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一章 第四話
5.成果
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のたうち、跳ね上がり、己の興奮を抑えられないかのように、怪物は頭を激しく揺らす。
四足で立つ巨塊。全体はイノシシの様でありながら、明らかに異常であることが解る怪物であった。逆立てた鈍色の剛毛は針の束のように鋭く、口からは太い杭のような牙が禍々しく折れ曲がりながら伸び、ボタボタと涎を垂らしながら低い唸りを上げている。
妖しく光る赤色の眼はどこか虚ろでありながら、生者への憎しみを以て我々を捉えていた。
「なんだ……あれ」
思わず口が開いた。明らかな危険を伴う未知との遭遇に、本能が強制的に思考を明瞭にする。
「魔獣化してる……」
研ぎ澄まされた聴覚がオトヤの呟きをつぶさに拾った。
怪物に注意しながら周りを見ると、オトヤがビオちゃんを、アルがエミーちゃんを庇うように、それぞれ怪我もなくペアになって構えていた。それを見て少し安心し、オトヤに質問を続ける。
「魔獣?」
「大量の魔力を取り込んで、化物になっちまったんだよ」
「どうする!?」
「どうするも、逃げるしかないだろ! あんなの兵隊が束になって相手するヤツだ!」
「わかった!」
敵、仲間含め周囲の状況を見渡す。
置かれている鉈、仕込み刀の場所。それぞれのペアと逃げ道の位置。自分達の能力、そして魔獣の動向。
思考をフル回転させて乱暴に答えを出す。
幸い、魔獣は未だ錯乱している様で、周りの木や地面に牙を打ち付けていた。
「オトヤは刀、アルは鉈を。合図したら同時に別方向へ走れ!」
魔獣の気を引かないよう、声を潜めて指示を出す。
二人は俺の指示に少し驚いたようであったが、それぞれ近くに置かれていた武器を確保し、全員がいつでも走れるように構えた。
(サクラさん! 合図したら振り向いて右へ走って)
(わかりました)
すぐ後ろに居るサクラさんに後ろ手に杖を渡し、自分は心の準備をする。
今、判断とタイミングを間違えてはいけない。間違えたら最後、絶対に良い結果にはならない。
魔獣は体勢を立て直すと、凶悪な瞳で次の目標を自分たちに定め、後ろ足で地面を掻き始めた。
(……今だ!!)
自分が考えた作戦を実行に移す。大きく息を吸い、その空気を音に変え、吠えた。
「あああああああああああああっ!!」
それを聞いた皆はそれぞれ一目散に逃走を開始した。
サクラさんも自分の言いつけ通り、振り向いて右に走り出す。
同時に俺はサクラさんとは逆の方向に飛び出した。
「――っ!? イナトさん!?」
魔獣が猛スピードで自分目掛けて飛んでくる。
しかし、ここまでは想定通りであったため、ギリギリのところで飛び込んで避けることができた。そのまま転がりながら魔獣と距離をとり、アルに向かって叫ぶ。
「アル! サクラさん頼む!!」
「イナトさん!!」
それを聞いたアルは瞬時躊躇ったようであったが、引き換えそうとするサクラさんの腕を掴んで連れ去った。
サクラさんの声が遠くなっていくのを確認した後、改めて魔獣の注意を引くために吠える。
自分が囮になり、仲間を逃がし救援を待つ。これが咄嗟に考えた現状最善の策であった――。
優先したのは被害を最小限に抑えること。
この魔獣がそうであるかは判らないが、獣は嗅覚が鋭い。全員で同時に逃げた場合、バラバラに逃げたとしても、だれかが匂いを辿って追われる可能性がある。そこで足留めの時間を稼ぐ囮役が必要だと考え、同時に救援を呼ぶ時間が必要になることも考慮に加え囮役を決めた。
まず体力面を考慮し女性陣3人は除外。残る男3人の中では体力面で勝るオトヤ、アルはそれぞれ土地勘があり、より速く村へ着き、無事に女性陣を連れ帰る事が出来ると予想。
対して、自分は微力ながら強化魔法を使えるため、より長く相対することができると思った。その上で武器を預けたのは、武器を使ったところで対抗できるとは思わず、余計な選択肢を増やして心身共にかえって邪魔になるからだ。
以上から自分が囮になり、先に皆を逃がす事が最良であると判断した。
と、ここまで理屈を整理してを理由つけたが、全てはこじつけである。
ただ、自分の為に他人に危難を押し付けることが出来なかったのだ。
他者を犠牲にして自分だけが生き残る、その可能性に耐えられなかったのだ。
――俺はいつも大事な場面で判断を間違える。
生きて元の世界に戻ると誓ったのに、その為の覚悟を出来ていなかったが為に、今まさに決定的な死を迎えようとしていた。
お互い体勢を立て直したところで、魔獣が再び突進してくる。
眼を合わせる事で、ある程度は突進のタイミングを掴むことは出来るが、生きた樹木を根本から薙ぎ倒す膂力と頑丈さ、加えて大振りに生えた牙の威力を考えると、掠めただけでも必死は免れないだろう。
間一髪の回避、走って距離を開け、視線を合わせ構える。
極度に緊迫した状況の上、この回避行動が毎回全力であるため、数度辛うじて躱したところで、体力にも限界が見えていた。
(ヤバイ……。足が……キツい!)
そう脳裏によぎったところで、その隙を見逃さず魔獣が突撃を仕掛けてくる。
その一瞬の反応の遅れが致命的であった。
動かない身体。迫り来る牙。
実際とは裏腹に、眼前の光景がゆっくりと流れる。
メトロンさんの部屋で感じた、あの感覚。死の気配がすぐ其処に迫っていた――。
――まだ生きてる。まだ、生きている。
『跳べっ!!』
思考を飛び越え、殆ど反射であった。
魔獣の牙が眼前に迫り来る中、本能が生に対する執着が魔力を練り上げ、両脚に爆発的な力を宿らせ、文字通り脱兎の如く前方に跳躍した。
一蹴りで数メートル、地面と平行に宙を駆ける。自分でその勢いに驚き咄嗟に踵を突き出しブレーキをかけ、地面を薄く削りながら滑り、止まった。
魔獣の牙は空振り、頭蓋が先程と同様にその真後ろにあった樹木を薙ぎ倒す。
(……できた!!)
正に火事場の馬鹿力。死に迫った際の極限の集中力が成した奇跡であった。
魔獣は空振りした勢いで不意に樹木にぶつかったことにより、少しダメージがあるようで、眼をチカチカさせながら頭を振っている。
「ギュオオオオォォォ!!」
魔獣は雄叫びを上げさらに興奮し、再びこちらに突進すべく振り向き脚で地面を掻く。
対してこちらも、唯一の命綱であるさっきの成功を再現するべく、昂る気持ちを抑え、魔獣の行動に注意する。
興奮した魔獣が今度はペースを早めて突進してきた。それを見て、また最前と同じように足に意識を集中して踏み込む。左足で地面を蹴り、大股で横へ跳ぶ。
なんとか再現できている。少しは時間も稼げた筈だ。この感覚と体力がもつ内に自分も離脱しよう。仮にもう一度強化魔法で魔獣を躱す事が出来たとして、その後の逃げ切る算段は全く無いのだが、このままの状態を続けていても直に嬲り殺されるのは目に見えている。
そう判断すると、皆が逃げた方を確認してその反対に向き、生えていた樹を背に魔獣と向き合う。幸い魔獣との位置はほぼ正反対であったため、回避の為の距離も十分に確保できた。
「ゴオッ……、ゴォッ……、グルル……」
魔獣はゆっくりと振り向き、息を荒らげ、少し苦しんでいる様でもあった。相手も弱ってきているなら、逃げるには千載一遇の好機である。
次に魔獣が仕掛けてきたときがタイミングと決め、魔獣の様子を窺いながら、いつでも強化魔法を使えるよう逃げる事に意識を集中する。
低く唸りを上げていた魔獣が一度大きく吠えると、巨大な牙をぶんと振り上げ勢いをつけて突貫してきた。
スピードは先程にも増し、油断はなかったものの紙一重での反応となった。
強化魔法を使い踏み込み、突き出される牙を掻い潜るように脇を抜ける。続けて右足で地面を蹴り返し、くの字に跳んで魔獣の真後ろに入る。そして、そのまま全力で前進し森の茂みの中に入り逃走を始めた。
茂みを飛び越えた所で、樹が倒れる音が聞こえ、魔獣の雄叫びが聞こえた。
もしかしたら魔獣は既に自分を見失っていて追って来ないかもしれない。そういう可能性も希望としてはあったが、止まる事は出来なかった。案の定、自分の後方で木々が倒される音がみるみる近づいてきている。ちらと後ろを見ると、魔獣が木々を薙ぎ倒しながら猛追してきていた。
魔獣と人の体力勝負、命を賭けた鬼ごっこ。
自分も全力疾走に加え、倒木などを踏破するときに強化魔法を使い加速する。常人では考えられないスピードで移動していたが、それでも魔獣の方が速く、じわじわと距離を詰められていた。
魔獣の障害物となるように、出来るだけ魔獣との直線上で木に隠れるように走っているが、魔獣はその悉くを力で制覇し、追撃の勢いが弱まることはない。
この森自体、そこまで大きな森ではない。真っ直ぐ走れば、すぐに森を抜けることができる。
そう思って走る内に、前方の景色が明るくなり森の外の景色が見えてきた、状況が変われば、何か好転するかもしれない。意を決して、森の外に飛び出した。
飛び出した先は、一面の草原だった。
見晴らしの良い草原が広がり、その向こうに土手道がはしり、大きな川が流れている。
そりゃそうだよ!
初めてのこの世界に来たときに地図で見たじゃないか。
この周辺には、畑と小さな森しかない!
気づいたときにはもう遅く、とにかく森から離れるしかできなかった。
走って走って、少し背の高い草群があったので、そこに伏せて身を隠し、森の様子を見てみる。
環境の境界を越えることで、諦めてくれれば……。そんな希望も虚しく、自分が出てきた辺りの木々が根元から吹き飛び、柔らかな地面を抉りながら転がっていく。そして広げられた森の出口から魔獣が変わらぬ姿を見せた。
吹き飛んだ木はたまたま自分の方には飛んで来なかったが、魔獣の眼は完全にこちらの位置を捕らえているようで、遠目から一切ぶれることなく、こちらを向いていた。
すかさず、起き上がり再び魔獣に背を向けて走り始める。両足、体力、集中力、全てが限界であった。
土を撒き上げ、草原を荒し、森から凄まじいスピードで魔獣が迫ってくる。
すぐに背後から大きな影に覆われ、自分を呑み込もうとして振り向いたその時であった。
「プギャアアアアアアアアアァァァァァァァ!!!!」
魔獣が悲鳴を上げ、動きを止めた。
その場でのたうち回り、苦痛に悶えている。
少し距離を開け、魔獣を注視してみると、魔獣の右目に矢が刺さっていた。
その様子を見て、一瞬安心してしまった。
野生はそれを見逃さない。
苦痛に苛まれながらも、魔獣は一瞬にして距離を詰め、自分はその迫力に圧され仰け反り後ろに倒れてしまった。
魔獣が自分を押し潰そうと、巨大な牙を振り上げた瞬間――、
――翠色の閃光が魔獣の頭蓋を射抜いた。
二本目の矢が魔獣の側頭に深々と刺さり、魔獣は短い断末魔と共に倒れた。
何か起きたのか瞬時には理解できなかったが、どうやら生き延びることは出来たようだ。
呆然としていると、どこからかウマの足音が聞こえてきた。
音のする方を見ると、手に弓を持った一人の騎士がウマに乗って近づいてきていたのである。
「大丈夫ですか!?」
騎士はウマを降り、声を掛け手を差し伸べてきた。
「……え、ええ。ありがとうございます」
「良かった。ほとんど怪我もないみたいですね」
弓を持っている。多分この人が矢を放ったのだろう。とにかく助かった。そう思うと、急に腰がぬけた。
「おおっと!? 大丈夫……な訳ないですよね。しっかし、大物だな」
へらへらと笑ながら騎士は、尻餅をついて倒れた僕の体を起こして、斃れた魔獣を見る。魔獣の死骸はみるみる内に、禍々しい色の湯気を出しながら腐り落ちていく。
「オーガディ!」
また、どこからか声が聞こえもう一人、強面の騎士がウマに乗って近づいてきた。よくよく見ると、向こうの土手の方に兵士達の部隊が列を作って待機している。
するとオーガディと呼ばれた騎士が強面の騎士に応えた。
「ギスタさん。死骸の処理をお願いしてもいいですか? 俺は彼を送っていくんで」
「またお前は、下っ端みたいな事を……」
「いや、俺が急いで帰っても書類にサインするくらいしか出来ることないし。報告書は俺の部屋に置いといてください」
「ハァ……。分かった。あんたも災難だったな、無事で何よりだ」
強面の騎士は自分の肩をポンと叩くと、またウマに乗り部隊の方へ戻っていった。
「それじゃあ、俺たちも行きますか。立てますか? えーっと、お名前は?」
「イナトです。イナト・ナオル」
「イナトさんですね、俺はケイウス・オーガディです。よろしく」
オーガディが再び手を握り引き上げてくれ、なんとか立ち上がった。
「イナトさんはどこから来たんですか?」
「ヨアン村で居候をしています。仕事で仲間と森にいたら、アレに教われて」
「お仲間は大丈夫だったんですか?」
「多分。僕が残って先に逃げたんで」
「良かったら、もう一度森に入って、来た道を辿ってみませんか? もしかしたら、心配で戻ってきてるかも知れないし。もちろん俺が護衛しますから!」
「そうですね。わかりました」
まだあまり足腰に力が入らないので、自分をウマに乗せオーガディが歩いて手綱を引く。
出てきたところから再び森に入り、一目散に走ってきた道を行く。
森を抜ける道や仕事場からは離れており、本来なら鬱蒼とした原生林であったのだろうが、薙ぎ倒された木々と踏み荒らされた地面が一筋の道となっていて、その形跡のどれもが真新しいため、あの魔獣の威力を痛々しい程に示していた。
「スゴいな……。道が出来ちゃってますよ」
オーガディが感心したように呟く。それを聞いて自分も改めてあの魔獣の威力を正しく認識した。
「なんだか、落ち着いてくるとゾッとしますね……」
へし折られた木々や枝が踏み散らされている光景をみて、あらためて生存できた事を噛み締めている。
運が悪ければ、強化魔法を使うことが出来なければ、あの無惨に折られた枝のようになっていたかと思うと、つくづく自分の選択を呪いたくなる。
「オーガディさん。あの、さっきの魔獣ってなんなんですか?」
「魔獣は動物が大量の魔力を取り込んで、肉体そのものが変質して凶暴化しちゃったやつなんですよ。この辺は古代の遺跡が良く出てくるから、何か魔力の溜まった遺物でも飲んじゃったんでしょうね」
「魔法ってそんなに危ないんですか?」
「いや、普通は魔石を飲み込んだりしない限りは、魔獣化することはないですよ」
「そうですか……」
「でも、スゴいですね! 自分で囮になるなんて」
「いえ、何の算段も無かったんですけど……」
「なら、自分もちゃんと生き残れたんですから一番良いじゃないですか!」
こちらに親指を立てて笑顔を向けるオーガディさんに、何も言葉を返すことが出来なかった。
それは全て結果論だ。魔獣の前に一人で残ったときは、自分の魔法もアテにならなかったし、選択を誤ったと心の底から後悔していた。
仲間を守ろうとする優しさで行った事ではない。自分の為に他人を犠牲にする勇気があった訳でもない。ただ何となく、その時自分に言い訳が出来る選択肢を選んだだけだ。格好つけて修行なんてしたところで、山で騎士を見棄てたあの時から、自分は何も変わってない。それをこう言われては、まるで自分が勇気に溢れ自己犠牲を厭わない勇者だと称えられているようで、どうにもいたたまれなかった。
勝手な居心地の悪さを感じたままオーガディと共に森を抜け、村に向けて少し進んだ所で、村長やおやっさんの他に農具で武装した村の人を何人も連れたサクラさん達がこちらに向かって歩いてきているのが遠目に見えた。
ウマの上から手を振ってみると、向こうもこちらに気づいたようで、早足で近付いてきた。自分もウマを降り、皆に向かって歩いていく。すると、向こうからサクラさんを先頭に他の仲間達も駆け寄ってきた。
「イナトさん!!」
泣きそうな顔をしたサクラさんが自分の手を取り、祈るように両手で握り締め、絞り出すような声で言った。
「本当に、無事で良かった……!」
「心配かけました」
そのまま泣いてしまったサクラさんの頭を、余った方の手でポンポンと撫でた。すぐ側に村長もいたが今ぐらい許してくれるだろう。多分。
「皆も、心配お掛けしました!」
自分一人の為にこれだけの人が心配して動いてくれた、その事が何より嬉しかった。心からの素直な気持ちを伝えると、皆も安心した様であった。
側で見ていたオーガディさんが村長に話しかける。
「アクシアさん。お久しぶりです」
「おお、ケイウス殿。此度はウチのを助けてもろうて、世話になり申した」
「いえいえ、僕も偶然通りかかったんで、間に合って良かったです」
「良かったらウチに寄って行かれまいか。改めてお礼がしたいのでな」
「ありがたいですけど、まだ王都に戻って仕事がありますから」
「そうか。では都に戻られたら、陛下によろしく伝えて下され」
「わかりました! それじゃあ!」
「オーガディさん! 本当にありがとうございました!」
挨拶も程々に、ウマに跨がり去ろうとするオーガディに向けて感謝を伝える。先程森で見せたのと同じく親指を立てて見せ、オーガディは去った。
オーガディを見送り、駆けつけてくれた人達と共に、自分も村へ帰って行った。
ヨアン村、夜、村長宅――。
「あっはっはっはっ! まこと愉快じゃ! 愉快なら飲め!」
今日の出来事を肴に、いつにも増して村長が酒を勧めてくる。正直当事者としては、笑い話にもならない。
「愉快なもんですか。死ぬとこだったんですから」
「何を言う! 弟子が初陣から生きて帰って来た。しかも何の犠牲も無く! これが愉快で無うてなんと言う!」
またそれを言うか。先刻のオーガディさんに続き村長までも、今回の結果を過大評価して頂けている。
「初陣だなんて、そんな立派なもんじゃないですよ。修行をつけてもらったのに、戦えてもないんですから」
「ほほう。お主の修行は戦って勝つ為のものだったかの?」
村長は、酒を一口飲むと上機嫌に笑うのをやめ、少し皮肉っぽく言った後に続けた。
「お主の修行は、『最低限生き残る為』のものじゃろう? であれば、己も仲間も生きて帰せた此度の戦果は、紛れもなく上々じゃろうが。策を弄してサクラ達を逃がし、窮地において強化魔法を会得し、運によって助太刀を呼ぶ。完勝と言っても過言ではない。じゃが、それが不出来だと思うのなら、それはお主の思い上がりじゃ。歴戦の将でさえ、人事を尽くして、それでも苦い結果に終わることがある。理想の成果というものは一朝一夕に狙って出せるものではない。此度の場合、逃げるも戦うも、その結果生きていたなら、その選択が正解だったということじゃろう」
理屈を言えばそうなのかもしれない。しかし、あれは選択なんて立派なものじゃない。ただ、自分が気楽な方に流れただけなのだ。その時は自分が死ぬよりも、人を犠牲に生き残る罪悪感が勝っただけの事なのだ。
言い終わってまた一口酒を飲む村長。その隙に思い付いた事がそのまま口をついて出てしまう。
「じゃあもし、他の誰かを囮に生き残っても正解と言えるんですかね?」
「自分が生き残るのが、目的ならばの」
その答えがどうにも納得出来ずに、何も応えられずにいた自分に村長が言った。
「じゃが、その結果に誇りが持てんかったら、それは選択が間違えとる」
村長は静かに続ける。
「はじめに言ったじゃろう『お主の生はお主の築いた屍の上に成り立ったものと心得よ』と。無論、犠牲など無いに越したことはない。じゃが、自分の守りたいものの為にその犠牲を背負い、その上に成った結果を誇る。それが覚悟するということなんじゃ。じゃが誇りが持てんのならば、その選択も、その犠牲も全てが間違いじゃと、儂は思うぞ」
村長の言葉に何も返すことが出来ず、空気が少し重くなってしまった。疲れたことを理由に言って、今日は部屋に戻って休むことにした。
部屋の窓から見える現世とは違う星空をぼんやりと眺めながら、村長の言葉について考える。
結果を誇る。
とてもじゃないが僕には無理だ。
「自分に出来ることは他人にも出来る」今までそういう価値観で生きてきたのだ。
自分が出来ることは、たとえ競争で勝ち得たものであっても、偶然その時に御鉢が回ってきただけ。やろうと思えば誰にでも出来る。もぎ取った勝利もその為に払った犠牲もとるに足らない物だ。
自分じゃなくても同じ成果は出せる。ならば、それは成果ではない。
成果を認められたことがないから、誇ることもできない。
今日もたまたま自分にその役割が回ってきただけで、感謝されるようなことはできていない。そう感じる己の価値観の歪みはすでに昔自覚しているところである。
この村の人達は本当に皆一様に、お互いが認め合い支えあって生きている。自分にとってはその姿がなんとも眩しく、眩しいが故に自分の中に染み付いた影が浮き彫りになり、掛けてくれる言葉を素直に受け止めることが出来ないでいた。
一章 第四話 完
四足で立つ巨塊。全体はイノシシの様でありながら、明らかに異常であることが解る怪物であった。逆立てた鈍色の剛毛は針の束のように鋭く、口からは太い杭のような牙が禍々しく折れ曲がりながら伸び、ボタボタと涎を垂らしながら低い唸りを上げている。
妖しく光る赤色の眼はどこか虚ろでありながら、生者への憎しみを以て我々を捉えていた。
「なんだ……あれ」
思わず口が開いた。明らかな危険を伴う未知との遭遇に、本能が強制的に思考を明瞭にする。
「魔獣化してる……」
研ぎ澄まされた聴覚がオトヤの呟きをつぶさに拾った。
怪物に注意しながら周りを見ると、オトヤがビオちゃんを、アルがエミーちゃんを庇うように、それぞれ怪我もなくペアになって構えていた。それを見て少し安心し、オトヤに質問を続ける。
「魔獣?」
「大量の魔力を取り込んで、化物になっちまったんだよ」
「どうする!?」
「どうするも、逃げるしかないだろ! あんなの兵隊が束になって相手するヤツだ!」
「わかった!」
敵、仲間含め周囲の状況を見渡す。
置かれている鉈、仕込み刀の場所。それぞれのペアと逃げ道の位置。自分達の能力、そして魔獣の動向。
思考をフル回転させて乱暴に答えを出す。
幸い、魔獣は未だ錯乱している様で、周りの木や地面に牙を打ち付けていた。
「オトヤは刀、アルは鉈を。合図したら同時に別方向へ走れ!」
魔獣の気を引かないよう、声を潜めて指示を出す。
二人は俺の指示に少し驚いたようであったが、それぞれ近くに置かれていた武器を確保し、全員がいつでも走れるように構えた。
(サクラさん! 合図したら振り向いて右へ走って)
(わかりました)
すぐ後ろに居るサクラさんに後ろ手に杖を渡し、自分は心の準備をする。
今、判断とタイミングを間違えてはいけない。間違えたら最後、絶対に良い結果にはならない。
魔獣は体勢を立て直すと、凶悪な瞳で次の目標を自分たちに定め、後ろ足で地面を掻き始めた。
(……今だ!!)
自分が考えた作戦を実行に移す。大きく息を吸い、その空気を音に変え、吠えた。
「あああああああああああああっ!!」
それを聞いた皆はそれぞれ一目散に逃走を開始した。
サクラさんも自分の言いつけ通り、振り向いて右に走り出す。
同時に俺はサクラさんとは逆の方向に飛び出した。
「――っ!? イナトさん!?」
魔獣が猛スピードで自分目掛けて飛んでくる。
しかし、ここまでは想定通りであったため、ギリギリのところで飛び込んで避けることができた。そのまま転がりながら魔獣と距離をとり、アルに向かって叫ぶ。
「アル! サクラさん頼む!!」
「イナトさん!!」
それを聞いたアルは瞬時躊躇ったようであったが、引き換えそうとするサクラさんの腕を掴んで連れ去った。
サクラさんの声が遠くなっていくのを確認した後、改めて魔獣の注意を引くために吠える。
自分が囮になり、仲間を逃がし救援を待つ。これが咄嗟に考えた現状最善の策であった――。
優先したのは被害を最小限に抑えること。
この魔獣がそうであるかは判らないが、獣は嗅覚が鋭い。全員で同時に逃げた場合、バラバラに逃げたとしても、だれかが匂いを辿って追われる可能性がある。そこで足留めの時間を稼ぐ囮役が必要だと考え、同時に救援を呼ぶ時間が必要になることも考慮に加え囮役を決めた。
まず体力面を考慮し女性陣3人は除外。残る男3人の中では体力面で勝るオトヤ、アルはそれぞれ土地勘があり、より速く村へ着き、無事に女性陣を連れ帰る事が出来ると予想。
対して、自分は微力ながら強化魔法を使えるため、より長く相対することができると思った。その上で武器を預けたのは、武器を使ったところで対抗できるとは思わず、余計な選択肢を増やして心身共にかえって邪魔になるからだ。
以上から自分が囮になり、先に皆を逃がす事が最良であると判断した。
と、ここまで理屈を整理してを理由つけたが、全てはこじつけである。
ただ、自分の為に他人に危難を押し付けることが出来なかったのだ。
他者を犠牲にして自分だけが生き残る、その可能性に耐えられなかったのだ。
――俺はいつも大事な場面で判断を間違える。
生きて元の世界に戻ると誓ったのに、その為の覚悟を出来ていなかったが為に、今まさに決定的な死を迎えようとしていた。
お互い体勢を立て直したところで、魔獣が再び突進してくる。
眼を合わせる事で、ある程度は突進のタイミングを掴むことは出来るが、生きた樹木を根本から薙ぎ倒す膂力と頑丈さ、加えて大振りに生えた牙の威力を考えると、掠めただけでも必死は免れないだろう。
間一髪の回避、走って距離を開け、視線を合わせ構える。
極度に緊迫した状況の上、この回避行動が毎回全力であるため、数度辛うじて躱したところで、体力にも限界が見えていた。
(ヤバイ……。足が……キツい!)
そう脳裏によぎったところで、その隙を見逃さず魔獣が突撃を仕掛けてくる。
その一瞬の反応の遅れが致命的であった。
動かない身体。迫り来る牙。
実際とは裏腹に、眼前の光景がゆっくりと流れる。
メトロンさんの部屋で感じた、あの感覚。死の気配がすぐ其処に迫っていた――。
――まだ生きてる。まだ、生きている。
『跳べっ!!』
思考を飛び越え、殆ど反射であった。
魔獣の牙が眼前に迫り来る中、本能が生に対する執着が魔力を練り上げ、両脚に爆発的な力を宿らせ、文字通り脱兎の如く前方に跳躍した。
一蹴りで数メートル、地面と平行に宙を駆ける。自分でその勢いに驚き咄嗟に踵を突き出しブレーキをかけ、地面を薄く削りながら滑り、止まった。
魔獣の牙は空振り、頭蓋が先程と同様にその真後ろにあった樹木を薙ぎ倒す。
(……できた!!)
正に火事場の馬鹿力。死に迫った際の極限の集中力が成した奇跡であった。
魔獣は空振りした勢いで不意に樹木にぶつかったことにより、少しダメージがあるようで、眼をチカチカさせながら頭を振っている。
「ギュオオオオォォォ!!」
魔獣は雄叫びを上げさらに興奮し、再びこちらに突進すべく振り向き脚で地面を掻く。
対してこちらも、唯一の命綱であるさっきの成功を再現するべく、昂る気持ちを抑え、魔獣の行動に注意する。
興奮した魔獣が今度はペースを早めて突進してきた。それを見て、また最前と同じように足に意識を集中して踏み込む。左足で地面を蹴り、大股で横へ跳ぶ。
なんとか再現できている。少しは時間も稼げた筈だ。この感覚と体力がもつ内に自分も離脱しよう。仮にもう一度強化魔法で魔獣を躱す事が出来たとして、その後の逃げ切る算段は全く無いのだが、このままの状態を続けていても直に嬲り殺されるのは目に見えている。
そう判断すると、皆が逃げた方を確認してその反対に向き、生えていた樹を背に魔獣と向き合う。幸い魔獣との位置はほぼ正反対であったため、回避の為の距離も十分に確保できた。
「ゴオッ……、ゴォッ……、グルル……」
魔獣はゆっくりと振り向き、息を荒らげ、少し苦しんでいる様でもあった。相手も弱ってきているなら、逃げるには千載一遇の好機である。
次に魔獣が仕掛けてきたときがタイミングと決め、魔獣の様子を窺いながら、いつでも強化魔法を使えるよう逃げる事に意識を集中する。
低く唸りを上げていた魔獣が一度大きく吠えると、巨大な牙をぶんと振り上げ勢いをつけて突貫してきた。
スピードは先程にも増し、油断はなかったものの紙一重での反応となった。
強化魔法を使い踏み込み、突き出される牙を掻い潜るように脇を抜ける。続けて右足で地面を蹴り返し、くの字に跳んで魔獣の真後ろに入る。そして、そのまま全力で前進し森の茂みの中に入り逃走を始めた。
茂みを飛び越えた所で、樹が倒れる音が聞こえ、魔獣の雄叫びが聞こえた。
もしかしたら魔獣は既に自分を見失っていて追って来ないかもしれない。そういう可能性も希望としてはあったが、止まる事は出来なかった。案の定、自分の後方で木々が倒される音がみるみる近づいてきている。ちらと後ろを見ると、魔獣が木々を薙ぎ倒しながら猛追してきていた。
魔獣と人の体力勝負、命を賭けた鬼ごっこ。
自分も全力疾走に加え、倒木などを踏破するときに強化魔法を使い加速する。常人では考えられないスピードで移動していたが、それでも魔獣の方が速く、じわじわと距離を詰められていた。
魔獣の障害物となるように、出来るだけ魔獣との直線上で木に隠れるように走っているが、魔獣はその悉くを力で制覇し、追撃の勢いが弱まることはない。
この森自体、そこまで大きな森ではない。真っ直ぐ走れば、すぐに森を抜けることができる。
そう思って走る内に、前方の景色が明るくなり森の外の景色が見えてきた、状況が変われば、何か好転するかもしれない。意を決して、森の外に飛び出した。
飛び出した先は、一面の草原だった。
見晴らしの良い草原が広がり、その向こうに土手道がはしり、大きな川が流れている。
そりゃそうだよ!
初めてのこの世界に来たときに地図で見たじゃないか。
この周辺には、畑と小さな森しかない!
気づいたときにはもう遅く、とにかく森から離れるしかできなかった。
走って走って、少し背の高い草群があったので、そこに伏せて身を隠し、森の様子を見てみる。
環境の境界を越えることで、諦めてくれれば……。そんな希望も虚しく、自分が出てきた辺りの木々が根元から吹き飛び、柔らかな地面を抉りながら転がっていく。そして広げられた森の出口から魔獣が変わらぬ姿を見せた。
吹き飛んだ木はたまたま自分の方には飛んで来なかったが、魔獣の眼は完全にこちらの位置を捕らえているようで、遠目から一切ぶれることなく、こちらを向いていた。
すかさず、起き上がり再び魔獣に背を向けて走り始める。両足、体力、集中力、全てが限界であった。
土を撒き上げ、草原を荒し、森から凄まじいスピードで魔獣が迫ってくる。
すぐに背後から大きな影に覆われ、自分を呑み込もうとして振り向いたその時であった。
「プギャアアアアアアアアアァァァァァァァ!!!!」
魔獣が悲鳴を上げ、動きを止めた。
その場でのたうち回り、苦痛に悶えている。
少し距離を開け、魔獣を注視してみると、魔獣の右目に矢が刺さっていた。
その様子を見て、一瞬安心してしまった。
野生はそれを見逃さない。
苦痛に苛まれながらも、魔獣は一瞬にして距離を詰め、自分はその迫力に圧され仰け反り後ろに倒れてしまった。
魔獣が自分を押し潰そうと、巨大な牙を振り上げた瞬間――、
――翠色の閃光が魔獣の頭蓋を射抜いた。
二本目の矢が魔獣の側頭に深々と刺さり、魔獣は短い断末魔と共に倒れた。
何か起きたのか瞬時には理解できなかったが、どうやら生き延びることは出来たようだ。
呆然としていると、どこからかウマの足音が聞こえてきた。
音のする方を見ると、手に弓を持った一人の騎士がウマに乗って近づいてきていたのである。
「大丈夫ですか!?」
騎士はウマを降り、声を掛け手を差し伸べてきた。
「……え、ええ。ありがとうございます」
「良かった。ほとんど怪我もないみたいですね」
弓を持っている。多分この人が矢を放ったのだろう。とにかく助かった。そう思うと、急に腰がぬけた。
「おおっと!? 大丈夫……な訳ないですよね。しっかし、大物だな」
へらへらと笑ながら騎士は、尻餅をついて倒れた僕の体を起こして、斃れた魔獣を見る。魔獣の死骸はみるみる内に、禍々しい色の湯気を出しながら腐り落ちていく。
「オーガディ!」
また、どこからか声が聞こえもう一人、強面の騎士がウマに乗って近づいてきた。よくよく見ると、向こうの土手の方に兵士達の部隊が列を作って待機している。
するとオーガディと呼ばれた騎士が強面の騎士に応えた。
「ギスタさん。死骸の処理をお願いしてもいいですか? 俺は彼を送っていくんで」
「またお前は、下っ端みたいな事を……」
「いや、俺が急いで帰っても書類にサインするくらいしか出来ることないし。報告書は俺の部屋に置いといてください」
「ハァ……。分かった。あんたも災難だったな、無事で何よりだ」
強面の騎士は自分の肩をポンと叩くと、またウマに乗り部隊の方へ戻っていった。
「それじゃあ、俺たちも行きますか。立てますか? えーっと、お名前は?」
「イナトです。イナト・ナオル」
「イナトさんですね、俺はケイウス・オーガディです。よろしく」
オーガディが再び手を握り引き上げてくれ、なんとか立ち上がった。
「イナトさんはどこから来たんですか?」
「ヨアン村で居候をしています。仕事で仲間と森にいたら、アレに教われて」
「お仲間は大丈夫だったんですか?」
「多分。僕が残って先に逃げたんで」
「良かったら、もう一度森に入って、来た道を辿ってみませんか? もしかしたら、心配で戻ってきてるかも知れないし。もちろん俺が護衛しますから!」
「そうですね。わかりました」
まだあまり足腰に力が入らないので、自分をウマに乗せオーガディが歩いて手綱を引く。
出てきたところから再び森に入り、一目散に走ってきた道を行く。
森を抜ける道や仕事場からは離れており、本来なら鬱蒼とした原生林であったのだろうが、薙ぎ倒された木々と踏み荒らされた地面が一筋の道となっていて、その形跡のどれもが真新しいため、あの魔獣の威力を痛々しい程に示していた。
「スゴいな……。道が出来ちゃってますよ」
オーガディが感心したように呟く。それを聞いて自分も改めてあの魔獣の威力を正しく認識した。
「なんだか、落ち着いてくるとゾッとしますね……」
へし折られた木々や枝が踏み散らされている光景をみて、あらためて生存できた事を噛み締めている。
運が悪ければ、強化魔法を使うことが出来なければ、あの無惨に折られた枝のようになっていたかと思うと、つくづく自分の選択を呪いたくなる。
「オーガディさん。あの、さっきの魔獣ってなんなんですか?」
「魔獣は動物が大量の魔力を取り込んで、肉体そのものが変質して凶暴化しちゃったやつなんですよ。この辺は古代の遺跡が良く出てくるから、何か魔力の溜まった遺物でも飲んじゃったんでしょうね」
「魔法ってそんなに危ないんですか?」
「いや、普通は魔石を飲み込んだりしない限りは、魔獣化することはないですよ」
「そうですか……」
「でも、スゴいですね! 自分で囮になるなんて」
「いえ、何の算段も無かったんですけど……」
「なら、自分もちゃんと生き残れたんですから一番良いじゃないですか!」
こちらに親指を立てて笑顔を向けるオーガディさんに、何も言葉を返すことが出来なかった。
それは全て結果論だ。魔獣の前に一人で残ったときは、自分の魔法もアテにならなかったし、選択を誤ったと心の底から後悔していた。
仲間を守ろうとする優しさで行った事ではない。自分の為に他人を犠牲にする勇気があった訳でもない。ただ何となく、その時自分に言い訳が出来る選択肢を選んだだけだ。格好つけて修行なんてしたところで、山で騎士を見棄てたあの時から、自分は何も変わってない。それをこう言われては、まるで自分が勇気に溢れ自己犠牲を厭わない勇者だと称えられているようで、どうにもいたたまれなかった。
勝手な居心地の悪さを感じたままオーガディと共に森を抜け、村に向けて少し進んだ所で、村長やおやっさんの他に農具で武装した村の人を何人も連れたサクラさん達がこちらに向かって歩いてきているのが遠目に見えた。
ウマの上から手を振ってみると、向こうもこちらに気づいたようで、早足で近付いてきた。自分もウマを降り、皆に向かって歩いていく。すると、向こうからサクラさんを先頭に他の仲間達も駆け寄ってきた。
「イナトさん!!」
泣きそうな顔をしたサクラさんが自分の手を取り、祈るように両手で握り締め、絞り出すような声で言った。
「本当に、無事で良かった……!」
「心配かけました」
そのまま泣いてしまったサクラさんの頭を、余った方の手でポンポンと撫でた。すぐ側に村長もいたが今ぐらい許してくれるだろう。多分。
「皆も、心配お掛けしました!」
自分一人の為にこれだけの人が心配して動いてくれた、その事が何より嬉しかった。心からの素直な気持ちを伝えると、皆も安心した様であった。
側で見ていたオーガディさんが村長に話しかける。
「アクシアさん。お久しぶりです」
「おお、ケイウス殿。此度はウチのを助けてもろうて、世話になり申した」
「いえいえ、僕も偶然通りかかったんで、間に合って良かったです」
「良かったらウチに寄って行かれまいか。改めてお礼がしたいのでな」
「ありがたいですけど、まだ王都に戻って仕事がありますから」
「そうか。では都に戻られたら、陛下によろしく伝えて下され」
「わかりました! それじゃあ!」
「オーガディさん! 本当にありがとうございました!」
挨拶も程々に、ウマに跨がり去ろうとするオーガディに向けて感謝を伝える。先程森で見せたのと同じく親指を立てて見せ、オーガディは去った。
オーガディを見送り、駆けつけてくれた人達と共に、自分も村へ帰って行った。
ヨアン村、夜、村長宅――。
「あっはっはっはっ! まこと愉快じゃ! 愉快なら飲め!」
今日の出来事を肴に、いつにも増して村長が酒を勧めてくる。正直当事者としては、笑い話にもならない。
「愉快なもんですか。死ぬとこだったんですから」
「何を言う! 弟子が初陣から生きて帰って来た。しかも何の犠牲も無く! これが愉快で無うてなんと言う!」
またそれを言うか。先刻のオーガディさんに続き村長までも、今回の結果を過大評価して頂けている。
「初陣だなんて、そんな立派なもんじゃないですよ。修行をつけてもらったのに、戦えてもないんですから」
「ほほう。お主の修行は戦って勝つ為のものだったかの?」
村長は、酒を一口飲むと上機嫌に笑うのをやめ、少し皮肉っぽく言った後に続けた。
「お主の修行は、『最低限生き残る為』のものじゃろう? であれば、己も仲間も生きて帰せた此度の戦果は、紛れもなく上々じゃろうが。策を弄してサクラ達を逃がし、窮地において強化魔法を会得し、運によって助太刀を呼ぶ。完勝と言っても過言ではない。じゃが、それが不出来だと思うのなら、それはお主の思い上がりじゃ。歴戦の将でさえ、人事を尽くして、それでも苦い結果に終わることがある。理想の成果というものは一朝一夕に狙って出せるものではない。此度の場合、逃げるも戦うも、その結果生きていたなら、その選択が正解だったということじゃろう」
理屈を言えばそうなのかもしれない。しかし、あれは選択なんて立派なものじゃない。ただ、自分が気楽な方に流れただけなのだ。その時は自分が死ぬよりも、人を犠牲に生き残る罪悪感が勝っただけの事なのだ。
言い終わってまた一口酒を飲む村長。その隙に思い付いた事がそのまま口をついて出てしまう。
「じゃあもし、他の誰かを囮に生き残っても正解と言えるんですかね?」
「自分が生き残るのが、目的ならばの」
その答えがどうにも納得出来ずに、何も応えられずにいた自分に村長が言った。
「じゃが、その結果に誇りが持てんかったら、それは選択が間違えとる」
村長は静かに続ける。
「はじめに言ったじゃろう『お主の生はお主の築いた屍の上に成り立ったものと心得よ』と。無論、犠牲など無いに越したことはない。じゃが、自分の守りたいものの為にその犠牲を背負い、その上に成った結果を誇る。それが覚悟するということなんじゃ。じゃが誇りが持てんのならば、その選択も、その犠牲も全てが間違いじゃと、儂は思うぞ」
村長の言葉に何も返すことが出来ず、空気が少し重くなってしまった。疲れたことを理由に言って、今日は部屋に戻って休むことにした。
部屋の窓から見える現世とは違う星空をぼんやりと眺めながら、村長の言葉について考える。
結果を誇る。
とてもじゃないが僕には無理だ。
「自分に出来ることは他人にも出来る」今までそういう価値観で生きてきたのだ。
自分が出来ることは、たとえ競争で勝ち得たものであっても、偶然その時に御鉢が回ってきただけ。やろうと思えば誰にでも出来る。もぎ取った勝利もその為に払った犠牲もとるに足らない物だ。
自分じゃなくても同じ成果は出せる。ならば、それは成果ではない。
成果を認められたことがないから、誇ることもできない。
今日もたまたま自分にその役割が回ってきただけで、感謝されるようなことはできていない。そう感じる己の価値観の歪みはすでに昔自覚しているところである。
この村の人達は本当に皆一様に、お互いが認め合い支えあって生きている。自分にとってはその姿がなんとも眩しく、眩しいが故に自分の中に染み付いた影が浮き彫りになり、掛けてくれる言葉を素直に受け止めることが出来ないでいた。
一章 第四話 完
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