身代わりの私は退場します

ピコっぴ

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婚約者様と私Ⅱ

126.構って欲しい夫

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 ここに居る間に読破したかった古典文学全集はまだ、半分ほどしか読めていない。

 古エッダの翻訳を進めるにも、古ノルド語は手掛かりが少なく難解でなかなか進まない。

 それでも読み進められたら、達成感と爽快な高揚感が心地よい。

「アンジュ。また、難しそうな本を読んでるな」

 私の背後から肩にのし掛かるようにくっついてきて、クリスが手元の本を覗き込む。

「ええ。読み解けたらとても面白いの」
「これ、何語? 北欧の言葉?」
「ええ。ヴィンランドやスカンディナヴィアで話された言葉なの。その多くはすでに失われて、翻訳するのはとても難しいの。その資料がこんなに豊富にあるなんて、さすがお父さまだわ」
「楽しそうだな」
「ええ。とても」
「そうか。⋯⋯うん、今度から、盗賊団の討伐や害獣駆除、内乱の平定なんかの依頼を受けたとき、領主や貴族の館の書庫を覗かせてもらって、古そうな本をいくつかもらってこようか」
「え?」
「まあ、俺はそっちの目利きはないから、偽物摑まされるかも知れないけど。そっか。報酬を受け取りに行くとき、アンジュも一緒に行って、好きな本を読ませてやってくれ、よければ数冊分けてくれって言えばいいのか」
「そんな、わたくしの個人的な趣味のために、騎士団の依頼を利用するなんて⋯⋯」

 慌てて止めようとするも、クリスは平然としている。

「別にいいんじゃないか? 中には、ご婦人方のアクセサリーを分けてもらうやつも居るぞ? さすがに城が買えるような宝石や本をどうぞとは言わないだろうし、価値観は人それぞれ、先祖は大事にしてても本人は要らないって事もあるだろ? 向こうも現金で払うよりいいって場合もあるんだ、実際」

 盗賊団の討伐を依頼したものの、盗賊達に荒らされた領地は疲弊していて、現金や食料、特産品などで払うことが出来ない領主もいたりするのだ。
 盗賊の脅威から逃れられたのに、今度はハインスベルクに高い借金をしなくてはならなくなる。

 クリスは、そんな領主からは、一部原物支給で代金を支払ってもらうことがあるらしい。

「その領地では誰でも知ってるけど今更食べない木の実や香辛料が、帝都では高額で取引されてたりする事もあるんだ」

 そう言うときは、一度にたくさんは出さずに、小出しに売れとアドバイスしてくるそうで。

「一度に借金を返そうと大量に売りさばいたら、足もと見られたり搾取されたり、新たな賊を呼び寄せたりすることになると脅さないと、本当に一気に売り払って、目をつけられて消滅した村も過去にはあるんだ」

 特定の地域でしか採れない茸や木の実、その地方にしかいない動物の毛皮や剥製、鳥の羽根(飾りに使う)など、村人からしたらあって当たり前のものが、帝都では貴重品に変わる。

 その辺りはラースさんが詳しいらしく、色々と便宜を図ることがあるそうだ。

 優しいんだな。騎士としての仕事を安売りはしないと言っても、依頼主が借金に苦しまないように考えてあげるんだ。

「シュテファンには内緒だよ。父上はある程度知ってると思う。けど、一応黙っていて、現物支給品から調達したお金で補填して、収支決算報告を上げてるんだ」
「ふふふ。わかったわ。第一師団の幹部とわたくしだけが知っている、秘密。お義父さまにも内緒」

 そう言って笑うと、クリスに抱き締められた。

「こないだまで、父上のこと、公爵閣下って言ってたのに、今、お義父さまって⋯⋯」
「いけなかった?」
「いや、その逆。嬉しいよ。アンジュはずっと図書室に隠って俺を構ってくれないし、すぐ恥ずかしがって逃げようとするし」

「そ、れは、だって恥ずかしいもの。それに、正式に輿入れするのは来年でしょう?」
「それだけど、アンジュは、俺と結婚するの、嬉しくないのかなって」
「そんなことないわ。ほんとよ?」

 ──ソウ、ホントダッタラトテモウレシイノニ

「傍にいるのに構ってくれないし、こっちから触れたら恥ずかしがって逃げようとするし、俺ばかりで、アンジュから気持ちを表してくれたこと殆どないし」
「それは無理」
「なんでだよ」

 恥ずかしいし、そんな事、誰にもしたことないわ。今更、どうやって学ぶの?

 頰に熱が集まるのを感じながら俯くと、クリスは、脇の下に手を差し込み、私の身体を持ち上げてから、また、自分の膝に座らせる。
 そして、両手で頰を挟み、逃げ場のない体勢で正面から目を合わせる。

「俺と一緒にいるのは苦痛?」
「いいえ。ちょっと胸が苦しくなるときもあるけれど、一緒にいられて嬉しいわ」
「俺と話すのは苦手?」
「どうして? 今だってこうやって話してるわ」
「俺に触れられて嫌じゃない?」
「ええ。私、クリスにされて嫌だった事なんて⋯⋯」
「なにひとつない。前に聞いた。忘れない。嬉しかったから。その言葉を拠り所に、抱き締めたり口づけたりしてたけれど、あれは、将来嫁ぐ相手に合わせての言葉なんじゃないかって心配になってきたんだ」
「バカね。私は、11年前に約束したはずよ? 大人になったら、ずっと傍にいる、あなたのやりたいことのお手伝いをするって」
「うん」
「そのために、いっぱいお勉強したわ」
「うん」
「語学や世界中の地理や歴史、生活習慣や伝統文化、民族性。それらはみんな、学ぶのはとても楽しかったの。無駄な事なんてひとつもなかったわ」
「そうか。俺より賢そうだな」
「まあ、ふふふ。そうかも? 少なくとも、お兄さまよりはお勉強は得意でしてよ?」

 どこかでお兄さまがくしゃみをしているかも。

 本当に、嫌じゃないんだね? クリスは、二度ほど確認をし、私が酸欠に喘ぐようになるまで、入念に口づけを繰り返した。




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