嫌われ者の私が異世界を間接的に平和にする……らしい

夏目ちろり

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1.ハルは異世界を救いたくない

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「……何だ、これ」

 私の朝は大抵このセリフから始まる。

 朝窓から差し込む容赦のない朝日で目が覚めてそこから徐に顔を洗うために台所に行き、そこに身だしなみチェックのために置いてある鏡を覗き込むと、大体その台詞を言わざるを得なくなるような事態が自分に起こっているのだ。

 今日は随分と手の込んだ編み込みをしたらしい。
 複雑怪奇に結ばれた自分の髪の毛を手で触りながら一つ溜息。
 今からパーティーにでも行くのであればこの髪型は喜んだだろうけれど、残念ながら普通に仕事だ。こんな髪型で職場に行ったら館長の顔が悪鬼の如く変貌するのは目に見えている。
 面倒だな、と思いながら、取り敢えずこの髪を解く作業に取り掛かった。

 この世界に来てから私の朝は早くなった。
 こういう時のために余裕を持って三十分は早めに起きるようにしているのだ。

 鏡と睨めっこしていると、鏡の端にこの面倒な悪戯の犯人の影を見た。咄嗟に振り返るも、先ほどまで影があったテーブルの脚にはそいつはいない。
 またいつもの緑の奴か、それともこの間見た新入りか。
 どちらにせよ犯人が分かったところでどうこうするつもりもなかった。咎める事もなく、注意するわけでもない。ただいつもの事だと流すだけ。

 それがここでは当たり前で、それが一番この世界にはいいのだと私はこの一年で学んだ。


 ようやく髪を解き終えて、癖のついてしまった髪を水で濡らして櫛で整える。ドライヤーなんて便利なものはないから基本は自然乾燥。今は暑い季節でよかった。冬なら今頃凍えている。
 朝ご飯は基本的に水とパン。そういえばと昨日貰ったドライフルーツの存在を思い出し、食材のストックが置いてある棚を漁ると、麻袋の中から黄緑色のドライフルーツが出てきた。
 ドライフルーツと言ってもほとんどが皮だけれどね。ないよりマシ、もらえるだけマシ、皮は栄養たっぷりと自分に言い聞かせながら一欠けら千切って口の中に放り込んだ。
 この量だと、少しずつ食べたら一週間持つだろうか。パン以外の栄養源は貴重だから、毎日取っていきたい。例えこのドライフルーツの皮に苦味があって食べ辛くとも。

 食事を終えたら仕事の準備をし始める。
 着替えて鞄の中に必要なものを入れて、最後に髪を触って確認したらまだしっとりと濡れていた。仕方がない。歩いているうちに乾くだろうと諦めて玄関に向かい、玄関脇の壁にかけられてあるフード付きのポンチョを取ろうとしたところで、そこにないのに気が付いた。
 もちろんそこにない理由も、そういう事をする犯人も分かっている。
 この朝の忙しいときに、と決して口にはしない悪態を心の中で吐いて、私のポンチョ探しは始まった。




 今回は張り切っていたのか随分と見つけにくい所に隠していたみたいで、大幅に時間をロスしてしまった。ベッドのシーツの裏とか盲点だった。意外に見つけにくい。

 仕事に遅れそうになっている私は、職場に向かって必死に走っている最中だ。被ったフードが取れてしまわないように襟元を手で押さえつけているために走りにくい。
 朝のこの時間帯はもう店が開いていて、職場に行く前に買い物をする人とか朝一番の新鮮な食材を求めてきている人が結構いる。通りを歩くにしても人を避けて歩かなくちゃいけないし、走るのなら尚の事。フードの下の人間が私だって分かっている人もちらほらいるからあっちから勝手に避けてくれる事もある。

 大きな通りを抜けて少し街の中心から逸れた場所。けれども建物は周りから見たらやけに大きくてやけに豪奢でやけに目立つ、お屋敷とも呼べるその場所。ここが私の職場である。

 『賢王・バートラティウスの栄光とその偉大なる軌跡を後世に残すための資料館』

 分かりやすそうで、でも無駄に長ったらしいから分かりにくい事になってしまっているこの資料館。その名の通り、昔この国の王様で亡くなった今でも人気があるバートラティウスという王様の遺物とか資料とかが置いてある。正式な名称が先述の通りなものだから驚きだ。一言一句間違える事無く言えるようになるまで結構時間がかかった。『偉大』とか一言抜けてもそんな変わらないのにね。館長は絶対にそれを赦さない。

「おはようございます」

 資料館の中に入って職員室に入って朝の挨拶をする。けれども私のこの挨拶に返ってくる言葉はない。職員は総勢四名いるけれど、誰一人私には挨拶はしてくれなかった。
 その沈黙に慣れてしまっている私は何を言うでもなく部屋の隅にある小さな机にポンチョと鞄を置いて、さっさと展示室へと向かう。
 展示室はその名の通りにバートラティウスの私物や所縁のものが飾られており、この資料館のメインとなる部屋。その他に図書の貸し出しもOKな資料室や小さなテラスがあり、テラスでは飲み物を飲むことが出来る。

 私はその中でも下働き、掃除のおばちゃん的なポジション。
 彼らにとってお客様の前に出すわけにもいかず、かと言って遊ばせておくには腹立たしい存在の私は必然的にそこに収まった。最初は何で私が、って思ったりもしたけれど、一年も経てば慣れるし今となってはよかったと思っている。人の視線に晒されるのは耐えられないだろうし。

 綺麗な布で展示品や展示台を拭いてガラスケースもピカピカに。少しでも汚れが残っていると館長にねちねちと言われてしまうから気が抜けない。
 床も綺麗に掃いて、次にテラスへと向かう。
 テラスには椅子とテーブルのセットが三つ。それらも綺麗に磨いた後に玄関も掃いたら朝の清掃は終了だ。『開館』の札を玄関に下げて、他の職員が部屋から出てくる前に資料室の奥の部屋へと引っ込んだ。
 後は日がな一日資料室内の図書の整理や都度言いつけられる雑用をこなしその日を終える。時々招かれざる客が来たりするけれども、大体がそんな感じだ。

 それが私の日常だった。
 仕事が終わって帰り道にイーゼルさんのお店に行って食料を買って家に帰って、また悪戯されているであろう室内を片付けて、ご飯を食べてお風呂に入って。そんなつまらない毎日。

 けれども、それが館長の言葉によって崩れた。
 その日、ようやく安定してきた私のライフスタイルをいとも簡単に突き崩そうとする輩が現れたからだ。


「来なさい。お前にお客様です」

 白髪にちょび髭、モノクルをつけた紳士然とした館長は、本の修復をしていた私にそう言ってきた。
 お客様? 私は首を傾げる。
 いつものあの招かるざる客たちは館長を通さなくても、無遠慮に資料室の奥の関係者以外立ち入り禁止になっているこの部屋にやってくる。という事は、新規の招かるざる客という事なのだろうか。
 どちらにせよ喜ばしい事ではないのは確かだ。私に用がある奴なんて碌な奴ではない。
 けれども私には拒否権はない。断ろうものなら館長に冷たい目で睨まれ『お前ごときが口答えするんじゃありません』と一蹴されて終わりだ。『スポンサー様は神様と同等です』『お客様には己の石一つ投げ打ってでも尽くしなさい』が口癖の館長には私がこれを拒絶する事自体耐えがたい事だろう。

 渋々ながらも館長に着いていくと、行先は館長室。館長室まで通すなんてとんだ大物がいるとみた。
 嫌だなぁ。大物とか、そういう感じの人達って。余り、いやかなりいい思い出がない。そういう気位が高い奴ほど選民意識が酷いから。

「失礼します」

 恭しく礼を取り入室する館長に続いて部屋の中に入ると、部屋の真ん中に置いてあるソファーには男が2人座っていた。

 一人は薄紫の癖毛なのかパーマがかかったようなミディアムヘアーに、黒縁の眼鏡をかけた頭がよさそうな男。石が四つあって、内心『げぇっ』と苦虫を噛み潰したような気持になる。
 もう一人の男はもっと特徴的で、こちらは褐色の肌に銀色の長髪で片耳に髪の毛をかけて大ぶりのピアスをつけている。しかもこいつも石の数が多い。驚くことにその数七つ。さらに『げぇっ』となった。
 嫌な予感しかしない。
 私の姿を見た途端に眼鏡男は物珍しそうな顔をしてこちらを舐めるように見ているし、銀髪はじぃっと睨み付けるように見てくる。
 『あー、はいはい。貴方達が忌み嫌う奴の登場ですよー』、とか心の中で皮肉りながら二人の前に立って、その不躾な視線から逃れるように俯きがちになった。

「こちらが異世界人の、……えー、名前は」
「久住遥花。ハルでもハルカでもお好きに」

 館長、私の名前覚えていなかった。二年も同じ職場で働いているっていうのにね。明らかに『お前名前なんだっけ? 知らないからお前が名乗れよ』って顔をしていた。
 だからちゃんと答えたんだけど館長としては私の受け答え方が気にくなかったらしく、裏でこっそりと手の甲を抓られた。いつも折檻の様に館長は抓られるけどこれってかなり痛い。時々後で見ると痣になっている時があるし。ジンジンと痛みの余韻が残る手をこっそり摩る。

「私は首都警備部魔障対策室室長のロアード・ゲイルアルフォンソです」

 眼鏡男が唐突に自己紹介をし始めた。何だか長ったらしい肩書を言っていたけれどあまり聞き取れず、取り敢えず頭を下げる。多分政府関係の偉い人。多分。

「こちらはレチカルーヴェン・グレイ。聖教会から派遣されている対策室の一人です」

 こっちも同じく政府関係。ゲイルなんとかさんの部下ってところかな。聖教会から派遣されているってところには納得。服装が白一色だし意匠も凝っているし、いかにも街でよく見かける教会の人って感じ。

 ……それにしても、このグレイさんって人。さっきからずっと私を睨んで来ている。
 分かるけどさ、分かるけどね。こういう不躾な視線にも結構慣れたと言えば慣れたし今更とは思うけれど、こう至近距離から睨まれるのは流石の私でも気分が悪い。
 石七つ持っているエリートさんからすれば『石なし』の私なんて希少種のド底辺なんだろうけど、何だか久し振りに忘れ去っていた自尊心ってやつが傷つきそうだ。
 これ以上ごめんだとばかりに、抵抗するように館長にばれないようにグレイさんを睨み返した。

「今日は実はハルカさんに折り入ってお願いがございまして」

 ちょっとイントネーションが違った呼び方で私の名前を呼ぶ室長さんは、にこにこと人の心の隙間に入り込むような顔で私にお願いをしてきた。
 もちろん私は怪訝な顔をして室長を睨み付ける。館長にまた手の甲を抓られたけれどどうでもよかった。
 この私に『お願い』?
 不気味な事を言い出すもんだ。

 嫌な予感がした。
 私の中の琴線に触れるような、そんな予感。

 イラッとし始めて、チリチリとした焦げるような感覚が胸から咽喉元そして頭まで駆け上った。
 話なんか聞きたくない。お願いなんか聞きたくない。室長さんの口から言葉が出てくる前にこの場から逃げ出したかった。
 例えそれが赦されないとしても。そう思う自由くらいは私にはあるはずだ。

 そっぽを向く。
 手の甲がキリキリ痛み、その苛立ちを上手く逃がすことが出来ない。不貞腐れる事でしか自分を保つことが出来そうになかったから、私は二人から目を背けた。

 けれども、あの銀髪のグレイさんがおもむろに立ち上がって私の目の前までやってきた。あの睨み付けるような視線を向けたまま、身長の低い私を高圧的に見下ろすように。
 額にある三つの石と両目の下にある四つの澄んだ石が、私と同じ黒い瞳と共に威圧する。エリート様の威厳というか風格とでも言うのだろうか。私とは相いれないものだ。

 私もこの世界の底辺としてのプライドを引っ提げて目の前のエリート様に抵抗する。

 言ってみろ。さぁ、言ってみろ。
 石が七つもあってこの世界ではエリート街道を驀進する人間が、この底辺の『石なし』の異世界人に何を望むのか。
 私は挑戦的な気持ちでエリート様を見上げた。


 すると、彼は私が思いもしない事をお願いしてきたのだ。



「お前の血が欲しい」



 と。

 さらに彼は言葉を続ける。

「この世界の平和のために、お前の血が必要なんだ」

 そう私に静かな声で告げてきた。


 恐らく善人的で心優しい人なら、『この世界のためならば』と首を縦に振っていたと思う。もしくはこの世界の人ならば自分の世界を守るために差し出せる物を喜んで差し出しただろう。
 あるいは小説とか漫画のヒロインならカッコいいヒーローに頼まれて悩みながらも……、っていうのもあるかもしれない。

 けれども私はこの世界の人間ではないし、善人でもましてやどっかの物語のヒロインでもない。
 今まで、この異世界にやってきて一年で私を助けてくれるようなヒーローはいなかったし、それどころかこの世界は私に厳しかった。
 蔑むような冷ややかな視線に、心無い冷酷な言葉。存在を認めないとばかりに無視をし、元の世界で保障されていた『人間らしい生活』というものを私から奪い去った。

 どれだけ辛酸を舐めたか分からない。
 常にひもじい思いをし人の心の温かさを恋しがって泣いた日もあった。この世界で生き抜くためだと割り切るには余りにも苦しく、心を磨り潰す様なものだ。
 それがどれだけのことか、この目の前の人達は知らない。この世界の人達は知らない。

 本当、酷い話だ。
 そういう私の気持ちを無視して平然と『平和のため』と銘を打って、今まで『石なし』と蔑んでいた人間に頼みごとをしてくるのだから。


「ハッ! エリート様が石なしの私に頼み? しかもこの世界の平和のため? 面白い」

 ――だから私は

「聞くわけないでしょ、そんな頼み。……ざまぁみろ!」

 この異世界に唾を吐き掛けた。

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