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2.ハルはそんなのお断り
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私がこの異世界にやってきたのは一年前の事だった。
初冬の頃、風が冷たく吹きすさびそろそろ初雪が降るかもしれないという頃。
私は高校三年生で、志望大学の合格を目指す受験生。最近の模試の結果はB判定で、あともうちょっと頑張りが必要だと反省しながら学校の帰り道を歩いていた時だった。
それは突然で唐突でありえない出来事。
穴が開いたのだ。突然、ぽっかりと、私の足元に。
あらかじめあった穴ではないし、私の不注意でもなかった。アスファルトの地面があったはずのそこに前触れもなく穴が開いて、私はそこに落ちた。
そして気が付けばそこは異世界だったという、何ともあっけない始まりだった。
街中に突如として現れた私は、街の真ん中に高くそびえ立つ城に連れていかれて保護された。
私のような異世界人はたまに現れる事があるらしい。と言っても、ここ最近では四十年も前の話らしいのだが。
私がやってきたのはディ・バディールという国で、異世界人には政府で保護をして住居と働く場所を与えてこちらの世界でも不自由なく暮らせるようにする義務が法律としてあるのだとか。そのために何の苦労もなく生活の基盤を手に入れる事は出来た。
家も資料館という働く場所も手に入れて取り敢えずは安泰というところまではよかった。
ところがその後、この世界では私に安息の地など出来ないのだと知る。
この世界は魔力で成り立つ世界だ。
空気や花草や木、川や海、つまりは自然の中に魔力が溢れていて、人々はこれらを体の内に取り込んで魔法を使って暮らしている。ファンタジーよろしく手から火をボッと出してみたり、指先を動かして小さな風を巻き起こしたりとか出来る人間がほとんどで、生活をするにもこの魔力というものを欠かすことが出来ない暮らしをしている。
なので、総じてこの世界の人間は魔力を持ち、魔法を使うことが出来る。
誰一人、例外なく。
もちろんその魔力には個人差があって、その大小はいくつ『石』をもっているかによるのだ。
顔に宝石のような『石』をつけて産まれてくるこの世界の人達は、その『石』の多さで魔力の大きさを量ることが出来る。
『石』が少なければその身に宿す魔力は少なく、多ければ多いほど魔力の容量は多くなる。『石』の色の透明度が高ければ高いほど魔力の濃度が高いという指標もあるようだけれども、大抵の人は『石』の数にこだわる。
それもそのはず、『石』が多ければ多いほど優秀とされ、優遇される世界なのだから。
人が持って生まれる『石』の数の平均は三個らしいのだけれども、それより少なければ劣っているとみられ多ければ優秀ともうすでに生まれた時から優劣をつけられる。『嫁にするなら器量よしより石四つ』という言葉があるほど『石』に左右されるこの世界。
もちろん『石なし』の私には非情な世界だった。
一目でわかる『異世界人』である『石なし』の私。
魔力を使えず魔法も使えない、他人の魔力を結晶化させた魔石がなければまともな生活も送る事が出来ない『できそこない』。
最下層の人間として忌み嫌われ蔑まれ厭われる存在。それがこの異世界での私だ。
そんな不遇の二年間を耐え抜き心も体も荒み切った私に、他人を慮る余裕などあるはずもなかった。
ましてや、『石』を七つ持ったエリート様の『世界を平和にするため』のお願いなど馬鹿馬鹿しくて聞けるはずもない。
私はもう、そこまでお綺麗な人間ではなくなってしまっていたのだ。
「まぁまぁ、そんな早急に結論を出さずとも我々の話を聞いてからでもいいのでは?」
すっぱりきっぱりと断った私に室長さんが落ち着けとばかりに私とグレイさんの間に入ってきた。
私の失礼な言葉に一瞬固まって唖然としていた館長が激高した顔で睨んできてまた手を抓られそうになったけれど、お陰でそれを寸でのところで回避することが出来た。
目の前のグレイさんは変な顔をしていたけれど。まぁ、生まれたからのエリート様は誰かに拒絶されたり『ざまぁみろ』なんて言葉を掛けられた事ないんだろうな。
「こちらにどうぞ。立ち話をするには少し話が込み入っていますからね」
局長さんが私の背中に手を当てて、自分たちが座っていたソファーに促してきた。やけくそ気味になっていた私は、この後館長に引っ叩かれると分かっていても気にせずソファーへと向かった。知った事か、と腹立たしい気持ちが先立ってしまったのだ。
踏ん反り返る様にソファーに座り足を組む。
室長さんは私の横に座り、グレイさんは少し離れた壁に背を凭れて私を見る。館長は相も変わらずそこに突っ立って憤怒の形相をしているが、無視だ無視。今の私は向かう所敵なしだ。
「魔障対策室がどんな事をしているかご存知で?」
「いいえ」
素っ気ない声で私は答える。
この国の政府機関がどんなものかも知らない私が、そんなマニアックそうな部署を知るはずもない。誰も教えてくれないし、文字を読むことが困難で幼児用の絵本をようやく最近卒業した私がそこまで知識欲を駆り立てる事は出来なかった。
「では、ポルモーポルは?」
「それはもちろん」
知っている。
というか、これに関しては否が応でも知るしかなかった。
だってポルモーポルは町中至る所、家の中までも侵入して我が物顔で悪戯をしまくっている髪の毛ふさふさのアレだ。今日も私の髪の毛を寝ている間に複雑怪奇に編み込んで、今朝もポンチョを隠した奴ら。
ポルモーポルは手のひらサイズの所謂小人みたいなので、顔のほとんどはもっさりとした髪の毛で覆われていて身体も丸みを帯びた二等身。髪の色もカラフルで、顔が見えないから私はその髪の色で個体を識別している。緑の奴とか、赤の奴とかって。
どれだけ戸締りしていても彼らは家の中にいつの間にか入り込むし、街の中にもうようよといる。すばしっこしい飛べるし魔法も使える。
けれども彼らの一番厄介な所は悪戯好きというところだ。
この世界の人達が言うには、ポルモーポルは人間が大好きで大好きでしょうがない生き物らしい。だからちょっかいを出して人間を喜ばせようとした結果がああいった悪戯に繋がるのだとか。
怒ってはいけない、絶対。笑ってその可愛らしい悪戯を許すようにと最初に私の住居と職場を世話してくれた政府の役人が教えてくれた。この世界の人間が彼らの悪戯を許容し、そしてそれが故にポルモーポルの好き勝手にのさばっている。
私からすればポルモーポルは面倒で関わり合いたくないものの一つだが、それがもう当たり前の風景であるこの世界の人間はポルモーポル達の悪戯を笑って許すのだ。
「私たちは暴走したポルモーポルの返還、もしくは排除を主な業務としています」
「ポルモーポルって暴走とかするの?」
「ええ。時々ね」
そんな事聞いた事がない私は怪訝な顔をして聞き返す。
暴走って、あの悪戯が過ぎたりするとか? 小さい毛玉の塊みたいな彼らがどう暴走するのだろうか想像もつかずに、私は室長さんの次の言葉を待った。
「彼ら、普段は小さくて可愛いものですけれど、暴走するとね、結構厄介なんですよ。それはもう普通の人には手に負えないくらいに魔力が暴走して辺り一帯を破壊しつくしますし、人も傷つけます。小さいのに凄いんですよ。一番酷いと……、そうだな、村一つ吹っ飛んだってのがありましたね」
「本当に?」
「ええ。それはもう酷いもので、村人のほとんどがそのポルモーポルの魔法に焼かれて死亡。村も焼野原。今でもそこには人は立ち寄らないし草一本生えません。現場を実際目で見ましたがえげつないものでしたよ。慣れた私でさえ三日三晩夢で魘されました」
この人、爽やかな顔で話してくれているけれど、話している内容は爽やかじゃない。こっちまで夢で魘されそうな事を平然と話してくれる。
ちょっと引き気味になった私は、『それで?』と話を先に促した。
「ポルモーポルが暴走したら私たちはそれを押さえつけて返還するんです」
「返還ってどこに?」
「彼らの故郷です。この世界のどこかにある人間が立ち入ることが出来ない秘境の秘境。暴走した彼らを術式を展開して故郷に帰し、ポルモーポルはそこで休養をして暴走を沈下させるんです。時々、もうポルモーポルたちでは手に負えないほど狂ってしまったポルモーポルもいますけどね」
「そういう時はどうするの?」
「消滅を図ります。残念ですけどね。もうそれしか方法がないんです」
「ふぅん」
局長は私に分かりやすく丁寧に話をしてくれているけれどいまいちピンとこない。
ポルモーポルが暴走したところを見た事がなければ、魔法がどっかーんと爆発を起こすところも見た事がない。『へぇ。ふぅん』くらいの理解しか出来ない私は曖昧に返事をした。
そんな私の理解の浅さを汲み取ったのだろう室長さんは、苛立つ様子もなく私の質問に答えてくれた。
「どうして暴走なんかするの? そもそもそんな危険な奴らをどうして街中にのさばらせておくのよ」
無知は罪だ、と聞いたことがあるけれど私のこれも罪なのだろうか。室長さんは怒っていないけれど館長は確実に怒っている。私の無知さに。何でそんな常識的な事を今更聞くんだって顔。
その顔にムカムカする。
「お前、いい加減にゲイルアルフォンソ様のお手を煩わせるような事はお控えなさい!」
とうとう館長が私にキレだした。モノクルが吹っ飛びそうなくらいに怒鳴って私を威嚇してきた。怖いくないけど。こんなのいつもの事だし。今日は客がいるからそうはしないけど、いつもならこれに手が飛んでくる。だから全然平気だ。
「ダフネリア館長、大丈夫ですよ。こちらがお願いする立場なのですからどんな質問に答えるのは当然の事です。ハルカさんもどうぞ遠慮なく。えぇと、ポルモーポルの暴走についてでしたよね?」
この室長さん、人がいいのか余りこういう事を煩わしいと思うような性質ではないのか。怒れる館長を抑えてかつ私に気にせず質問するように言ってくれる。
こういう人、今までこの世界にいなかったから戸惑う。私は皆からしたら底辺だから持ち上げられることはなかったから。喜んでいいのか斜に構えた態度をとったらいいのか分からなくなる。
「この世界に溢れている魔力、自然魔力とでも言いましょうか、これらは実は我々はそのまま体内に取り込んで魔法として使う事は出来ません。ポルモーポルが変換をしてくれるんです。我々が使えるような魔力にね。だから生活から魔法を切り離すことが出来ない我々はそのポルモーポルの恩恵を受け続けるために切り捨てる事は出来ないんです。ここまではいいですか?」
「うん」
つまりは、自然の中に魔力があるにはあるんだけど毒にも薬にもならない人間には使えないもので、ポルモーポルが人間が使えるように変えてあげる役割をしているという認識でいいのかな。だからつかず離れずの生活をするしかないのだと。……とりあえず『超光合成』と名付けよう。
「次に暴走についてですが、ポルモーポルは非常に好奇心旺盛で人間が大好きなんです。だから街中に降り立って共生したがる。けれども人間の感情の影響を受けやすい。陽の気も陰の気も全て。ポルモーポルがいる周りの人間が負の感情を持てばその影響を受けてポルモーポルの中に狂気が溜まっていく。そして自我を無くし魔力を暴走」
「……あぁ、なるほど。それで」
室長さんの説明でようやく合点がいった。だから『ポルモーポルに悪戯されても決して怒ってはいけない』のね。怒りも負の感情で、ポルモーポルの狂気の引き金になり得るから。
面倒な世界だなってつくづく思う。そんな煩わしい事を我慢してまで魔法に依存して生きるしかないなんて。
でもまぁ、便利でもう生活に根付いてしまったものを今更手放すことが出来ないというのには共感できる。元の世界で電気なしで生きろって言われているようなものだし、そんな生活できないという事も私だって理解しているから。
「ご理解いただけましたか?」
「懇切丁寧にありがとうございます」
「いえいえ」
礼儀を尽くしてもらったならこちらも礼儀を返す私はしっかりと座りながらもお辞儀をして礼を言った。室長さんも笑って返してくれた。この異世界で稀に見る『いい人』の部類に入る人だ。
「それでここからが本題です」
「あっ。はい」
そう言えばそうだった。自分の疑問が解決されたからそれだけで満足してすっかり忘れてしまっていた。
「ポルモーポルの返還は対策室の皆が出来るんですが、消滅出来るのは唯一彼だけなのですよ」
室長さんが『彼』と言って視線を向けたのは、いまだにこちらを睨みつけているグレイさんだった。
グレイさん『石』七つあるもんなぁ。魔力も強いしそういう難しい事もやってのけるほど優秀なんだろう。
「ところがつい先日、あるポルモーポルの消滅を行った際に彼がそのポルモーポルに『呪しゅ』をかけられましてですね」
「『呪』?」
「ええ。呪い、と言った方がいいでしょうか。今わの際の『呪』だったためにそれはもう強烈なものでしてねぇ。何を頼っても何を持ってしてでも解呪されることはなかったんです」
「……その、呪い? って具体的にどういう」
と、遠慮がちに聞きながら、その掛けられた張本人を横目で見る。
心なしか、先ほどまで睨み付けていたはずの顔がむっつりと不貞腐れているようにも見える。自分の失態をばらされて面白くないという事だろうか。
おーおー。お可哀想に。エリート様には挫折はさぞかし辛いだろう。
「ルーヴェン。こちらに来て自分で説明なさい」
心の中でエリート様を馬鹿にしていたら、室長さんが余計な事を言ってくださった。あんな顔をした人を近くに呼びつけるとか。もしかしてこの室長さん空気読めない人?
グレイさんも私と同じ気持ちだったのか嫌そうな顔をしていたけれど、上司の命令には逆らえなかったのだろう。渋々こちらにきて目の前のソファーにどっかり大股開きで座り、肘を膝に腿の上に置いて頬杖をついた。
目線はあっち。私の方を見る気はないらしい。
「ルーヴェン」
室長さんがグレイさんの態度を咎めるように名前を呼ぶと、グレイさんは舌打ちをして視線だけこちらを向けてきた。
「……術式が使えなくなった」
ぽつり、小さい声でそうグレイさんは呟いた。
『術式が使えなくなった』と言っているけれど、……つまりは魔法が使えなくなったって事なんだろうか。
無知な私に申し少し優しい説明が欲しい。
「えっと……」
「つまりはだなぁ、ポルモーポルを消滅させる術が使えなくなったんだ。その術式自体を封じる『呪』をかけられたんだよ」
私の願いが通じたのかグレイさんは丁寧に説明してくれた。意外と優しい。
「あの、魔法自体は?」
「使える。言っただろ? その術が使えなくなったんだって」
「別に魔法自体使えるなら問題ないんじゃ……」
「よかねぇよ。この俺が! その術を使えなくなった事自体大問題だ。ロアードも言ってだろ? 唯一俺が使える術だって」
あ、そう言えばそんな事を言っていたかもしれない。
「他の人は使えないの? 魔力の問題?」
「それもある。が、この術式自体ポルモーポルの長に授かったもので、条約で術者は各国一人のみって決まっている。俺が生きている限り他の奴らには受け継がれない」
ポルモーポルを消滅させるっている物騒な術だからね。そりゃ制約があってしかるべきなのかも。
「それで? それと私の血がどう関係するわけ?」
そして私との繋がり。そこが重要。
改めてそれを聞くと、グレイさんは頭を掻き毟ってひとつ溜息をついた。
「行き詰った俺らは賢智神に頼ったんだよ」
賢智神。その名の通り神様だ。
元の世界の様にいるかどうかも分からない存在じゃない。この異世界ではしっかりと神様は顕現していて、色んな神様がいるらしい。私は見た事はないけれど。
それで賢智神は聖教会にいる知識の神様だ。人々に知識を与えてくれるありがたい存在。けれども無償というわけではなく、対価として魔力を差し出す必要があるという何とも『石なし』には恩恵の欠片も感じられない神様だ。きっと魔力溢れるエリート様にはありがたい存在なんだろうけれども。
「そこで解呪には異世界人の血が必要だと言われた」
「だから異世界人の私の血が欲しい、と」
「そうだ」
大きく頷くグレイさんを見て、私はどうしたものかと考えた。
なるほど。それでわざわざ忌み嫌われている私に頼みごとをしに来た理由が分かったし理解も出来る。今彼らは藁をも掴みたい気分なんだって。
分かる。
けど、納得は出来ない。
「へぇ。あんたが死ぬことが出来ないから私に死ねって?」
「はぁ? んな事いってねぇだろ」
「血が欲しいってどのくらい? 何リットル?」
「……り、リット?」
「あんたがその術式を取り戻すまで私の血を抜くって事でしょ? ねぇ、知ってる? 血を抜き過ぎると人間で死ぬのよ。国の有事だものね。私の命なんて簡単に使い捨てられるようなものなんでしょうよ」
「おい!」
怒りがぶり返す。何度も何度も。さざ波の様に冷静になろうと怒りを鎮めてはまた引き返す。
だんだんと頭が熱くなって痛くなるほどに血が上っているのが分かる。こんなの久しぶりだ。もうこんな感情忘れてしまったと思ったのに、それは簡単な事ではなかったらしい。
憎い。憎い憎い。腹が立つ。
私を『石なし』と蔑みながら、今度はこの世界の平和のために血を差し出せと都合よいことを言う。きっとそのうち命を差し出せとまで言うだろう。何せ私はこの世界では無価値だ。捨てる事など厭わない。
この世界の奴ら、皆みんな同じだ。親切な振りをしても腹の底では思う事は一つ。
この目の前のエリート様だって、室長さんだって同じ! 同じ! 同じ!
「他を当たって」
「他なんているか! 異世界人なんてお前くらいだ!」
「あっそ。だから? 異世界人の私が異世界のために尽くす道理なんかないわよね?」
冷たく突き放すように言うと、グレイさんは言葉を詰まらせた。そしてまた髪の毛を掻き毟りながらそっぽを向く。
室長さんは静かに私たちの応酬をあの眼鏡の奥底にある目を光らせながら眺めている。
目の前の現実にゾッとした。
全てが敵なんだと、再認識した瞬間だったかもしれない。
「この世界の平和なんて知った事じゃないわよ」
嫌われ者の私が本気でこの世界のために血を捧げるなんて思うなんて、どうかしてる。
初冬の頃、風が冷たく吹きすさびそろそろ初雪が降るかもしれないという頃。
私は高校三年生で、志望大学の合格を目指す受験生。最近の模試の結果はB判定で、あともうちょっと頑張りが必要だと反省しながら学校の帰り道を歩いていた時だった。
それは突然で唐突でありえない出来事。
穴が開いたのだ。突然、ぽっかりと、私の足元に。
あらかじめあった穴ではないし、私の不注意でもなかった。アスファルトの地面があったはずのそこに前触れもなく穴が開いて、私はそこに落ちた。
そして気が付けばそこは異世界だったという、何ともあっけない始まりだった。
街中に突如として現れた私は、街の真ん中に高くそびえ立つ城に連れていかれて保護された。
私のような異世界人はたまに現れる事があるらしい。と言っても、ここ最近では四十年も前の話らしいのだが。
私がやってきたのはディ・バディールという国で、異世界人には政府で保護をして住居と働く場所を与えてこちらの世界でも不自由なく暮らせるようにする義務が法律としてあるのだとか。そのために何の苦労もなく生活の基盤を手に入れる事は出来た。
家も資料館という働く場所も手に入れて取り敢えずは安泰というところまではよかった。
ところがその後、この世界では私に安息の地など出来ないのだと知る。
この世界は魔力で成り立つ世界だ。
空気や花草や木、川や海、つまりは自然の中に魔力が溢れていて、人々はこれらを体の内に取り込んで魔法を使って暮らしている。ファンタジーよろしく手から火をボッと出してみたり、指先を動かして小さな風を巻き起こしたりとか出来る人間がほとんどで、生活をするにもこの魔力というものを欠かすことが出来ない暮らしをしている。
なので、総じてこの世界の人間は魔力を持ち、魔法を使うことが出来る。
誰一人、例外なく。
もちろんその魔力には個人差があって、その大小はいくつ『石』をもっているかによるのだ。
顔に宝石のような『石』をつけて産まれてくるこの世界の人達は、その『石』の多さで魔力の大きさを量ることが出来る。
『石』が少なければその身に宿す魔力は少なく、多ければ多いほど魔力の容量は多くなる。『石』の色の透明度が高ければ高いほど魔力の濃度が高いという指標もあるようだけれども、大抵の人は『石』の数にこだわる。
それもそのはず、『石』が多ければ多いほど優秀とされ、優遇される世界なのだから。
人が持って生まれる『石』の数の平均は三個らしいのだけれども、それより少なければ劣っているとみられ多ければ優秀ともうすでに生まれた時から優劣をつけられる。『嫁にするなら器量よしより石四つ』という言葉があるほど『石』に左右されるこの世界。
もちろん『石なし』の私には非情な世界だった。
一目でわかる『異世界人』である『石なし』の私。
魔力を使えず魔法も使えない、他人の魔力を結晶化させた魔石がなければまともな生活も送る事が出来ない『できそこない』。
最下層の人間として忌み嫌われ蔑まれ厭われる存在。それがこの異世界での私だ。
そんな不遇の二年間を耐え抜き心も体も荒み切った私に、他人を慮る余裕などあるはずもなかった。
ましてや、『石』を七つ持ったエリート様の『世界を平和にするため』のお願いなど馬鹿馬鹿しくて聞けるはずもない。
私はもう、そこまでお綺麗な人間ではなくなってしまっていたのだ。
「まぁまぁ、そんな早急に結論を出さずとも我々の話を聞いてからでもいいのでは?」
すっぱりきっぱりと断った私に室長さんが落ち着けとばかりに私とグレイさんの間に入ってきた。
私の失礼な言葉に一瞬固まって唖然としていた館長が激高した顔で睨んできてまた手を抓られそうになったけれど、お陰でそれを寸でのところで回避することが出来た。
目の前のグレイさんは変な顔をしていたけれど。まぁ、生まれたからのエリート様は誰かに拒絶されたり『ざまぁみろ』なんて言葉を掛けられた事ないんだろうな。
「こちらにどうぞ。立ち話をするには少し話が込み入っていますからね」
局長さんが私の背中に手を当てて、自分たちが座っていたソファーに促してきた。やけくそ気味になっていた私は、この後館長に引っ叩かれると分かっていても気にせずソファーへと向かった。知った事か、と腹立たしい気持ちが先立ってしまったのだ。
踏ん反り返る様にソファーに座り足を組む。
室長さんは私の横に座り、グレイさんは少し離れた壁に背を凭れて私を見る。館長は相も変わらずそこに突っ立って憤怒の形相をしているが、無視だ無視。今の私は向かう所敵なしだ。
「魔障対策室がどんな事をしているかご存知で?」
「いいえ」
素っ気ない声で私は答える。
この国の政府機関がどんなものかも知らない私が、そんなマニアックそうな部署を知るはずもない。誰も教えてくれないし、文字を読むことが困難で幼児用の絵本をようやく最近卒業した私がそこまで知識欲を駆り立てる事は出来なかった。
「では、ポルモーポルは?」
「それはもちろん」
知っている。
というか、これに関しては否が応でも知るしかなかった。
だってポルモーポルは町中至る所、家の中までも侵入して我が物顔で悪戯をしまくっている髪の毛ふさふさのアレだ。今日も私の髪の毛を寝ている間に複雑怪奇に編み込んで、今朝もポンチョを隠した奴ら。
ポルモーポルは手のひらサイズの所謂小人みたいなので、顔のほとんどはもっさりとした髪の毛で覆われていて身体も丸みを帯びた二等身。髪の色もカラフルで、顔が見えないから私はその髪の色で個体を識別している。緑の奴とか、赤の奴とかって。
どれだけ戸締りしていても彼らは家の中にいつの間にか入り込むし、街の中にもうようよといる。すばしっこしい飛べるし魔法も使える。
けれども彼らの一番厄介な所は悪戯好きというところだ。
この世界の人達が言うには、ポルモーポルは人間が大好きで大好きでしょうがない生き物らしい。だからちょっかいを出して人間を喜ばせようとした結果がああいった悪戯に繋がるのだとか。
怒ってはいけない、絶対。笑ってその可愛らしい悪戯を許すようにと最初に私の住居と職場を世話してくれた政府の役人が教えてくれた。この世界の人間が彼らの悪戯を許容し、そしてそれが故にポルモーポルの好き勝手にのさばっている。
私からすればポルモーポルは面倒で関わり合いたくないものの一つだが、それがもう当たり前の風景であるこの世界の人間はポルモーポル達の悪戯を笑って許すのだ。
「私たちは暴走したポルモーポルの返還、もしくは排除を主な業務としています」
「ポルモーポルって暴走とかするの?」
「ええ。時々ね」
そんな事聞いた事がない私は怪訝な顔をして聞き返す。
暴走って、あの悪戯が過ぎたりするとか? 小さい毛玉の塊みたいな彼らがどう暴走するのだろうか想像もつかずに、私は室長さんの次の言葉を待った。
「彼ら、普段は小さくて可愛いものですけれど、暴走するとね、結構厄介なんですよ。それはもう普通の人には手に負えないくらいに魔力が暴走して辺り一帯を破壊しつくしますし、人も傷つけます。小さいのに凄いんですよ。一番酷いと……、そうだな、村一つ吹っ飛んだってのがありましたね」
「本当に?」
「ええ。それはもう酷いもので、村人のほとんどがそのポルモーポルの魔法に焼かれて死亡。村も焼野原。今でもそこには人は立ち寄らないし草一本生えません。現場を実際目で見ましたがえげつないものでしたよ。慣れた私でさえ三日三晩夢で魘されました」
この人、爽やかな顔で話してくれているけれど、話している内容は爽やかじゃない。こっちまで夢で魘されそうな事を平然と話してくれる。
ちょっと引き気味になった私は、『それで?』と話を先に促した。
「ポルモーポルが暴走したら私たちはそれを押さえつけて返還するんです」
「返還ってどこに?」
「彼らの故郷です。この世界のどこかにある人間が立ち入ることが出来ない秘境の秘境。暴走した彼らを術式を展開して故郷に帰し、ポルモーポルはそこで休養をして暴走を沈下させるんです。時々、もうポルモーポルたちでは手に負えないほど狂ってしまったポルモーポルもいますけどね」
「そういう時はどうするの?」
「消滅を図ります。残念ですけどね。もうそれしか方法がないんです」
「ふぅん」
局長は私に分かりやすく丁寧に話をしてくれているけれどいまいちピンとこない。
ポルモーポルが暴走したところを見た事がなければ、魔法がどっかーんと爆発を起こすところも見た事がない。『へぇ。ふぅん』くらいの理解しか出来ない私は曖昧に返事をした。
そんな私の理解の浅さを汲み取ったのだろう室長さんは、苛立つ様子もなく私の質問に答えてくれた。
「どうして暴走なんかするの? そもそもそんな危険な奴らをどうして街中にのさばらせておくのよ」
無知は罪だ、と聞いたことがあるけれど私のこれも罪なのだろうか。室長さんは怒っていないけれど館長は確実に怒っている。私の無知さに。何でそんな常識的な事を今更聞くんだって顔。
その顔にムカムカする。
「お前、いい加減にゲイルアルフォンソ様のお手を煩わせるような事はお控えなさい!」
とうとう館長が私にキレだした。モノクルが吹っ飛びそうなくらいに怒鳴って私を威嚇してきた。怖いくないけど。こんなのいつもの事だし。今日は客がいるからそうはしないけど、いつもならこれに手が飛んでくる。だから全然平気だ。
「ダフネリア館長、大丈夫ですよ。こちらがお願いする立場なのですからどんな質問に答えるのは当然の事です。ハルカさんもどうぞ遠慮なく。えぇと、ポルモーポルの暴走についてでしたよね?」
この室長さん、人がいいのか余りこういう事を煩わしいと思うような性質ではないのか。怒れる館長を抑えてかつ私に気にせず質問するように言ってくれる。
こういう人、今までこの世界にいなかったから戸惑う。私は皆からしたら底辺だから持ち上げられることはなかったから。喜んでいいのか斜に構えた態度をとったらいいのか分からなくなる。
「この世界に溢れている魔力、自然魔力とでも言いましょうか、これらは実は我々はそのまま体内に取り込んで魔法として使う事は出来ません。ポルモーポルが変換をしてくれるんです。我々が使えるような魔力にね。だから生活から魔法を切り離すことが出来ない我々はそのポルモーポルの恩恵を受け続けるために切り捨てる事は出来ないんです。ここまではいいですか?」
「うん」
つまりは、自然の中に魔力があるにはあるんだけど毒にも薬にもならない人間には使えないもので、ポルモーポルが人間が使えるように変えてあげる役割をしているという認識でいいのかな。だからつかず離れずの生活をするしかないのだと。……とりあえず『超光合成』と名付けよう。
「次に暴走についてですが、ポルモーポルは非常に好奇心旺盛で人間が大好きなんです。だから街中に降り立って共生したがる。けれども人間の感情の影響を受けやすい。陽の気も陰の気も全て。ポルモーポルがいる周りの人間が負の感情を持てばその影響を受けてポルモーポルの中に狂気が溜まっていく。そして自我を無くし魔力を暴走」
「……あぁ、なるほど。それで」
室長さんの説明でようやく合点がいった。だから『ポルモーポルに悪戯されても決して怒ってはいけない』のね。怒りも負の感情で、ポルモーポルの狂気の引き金になり得るから。
面倒な世界だなってつくづく思う。そんな煩わしい事を我慢してまで魔法に依存して生きるしかないなんて。
でもまぁ、便利でもう生活に根付いてしまったものを今更手放すことが出来ないというのには共感できる。元の世界で電気なしで生きろって言われているようなものだし、そんな生活できないという事も私だって理解しているから。
「ご理解いただけましたか?」
「懇切丁寧にありがとうございます」
「いえいえ」
礼儀を尽くしてもらったならこちらも礼儀を返す私はしっかりと座りながらもお辞儀をして礼を言った。室長さんも笑って返してくれた。この異世界で稀に見る『いい人』の部類に入る人だ。
「それでここからが本題です」
「あっ。はい」
そう言えばそうだった。自分の疑問が解決されたからそれだけで満足してすっかり忘れてしまっていた。
「ポルモーポルの返還は対策室の皆が出来るんですが、消滅出来るのは唯一彼だけなのですよ」
室長さんが『彼』と言って視線を向けたのは、いまだにこちらを睨みつけているグレイさんだった。
グレイさん『石』七つあるもんなぁ。魔力も強いしそういう難しい事もやってのけるほど優秀なんだろう。
「ところがつい先日、あるポルモーポルの消滅を行った際に彼がそのポルモーポルに『呪しゅ』をかけられましてですね」
「『呪』?」
「ええ。呪い、と言った方がいいでしょうか。今わの際の『呪』だったためにそれはもう強烈なものでしてねぇ。何を頼っても何を持ってしてでも解呪されることはなかったんです」
「……その、呪い? って具体的にどういう」
と、遠慮がちに聞きながら、その掛けられた張本人を横目で見る。
心なしか、先ほどまで睨み付けていたはずの顔がむっつりと不貞腐れているようにも見える。自分の失態をばらされて面白くないという事だろうか。
おーおー。お可哀想に。エリート様には挫折はさぞかし辛いだろう。
「ルーヴェン。こちらに来て自分で説明なさい」
心の中でエリート様を馬鹿にしていたら、室長さんが余計な事を言ってくださった。あんな顔をした人を近くに呼びつけるとか。もしかしてこの室長さん空気読めない人?
グレイさんも私と同じ気持ちだったのか嫌そうな顔をしていたけれど、上司の命令には逆らえなかったのだろう。渋々こちらにきて目の前のソファーにどっかり大股開きで座り、肘を膝に腿の上に置いて頬杖をついた。
目線はあっち。私の方を見る気はないらしい。
「ルーヴェン」
室長さんがグレイさんの態度を咎めるように名前を呼ぶと、グレイさんは舌打ちをして視線だけこちらを向けてきた。
「……術式が使えなくなった」
ぽつり、小さい声でそうグレイさんは呟いた。
『術式が使えなくなった』と言っているけれど、……つまりは魔法が使えなくなったって事なんだろうか。
無知な私に申し少し優しい説明が欲しい。
「えっと……」
「つまりはだなぁ、ポルモーポルを消滅させる術が使えなくなったんだ。その術式自体を封じる『呪』をかけられたんだよ」
私の願いが通じたのかグレイさんは丁寧に説明してくれた。意外と優しい。
「あの、魔法自体は?」
「使える。言っただろ? その術が使えなくなったんだって」
「別に魔法自体使えるなら問題ないんじゃ……」
「よかねぇよ。この俺が! その術を使えなくなった事自体大問題だ。ロアードも言ってだろ? 唯一俺が使える術だって」
あ、そう言えばそんな事を言っていたかもしれない。
「他の人は使えないの? 魔力の問題?」
「それもある。が、この術式自体ポルモーポルの長に授かったもので、条約で術者は各国一人のみって決まっている。俺が生きている限り他の奴らには受け継がれない」
ポルモーポルを消滅させるっている物騒な術だからね。そりゃ制約があってしかるべきなのかも。
「それで? それと私の血がどう関係するわけ?」
そして私との繋がり。そこが重要。
改めてそれを聞くと、グレイさんは頭を掻き毟ってひとつ溜息をついた。
「行き詰った俺らは賢智神に頼ったんだよ」
賢智神。その名の通り神様だ。
元の世界の様にいるかどうかも分からない存在じゃない。この異世界ではしっかりと神様は顕現していて、色んな神様がいるらしい。私は見た事はないけれど。
それで賢智神は聖教会にいる知識の神様だ。人々に知識を与えてくれるありがたい存在。けれども無償というわけではなく、対価として魔力を差し出す必要があるという何とも『石なし』には恩恵の欠片も感じられない神様だ。きっと魔力溢れるエリート様にはありがたい存在なんだろうけれども。
「そこで解呪には異世界人の血が必要だと言われた」
「だから異世界人の私の血が欲しい、と」
「そうだ」
大きく頷くグレイさんを見て、私はどうしたものかと考えた。
なるほど。それでわざわざ忌み嫌われている私に頼みごとをしに来た理由が分かったし理解も出来る。今彼らは藁をも掴みたい気分なんだって。
分かる。
けど、納得は出来ない。
「へぇ。あんたが死ぬことが出来ないから私に死ねって?」
「はぁ? んな事いってねぇだろ」
「血が欲しいってどのくらい? 何リットル?」
「……り、リット?」
「あんたがその術式を取り戻すまで私の血を抜くって事でしょ? ねぇ、知ってる? 血を抜き過ぎると人間で死ぬのよ。国の有事だものね。私の命なんて簡単に使い捨てられるようなものなんでしょうよ」
「おい!」
怒りがぶり返す。何度も何度も。さざ波の様に冷静になろうと怒りを鎮めてはまた引き返す。
だんだんと頭が熱くなって痛くなるほどに血が上っているのが分かる。こんなの久しぶりだ。もうこんな感情忘れてしまったと思ったのに、それは簡単な事ではなかったらしい。
憎い。憎い憎い。腹が立つ。
私を『石なし』と蔑みながら、今度はこの世界の平和のために血を差し出せと都合よいことを言う。きっとそのうち命を差し出せとまで言うだろう。何せ私はこの世界では無価値だ。捨てる事など厭わない。
この世界の奴ら、皆みんな同じだ。親切な振りをしても腹の底では思う事は一つ。
この目の前のエリート様だって、室長さんだって同じ! 同じ! 同じ!
「他を当たって」
「他なんているか! 異世界人なんてお前くらいだ!」
「あっそ。だから? 異世界人の私が異世界のために尽くす道理なんかないわよね?」
冷たく突き放すように言うと、グレイさんは言葉を詰まらせた。そしてまた髪の毛を掻き毟りながらそっぽを向く。
室長さんは静かに私たちの応酬をあの眼鏡の奥底にある目を光らせながら眺めている。
目の前の現実にゾッとした。
全てが敵なんだと、再認識した瞬間だったかもしれない。
「この世界の平和なんて知った事じゃないわよ」
嫌われ者の私が本気でこの世界のために血を捧げるなんて思うなんて、どうかしてる。
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