127 / 143
婚約者様と私Ⅱ
126.構って欲しい夫
しおりを挟むここに居る間に読破したかった古典文学全集はまだ、半分ほどしか読めていない。
古エッダの翻訳を進めるにも、古ノルド語は手掛かりが少なく難解でなかなか進まない。
それでも読み進められたら、達成感と爽快な高揚感が心地よい。
「アンジュ。また、難しそうな本を読んでるな」
私の背後から肩にのし掛かるようにくっついてきて、クリスが手元の本を覗き込む。
「ええ。読み解けたらとても面白いの」
「これ、何語? 北欧の言葉?」
「ええ。ヴィンランドやスカンディナヴィアで話された言葉なの。その多くはすでに失われて、翻訳するのはとても難しいの。その資料がこんなに豊富にあるなんて、さすがお父さまだわ」
「楽しそうだな」
「ええ。とても」
「そうか。⋯⋯うん、今度から、盗賊団の討伐や害獣駆除、内乱の平定なんかの依頼を受けたとき、領主や貴族の館の書庫を覗かせてもらって、古そうな本をいくつかもらってこようか」
「え?」
「まあ、俺はそっちの目利きはないから、偽物摑まされるかも知れないけど。そっか。報酬を受け取りに行くとき、アンジュも一緒に行って、好きな本を読ませてやってくれ、よければ数冊分けてくれって言えばいいのか」
「そんな、わたくしの個人的な趣味のために、騎士団の依頼を利用するなんて⋯⋯」
慌てて止めようとするも、クリスは平然としている。
「別にいいんじゃないか? 中には、ご婦人方のアクセサリーを分けてもらうやつも居るぞ? さすがに城が買えるような宝石や本をどうぞとは言わないだろうし、価値観は人それぞれ、先祖は大事にしてても本人は要らないって事もあるだろ? 向こうも現金で払うよりいいって場合もあるんだ、実際」
盗賊団の討伐を依頼したものの、盗賊達に荒らされた領地は疲弊していて、現金や食料、特産品などで払うことが出来ない領主もいたりするのだ。
盗賊の脅威から逃れられたのに、今度はハインスベルクに高い借金をしなくてはならなくなる。
クリスは、そんな領主からは、一部原物支給で代金を支払ってもらうことがあるらしい。
「その領地では誰でも知ってるけど今更食べない木の実や香辛料が、帝都では高額で取引されてたりする事もあるんだ」
そう言うときは、一度にたくさんは出さずに、小出しに売れとアドバイスしてくるそうで。
「一度に借金を返そうと大量に売りさばいたら、足もと見られたり搾取されたり、新たな賊を呼び寄せたりすることになると脅さないと、本当に一気に売り払って、目をつけられて消滅した村も過去にはあるんだ」
特定の地域でしか採れない茸や木の実、その地方にしかいない動物の毛皮や剥製、鳥の羽根(飾りに使う)など、村人からしたらあって当たり前のものが、帝都では貴重品に変わる。
その辺りはラースさんが詳しいらしく、色々と便宜を図ることがあるそうだ。
優しいんだな。騎士としての仕事を安売りはしないと言っても、依頼主が借金に苦しまないように考えてあげるんだ。
「シュテファンには内緒だよ。父上はある程度知ってると思う。けど、一応黙っていて、現物支給品から調達したお金で補填して、収支決算報告を上げてるんだ」
「ふふふ。わかったわ。第一師団の幹部とわたくしだけが知っている、秘密。お義父さまにも内緒」
そう言って笑うと、クリスに抱き締められた。
「こないだまで、父上のこと、公爵閣下って言ってたのに、今、お義父さまって⋯⋯」
「いけなかった?」
「いや、その逆。嬉しいよ。アンジュはずっと図書室に隠って俺を構ってくれないし、すぐ恥ずかしがって逃げようとするし」
「そ、れは、だって恥ずかしいもの。それに、正式に輿入れするのは来年でしょう?」
「それだけど、アンジュは、俺と結婚するの、嬉しくないのかなって」
「そんなことないわ。ほんとよ?」
──ソウ、ホントダッタラトテモウレシイノニ
「傍にいるのに構ってくれないし、こっちから触れたら恥ずかしがって逃げようとするし、俺ばかりで、アンジュから気持ちを表してくれたこと殆どないし」
「それは無理」
「なんでだよ」
恥ずかしいし、そんな事、誰にもしたことないわ。今更、どうやって学ぶの?
頰に熱が集まるのを感じながら俯くと、クリスは、脇の下に手を差し込み、私の身体を持ち上げてから、また、自分の膝に座らせる。
そして、両手で頰を挟み、逃げ場のない体勢で正面から目を合わせる。
「俺と一緒にいるのは苦痛?」
「いいえ。ちょっと胸が苦しくなるときもあるけれど、一緒にいられて嬉しいわ」
「俺と話すのは苦手?」
「どうして? 今だってこうやって話してるわ」
「俺に触れられて嫌じゃない?」
「ええ。私、クリスにされて嫌だった事なんて⋯⋯」
「なにひとつない。前に聞いた。忘れない。嬉しかったから。その言葉を拠り所に、抱き締めたり口づけたりしてたけれど、あれは、将来嫁ぐ相手に合わせての言葉なんじゃないかって心配になってきたんだ」
「バカね。私は、11年前に約束したはずよ? 大人になったら、ずっと傍にいる、あなたのやりたいことのお手伝いをするって」
「うん」
「そのために、いっぱいお勉強したわ」
「うん」
「語学や世界中の地理や歴史、生活習慣や伝統文化、民族性。それらはみんな、学ぶのはとても楽しかったの。無駄な事なんてひとつもなかったわ」
「そうか。俺より賢そうだな」
「まあ、ふふふ。そうかも? 少なくとも、お兄さまよりはお勉強は得意でしてよ?」
どこかでお兄さまがくしゃみをしているかも。
本当に、嫌じゃないんだね? クリスは、二度ほど確認をし、私が酸欠に喘ぐようになるまで、入念に口づけを繰り返した。
20
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
王命って何ですか? 虐げられ才女は理不尽な我慢をやめることにした
まるまる⭐️
恋愛
【第18回恋愛小説大賞において優秀賞を頂戴致しました。応援頂いた読者の皆様に心よりの感謝を申し上げます。本当にありがとうございました】
その日、貴族裁判所前には多くの貴族達が傍聴券を求め、所狭しと行列を作っていた。
貴族達にとって注目すべき裁判が開かれるからだ。
現国王の妹王女の嫁ぎ先である建国以来の名門侯爵家が、新興貴族である伯爵家から訴えを起こされたこの裁判。
人々の関心を集めないはずがない。
裁判の冒頭、証言台に立った伯爵家長女は涙ながらに訴えた。
「私には婚約者がいました…。
彼を愛していました。でも、私とその方の婚約は破棄され、私は意に沿わぬ男性の元へと嫁ぎ、侯爵夫人となったのです。
そう…。誰も覆す事の出来ない王命と言う理不尽な制度によって…。
ですが、理不尽な制度には理不尽な扱いが待っていました…」
裁判開始早々、王命を理不尽だと公衆の面前で公言した彼女。裁判での証言でなければ不敬罪に問われても可笑しくはない発言だ。
だが、彼女はそんな事は全て承知の上であえてこの言葉を発した。
彼女はこれより少し前、嫁ぎ先の侯爵家から彼女の有責で離縁されている。原因は彼女の不貞行為だ。彼女はそれを否定し、この裁判に於いて自身の無実を証明しようとしているのだ。
次々に積み重ねられていく証言に次第に追い込まれていく侯爵家。明らかになっていく真実を傍聴席の貴族達は息を飲んで見守る。
裁判の最後、彼女は傍聴席に向かって訴えかけた。
「王命って何ですか?」と。
✳︎不定期更新、設定ゆるゆるです。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
さようならの定型文~身勝手なあなたへ
宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
1度だけだ。これ以上、閨をともにするつもりは無いと旦那さまに告げられました。
尾道小町
恋愛
登場人物紹介
ヴィヴィアン・ジュード伯爵令嬢
17歳、長女で爵位はシェーンより低が、ジュード伯爵家には莫大な資産があった。
ドン・ジュード伯爵令息15歳姉であるヴィヴィアンが大好きだ。
シェーン・ロングベルク公爵 25歳
結婚しろと回りは五月蝿いので大富豪、伯爵令嬢と結婚した。
ユリシリーズ・グレープ補佐官23歳
優秀でシェーンに、こき使われている。
コクロイ・ルビーブル伯爵令息18歳
ヴィヴィアンの幼馴染み。
アンジェイ・ドルバン伯爵令息18歳
シェーンの元婚約者。
ルーク・ダルシュール侯爵25歳
嫁の父親が行方不明でシェーン公爵に相談する。
ミランダ・ダルシュール侯爵夫人20歳、父親が行方不明。
ダン・ドリンク侯爵37歳行方不明。
この国のデビット王太子殿下23歳、婚約者ジュリアン・スチール公爵令嬢が居るのにヴィヴィアンの従妹に興味があるようだ。
ジュリエット・スチール公爵令嬢18歳
ロミオ王太子殿下の婚約者。
ヴィヴィアンの従兄弟ヨシアン・スプラット伯爵令息19歳
私と旦那様は婚約前1度お会いしただけで、結婚式は私と旦那様と出席者は無しで式は10分程で終わり今は2人の寝室?のベッドに座っております、旦那様が仰いました。
一度だけだ其れ以上閨を共にするつもりは無いと旦那様に宣言されました。
正直まだ愛情とか、ありませんが旦那様である、この方の言い分は最低ですよね?
幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~
二階堂吉乃
恋愛
同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。
1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。
一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる