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蜂蜜の吐息
16 ー ミョート村
しおりを挟む深夜になるまで厨房に籠ることが久しくなかった誠は、少しワクワクしていた。
「はー…やっと自由にお菓子が作れる」
厨房に自由に出入りする許可は、アレクセイに貰っている。
誠は屋台で出す焼き菓子を作るからという理由で、皆が引き上げた後もこの場に残っていた。
「その前に…と」
誠はバッグから皿を何枚か取り出す。夕飯の料理を二人分、先に取り分けていたのだ。
携帯鳥居も取り出して、作業台に置いた。
「統括の神様、相模さん。この地の物で作った料理です。お納めください」
柏手を打ち、手を合わせて頭を下げると、それらの料理は鳥居の中へと消えて行った。店で出さないメニューばかりだが、気に入ってもらえると嬉しい。
誠は空になった皿を洗い、バッグにしまった。
「さて。こっからが本命だな」
バッグに手を突っ込み、そこから黄色い果実を取り出す。
レモンだ。
人が集まる所には、物も集まる。冒険者が多く出入りするミョート村は、商人の出入りも多い。レモンは商人達が運んではここで卸し、魔獣の素材を買い付けては他の街で売るというサイクルができているそうだ。
青果店で山積みになっていたので、それを見た誠は思わず多めに買ってしまった。
ベリー系も好きだが、柑橘系の方が好きだ。誠はレモンを見た瞬間、思った。
「そうだ、ムース作ろう」と。
レモンのムースは「café 紺」でも定番のデザートで、店内だけでなく持ち帰り用も販売しているが。作っているとそれで満足してしまうが、毎日見える物が無いとなると、無性に食べたくなるのはなぜだろう。
蜂蜜とレモンはこの村で購入した物を使う。足りないのは生クリーム、そして忘れてはいけないゼラチンだ。クリームチーズを使うレシピもあるが、さっぱりしたのを食べたいので、今回は使わないことにした。
誰も居ないということは、やりたい放題ということだ。
誠はタブレットからテンポの良い曲を選び、小さく口ずさみながら鍋で牛乳を温めはじめた。気分が良いので、ついでにレモンのジュレも作る。二色、いや、三色のレモンムースにする予定だ。
容器は雑貨店を覗いた時に、丁度いい大きさのガラス瓶があったのでそれを使う。バットに並べた容器の黄色は目にも鮮やかで、レモンの酸味が肉料理の余韻を吹き飛ばしていた。
冷蔵庫に入れて、扇形に切ったレモンと蜂蜜を小鍋で煮ていると、背後から慣れた気配がした。
「マコト」
現れたのはアレクセイだった。この男は、そういうタイミングで現れる能力でも身につけているようだ。
顔を上げると、アレクセイは茶葉が入っているガラス瓶を持っていた。
「何を作っているんだ?」
「ムースっていうスイーツ。もう仕上げの段階だけど。アレクセイは?」
「君とゆっくりお茶でも飲もうかと思ったのだが。邪魔か?」
「大丈夫。見学でもする?」
誠はアレクセイを厨房に招いた。
お湯を沸かしている間、アレクセイは調理器具の片付けを手伝ってくれた。こうして厨房で並んでいると新婚夫婦みたいだと、誠は視界の隅にあるアレクセイを見て思った。
「今もまた、クッキーを作っているのかと思っていたよ」
「んー…作らなきゃいけないんだけど、レモン売ってんの見たからなぁ」
この世界では、フラー土と海藻灰を混ぜた粘土のような物をちぎって水に溶かし、石鹸代わりに使っている。綺麗に洗ったボウルをアレクセイから渡された誠は、小鍋をヘラで優しく掻き回しながら、調理器具を風で乾かしてバッグにしまっていった。
アレクセイの尾が、パシパシと太腿の裏に当たる。
「何だよ」
「いや…平民の夫婦だと、こうして一緒に料理をしたり、食器を洗ったりすると聞いたことがあってな」
「…そうか」
そういうのは、どの世界でも同じなんだろうか。
誠は食器用洗剤のコマーシャルが、頭に浮かんだ。そして、尻がむず痒くなった。
「お湯、もう沸いたぞ」
「そうだな」
アレクセイは不満げにポットを見ると、火を止めた。
紅茶を用意しているアレクセイは、誠をチラチラと見ている。いつ誠の手が空くのか、確認しているのだろう。
誠はそんな視線を感じつつ、小鍋の様子を確認してから火を止めた。
「鍋はそのままにしておいて良いのか?」
「うん。粗熱、取らないといけないから」
ティーカップを乗せたトレーをアレクセイが持ち、食堂に移動した。
隣同士で座る。高い茶葉なのか、ふんわりと香る紅茶は日本で味わったことのないものだった。
しばらく無言で紅茶を味わっていると、ティーカップを置いたアレクセイが、誠の方に体を向けた。
「マコト…実は、兄上から伝言があってな」
「何だろう」
思い当たることは、一つも無い。あるとしたら、クッキーの作り方だろうか。
教えても良いが、先に王都で流行ると今後の商売に関わるので、誠としては遠慮したい案件だ。
顔を自分の方に向けた誠に、アレクセイは続ける。
「"いつ尻尾を出すのか?"…だそうだ」
言われた瞬間、誠はわずかに目を見開いた。
あの、危険と胡散臭さが同居した黒豹は只者ではないと思っていたが、何を掴んだのだろうか。
誠はこれまでの自分の行動を振り返ったが、さほど目立った行動は起こしていないはずだ。思い当たるのは、オークの亜種を討伐する時に使った力くらいだろうか。
例えそうだとしても、そこから誠の本性や「神様の料理番」に辿り着くとは思えない。
「兄上は別にマコトを疑っているわけではないと言っていたが…あの人のことだ。油断はできない」
「…ふーん」
見たままだな。誠は思った。
誠はそっとティーカップを置き、前を向いたまま口を開く。
「"尻尾"、出した方が良いの?」
隠していることは多いが、なにも誠は犯罪者ではない。憲兵に追われているわけでもない。目的があってこの地に降りただけなのだ。
腹を探られても痛くないけれど、探られたモノによっては、アレクセイを捉えてしまうう可能性がある。"ソレ"は絶対的な拘束力を持ち、誠でも、遠野の始祖である牡丹ですらも覆せないものだ。
「マコトが、ソレを見せてくれるのならな」
アレクセイは誠の頬をそっと撫で、そこに小さく唇を触れた。
誠は目を細める。そして、のぼせるなと自分に言い聞かせた。
もう、触れ合うことに戸惑いは無かった。けれど、まだアレクセイの人生を請け負う自信は無い。
相手に執着し、その命までをも手中に納めようとするのは、遠野の血を引く者の性だ。妖狐である牡丹と、そして諏訪の血を引いているのだ。どちらにしろ、逃れられない運命だ。
「俺は…アレクセイに、説明すると言ったな」
「そうだな」
「聞いてほしい。けれど、全部は話せない。それでも良いか?」
「ああ。それで良いよ。…言えない秘密でもあるのか?」
「…秘密、か。そうとも言えるし、そうじゃないとも言える」
今度は誠から、アレクセイの頬に触れた。
澄んだ氷の色とぶつかる。それを彩る深い銀色の睫毛は、意外と長いことが分かった。
「俺の一族、遠野の始祖は…両方共人間じゃない。だから、人間には使えない力が宿っている」
「では、マコトの祖先は獣人か?それとも、エルフ…」
「どっちも違う。俺は始祖の片割れである牡丹さんの方の血が濃いんだ。それは」
「それは?」
聞き返された誠は、一度ゆっくりと呼吸をした。
「狐だ」
アレクセイの様子は変わらない。それどころか、話の続きを促すように誠を見つめている。
誠はこれで終いだと示すようにアレクセイの頬から手を離した。しかし、素早く手を取られてしまい、そのまま引かれ、アレクセイの上半身に身を預けるはめになってしまった。
「…それ以上踏み込むと、どうなる?」
アレクセイにしっかりと背中に腕を回された誠は、身動きが取れない。
なんとか顔を上げることに成功したが、見上げたアレクセイの顔は、迷子の子供のような表情を浮かべていた。
ああ、馬鹿だなぁ。
誠はそれを見て、目を細めた。
捕まったのは、一体どちらなんだろう。
「どうもしないさ。ただ、遠野の血は強力なんでね。アレクセイの人生が、めちゃくちゃになるだけだ」
「…そうか」
「俺はまだ、責任は取れない。だから」
「だから、君の時間が許すまで、分かり合おう。そして、話し合おう。君を、知りたいんだ、マコト」
アレクセイは、同じような言葉を言う。何度も、何度も、誠に伝わるように。
誠は、その想いが決して軽いものではないと、どこかで分かっていた。
「マコト…」
甘く掠れるアレクセイの声は、誠にとっては魔法の声だ。
誠はゆっくりと瞳を閉じる。
唇に触れる他人の熱が、こんなにも熱いということを誠は知らなかった。
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