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第一章 出会い
第十五話 死の予感
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ラルフは内心かなり安心していた。
(よかった。間に合ったようだ)
吸血鬼の娘ベルフィア。
先ほどまで勝機の見えぬ戦いに身を投じていた。敵の数は多い上、個々の能力もかなり高い人狼に攻めあぐねていたところだった。
そこに吸血鬼を絶滅の危機に追いやった”鏖”のミーシャが、助けた。
字面は可笑しいが、笑えない状況は依然として変わらず、茂みに何体いるかハッキリしないが、三匹程度しか殺せていない。まだまだかなりの数の敵に囲まれていた。
「この程度の敵に躓いては、私の侍女は務まらないぞ?私が出会った吸血鬼でお前はダントツで最弱だな」
ミーシャは傲岸不遜な態度をベルフィアにとる。
「…面目ありませぬ…魔王様」
滅茶苦茶不満そうに返答するベルフィア。
それもそのはず、脅されて侍女にされてから間もなくミーシャは上位者として、ベルフィアに命令ばかりしている。100年の眠りから覚めて早々、召使いにされたのだから不満しかないことだろう。
「おーいミーシャ、ほどほどになー。あんま調子に乗んなよー」
ラルフは気の抜けたような声でミーシャを窘める。ムッとした顔でラルフをチラ見した後、フンッと鼻を鳴らして、前を見据える。
ベルフィアを不満にさせる要因の一つ、人間の待遇が自分よりいい事だ。自分の体裁のためにもラルフを殺そうとしたのは内緒だ。
そんな事情など意にも介さず、人狼側は撤退を考えていた。
そもそも任務の概要で聞いた話では、第二魔王はイミーナ陣営の全力の攻撃を一身に受けて、その上魔力もなく、回復すらままならなかったはずだ。虫の息なので、もしかしたらすでに死亡していることも考えられていた。
イミーナが攻撃した後、第二魔王は空中から墜落。その場で三日三晩探したそうだが遺体は見当たらず、最近目撃情報があったこの地に派遣された。
特殊部隊”牙狼”が選ばれたのは索敵能力に優れ、中級魔族と同等の能力を保有しているため、簡単に死なないことが理由だ。
超攻撃型のイミーナ陣営にとって、”牙狼”は垂涎の一言だった。
派遣されて間もなく、行方不明だった第二魔王の発見は優秀の証明だが、事実と異なる事態には対処できない。
「隊長、ココハ一旦引イテ情報ヲ共有スベキデス」
「アア…撤退ノ準備ニ入レ…」
牙狼チームは小声で撤退の準備に入る。
「…?”ジュリア”ハドコダ?」
ジュリアとはラルフに強力なスプレー瓶で鼻を焼かれた人狼だ。
「アレハモウ使エマセン、命ガアッテモ殺処分デショウ…ココデ死ヌノガ栄誉ト考エマス」
この考えは概ね正しい。だが家族を置いていけるほど、薄情ではなかった。
「副長、ココカラノ指揮ハ、オ前ニ任セル。ソコノ2人俺ト来イ」
副長と呼ばれた人狼は何か言いたげだったが、隊長の妹に対する情は分からなくもなかった。
ジュリアは能力も高く、隊の中でも紅一点の憧れの存在だった。隊長の妹と言う事も在り、手は出せなかったが、ジュリアをその気にさせるためアプローチをしていたくらいに。
人間に酸のようなもので顔をやられた時、怒りに満ち、同時に存在意義を消されたジュリアを憂いた。
ジュリアは今後、実生活において間違いなく苦労する。
鼻が死んだ人狼は自分の食事すら満足に獲れないのだ。極めつけは顔を焼かれたことにより毛が落ちてしまい、あの美しかった毛並みと美貌が損なわれた。故郷に帰れば、軍の規定で能力不足による追放となる。
前”銀爪”であれば追放で命は助かる、
現”銀爪”は癇癪で間違いなく殺すだろう。
ミーシャは茂みから一向に出てこない人狼どもに対ししびれを切らしていた。
「何をコソコソしている。それでも”銀爪”ご自慢の部隊か?所詮は人間ごときに殺される筋肉だるまに飼われた犬どもだな」
カサカサという音ぐらいしか聞こえてこない。煽りに対しても唸り声一つ上げない徹底した姿勢に、ミーシャは牙狼が撤退の準備に入ったことが分かった。
「逃がさんぞ…もうしばらく復活は内緒にしておきたいんでな」
ミーシャの周囲に魔力が収束していく。
二階で眺めていたラルフは珍しいものを傍で見る観光客のように他人事だった。
「おぉ、おぉ、地形でも変える気かよおっかねえなぁ…」
味方側から見てもこれヤバくね?な魔力の胎動を感じて命乞いをした自分を思い出した。
生きてるって素晴らしい。
キチッチキッ
後ろから尖ったものが石をこする独特な音が聞こえた。家鳴りの一種だろうと気に留めてなかったが、段々と近くなる音に気になって振り向く。そこには廊下を歩く一匹の人狼が見えた。
「へぇっ!?」
あまりの事態に素っ頓狂な声が出る。何故なら人狼たちは下で死ぬ一歩手前の状況のはず、ベルフィアが入り口を守っていたし、入ってこれるわけがない。
いや入っているからあり得ないことはない。
その声に気づき、一瞬焦点の合わない目で見た後、牙を剥き出しにして、威嚇したようなひどい顔で、ラルフを見ていた。
(こいつはさっきスプレーで…)
爛れた顔を見て気づいたラルフはもしやと思う。
あれは威嚇ではなく笑ったのだという勘が舞い降りた。
鼻の利かない人狼が二階のラルフを見つける術はない。二階で調子に乗ったラルフを視認し、こっそり入ってきたのだ。
(ヤバい…)
城には隠れられる場所はあるが、煙幕玉はあとわずか。
誤魔化したところで追い詰められるのが関の山。
ミーシャの、ましてベルフィアの助けなんて期待できない。
ラルフが生き残るにはあの人狼を殺しきる必要がある。
(ならこいつか)
懐から一つ玉を取り出す。人狼はラルフの目を見据え、”血走った目”で睨み付ける。その瞬間ラルフの体がしびれる。人狼のスキルによる麻痺効果。
その一瞬の痺れは玉を取りこぼし、ラルフの目の前に転がる。
人狼はその様子を見て口が裂けるほどの黒い笑みを浮かべる。
「ハッハァ!マタ煙幕カ?小賢シイ人間メ!貴様ノ喉元ヲ食イチギリ殺シテヤル。オ前ノ血肉ハ、アタシノ物ダ!!」
怒りと憎悪からよだれを垂らし、間合いを詰めようと一気に迫る。ベルフィアより遅いとはいえ、ラルフの敏捷性では後手に回らざるを得ない。しかも痺れがいまだとれていない最悪の状況。苦し紛れのカウンターも出すことができない。
ラルフは目をつむる。
(諦メタカ?イイゾ、イイ覚悟ダ!)
人狼は自慢の牙で喉元を抉るため、口を最前に剥き出しにして襲い掛かる。その時そばに転がった玉が破裂し光を放った。落としたのは閃光弾だったのだ
スキルを使用した状態でさらに顔を突き出した状態の人狼の目に閃光が刺さる。
「ギャァッ!」
目の前で突如破裂した光に成す術なく目が焼かれる。その隙を狙ってラルフはダガーを抜き、迫る人狼の胸にダガーを突き立て…
ガギギィッ
突き…
突き立たない!
鋼鉄の体毛はダガーの刃を滑らせ、切れない代わりに打撃攻撃として少量のダメージを与えた。あまりの勢いに二人ともそれぞれ尻もちをつき、二人とも動けないでいた。
ラルフは困惑した。
刃物が通らない敵に遭遇すること自体は初めてではないが、それは見た目でわかるものだった。例えば岩石、例えば鋼鉄、生き物なら鱗や甲羅。だが人狼のそれは柔らかそうに見える体毛だ。
野営地で投げた投げナイフは人狼に刺さった。
個々でかなり能力の違いがあるのかもしれない。
ラルフは見逃してしまったために気づいていない。ベルフィアが使った”吸血身体強化”のコストを使用した攻撃を。その攻撃ですら貫くことの出来なかったその体を。
ラルフの困惑などつゆ知らず、人狼はすべてに余裕を失いつつあった。鼻が利かず、目の前が白んで周りが見えない。耳に頼ろうにも音ですべてを感知できるほど発達していない。耳元で爆弾でも破裂されれば触覚以外の五感は奪われたも同然。
今まで感じたことのない無力という恐怖は人狼の心をすさまじい勢いでかき乱した。
「…ヒィィン…ヒィィン…」
心細くなったり恐怖を感じた時に出す小さな泣き声は、幼少の頃以来だった。兄からはぐれてしまい、迷子になった時に出したことを覚えている。
兄に見つけてもらった時、心の底から安堵した。その時、諭された言葉は自分の芯となっていつまでも残っていた。
「オ前ハ誇リ高キ一族ダゾ?自分ノ力ヲ信ジレバナンダッテデキルンダ」
その時の兄のやさしい匂いを忘れはしない。あの時から自分を鍛え、”銀爪”様に関心を持っていただき、その結果、兄の部隊に入れた。この喜びは永遠のものだ。
死ぬことも承知だった。そのはずなのに、怖くてたまらない。
兄が近くにいないことは平気だったのに、ここに来て淋しさを思い出し涙が出る。
(死ヌ…殺サレル…)
信じられる力をいとも簡単に奪った人間が憎い。視力すら奪いほぼ無防備となった戦場がこうも怖いとは思いもよらなかった。
ザザッ…ズザッ…コツコツッ
人間が身をよじり、多分立ち上がり、歩いてくる。
何をされるのかわからない。
「ヤメリョォッ!来リュニャァッ!!」
舌も回らないほど震えが止まらない。
「おい、ちょっと待て。気を静めろ。何もしないから…な?」
「ヒィィン…ヒィィン…」
体を縮めて丸まってしまう、あまりの恐怖に幼児退行したのだ。
人狼は自分が単独行動してしまった愚かさを悔い、何度も不意打ちを受けた不甲斐なさと不幸を呪っていた。
「なぁ…ちょっと…名前は何て言うんだ?」
「……」
言われている意味がちょっと分からず言葉に詰まる。
「…名前は、何て言うんだ?」
もう一度少しゆっくりめで名前を聞かれる。
「……ジュリア…」
正直に本名を言ってしまう。
判断力も鈍り、考えることを放棄していた。
「ジュリア…いい名前だ。なぁ取引しないか?」
ラルフは精一杯の優しさをはらんだ口調で語り掛ける。
「俺はラルフ。いいかジュリア、もし取引するなら、助けてやるよ」
「人間ナド信用デキナイ!!」
怯えながらも拒否するジュリア。ラルフはどうしたものかと思案していた。実際ダガーが通れば、有無を言わさず命を取った。
現在ラルフにジュリアを殺す術がない以上、視力が回復した時に真っ先に殺されるのが、分かっていたからこその取引だ。
(最近こんなのばっかだな…)
ラルフは自分の境遇に内心辟易しながら、手を考える。
「取引の内容が分からないから拒否しているんだろ?俺の言うことを一言一句漏らさず聞けよ」
「……」
ラルフの次の言葉を待つ。ジュリアは自分ができる事が少ないが故に、知らず知らずラルフに生死を預けていた。
「俺を殺さないと約束してくれないか?約束できるなら俺はお前の傷を治してやる」
「……エ?」
(よかった。間に合ったようだ)
吸血鬼の娘ベルフィア。
先ほどまで勝機の見えぬ戦いに身を投じていた。敵の数は多い上、個々の能力もかなり高い人狼に攻めあぐねていたところだった。
そこに吸血鬼を絶滅の危機に追いやった”鏖”のミーシャが、助けた。
字面は可笑しいが、笑えない状況は依然として変わらず、茂みに何体いるかハッキリしないが、三匹程度しか殺せていない。まだまだかなりの数の敵に囲まれていた。
「この程度の敵に躓いては、私の侍女は務まらないぞ?私が出会った吸血鬼でお前はダントツで最弱だな」
ミーシャは傲岸不遜な態度をベルフィアにとる。
「…面目ありませぬ…魔王様」
滅茶苦茶不満そうに返答するベルフィア。
それもそのはず、脅されて侍女にされてから間もなくミーシャは上位者として、ベルフィアに命令ばかりしている。100年の眠りから覚めて早々、召使いにされたのだから不満しかないことだろう。
「おーいミーシャ、ほどほどになー。あんま調子に乗んなよー」
ラルフは気の抜けたような声でミーシャを窘める。ムッとした顔でラルフをチラ見した後、フンッと鼻を鳴らして、前を見据える。
ベルフィアを不満にさせる要因の一つ、人間の待遇が自分よりいい事だ。自分の体裁のためにもラルフを殺そうとしたのは内緒だ。
そんな事情など意にも介さず、人狼側は撤退を考えていた。
そもそも任務の概要で聞いた話では、第二魔王はイミーナ陣営の全力の攻撃を一身に受けて、その上魔力もなく、回復すらままならなかったはずだ。虫の息なので、もしかしたらすでに死亡していることも考えられていた。
イミーナが攻撃した後、第二魔王は空中から墜落。その場で三日三晩探したそうだが遺体は見当たらず、最近目撃情報があったこの地に派遣された。
特殊部隊”牙狼”が選ばれたのは索敵能力に優れ、中級魔族と同等の能力を保有しているため、簡単に死なないことが理由だ。
超攻撃型のイミーナ陣営にとって、”牙狼”は垂涎の一言だった。
派遣されて間もなく、行方不明だった第二魔王の発見は優秀の証明だが、事実と異なる事態には対処できない。
「隊長、ココハ一旦引イテ情報ヲ共有スベキデス」
「アア…撤退ノ準備ニ入レ…」
牙狼チームは小声で撤退の準備に入る。
「…?”ジュリア”ハドコダ?」
ジュリアとはラルフに強力なスプレー瓶で鼻を焼かれた人狼だ。
「アレハモウ使エマセン、命ガアッテモ殺処分デショウ…ココデ死ヌノガ栄誉ト考エマス」
この考えは概ね正しい。だが家族を置いていけるほど、薄情ではなかった。
「副長、ココカラノ指揮ハ、オ前ニ任セル。ソコノ2人俺ト来イ」
副長と呼ばれた人狼は何か言いたげだったが、隊長の妹に対する情は分からなくもなかった。
ジュリアは能力も高く、隊の中でも紅一点の憧れの存在だった。隊長の妹と言う事も在り、手は出せなかったが、ジュリアをその気にさせるためアプローチをしていたくらいに。
人間に酸のようなもので顔をやられた時、怒りに満ち、同時に存在意義を消されたジュリアを憂いた。
ジュリアは今後、実生活において間違いなく苦労する。
鼻が死んだ人狼は自分の食事すら満足に獲れないのだ。極めつけは顔を焼かれたことにより毛が落ちてしまい、あの美しかった毛並みと美貌が損なわれた。故郷に帰れば、軍の規定で能力不足による追放となる。
前”銀爪”であれば追放で命は助かる、
現”銀爪”は癇癪で間違いなく殺すだろう。
ミーシャは茂みから一向に出てこない人狼どもに対ししびれを切らしていた。
「何をコソコソしている。それでも”銀爪”ご自慢の部隊か?所詮は人間ごときに殺される筋肉だるまに飼われた犬どもだな」
カサカサという音ぐらいしか聞こえてこない。煽りに対しても唸り声一つ上げない徹底した姿勢に、ミーシャは牙狼が撤退の準備に入ったことが分かった。
「逃がさんぞ…もうしばらく復活は内緒にしておきたいんでな」
ミーシャの周囲に魔力が収束していく。
二階で眺めていたラルフは珍しいものを傍で見る観光客のように他人事だった。
「おぉ、おぉ、地形でも変える気かよおっかねえなぁ…」
味方側から見てもこれヤバくね?な魔力の胎動を感じて命乞いをした自分を思い出した。
生きてるって素晴らしい。
キチッチキッ
後ろから尖ったものが石をこする独特な音が聞こえた。家鳴りの一種だろうと気に留めてなかったが、段々と近くなる音に気になって振り向く。そこには廊下を歩く一匹の人狼が見えた。
「へぇっ!?」
あまりの事態に素っ頓狂な声が出る。何故なら人狼たちは下で死ぬ一歩手前の状況のはず、ベルフィアが入り口を守っていたし、入ってこれるわけがない。
いや入っているからあり得ないことはない。
その声に気づき、一瞬焦点の合わない目で見た後、牙を剥き出しにして、威嚇したようなひどい顔で、ラルフを見ていた。
(こいつはさっきスプレーで…)
爛れた顔を見て気づいたラルフはもしやと思う。
あれは威嚇ではなく笑ったのだという勘が舞い降りた。
鼻の利かない人狼が二階のラルフを見つける術はない。二階で調子に乗ったラルフを視認し、こっそり入ってきたのだ。
(ヤバい…)
城には隠れられる場所はあるが、煙幕玉はあとわずか。
誤魔化したところで追い詰められるのが関の山。
ミーシャの、ましてベルフィアの助けなんて期待できない。
ラルフが生き残るにはあの人狼を殺しきる必要がある。
(ならこいつか)
懐から一つ玉を取り出す。人狼はラルフの目を見据え、”血走った目”で睨み付ける。その瞬間ラルフの体がしびれる。人狼のスキルによる麻痺効果。
その一瞬の痺れは玉を取りこぼし、ラルフの目の前に転がる。
人狼はその様子を見て口が裂けるほどの黒い笑みを浮かべる。
「ハッハァ!マタ煙幕カ?小賢シイ人間メ!貴様ノ喉元ヲ食イチギリ殺シテヤル。オ前ノ血肉ハ、アタシノ物ダ!!」
怒りと憎悪からよだれを垂らし、間合いを詰めようと一気に迫る。ベルフィアより遅いとはいえ、ラルフの敏捷性では後手に回らざるを得ない。しかも痺れがいまだとれていない最悪の状況。苦し紛れのカウンターも出すことができない。
ラルフは目をつむる。
(諦メタカ?イイゾ、イイ覚悟ダ!)
人狼は自慢の牙で喉元を抉るため、口を最前に剥き出しにして襲い掛かる。その時そばに転がった玉が破裂し光を放った。落としたのは閃光弾だったのだ
スキルを使用した状態でさらに顔を突き出した状態の人狼の目に閃光が刺さる。
「ギャァッ!」
目の前で突如破裂した光に成す術なく目が焼かれる。その隙を狙ってラルフはダガーを抜き、迫る人狼の胸にダガーを突き立て…
ガギギィッ
突き…
突き立たない!
鋼鉄の体毛はダガーの刃を滑らせ、切れない代わりに打撃攻撃として少量のダメージを与えた。あまりの勢いに二人ともそれぞれ尻もちをつき、二人とも動けないでいた。
ラルフは困惑した。
刃物が通らない敵に遭遇すること自体は初めてではないが、それは見た目でわかるものだった。例えば岩石、例えば鋼鉄、生き物なら鱗や甲羅。だが人狼のそれは柔らかそうに見える体毛だ。
野営地で投げた投げナイフは人狼に刺さった。
個々でかなり能力の違いがあるのかもしれない。
ラルフは見逃してしまったために気づいていない。ベルフィアが使った”吸血身体強化”のコストを使用した攻撃を。その攻撃ですら貫くことの出来なかったその体を。
ラルフの困惑などつゆ知らず、人狼はすべてに余裕を失いつつあった。鼻が利かず、目の前が白んで周りが見えない。耳に頼ろうにも音ですべてを感知できるほど発達していない。耳元で爆弾でも破裂されれば触覚以外の五感は奪われたも同然。
今まで感じたことのない無力という恐怖は人狼の心をすさまじい勢いでかき乱した。
「…ヒィィン…ヒィィン…」
心細くなったり恐怖を感じた時に出す小さな泣き声は、幼少の頃以来だった。兄からはぐれてしまい、迷子になった時に出したことを覚えている。
兄に見つけてもらった時、心の底から安堵した。その時、諭された言葉は自分の芯となっていつまでも残っていた。
「オ前ハ誇リ高キ一族ダゾ?自分ノ力ヲ信ジレバナンダッテデキルンダ」
その時の兄のやさしい匂いを忘れはしない。あの時から自分を鍛え、”銀爪”様に関心を持っていただき、その結果、兄の部隊に入れた。この喜びは永遠のものだ。
死ぬことも承知だった。そのはずなのに、怖くてたまらない。
兄が近くにいないことは平気だったのに、ここに来て淋しさを思い出し涙が出る。
(死ヌ…殺サレル…)
信じられる力をいとも簡単に奪った人間が憎い。視力すら奪いほぼ無防備となった戦場がこうも怖いとは思いもよらなかった。
ザザッ…ズザッ…コツコツッ
人間が身をよじり、多分立ち上がり、歩いてくる。
何をされるのかわからない。
「ヤメリョォッ!来リュニャァッ!!」
舌も回らないほど震えが止まらない。
「おい、ちょっと待て。気を静めろ。何もしないから…な?」
「ヒィィン…ヒィィン…」
体を縮めて丸まってしまう、あまりの恐怖に幼児退行したのだ。
人狼は自分が単独行動してしまった愚かさを悔い、何度も不意打ちを受けた不甲斐なさと不幸を呪っていた。
「なぁ…ちょっと…名前は何て言うんだ?」
「……」
言われている意味がちょっと分からず言葉に詰まる。
「…名前は、何て言うんだ?」
もう一度少しゆっくりめで名前を聞かれる。
「……ジュリア…」
正直に本名を言ってしまう。
判断力も鈍り、考えることを放棄していた。
「ジュリア…いい名前だ。なぁ取引しないか?」
ラルフは精一杯の優しさをはらんだ口調で語り掛ける。
「俺はラルフ。いいかジュリア、もし取引するなら、助けてやるよ」
「人間ナド信用デキナイ!!」
怯えながらも拒否するジュリア。ラルフはどうしたものかと思案していた。実際ダガーが通れば、有無を言わさず命を取った。
現在ラルフにジュリアを殺す術がない以上、視力が回復した時に真っ先に殺されるのが、分かっていたからこその取引だ。
(最近こんなのばっかだな…)
ラルフは自分の境遇に内心辟易しながら、手を考える。
「取引の内容が分からないから拒否しているんだろ?俺の言うことを一言一句漏らさず聞けよ」
「……」
ラルフの次の言葉を待つ。ジュリアは自分ができる事が少ないが故に、知らず知らずラルフに生死を預けていた。
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