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1 諦めた私

1‑20 熱くて痛くて寒くて眠たい私は

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     🔥



 熱くて、痛くて、寒くて、眠い⋯⋯



「⋯⋯ェル」

 精霊達は、あの高まりから解放され、二度とあの術に捕まりたくないとばかりに散り散りにこの学校内から去り、精霊が少なく通常の世界の営みもようよう回る程度の魔素の少ない場所になってしまった。

 辛うじて、風がそよぐ中に原始的な風霊は見えるし、空に浮かぶ雲の中に湿り気──水霊が居るだろう気配もわかる。

 でも、強い魔術を行使するには力の足りない子達ばかり。

 私の身体は、怒り狂った精霊達の魔風に灼かれ、私の霊気や魔力を舐めて浄化していった精霊達の置き残した、怒りや不快の感情が澱となったものが瘴気の素となって体内に溜まっている。

 周りの魔素が少なくなったことと、私を灼いたのが純粋な精霊達の霊気と魔力を帯びた燄だったこと、私の中に溜まった澱が瘴気となりかけていて、ルヴィラの回復魔法がうまく効いてないようだった。


「⋯⋯テル! エステル!! しっかりしろ! 聴こえているか!?」

 エリオス殿下の、悲鳴のような叫び声。私を呼んでいるのはわかる。聴こえています。と答えたいけれど、指先も動かせない。

 眼だけを動かして顔の前に投げ出された私の右手を見るけれど、見なければ良かったと後悔した。
 まるで、焼き加減をどころか火加減そのものを間違えた串焼き肉や、皮が焦げて捲れている焼き魚(但しその身も消し炭)のようだった。

 ラケルがいつも手入れをしてくれていたサラサラの髪は、腰にかかるほど長かったのに、先の方から半ばまで灼き縮れてポロポロと崩れて落ち、セミロングにまで短くなっていた。

 綺麗な、宝石が降ってくるよう⋯⋯

 上質のアメシストのような、殿下の色も造形も美しい眼から零れる涙が、私の頰を濡らす。

 もう、先ほどまで感じていた痛みは感じなかった。
 回復したからではない。痛覚も傷んで麻痺してしまったほど、酷いのだ。

 殿下は、涙を流しながら私を抱き起こし、必死に回復魔法をかけている。
 風と光の属性を合わせ持った水の守護精霊で、私とは属性も親和性が高くその分魔法効果も高いはずなのに、治る気配がない。

 目の端に、何か気になるものが映った気がして、眼を動かすと、眼球の水分も殆ど蒸発してしまったのか痛みが酷かったけれど、まだ視力は失ってなかった。
 或いは、私の守護精霊達が、視力を補正してくれているのかもしれない。

 私が気になったものは、漂白した紙のように白いほどに顔色を無くし震えて立つ、クレディオス様だった。

「あ、⋯⋯俺は、ただ、アァルトネン一族に加わるから、俺も、精霊魔法を使えるようになりたかっただけなんだ」

 そう。やはり、この強引な魔術を制御出来ずに暴走させたのは、クレディオス様だったのね。
 精霊達を縛り付ける魔術に内包する魔力質からクレディオス様の気配を感じてはいたけれど、精霊術を使いたかったのなら、私や、一族の者に、素直に教えを請えば良かったのに⋯⋯

 妹エミリアの夫になるのだから、そもそもは私の婚約者だったのだから、素地があるか視て、適性があれば、教えたのに。

 ──莫迦ね

 そうこうする内にも、感じていた全身の痛みも寒さも薄れていき、眠気ばかりが大きくなる。

 ああ、皮肉にも、殿下の配下となって生きようと決意したその日に、やっと死の解放が訪れるなんて。

 あんなに何度も死ねないか試して、苦しかったり痛いだけで、すぐに傷も治り、生き続けなくてはならなかったのに、やはり生きたいと思った途端、死ねるなんて。

 やはり、己が身を大事にしない私は、神の怒りを買ってしまったのかもしれない。

「エステル、しっかりしろ。ダメだ、逝くな。わたしに精霊と仲良くなる方法を教えてくれるのだろう? わたしと魔法を究める研究に手を貸してくれるのだろう? 先ほどの決意を固めた眼は、そう言いたかったのだろう?」

 僅かな身動ぎで頷くと、殿下の涙は更に増える。

「だったら! 諦めるな! 生きてくれ。傍にいてくれ。頼む、エステル。逝かないでくれ」

 どうして、殿下は、そんなに私を惜しんでくださるのだろう。

 わからない。

 手の感覚もなく、暑さも寒さも痛みも感じなくなった、もうすぐ何の役にも立たなくなるだろうこの身体を、包む殿下の腕の温もりだけ、感じる。

 たぶん、それも、私を惜しんでくださる殿下を見ての、錯覚だろう。

 眠くて、身体中がツラくて怠くて重くて、もう、楽になりた⋯⋯い⋯⋯

「で、んか、ご⋯⋯」
「エステル。聴こえない。もう一度⋯⋯ああ、どうしてだ? 回復魔法が微塵も効かない。私の魔力は国内外でも最も高くて純度も高いはずなのに、なぜだ? 効かない!! 誰か、誰か、助けてくれ! 神よ、この人を連れていかないでくれ!!」

「ごめ⋯⋯なさ、まほ、おし⋯⋯られな、か」

「エステル!!」

 私は、殿下に看取られて、どんどん呼吸が浅く小さくなり、やがて、二度と目を開けることはなかった──






 


「エステル。訊いているのか?」

 はっ

 え? ここは?

 自宅の、父の書斎で、リビングセットに父と向かい合って座っている。
 手には、瀟洒なガラスペンが握られていた。

「一昨日、既に異議はないとの書面にサインはもらったが、こちらにも早くサインをしろ」

 それは、先日、クレディオス様と婚約関係を解消することに異議はない、後日復縁を迫ったり、エミリアとクレディオス様の間に割り込んだりしないという誓約書に加えて、更に、慰謝料を求めたり、クレディオス様に付き纏ったりしない、アァルトネン一族の一人として、今まで彼に用立てた資金の返却を求めたりもしないというものだった。

 これは、今朝、お父さまが出仕なさる前に書斎に呼ばれて、サインさせられたもの。

 どういうこと? あの事故は?

 灼き尽くされたはずの私の身体は、いつもと変わらない、ラケルの手入れによる艶やかなミルク色の肌と月のように淡く光る白金の髪をしていた──





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