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第十二章 協議
第二話 悪夢、そして光
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変な夢を見た。
奈落に落ちていくような永遠の浮遊感。下につくことのない恐怖は私には耐え難いことだった。
不思議なことに体に全く力が入らず、指先一つ動かすことも億劫な、力尽きて自由意志を失った悲しく真っ暗な世界。
この世界は嫌だ。もう落ちるのは嫌だ。
誰か私を自由にして欲しい。
誰でも良い。この暗闇から救ってくれるのなら魔族だろうが人間だろうが獣だろうが、無機物だって歓迎だ。いっそ命を手放したら、楽になれたらこんなことも考えなくて済むだろう。そう考えずにはいられない。
でもそういう訳にも行かなかった。
何故なら生きようと足掻いてしまったから。背後から槍で突かれた時に即死出来ていれば、或いは諦めもついたかもしれない。それより前に古代の竜が私をねじ伏せてくれたら、或いは……或いは……。
生きたいと願ったのは本能だろう。
この世界に未練などない。私が強者として生まれ落ちて百余年。多くの者たちが私の手で死んでいった。そのほとんどが私の命を狙った哀れな生き物たち。勝てるはずもないのに、大言壮語を振りまいて向かってくる。
その悉くが戦いの中、驚愕の顔で私を見ていた。それも一瞬のこと。私の力が分かった時には対峙した者は消える。そういう生き物は何百体も何千匹も何万人も見て来た。
だから私には仲間と呼べる者はいなかった。全てが恐怖の上に成り立っていることを肌で感じていたから。対等に話せるのは魔王という同じ肩書きを持った者たちだけ。彼らも私の力に匹敵するほどではなかったが、対等であるなら敬意も払えた。
イミーナ……。
彼女は私の幼馴染。誰より私のことを理解し、誰より私の側に居て、私の喜怒哀楽に最も触れて来た存在。唯一背中を託せる謂わば親族だった。物心ついた時には既に親兄弟は無く、私はイミーナの父に拾われて育った。
グラジャラク大陸のクロイツェル伯爵。彼は私の能力に目をつけ、養子にした。貴族としての作法、常識、良識と規則、習慣、上下関係から歴史に至る教育を強いられ、何も知らなかった私は、お腹が満たされるならと全てを受け入れた。
月日が経つにつれて日に日についていく知識は、伯爵の存在を矮小にしていった。伯爵の器の小ささ、醜聞、悪癖など、多くの痴態を理解するに至ったからだ。
ある日、私はイミーナと遊びたくて部屋を訪れた。そこで行われていたのはイミーナへの執拗で悪辣ないじめ。何も知らない無垢な私ならあの光景にピクリとも関心を示さなかっただろう。お腹を満たすだけが生きがいの私なら、むしろ自ら手伝い、全てが終わったご褒美に食べ物を要求したかもしれない。
でもそうはならなかった。伯爵は私を武器にするために自殺志願書にサインしたのだ。餌付け出来ているから逆らうことはないと本気で思っていたのだ。
魔族にとっては年端も行かぬ女児の手によって、その生涯を全うすることとなった。無惨な亡骸となった父を見たあの時のイミーナの複雑な表情は今でも忘れない。
今こうして落ちゆく意識の中、彼女になら殺されても良かったのかもしれないと思ってしまう。
あんなことがあれば復讐を誓うのも分からなくはない。救ったと思うのは私の個人的な見解で、イミーナにとっては助けなど必要なかったかもしれない。例え私の考えと一致していたとして、どんな親でも失いたくなかったのかもしれないから。
姉妹や親友とも呼ぶべき存在に裏切られ、命からがら逃げ延びたその瞬間は怒りに震えたが、あの時が絶好の機会だったのかもしれないと思えば考えも変わる。
この世界は嫌だ。もう落ちるのは嫌だ。
誰か私を自由にして欲しい。
誰でも良い。この暗闇から救ってくれるのなら魔族だろうが人間だろうが獣だろうが、無機物だって歓迎だ。
「……ラルフ……」
ふと名前が呼びたくなり、簡単にそう呟けた。この暗闇の世界で、指先一つ自由に動かせない体に無力感を感じていたというのに……。
体が軽くなる。いつまでも落ち続けていくような浮遊感とは違う軽さ。まるで私は羽根になったようだ。ゆったりとゆっくりとヒラヒラ浮いている。
ラルフはただの人間だ。ただの人間だった。私はそんな人間に、ラルフに救われた。
思えばあの時もこんな感覚だったかもしれない。体が軽くなり、ポッと熱を帯びて生気が湧き上がる。
目を閉じているのが煩わしくて、ズシッと瞼が重いのに虹彩に光を取り込みたくなる、あの何とも言えない感覚。焚き火の側に座る彼の姿を、私は一生忘れることはないだろう。
あの時からいったいどれ程の時間が経過したのだろうか?今も目の前に彼はいるのだろうか?
ベッドの温もりをじんわり感じながら、手探りで抱きまくらを探す。もう起きたのだろう。哀愁に身を焦がしたミーシャはラルフの行き場所を考える。きっと洗面所だろう。顔を洗って、櫛で寝癖を直して……。その姿を想像すれば全ての情景が目に浮かぶ。彼の一挙手一投足がミーシャの生きる糧となる。
もう起きよう。ミーシャは変な夢のせいですぐにラルフに会いたくなった。
目を開けて部屋を出よう。そうすれば洗面所からちょうど戻ってくるラルフとバッタリ会えるかもしれない。
窓の外から差し込む光が部屋を明るくしているのを感じて、ミーシャはようやく目を開けた。
「おはよう!よく眠れたか?」
ラルフは冗談交じりに寝起きのミーシャに声をかけた。すっかり身支度の整ったラルフを見て心の底から笑顔になった。
「ん、おはよ……ラルフ」
喉から搾り出したような掠れた声に喜びを感じたのは初めてのことだった。
奈落に落ちていくような永遠の浮遊感。下につくことのない恐怖は私には耐え難いことだった。
不思議なことに体に全く力が入らず、指先一つ動かすことも億劫な、力尽きて自由意志を失った悲しく真っ暗な世界。
この世界は嫌だ。もう落ちるのは嫌だ。
誰か私を自由にして欲しい。
誰でも良い。この暗闇から救ってくれるのなら魔族だろうが人間だろうが獣だろうが、無機物だって歓迎だ。いっそ命を手放したら、楽になれたらこんなことも考えなくて済むだろう。そう考えずにはいられない。
でもそういう訳にも行かなかった。
何故なら生きようと足掻いてしまったから。背後から槍で突かれた時に即死出来ていれば、或いは諦めもついたかもしれない。それより前に古代の竜が私をねじ伏せてくれたら、或いは……或いは……。
生きたいと願ったのは本能だろう。
この世界に未練などない。私が強者として生まれ落ちて百余年。多くの者たちが私の手で死んでいった。そのほとんどが私の命を狙った哀れな生き物たち。勝てるはずもないのに、大言壮語を振りまいて向かってくる。
その悉くが戦いの中、驚愕の顔で私を見ていた。それも一瞬のこと。私の力が分かった時には対峙した者は消える。そういう生き物は何百体も何千匹も何万人も見て来た。
だから私には仲間と呼べる者はいなかった。全てが恐怖の上に成り立っていることを肌で感じていたから。対等に話せるのは魔王という同じ肩書きを持った者たちだけ。彼らも私の力に匹敵するほどではなかったが、対等であるなら敬意も払えた。
イミーナ……。
彼女は私の幼馴染。誰より私のことを理解し、誰より私の側に居て、私の喜怒哀楽に最も触れて来た存在。唯一背中を託せる謂わば親族だった。物心ついた時には既に親兄弟は無く、私はイミーナの父に拾われて育った。
グラジャラク大陸のクロイツェル伯爵。彼は私の能力に目をつけ、養子にした。貴族としての作法、常識、良識と規則、習慣、上下関係から歴史に至る教育を強いられ、何も知らなかった私は、お腹が満たされるならと全てを受け入れた。
月日が経つにつれて日に日についていく知識は、伯爵の存在を矮小にしていった。伯爵の器の小ささ、醜聞、悪癖など、多くの痴態を理解するに至ったからだ。
ある日、私はイミーナと遊びたくて部屋を訪れた。そこで行われていたのはイミーナへの執拗で悪辣ないじめ。何も知らない無垢な私ならあの光景にピクリとも関心を示さなかっただろう。お腹を満たすだけが生きがいの私なら、むしろ自ら手伝い、全てが終わったご褒美に食べ物を要求したかもしれない。
でもそうはならなかった。伯爵は私を武器にするために自殺志願書にサインしたのだ。餌付け出来ているから逆らうことはないと本気で思っていたのだ。
魔族にとっては年端も行かぬ女児の手によって、その生涯を全うすることとなった。無惨な亡骸となった父を見たあの時のイミーナの複雑な表情は今でも忘れない。
今こうして落ちゆく意識の中、彼女になら殺されても良かったのかもしれないと思ってしまう。
あんなことがあれば復讐を誓うのも分からなくはない。救ったと思うのは私の個人的な見解で、イミーナにとっては助けなど必要なかったかもしれない。例え私の考えと一致していたとして、どんな親でも失いたくなかったのかもしれないから。
姉妹や親友とも呼ぶべき存在に裏切られ、命からがら逃げ延びたその瞬間は怒りに震えたが、あの時が絶好の機会だったのかもしれないと思えば考えも変わる。
この世界は嫌だ。もう落ちるのは嫌だ。
誰か私を自由にして欲しい。
誰でも良い。この暗闇から救ってくれるのなら魔族だろうが人間だろうが獣だろうが、無機物だって歓迎だ。
「……ラルフ……」
ふと名前が呼びたくなり、簡単にそう呟けた。この暗闇の世界で、指先一つ自由に動かせない体に無力感を感じていたというのに……。
体が軽くなる。いつまでも落ち続けていくような浮遊感とは違う軽さ。まるで私は羽根になったようだ。ゆったりとゆっくりとヒラヒラ浮いている。
ラルフはただの人間だ。ただの人間だった。私はそんな人間に、ラルフに救われた。
思えばあの時もこんな感覚だったかもしれない。体が軽くなり、ポッと熱を帯びて生気が湧き上がる。
目を閉じているのが煩わしくて、ズシッと瞼が重いのに虹彩に光を取り込みたくなる、あの何とも言えない感覚。焚き火の側に座る彼の姿を、私は一生忘れることはないだろう。
あの時からいったいどれ程の時間が経過したのだろうか?今も目の前に彼はいるのだろうか?
ベッドの温もりをじんわり感じながら、手探りで抱きまくらを探す。もう起きたのだろう。哀愁に身を焦がしたミーシャはラルフの行き場所を考える。きっと洗面所だろう。顔を洗って、櫛で寝癖を直して……。その姿を想像すれば全ての情景が目に浮かぶ。彼の一挙手一投足がミーシャの生きる糧となる。
もう起きよう。ミーシャは変な夢のせいですぐにラルフに会いたくなった。
目を開けて部屋を出よう。そうすれば洗面所からちょうど戻ってくるラルフとバッタリ会えるかもしれない。
窓の外から差し込む光が部屋を明るくしているのを感じて、ミーシャはようやく目を開けた。
「おはよう!よく眠れたか?」
ラルフは冗談交じりに寝起きのミーシャに声をかけた。すっかり身支度の整ったラルフを見て心の底から笑顔になった。
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