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優しい大きな人達に、子供扱いされる私は中年女
公爵邸 二日目の午後──私の記憶力とは?
しおりを挟むこの、いたたまれない空気をどうしたらいいのだろう。
昨日、あんなに何度も繰り返し発音して、絵本の文字を指でなぞって勉強したのに、殆どと言うよりもまったく覚えてない事態。
さっきは冗談で言ったけど、もしかして本当に呪われてるんだったりして?
単語一つも覚えてない事なんてあるだろうか?
「にゃ、にゃはは~。ごめんなさい、ヴァニラ、お馬鹿さんだから」
取り敢えず、笑って、誤魔化しきれないので謝っておく。
るーてーしょあさんは天使でした。
にっこり微笑んで、花を指さし、
「ウォルアー」
昨日の復習に付き合ってくださいます。どちらかと言うと、始めからやり直しですけどね。
「うぉろわー」
「ウォルアー」
「うぉるあー」
メイドさんがすうっと音もなく近寄ってきて、蜂蜜たっぷりの紅茶を、華奢なデザインのティーカップに用意してくれる。
「ミゥボーウィ」大小二匹のこの絵は猫だと思う。
「ミゥウォーヴィ」
「ミルウォーキー」チョコスティックか? おい。
「ミゥウォーヴィ」
「ミュウオービィ」
なかなか発音難しいな……
だいたい日本人はハッキリした滑舌のよい言葉を嗜むのです。欧米人のように、舌を巻いたり打ちつけたりして発音しないのです。
「フィールル」
るーてーしょあさんは葉っぱを差してます。
フはあまり聴こえない、ウィに近いィでフィ、最後のルは、舌を高速に打ちつけながら、濁点がついてそうなル。とか、正確に発音するの無理ッス。英語だってカタカナなのに~。
単語は時々フランス語みたいに聞こえるけど、お家の人で話してるのは、ドイツ語とかイタリア語に近い感じもする。よう解らんけど。
まぁ、そもそも行き来できる世界じゃないのに、言葉が同じなわけもないか……
るーてーしあさんは根気強く、覚え悪く正しく発音できない私に付き合ってくれる。
本当に、いい人やなぁ。私やったら、いい加減、イライラする案件だよ。
───── ◆ ◆ ◆ ───────
図書室の一カ所だけある窓から差す陽が高くなって、 お昼ご飯の時間が近づいてきたのが判る。
はたして、メイドさんが呼びに来た。
続いて、お母様も入ってくる。
お母様の手には、山小屋で借りてきたタオルが折り畳まれ、その上に、私の私物、スマホとソフトクッキーの入ったビニール袋と、猫の顔を模した百均の小銭入れ。3本のバニラエッセンスが並べられていた。
「私のスマホとバニラエッセンス!!」
パタパタと、子供のような足取りで駆け寄る。
埃をたてないようにと、借りてる靴が少し大きいためだ。
私の足は、外反母趾が酷く、特に左足は30度を越えている。23.5㎝以上で幅の広い子供靴か運動靴くらいしか窮屈で履けないのだが、ここの人達はみな巨人なので、安定感ある幅広の子供靴でもやや大きい。カパカパするので、引き摺るようにパタパタと歩くしかないのだ。
「ありがとうございます!」
返して貰えると思わなかった。どう考えても不審人物の珍獣の持ち物など、調べに調べて、最悪壊されてると思った。
まあ、帰ってきた所で、電話出来る訳でも、メール打てる訳でも、ウェブ小説読める訳でも無いけどね。
「ミゥオーヴィ!」
猫の顔小銭入れを見せて得意げに読み上げる。
「オゥ、ミゥウォーヴィ! ※○*◆※ミゥウォーヴィ」
るーてーしあさんにウケた。
たぶん、まぁ、本当に猫ちゃんなのね、とか言ってるんだと思う。
頭の上のチャックを開けて、中から小銭を出す。
「お財布なの、これ」
お母様もるーてーしあさんも、後ろに控えるメイドさん達も皆、興味津々だ。
るーてーしあさんは、百円玉と十円玉を、華奢な白い指で摘まみ、見比べる。
感心したように息を吐き、返してくれる。
そのタイミングで、女中頭のおばさまが、私達の移動を促す。
あ、お昼ご飯だったの忘れてた。
───── ◆ ◆ ◆ ───────
お昼ご飯は、チーズとろとろリゾット風と、チップサラダのベリー和え。
やはり私の好物と認識されたらしく、毎食ベリーが何種類か、サラダかデザート、或いはその両方に使われている。
こんなに贅沢出来て、子供扱いやお貴族様仕様の身支度と公爵様に抱き上げられたりする羞恥心を我慢すればいいだけなので、それが難しいのだけど、概ね、平和で幸せだと思う。
言葉が通じなくて本が読めなくて、アニメやテレビ、音楽CDが無いのが辛いけど、そこ除けば、むしろ、こちらの生活の方が、生きてる感はある。
三食きちんと食べて、午前中はお勉強して、午後からはるーてーしあさんとお手々繋いでお庭散策したり、お母様とお茶会したり。
昨日は絵本見るだけだったけど、今日は、かぎ針に近い金属棒で、レース編みを習った。
中学校の家庭科の時間以来だよ。レース編みなんて。力加減が難しく、かなり楕円形で歪になったけど、コップ乗せられるサイズには出来た。
夜、また、メイド達にお風呂に入れられて、ほこほこになって、蜂蜜たっぷりのホットミルクを飲んでる最中に、公爵様が帰ってきた。
ほぼ、昨日と同じ時刻かな。
「ヴァニラ」
いや、もう、おでこちゅーな挨拶はいいってば。欧米か。
そうだ。ここでお世話になってるんだから、言葉は通じなくても、お礼と報告はしないとね。
頰が熱くなるのを感じながらも、ルーシェさんを見上げ、ベッドサイドのランプが置かれた棚の上から、今日作ったレース編みコースターを見せる。
「今日も1日、美味しいものと、着るもの、素敵な薔薇泡風呂と暖かいベッドとお部屋、ありがとうございます。
これね、今日、るーてーしあさんに習って作ったの。素材はるーてーしあさんのものだけど……お世話になってるお礼です」
ルーシェさんはちょっと鳩が豆鉄砲喰らったみたいな表情の後、嬉しそうにして受け取る。
「ヴァニラ、スィーリンクゥィルラヴァス」
ゆっくりとギュッと、大袈裟に抱き締められて、また、頰にちゅーくれる。もういいってば。
その後、ルーシェさんは夕飯食べに退出され、その間に、るーてーしあさんに歯磨きをして貰い、今夜はルーシェさんに見守られながら、るーてーしあさんに手を握られて、眠りについた。
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