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婚約者様と私
42.瞳の中の私
しおりを挟むテレーゼ様と二曲踊ってしまったからもう一度、私と踊りたいと言って、クリスに手を引かれてホールに出る。
「あの、本当に、久し振りなので、みっともなくて、クリストファー様に恥をかかせますわ」
「アンジュリーネ嬢は、いつも斜め横や下を見て、僕とは目を合わせなかったね? さっき、テレーゼ様と話しながら踊っていた僕らの姿はどうだった?」
「とてもお上手で、動きもポージングも、頭の天辺から指の先までどこもとても綺麗でしたわ」
二曲踊った二人を、誤解されるかもしれないとお兄さまが怒るほど。まるでふたりが恋人同士のようだった。
「パートナーと目を合わせることは、ダンスにおいては大切なんだよ。相手のリードを、バランスをステップを、信用する上でも、まわりからどう見えるのかという意味でも」
「先生には、そう習ったわ」
「だから。アンジュも、踊っている間は、僕の眼を見て。笑ってしまいそうならそのまま笑っていいから。馴れなくて上手く出来てるか手元や足元が気になっても、僕と踊ることに嫌気がさしても、一度踊り出したら、終わるまでは僕の眼を見て。いいね?」
そうは言われても、妙な恥じらいが出て真っ直ぐ見られないし、どうせその方がお嬢さまらしいからと、クリスの顔を見たり目を反らしたり、挙動不審なダンスになってしまう。
ステップを間違えて、というよりは歩幅が足りなくて、クリスの靴を少し蹴ってしまい、転びそうになる。
腰に添えられた手に力が入り、引き寄せられる事で転倒は免れたけれど、お腹や胸が押しつけられるようにぴったりとくっついて、熱を感じるほどの近さに、踊っているだけではない動悸が激しくなって、今、自分がどう踊っているのか解らなくなる。
「アンジュ⋯⋯ 絶対に転ばせたりしないから、歩幅が合わなくてもステップを間違えても、まわりに気づかれないようにカバーするから。もっと肩の力を抜いて、僕を信じて、僕に頼っていいから」
耳に触れそうなほど近くで囁かれて、益々熱が頭に上る。
令嬢としての社交経験はなく、ダンスも、父が亡くなったために中途退学した学校で数回踊ったことがある程度。
母の手配したダンスの教師は中性的な女性で、どちらのパートも踊れるためにどちらの視点からもアドバイスできる方だった。
貴族院寄宿学校でクラスメイトと練習した時も、基本女子同士で練習して、合同練習の時だけ、男子と踊った事はあるもののほんの数回。
向こうもこちらも照れて離れたホールドだったり、幸いにも女子の反応を面白がるイタズラな男子には当たったことはなかった。友人も少なく俯き加減で陰気な印象の私には、イタズラをしたくなるほどの興味は湧かなかったのかもしれない。
だから、男性と身を寄せて躍るのは、昨夜のお父さま、お兄さまが初めてと言ってもいい。それだって、こんなにぴったりとくっついていた訳ではない。なるほど、社交ダンスは風俗的でよろしくないと一部で言われる時代もあった訳だ。
「アンジュ、こちらを見て。信用して」
昨夜の、他人行儀で目も合わせない、形式的な受け答えで硬い声のクリスはどこ行ったの?
こんなに優しい声を出せるの?
お嬢さまは冷えた仲だと言っていたけど、エルマさんもそう言ったけど、それは、お嬢さまが彼を気に入ってなかったからそう思っていただけで、クリス自体は、お嬢さまとの婚約に乗り気だった?
「アンジュ。一度目を閉じて深呼吸して。ここには僕とふたりだけ。誰もいないと想像して?」
そんなの無理。音楽は勿論、人の会話するざわめきも聴こえるし、グラスを傾けたり軽食を取り分けたりするカトラリーの音もする。
「目の前には僕しかいないのだから、まわりは気にせず、そっと目を開けて」
言うとおりにする必要はないのだろうけど、そっと目を開けると、微笑むクリスの萌葱色の眼が、間近にあった。
恥じらったり照れたりするよりも、その綺麗な、久し振りに見る深い瞳に、吸い込まれそうになって、目が離せない。
瞳の中心に、私が映り込んでいて、鏡を見るように、その私と見つめ合った。
それは、長い時間にも感じたけれど、実際にはほんの数秒だったのだろう。
流的にターンが必要な部分にさしかかり、自然に身は離れ、クリスの温かな手にくるりと回らされる。
その後は見つめ合うほどの近さにはならなかったけれど、自然とクリスの顔を見続けることが出来た。
お嬢さまが戻れば二度と会えなくなる人なのだから。今だけ、こうして見つめられるのは今だけだから、しっかりと目に焼き付けておこう。
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