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婚約者様と私Ⅱ
125.闘病の進捗状況
しおりを挟む「お帰りなさい。ほとんどトンボ帰りのような行程だったでしょう? ゆっくり休んで?」
「ありがとうございます。あの、それでですね」
フリッツの顔色はあまりよくなかった。疲れさせてしまったのだわ。
「いや、本物のお嬢さまのお使いはこんなもんじゃないんで。気にしないでください。
結論から言うと、お嬢さまは、お元気です」
本物のお嬢さまのお使いはこんなものじゃない? 従僕見習いの扱いが酷いって事?
「え? お元気なの? じゃあ、もうすぐ戻って来られるのね?」
「いいえ。すぐには無理かと」
「どうして?」
お元気なのなら、早く帰って来て欲しいわ。でないと。でないと、私⋯⋯
「先週まで、高熱で寝込んでらしたそうです。瘡毒が内臓にきて、ものも食べられなかったようですよ。かなりげっそりとされてます」
「まあ、お労しい」
イルゼさんが両手を口元に当てて、つらそうな顔をされる。
婚家から実家に戻されて、行き場がなかったイルゼさんを雇うようお父さまに進言したのはお嬢さまだという。イルゼさんにとっては、恩人なのだろう。
「かなり凶悪な人相になってるので、元のふっくらした柔らかいほっぺと艶のある髪、宝石のような瞳の綺麗なお嬢さまに戻ってからでないと、入れ替われませんよ」
「そんなに瘠せてらっしゃるの?」
「普通の人なら障害や後遺症を遺したり、儚くなったりするほどの高熱が続いて、内臓をヤられて物が食べられなかったんですよ? そりゃあかなりげっそりとされてましたとも。ただ、赤や紫や煉瓦色に変色してたお肌は元の白いお肌に戻ってました。ちょっと血色は良くありませんでしたけど」
痣は消えたのか⋯⋯
バイ菌が死んで、治療の結果消えたのか、潜伏期間に入ったのか。
まだ、治療法が確立していない病なだけに、医師ですら判断は難しいだろう。
お嬢さまが戻って来て、本当に自然に入れ替わり戻ることは可能なのだろうか⋯⋯
もちろん、気軽に引き受けた訳ではない。
身内を贄に半ば脅されるようにして、承諾したに過ぎない。
けど、こんなに長く身代わりをするつもりはなかったし、そもそも、部屋に隠って本を読んでいれば、後は時々存在証明をするだけの約束だったのに。
お嬢さま本人も、私がこんなに家族にくい込んでいるとは思っていないだろう。
今、健康なお嬢さまが戻って来て、私と入れ替わったとしても、齟齬と違和感しかないと思われる。
語学然り、料理然り。本や世界情勢の知識然り。
みんなと過ごした記憶。
家族との記憶がまったくØの私が入り込んでも違和感がなかったくらいだから、誰も気にしないのだろうか?
お兄さまは、最初訝しんだ。けど、お母さまやお父さまは、語学学習で別荘に隠っている間に、成長して大人になったのだと受け容れた。
お兄さまも、いつの間にかアンジュと愛称で親しんで、可愛がってくださるようになった。
お父さまは、お祖母さまの葬儀の時に、これまで向き合おうとせず済まなかったと謝罪されたように、お嬢さまとの時間をあまり持たれずに来たのだろう。
海千山千怨霊魑魅魍魎が跳梁跋扈する伏魔殿に棲まう貴族達には珍しい、素直で優しい方なので、娘が偽者だという発想には至らないのかもしれない。
シュテファン様が私の正体を見抜いたように、本来はああして疑うものだと思っていたのにすんなり受け容れられたので、緊張感が薄れ、いつの間にかお嬢さまの高飛車なフリを忘れて素の私で行動していた。
それでも、誰もお前は誰だと責めなかったので、このふた月は幸せに過ごした。
今月下旬には、クリスの誕生日が来る。
青の森の王都の侯爵邸とハインスベルクとに別れて過ごす予定だったから街で連れ立って歩き、互いの色の宝石を身につけようと見繕った。
なのに、今は一緒にいるし、私のブレスレットはシュテファン様の手にある。
クリスのピアスをみるたび、なぜ、返して欲しいとあの場で強く願い出なかったのか、悔やまれる。
あの時、お兄さまも居たのだ。
「拾ってくださってありがとう」とかなんとか言って、有無を言わさず取り返すべきだったのだわ。お兄さまも居るのだから、大事には至らなかったかもしれない。
クリスの誕生日が過ぎれば、晩夏、収穫祭、本格的な秋と来て、足早に季節は過ぎ、あっという間に雪のちらつく冬が来る。
そうなったら、お嬢さまと入れ替わり戻った後、青の森の国を離れるのに、山越えは女の足では難しくなってしまう。
始めは、父の墓に参って辺境の田舎町で暮らすつもりだったけれど、クリスやハイジと親しくしてしまったし、シュテファン様のお膝元ではいつ見つかるか、落ち着いて暮らせないかもしれない。
オーストリアやルクセンブルク、シュヴィーツ、或いはフランスやスペインに行こうかとも思ったけれど、戦の気配があるので止めた。
だから、帝都を越えてもっと東の海際の小さな街に行こうと思っているのに、冬が来たら来年まで難しくなる。
高熱が続いたと言うけれど、フリッツが会えたのなら快復に向かっているのだわ。
秋には戻られるかもしれない。
持って出てもいいと言われている服やアクセサリー、父の形見の辞書など、いつでも持ち出せるように、纏めておかねば。
ドレスも、ここを出たら着る機会など殆どないに違いない。クリスのクライナーエンゲルの一着くらいは持って行きたいけれど、荷物になるし、本来はお嬢さまのもの。
お母さまに作っていただいたシンプルな普段着(それでも庶民からすれば高級品)を数着に留めておこう。
お嬢さまの帰還が近いならと、パトリツィア殿下の語学訓練に付き合う以外は、図書室で当初の予定通り、ここでしか読めない本を読み進め古エッダの翻訳に没頭した。
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