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第一章 『再臨の悪役令嬢』
第一章38 『一方的契約破棄』
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ファンドーリンの街にあったとある商店の中に入って、その中の商品をひとつ手に取った。
――カレリナで作られたものだ。はっきりと分かる。
この地は日用品を初めとした軽工業の発展度が低いが、同盟があることでその欠点がカバーできる。
「……」
店主が、珍しく明るい笑顔を浮かべながら声をかけてきた。
カレリナ公爵領と仲良くできてとっても嬉しいわ――。
同盟を組んでから、商品の少なさや質の悪さに悩むことがめっきり減ったのだと、楽し気に、そう言っていた。
そんな声が、アデリナの耳にはどうしても虚しく響いた。
〇
広々とした道を、驚くほどの速度で疾走する男性三人が、ふとアデリナの視界に入った。
何をしているのか、と彼らに聞いてみた。
急いでいるだろうに、彼らは足を止めてアデリナの問いに応えてくれる。
「……」
追加でカレリナに配属されることになった専門家で、列車に間に合うように走っているのだと、彼らは答えた。
貴賓になるのだからもっと公式的に、大々的に、事務員なども連れてゆっくり行けばいいのではないか、とアデリナは問いかけた。
そんな特別扱いはされたくない、と、彼らは答えた。
自分たちはたまたまできることが少し多いだけの、一般人に過ぎないと。
偶然手に入れた才能だからこそ、社会に貢献できることがしたいと。
だけれど自分の領地ではないじゃないか、とアデリナは問うた。
自分の力を求める人を手伝いたいと、彼らは、答えた。
そんな声が、アデリナの耳にはどうしても虚しく響いた。
〇
一昔前まで、ファンドーリンは教育が非常に先進的な領地として知名度が高かった。知識や公式の暗記よりも、『学問』を伸び伸びと学べる場所であったのだ。
セリーナによって多くが手折られてからも、何とか頑強にその学風を続けている場所もある。
――同盟のおかげで、僕も留学するチャンスを手に入れられました。
「……」
カレリナから、ファンドーリンに留学しに来た少年少女たちは、口々にアデリナに感謝の言葉を投げかけた。
彼らは領地の後押しで、カレリナのいわゆる公費留学という形で遠路はるばるやってきたわけだ。
同盟から――、まだ一年も経っていない。彼らの表情は、この先の希望が見たいと如実に語っていた。
あれもこれも勉強したくて仕方ないです、と生徒は言っていた。
知らない学問ばかりだから、ちゃんと勉強して、帰ったら絶対カレリナのためにこの力を振るうのだと、その人は目を輝かせて語った。
そんな声が、アデリナの耳にはどうしても虚しく響いた。
〇
「――なんと、おっしゃいましたか?」
セリーナと話す時に暖かな感覚を持つことなど一度もなかったが、今回はいつに増して室内が冷え切っていた。
季節は真夏を過ぎ、秋に手をかけようとしていた。同盟はやや波がありつつも半年続き、これによる人々の交流や物品の交易は、歴史的記録をとれるほどの繁盛を見せていた。
――それなのに。
「カレリナに輸出していた工業製品を止め、精密加工技術、そしてそのために派遣していた専門家を回収するわ。と、そう言ったのよ」
「商品の増えた街には活気が溢れています。領地同士の人の往来も増えて、人々の友好関係が促進されています。お互いの学校に留学することだって今や当たり前のようになりました。この同盟の中には、多くの普通の人々の普通の生活が詰まっているんです。今更破棄だなんて……」
剣呑な雰囲気を隠そうともせず、二人は双方とも冷徹な表情を浮かべて相対する。
セリーナも、アデリナも、言葉を交わしてはいるがどちらも譲る気がない。
「何も同盟をやめるとは言ってないのよ?」
「実質的にやめたようなものです。あれはただの一枚の紙になるんですよ」
何たる無責任か。アデリナは彼女への嫌悪感を隠す気も失せてくる。
同盟と共にある生活に、人々は適応してきたばかりだ。互いの領地の交流には、当然愛情、友情、敬愛――、様々な感情の交差が伴う。
領地をまたいでの恋愛もあるかもしれないし、留学生は良い友達ができたかもしれないし、専門家たちはお互い尊敬の念を湛え学問の合作を進めているかもしれない。
それを、一方的に全て引き上げるだなんて。
準備もなく。適応するまでの期間も与えず。ようやく安定した生活を、その手で引き裂くというのか。
両公爵家の同盟は有名無実化し、仲が悪くなることは必然。そうしたら恋愛する人たちは、留学する人たちは、旅行する人たちは、どうなる?
「もともと、ただの紙でしょう?」
「わたし達は紙の上でサインしているだけかもしれません。でも人々にとっては、生活に直結するんです。わたし達の同盟関係は、ほとんどなんのデメリットももたらさない。貴女の利益のどこにも抵触していないはずです」
「そうね」
セリーナが一口、茶を飲んだ。アデリナの苛立ちが一層膨らむ。安全な位置で茶を飲みやがって。自分の利益のために息子ごとアデリナを害そうとしていたくせに。
そして今度は、この女は自分の利益のために全領地の民を犠牲にしようとしている。どうせリチャードが何か吹き込んだのだろう。
――そもそもリチャードだって頂点の座に就きたいのだから、セリーナに最も良い策を提示するはずがないのに。
「ならどうして、明らかに礼儀にも反した行為を行うのですか? 条約の期間は残っているのに、一方的な契約破棄ですよ。信用を失いませんか?」
「――存在が、」
何でもないことのように、セリーナが微笑む。その笑みは深淵を見るかのようで、ぞわりと寒気が全身を走るのを禁じえない。
全ての色の絵の具を混ぜてぐちゃぐちゃにしたかのような、吐き気を催す昏さを持つその紫の目が、アデリナの目を見ているようで、見ていないようで。
「貴女の存在自体が、私達とは相容れないのよ?」
「わたしは、貴女の方がファンドーリンの精神とは相容れないのだと思います」
明らかな見下す視線に対し、アデリナも敵意の視線を返す。
ファンドーリンの権力を総攬しようとしているセリーナは、その言葉にようやく眉をひそめた。
前回の人生があるから、アデリナはこの地に生きる人々の強さを知っている。
セリーナは、彼らを踏みつけにする資格なんて、ない。
「なんですって?」
「かつて、ファンドーリンもそうだった。利益と権力だけを追い求める人の脅威として立ちはだかっていた。――貴女がいなければ」
セリーナに強く睨まれるが、そんなものに動じるはずがない。
二人の敵対はついに表面化した。セリーナが『選択』したのなら、一方的な契約破棄も決して撤回することはないだろう。
ならば、もう語ることもない。
三公爵家。混戦が予測される中で、誰が勝利を勝ち取るか。もう、それだけだ。
アデリナがすっと立ち上がり、礼儀程度の軽い会釈をすると一直線に扉の方に向かう。
明らかな決別を認識したセリーナは、逆にいつもの笑みを張り付けた。
「そういえば……元老院の命で魔物討伐へ赴くのでしょう? 武運を祈るわ」
「……」
薄気味悪い笑み。どうせ、心底では真逆のことを考えているだろうに。
形骸化を余儀なくされた同盟の残骸を心に大事に抱きながら、アデリナは無言で公爵邸を出た。
涼しい風が吹き抜ける。秋が、やってこようとしていた。
仰ぎ見れば、昨日となんら変わらず星は夜空に輝いていて、月は静かに世界を見下ろしている。
これからデートであろうカップルが笑い合っている。仕事終わりの女性が花を買いに花屋に入った。男友達らしき二人が、酒瓶を持って肩を組んで歩き去る。道端で誰かが楽器を演奏している。公園の中では誰かが穏やかに絵を描いている。
――ひとりひとりの生活が、ここにある。
この指一つで。
たかが数枚の紙で。
彼らの生活を変化させたり、より良くしたり、逆に引き裂く力を、アデリナ達は持っている。
「っ……!」
ごめん。
何も知らない道行く人々を見て、アデリナは不意に目頭が熱くなって、自然とそんな考えが頭をよぎった。
次は間違えないと誓ったのに。
こんな早く、道の先を見失ってしまった。
力を持つ自分には責任がある。だから、その責任のぶんの痛みを受ける覚悟は、できている。
でも、彼らは?
ただ普通に生活を送りたい彼らは、アデリナ達が守るべき彼らには、一体何の罪があってこんな重責の結果を押し付けられなくてはいけないのだろう。
――ごめん。
でも、待っていて。
今回は、絶対に失わないから。
――カレリナで作られたものだ。はっきりと分かる。
この地は日用品を初めとした軽工業の発展度が低いが、同盟があることでその欠点がカバーできる。
「……」
店主が、珍しく明るい笑顔を浮かべながら声をかけてきた。
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〇
広々とした道を、驚くほどの速度で疾走する男性三人が、ふとアデリナの視界に入った。
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急いでいるだろうに、彼らは足を止めてアデリナの問いに応えてくれる。
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追加でカレリナに配属されることになった専門家で、列車に間に合うように走っているのだと、彼らは答えた。
貴賓になるのだからもっと公式的に、大々的に、事務員なども連れてゆっくり行けばいいのではないか、とアデリナは問いかけた。
そんな特別扱いはされたくない、と、彼らは答えた。
自分たちはたまたまできることが少し多いだけの、一般人に過ぎないと。
偶然手に入れた才能だからこそ、社会に貢献できることがしたいと。
だけれど自分の領地ではないじゃないか、とアデリナは問うた。
自分の力を求める人を手伝いたいと、彼らは、答えた。
そんな声が、アデリナの耳にはどうしても虚しく響いた。
〇
一昔前まで、ファンドーリンは教育が非常に先進的な領地として知名度が高かった。知識や公式の暗記よりも、『学問』を伸び伸びと学べる場所であったのだ。
セリーナによって多くが手折られてからも、何とか頑強にその学風を続けている場所もある。
――同盟のおかげで、僕も留学するチャンスを手に入れられました。
「……」
カレリナから、ファンドーリンに留学しに来た少年少女たちは、口々にアデリナに感謝の言葉を投げかけた。
彼らは領地の後押しで、カレリナのいわゆる公費留学という形で遠路はるばるやってきたわけだ。
同盟から――、まだ一年も経っていない。彼らの表情は、この先の希望が見たいと如実に語っていた。
あれもこれも勉強したくて仕方ないです、と生徒は言っていた。
知らない学問ばかりだから、ちゃんと勉強して、帰ったら絶対カレリナのためにこの力を振るうのだと、その人は目を輝かせて語った。
そんな声が、アデリナの耳にはどうしても虚しく響いた。
〇
「――なんと、おっしゃいましたか?」
セリーナと話す時に暖かな感覚を持つことなど一度もなかったが、今回はいつに増して室内が冷え切っていた。
季節は真夏を過ぎ、秋に手をかけようとしていた。同盟はやや波がありつつも半年続き、これによる人々の交流や物品の交易は、歴史的記録をとれるほどの繁盛を見せていた。
――それなのに。
「カレリナに輸出していた工業製品を止め、精密加工技術、そしてそのために派遣していた専門家を回収するわ。と、そう言ったのよ」
「商品の増えた街には活気が溢れています。領地同士の人の往来も増えて、人々の友好関係が促進されています。お互いの学校に留学することだって今や当たり前のようになりました。この同盟の中には、多くの普通の人々の普通の生活が詰まっているんです。今更破棄だなんて……」
剣呑な雰囲気を隠そうともせず、二人は双方とも冷徹な表情を浮かべて相対する。
セリーナも、アデリナも、言葉を交わしてはいるがどちらも譲る気がない。
「何も同盟をやめるとは言ってないのよ?」
「実質的にやめたようなものです。あれはただの一枚の紙になるんですよ」
何たる無責任か。アデリナは彼女への嫌悪感を隠す気も失せてくる。
同盟と共にある生活に、人々は適応してきたばかりだ。互いの領地の交流には、当然愛情、友情、敬愛――、様々な感情の交差が伴う。
領地をまたいでの恋愛もあるかもしれないし、留学生は良い友達ができたかもしれないし、専門家たちはお互い尊敬の念を湛え学問の合作を進めているかもしれない。
それを、一方的に全て引き上げるだなんて。
準備もなく。適応するまでの期間も与えず。ようやく安定した生活を、その手で引き裂くというのか。
両公爵家の同盟は有名無実化し、仲が悪くなることは必然。そうしたら恋愛する人たちは、留学する人たちは、旅行する人たちは、どうなる?
「もともと、ただの紙でしょう?」
「わたし達は紙の上でサインしているだけかもしれません。でも人々にとっては、生活に直結するんです。わたし達の同盟関係は、ほとんどなんのデメリットももたらさない。貴女の利益のどこにも抵触していないはずです」
「そうね」
セリーナが一口、茶を飲んだ。アデリナの苛立ちが一層膨らむ。安全な位置で茶を飲みやがって。自分の利益のために息子ごとアデリナを害そうとしていたくせに。
そして今度は、この女は自分の利益のために全領地の民を犠牲にしようとしている。どうせリチャードが何か吹き込んだのだろう。
――そもそもリチャードだって頂点の座に就きたいのだから、セリーナに最も良い策を提示するはずがないのに。
「ならどうして、明らかに礼儀にも反した行為を行うのですか? 条約の期間は残っているのに、一方的な契約破棄ですよ。信用を失いませんか?」
「――存在が、」
何でもないことのように、セリーナが微笑む。その笑みは深淵を見るかのようで、ぞわりと寒気が全身を走るのを禁じえない。
全ての色の絵の具を混ぜてぐちゃぐちゃにしたかのような、吐き気を催す昏さを持つその紫の目が、アデリナの目を見ているようで、見ていないようで。
「貴女の存在自体が、私達とは相容れないのよ?」
「わたしは、貴女の方がファンドーリンの精神とは相容れないのだと思います」
明らかな見下す視線に対し、アデリナも敵意の視線を返す。
ファンドーリンの権力を総攬しようとしているセリーナは、その言葉にようやく眉をひそめた。
前回の人生があるから、アデリナはこの地に生きる人々の強さを知っている。
セリーナは、彼らを踏みつけにする資格なんて、ない。
「なんですって?」
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ならば、もう語ることもない。
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アデリナがすっと立ち上がり、礼儀程度の軽い会釈をすると一直線に扉の方に向かう。
明らかな決別を認識したセリーナは、逆にいつもの笑みを張り付けた。
「そういえば……元老院の命で魔物討伐へ赴くのでしょう? 武運を祈るわ」
「……」
薄気味悪い笑み。どうせ、心底では真逆のことを考えているだろうに。
形骸化を余儀なくされた同盟の残骸を心に大事に抱きながら、アデリナは無言で公爵邸を出た。
涼しい風が吹き抜ける。秋が、やってこようとしていた。
仰ぎ見れば、昨日となんら変わらず星は夜空に輝いていて、月は静かに世界を見下ろしている。
これからデートであろうカップルが笑い合っている。仕事終わりの女性が花を買いに花屋に入った。男友達らしき二人が、酒瓶を持って肩を組んで歩き去る。道端で誰かが楽器を演奏している。公園の中では誰かが穏やかに絵を描いている。
――ひとりひとりの生活が、ここにある。
この指一つで。
たかが数枚の紙で。
彼らの生活を変化させたり、より良くしたり、逆に引き裂く力を、アデリナ達は持っている。
「っ……!」
ごめん。
何も知らない道行く人々を見て、アデリナは不意に目頭が熱くなって、自然とそんな考えが頭をよぎった。
次は間違えないと誓ったのに。
こんな早く、道の先を見失ってしまった。
力を持つ自分には責任がある。だから、その責任のぶんの痛みを受ける覚悟は、できている。
でも、彼らは?
ただ普通に生活を送りたい彼らは、アデリナ達が守るべき彼らには、一体何の罪があってこんな重責の結果を押し付けられなくてはいけないのだろう。
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