悪役令嬢は婚約破棄されたら求婚してきた公爵の手を取らない

Estella

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第一章 『再臨の悪役令嬢』

第一章16 『勝ち取った時間』

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「ひいぃ……お助けください……」

 ヴィクトル・ファンドーリンの別邸の裏。人気も少なく日も当たらないその場所で、一人の女が地面にしりもちをついて涙を流していた。
 その女を見下ろす人影が、ふたり。

「始末、しましょうか? 私の任務です」

「ひいっ!」

「いや、その必要はない。大丈夫よ、見てなさい。だってセリーナの裏の顔を知ってて心から付き従ってる人間なんてそうそういないもの。しかもこんな役回りで」

 赤褐色の髪。短めの前髪が特徴的な騎士、レナート・ヴァイマン。そしてカレリナ外務代表、アデリナ・カレリナ。
 アデリナは強い。護衛騎士など要らずとも自分の身は守れる。レナートが配属されている意味は、こういう時のためだ。誰かを殺害する必要があるときや、危険な探索が必要になるときなど。

 今こそその時、とレナートが歩み出ようとしたが、アデリナは首を振る。
 意外にも、彼女はしゃがんでその女と目線を合わせた。

「貴女はセリーナに命じられ、諜報員として屋敷の周辺を嗅ぎまわっていた。そして、わたしとファンドーリン外務代表の生活の動向を報告するように言われていた。そうでしょう?」

「う、うぅ……そう、です……。申し訳ありません、二度としません、どうか殺さないでください……!」

「うん。殺さないけど。それより、貴女きっと弱みを握られてるんでしょ」

「そ、それは……」

 女が、ひょろりと視線を泳がせる。
 まあ想定内の反応だ。もし簡単に人に話せることなら、それは『弱み』とは言わない。口止めもどうせされているだろうし。
 少し考えて、アデリナは再度女に話しかける。

「……貴女、名前は?」

「あ、ミラ……と、申します……」

「ミラさん。わたしはアデリナ・カレリナ。数千年の文明を持ち、永く繫栄してきた肥沃の大地に生まれたカレリナの代表として、ここにいる。その名に懸けて、貴女を救うと誓うわ。だからセリーナに何を握られているのか、教えてくれる?」

 真剣な目、強い声。語りかけられたミラは、その眩しさに一瞬目を細めた。
 一瞬で抵抗する気を失わされるような、心を掴まれるような不思議な魅力を持つその少女。

 考えて、考えて、考えて――、
 ぎゅっと服を握り、ミラは覚悟を決めた。彼女を信じることを、選んだ。

「……弟が、いるんです。昔から体が弱くて、数年前に死の淵をさまよって……。医者様が、もう駄目だって……! でも諦めきれなくて、あちこち彷徨って、とにかく少しでも治療の腕がある人がいると聞いたらすぐに訪問したんです」

 ぽろぽろ、と彼女は涙を流す。
 ミラがその歳月の中で、どのような窒息感と苦しみを味わったのか、第三者であるアデリナには分かりようもない。その痛みは、ミラ本人だけのものだ。
 それでも、きっと針のむしろに座る思いで過ごしてきたのだろうことは、理解ができた。

「それで、有名になっていたみたいで……。ある日公爵様の使者の方が現れて、弟の治療とその費用を負担するから、公爵様のために働いてほしいって……」

「……」

 なるほど、セリーナは使い捨ての駒を増やして使い走り、事が終わったら始末することを繰り返していたのかもしれない。
 弱みを握れそうな人間を、手あたり次第篭絡しているだろうことは容易に予想がつく。

「公爵様のお計らいなら、きっと最高峰の治療が受けられる。それも無料でいいなんて、なんてすばらしい御人なのだろうと思って……藁にも縋る思いで、その手を取ったんです」

「……騙されたんだね」

「はい。弟を人質にとられて……ほかの医者様が弟をみることは禁止されて、確かに定期的に公爵様の医者様は来られましたけど、延命処置しかしてもらえてないみたいなんです。私は、様々な汚れ仕事をさせられて。やりたくなかったけど、やらないと弟が死んでしまうと思って……! でもきっとこのままでも、いつか……」

 アデリナは舌打ちしそうになるのをこらえた。恐ろしいのは、こんな境遇に立たされているのがきっと彼女ひとりではないだろうことだ。
 だが、外部の人間として、今のアデリナに救える人は彼女たちだけだろう。

「その弟、わたしが……カレリナが治す。もうセリーナから離れなさい」

「え? 私が……カレリナに行くんですか? 行っても、いいんですか?」

「うん。怖いなら、契約ギアスの魔術を使って約束する。絶対にこんな怖い目には遭わせないって」

「いいえ! いいえ……! 信じます。信じたいです」

 涙をこぼすミラだが、それは先ほどのような苦痛の涙ではない。喜びが胸を衝いて、思わず溢れだした涙だった。
 監視されて、被害に遭って、それでも家名をかけてまで自分を助けようと手を差し伸べた。彼女の手なら、取りたいと思った。
 家名をかけた約束は契約の魔術よりも重いと、ミラも知っている。

「ん。ありがとう。そうだレナート、帰るときは彼女たちも乗せるから、偽装工作は任せた。あと弟さん連れてくるのもお願いしていい? ごめん、大仕事任せてるんだけど。外交上のことはわたしが処理するから」

「いえ。普段から仕事、ないので。暇じゃなくて、良いです」

「悪かったわね……」

 いつもただアデリナの背後で立ち尽くしているだけという任務が、レナートにはちょっと不満だったようだ。
 ともかく、これで諜報員の件は一件落着だ。

(セリーナがどう出るか分からないけど、この人のこともあるから、早めに帰らないと)

 ふと、別の疑問も頭をよぎった。

「……ちなみにミラさん、何をどう報告したの?」

「話の内容までは分からなかったので、毎日会話が発生していたと、仲良さげだったと報告して……でもそれだけなのに……」

「あー……それが何かの琴線に触れたのかな。まあ、ともかく、わたしと帰るまでは適当でいいから報告はしてて欲しい。仲悪そうにしてるって方向で。でも監視はしないで! 結構恥ずかしいから」

「! ふふっ、はい。わかりました」

 たぶん聞こえていなくても、アデリナが一生懸命ヴィクトルにアタックしていることは分かったのだろう。
 先ほどとは打って変わって年頃の少女らしく顔を赤らめたアデリナを見て、ミラは微笑ましそうに笑った。



 諸々の打ち合わせはレナートに引き継いで、アデリナはやっと力を抜いて地面に座った。
 セリーナの干渉を受けない時間を勝ち取り、監視もどうにかした。その疲れが、どっと押し寄せてくる。ファンドーリンに来る前は、ここまで厳しい日々になるとは思わなかった。
 はあ、とため息を吐いた時――、

「――何をしてる?」

 ふとアデリナの座る位置全体が陰って、上から、掠れた低い声が降ってきた。振り返らずとも誰か分かるが、顔が見たいのでアデリナは座ったまま振り返って意味深に微笑む。

 ただでさえ身長差が大きいが、この状態だとまるで天井を眺めているかのようだ。

「監視を、どうにか」

「……始末したのか」

「そうだと言ったら? 復讐に本気な女はお嫌いですか?」

 ふふっ、とからかい気味にそう微笑んだアデリナ。その表情を見れば、彼女が嘘を言っていることは分かる。
 多くの揶揄いを浴びてきたが、気分が悪くならないものは初めてだった。

「――。好きにしろ」

「えへ。でも嘘です。あの女に弱みを握られてる可哀想な人だったので、その弱みをわたしが握って助ける予定です」

「言い方……」

 ふと、アデリナは彼のやや気まずそうな表情に気づいてきょとんとした。だがすぐに、その理由に気づく。
 ヴィクトルは『基本的に』、理性的で論理的な人間だ。アデリナの行動の理由を分析すれば、自分の境遇が露見したことは分かる。
 自分の不幸を人に見せたがる人間はあまりいないはずだ。それを説明するなんてことは、もっと嫌だろう。

(聞かれると思ってるのかな。それは気まずい……でもわたしはそんな空気の読めない女じゃないもの)

「――それより時間ができたし、監視もいないので、一緒に図書館にでも行きませんか? ファンドーリンの図書館は重厚な建築としても有名でしょう?」

 想定外の言葉に、ヴィクトルが目を見張った。
 図書館。確かに、あそこの建築は素晴らしいものだ。加えて知識欲の旺盛な彼女なら、きっと喜ぶだろう。

 ――お前を愛する人間なんかこの世界には一人としていないのよ!!

 不快なかなぎり声が、唐突に脳を貫いた。
 騙されるなと。絆されるなと。信じるなと。警鐘を鳴らすように。

「僕は行かない。ひとりで行ってくれ」

「えーっ、先生と一緒に行かなきゃ意味がないです。わたしは好きな人とデートがしたいんです」

 いつまで、その話を引っ張る気なのだろうか。
 もう、やめてくれ。

「じゃあ音楽を聴きに行きましょう! ファンドーリンの方は音楽も上手で有名でしょう?」

「……いや、いい」

 ヴィクトルが行かないとなると、彼女は考えることもなく行先を変えた。
 まるで、その行き先はただの自分と共に過ごすための言い訳とでも言うみたいに。

「じゃあ美術館でも! わたしは絵画と建築に興味があります」

「行かない」

 どうせ好きでも愛してもいないだろうに。
 この心の深くに踏み込んでくるのは、何かの琴線に触れて止めたはずのものを揺らしてくるのは、もう。

「えー……。じゃあ先生、あの工学の本教えてくれますか?」

 そうしてついに、アデリナは外出さえも放棄した。あれだけ冷たく突き放されていても、彼女は決してあきらめない。
 どこに行くかなんて重要じゃない。誰と居るかが、重要なのだ。
 きらきら輝く瞳で、喜びを放つ全身でそう伝えるアデリナに、ヴィクトルはふいっと顔をそむけた。

 ふと、考えた。自分は何を期待して、わざわざ彼女に声をかけたのだろう。
 聞かれたくないこともある。それなら一層、避けるべきことなのに。

 もう、考えたくない。
 考えたく、ないのに。

「……先生はやめろ」

「はい先生!」

「……もういい。分かった」

「わーい! やった!」

 仕方あるまい。どう断ろうと、たぶんこの少女は次から次へと新しい引き出しを開けるだろう。だから。
 帰ろう。
 帰って、久しぶりに自分のものになった『時間』を、普通に過ごそう。

 ――どうせ彼女がいる間、もうセリーナは何もできやしないのだから。
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