰めた。
「私はもう公正な騎士ではいられない。それを分かってしまったから、私は騎士団を抜けたんだ。私にとって貴方が、世を救う聖女様よりも守るべき存在になってしまったから……」
「それは……間違ってるよ……、俺は世界と比べるような存在じゃないから」
リンの指が、俺の髪を優しく撫でてくる。
こんな時にそんな風に触れるのは、ずるいと思う……。
「騎士としてどれだけ間違っていようと、私はケイトに全てを捧げて生きる。そう決めた時から、貴方を守るためなら世界の全てを敵にしても構わない覚悟をしている」
リンの覚悟は、俺とは逆方向に決まりまくっていた。
「でも俺は、フロウリアの皆を助けたいんだ……」
……これは、俺の本心なんだよ。
俺は、リンと離れるのが……この幸せを手放してしまうのが辛いだけで。
フロウリアの皆を助けることに迷いはないんだ。
俺は強い意志を込めてリンを見つめ返す。
リンは俺の覚悟をわかってくれたのか、ゆっくりひとつ瞬いて、それから口を開いた。
「ではどうかせめて……。貴方を手助けしたいと願う私に、貴方の迷いを見せてほしい」
ああ、そこかぁ……。
結局そこに戻ってきちゃうのか……。
だってそんなの。
聞き出したって、リンまで辛い気持ちになるだけじゃないか。
苦しいのは、俺だけで十分だよ……。
「私はあの日、全てを捨てる覚悟で貴方を攫った。もう二度とフロウリアには戻れないつもりで挑んだ。だから、ケイトが思っているほど私は向こうに未練がない」
……そうは言っても、そんな簡単に割り切れる事じゃないよね……?
って、そう思っているのは俺だけなのか……?
事後に知った俺と違って、リンは少なくとも一年近い時間をかけて考えて考え抜いて、俺と来てくれたって事か……。
俺はなんだか場違いに嬉しくなってしまって、緩んでしまいそうな口元を隠そうと手を持ち上げる。
その途端、俺の手はリンの大きな手に下から掬い上げられた。
「どうか分かってほしい」
リンはそう言って俺の指を大切そうに持ち上げて、俺の指先に口付ける。
愛しげに伏せられたまつ毛と、丁寧で恭しい仕草。
そっと触れてくる柔らかな唇が、リンが俺をどれほど大切に想っているのかを俺の指先に直接伝えてくる。
「っ……」
カッと顔に熱が集まる。
そんな俺から決して視線を逸らさないままに、リンは続けた。
「私が守りたいのは、全ての世界を含めても、貴方唯一人だけなのだと」
も、ものすごく綺麗な顔をした、ものすごくカッコイイ人が、なんかもう俺以外いらないって勢いで迫ってくる……!
「っ、でもっ、リンが好きになったのは、聖女の俺……だから……」
俺は、リンの愛の告白にいっぱいいっぱいになってしまって、気づいた時には胸の内を漏らしてしまっていた。
リンは少し驚いたように瞬いて、それから満足そうな笑みを滲ませた。
「確かに、初めて心を惹かれたのは聖女のケイト様だ。けれど、こうして共に過ごしケイトの新しい一面を知る度に、私は毎日貴方に惚れ直している」
楽しそうに上がった口端をそのままに、リンは俺の指先に唇を寄せる。
ひぇぇ……。
イケメンが色気たっぷりにイイ顔をし過ぎていて、とても直視できない……のに、全然目が逸らせなくて、どうしたらいいのか分からない……っっ。
「日を追うほどに貴方に夢中になってしまって、自分でもどうしたらいいのか分からないほどだ」
お、俺は、この現状をどうしたらいいのかが分からないよ……。
「今の私が愛しているのは、あの頃の聖女様の面影ではない。今この世界で大学生として生きている、アシヤケイト、貴方だ」
「……っ」
俺の喉の奥で、言葉が詰まる。
そんなの……、そんなこと言われたら……。
じわりと視界が小さく滲む。
「私は貴方に善性や聖性のみを求めているわけではない」
リンは俺に言い聞かせるようにしながら、俺をベッドに仰向けに倒していた。
あまりにゆっくりとした動きに、背がベッドに触れてからようやく気づく。
「貴方の揺れる心も、迷う弱さも、貴方の全てが愛しい」
リンの長い前髪が、俺の上でサラリと揺れる。
「貴方が皆から懸命に隠すそれを、もし私だけに許してもらえたなら、どんなに……甘美だろうかと……」
俺はハッと息を呑む。
今……俺の目の前で、リンの瞳に劣情が灯る様を、俺は見てしまった。
「……いや、それどころか……。挙げ句の果てには、貴方が世界の人々よりも私ひとりを選んでくれたら、どれほど良いかと……」
リンの僅かに青を残した黒い瞳が、俺を求めてじわりと細められる。
「そんな愚かしい願いを持ってしまうほどに、私は貴方に溺れているんだ……」
整い過ぎたリンの顔が俺に近づいてくる。
「心から、愛している……ケイト」
鼻先が触れ合って、リンの熱い吐息が俺にかかる。
「私は、貴方さえいればいい……」
リンの言葉の終わりは、俺の口の中に直接注がれた。
「……っ」
そんな事……。
だって、リンがそんな事を言ってしまったら……。
リンのためにフロウリアを救いたいと思う俺の根底が崩れてしまうじゃないか。
……どうしてそんな事を、今更言うんだよ……っ!
俺は、リンの胸を力いっぱい押した。
いつの間にか重なっていた唇が静かに離れる。
「俺は……っ……」
足元が崩れてしまうような感覚に、身体が震える。
どうしよう。ダメだ……。
涙が、堪えられない……っ。
「っ、ごめん……っ」
ベッドの上で、俺はリンに背を向ける。
「ケイト……、ひとりで抱えないでくれ。その涙を分けてくれないか……?」
リンはベッドにうつ伏せた俺を軽々とひっくり返すと、タオルを手渡しながらもリンの腕の中にしっかり抱き込んだ。
うう、こんな情けない顔、リンに見られたくないのに……。
俺はリンのくれたタオルに顔を突っ込んだまま、リンの胸に顔を埋めた。
しばらくの間、嗚咽を漏らすだけの俺の背を、リンは大きな手でゆっくり撫でていた。
「俺……。俺……は……、リンの、その気持ちには応えられないよ……」
俺は拒絶の言葉を伝えたのに、リンは驚くくらい優しい声で応えてくれた。
「ああ。構わない」
「ごめん……。俺はリンより欲張りで……。リンだけでいいって……言えなくて……ごめんね……」
「謝る必要などない。私は、全て救おうとする貴方を、この上なく愛している」
リンは静かな声でそう言ってから「ただ……」と言葉を切った。
何だろう。と考える俺の頭に、リンの顔が埋められる。
「……私がもっと頼れる男なら、貴方を不安にさせずに済んだのだろうか。と、反省している……」
それは、酷く苦しそうな声だった。
「えっ、そんなことないよっ」
俺は慌てて顔を上げる。
俺の動きに合わせて俺から顔を離したリンと、すぐ近くで視線が絡み合う。
「俺はリンのことすごく頼りにしてるし、いつも助けられてるよ」
俺の言葉に、リンはどこか痛そうな顔で小さく微笑んだ。
……どうしてそんな顔……。
リンが俺をいつも助けてくれるのは、本当の事なのに……。
……ああ、そうか。
リンはそれでも、足りないと感じてるんだ。
俺がこうやって、リンに迷いや不安を隠そうとしてしまったから……?
「ごめん。その……、言えなかったのは、俺が弱かったからで、リンのせいじゃ……」
俯きかけた俺を、リンの腕がぐいと引き寄せる。
リンの分厚い胸に顔が埋まって、言葉は途中で途切れてしまった。
「私こそ、強引な手段に出たせいで貴方を泣かせてしまって、すまない……」
それってもしかして、さっきチラッと出た蒼の話かな。
ぐいとリンの胸を押して顔を離す。
「蒼になんか言われたんでしょ?」
リンの肩が小さく揺れる。
「その……、ケイトがフロウリア行きを迷うようなら、と……」
なるほど。
それで、リンはわざわざ普段言わないような言い方をしてたのか。
聖女じゃなくてもいいとか、迷っても弱くてもいいとか、リンだけの俺でいてほしいとか、そんな事……。
俺はまんまとリンの術中にかかって、大変揺さぶられてしまったわけだ。
俺は思わずリンをジトリと見つめる。
少なからず恨みがましい目を向けたはずなのに、リンはそんな俺の視線を受けて、どこか嬉しそうに微笑み返した。
「だが、私が口にした言葉に偽りはない。私は貴方を何より優先している」
えええ……。
「向こうの事をもう割り切ったと言い切ったのは、少し言い過ぎだったが。それでもどちらかしか選べないのなら、私は迷わない」
それってつまり……。
「じゃあ、俺がフロウリアにはもう行かないって、リンとずっとこっちに居るって言ったら……?」
リンは美しく整った顔で、これ以上ないほど甘く微笑んで言った。
「私は貴方がその決断をする事がどれほど苦しいのかを理解している。だから貴方がそう言うのなら、私は私だけを選んでもらえた事をただ嬉しいと思うだけだ」
うう……、リンが俺にだけ甘過ぎる……。
俺だけを愛してくれるリンの愛は、思ったよりもかなりズッシリと重かったけれど、まっすぐに気持ちを伝えてくれるリンに、俺の心は喜びに震えてしまう。
「そんなことばっかり言われたら、俺は、元聖女としての自分を支えられなくなってしまうよ……」
「私は、そんなケイトの姿も見てみたいと思ってはいるぞ?」
リンは楽しそうにクスクス笑って言う。
それはまるで「でも、そんなことにはならないだろう?」と言われているようだった。
うん……。
結局俺は、リンがフロウリアをもういらないと言っても、それでもフロウリアが見捨てられなかった。
教会の聖騎士達や護衛騎士達に司祭様に侍女さん達、式典に来てくれた街の人々や巡礼でお世話になった人達。
そんな沢山の人達を、一体どうすれば全て失ってもいいって思えるんだろう。
リンはそんな人達を守る為に、ずっと自らを鍛えて、戦い続けてきたというのに。
そんな人生の全てと天秤にかけても、俺の方が重いだなんて……。
それに対して「俺もリンだけいればいい」と返してあげられない俺は、やっぱり薄情なんじゃないだろうか。
俺は、リンの一途な愛を受け取るには、分不相応なんじゃないかな……。
「ケイト……?」
甘く尋ねるような響きに、いつの間にか俯いていた顔を上げると、唇が優しく触れ合う。
一瞬で離れた唇を目で追うと、リンは少しだけ困ったような顔で苦笑していた。
「また私の事で心を痛めていたのか?」
「っ」
リンの問いが図星過ぎて、俺は返事に詰まる。
「本当に……ケイトはいつも私の事ばかり考えているんだな……」
「そんな事……」ないって、言えない自分が恨めしい。
「……あるけど」と小さく続けるしかなかった言葉は、自分で思う以上に拗ねたような声に聞こえた。
ごくり。と間近でリンの喉が鳴る。
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