神様の料理番

柊 ハルト

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バターの微笑み

06 ー 初めての屋台

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 本来の巡回ルートを外して王都に帰還することについて、自分は聞かない方が良いだろうと席を外そうとしたが、誠は繋がれたままのアレクセイの手によって行動を阻まれてしまった。
 このまま聞いていても良いのだろうか。そう思い、アレクセイを見る。
 アレクセイは誠の目をしっかりと見据えたまま、頷いた。

「はじまりの森で、オーガの亜種が出現したな。皆にはあの森付近で魔獣の亜種が次々に出現していることは伝えている。…マコト、君にこの話を聞いて欲しいと思ったのは、心構えをしておいて欲しいからだ」
「心構えって、何の?」
「これからのことだ。亜種は今までにも何体か確認できている。だが、数年に一体程度の割合だ。今年はもう十体近くが確認されている」
「つまり、異常事態ってことか」
「ああ」

 アレクセイは誠の手を両手で握り直し、話を続けた。

「もしかしたら、次の村への移動中や村の付近でも現れるかもしれない。そうなったら…」
「そうなったら倒すだけじゃね?」

 アレクセイは何を不安に思っているのだろうか。両手をしっかりと包み込まれているので、誠はわざわざ尾を出してアレクセイの肩をバシリと叩いた。

「俺は守られるだけの存在じゃねぇよ」
「そうだが…」

 眉を寄せるアレクセイの代わりに話を続けたのは、オスカーだった。

「班長はマコト君の体に傷を付けたくないのもあるけど、王都に帰ってからのことも心配してるんだよ」
「帰ってから?」

 誠が首を傾げると、オスカーは小さく頷いた。

「スルト騎士団もそうだけど、王都騎士団もまだまだ一枚岩じゃないし、旧体制のお歴々が幅を利かせてんの。部隊長達がせっせと排除してるんだけどねー、つまらないことでグチグチ言ってくる訳よ」
「…オニーチャンも、苦労してんだな」
「うん。それで、マコト君のことは班長のツガイってことだけは申請してるんだけど…もし料理番のことが漏れれば今回の亜種が増加したことと無理に結びつけて、亜種がこんなに出現したのは料理番のせいだーって、班長の足を引っ張るかもしてない…ってね」
「何だそれ。こじつけもいいとこじゃん」
「そう。老獪な貴族は悪知恵が回るからね。バカなこと言っても根回しをしとけば、そのバカな虚言が本当のことになる可能性もある。アイツらは部隊長の右腕をもいでしまえば、一気に部隊長を崩せると思ってるから。だから、マコト君は行動に気を付けてねってこと」
「なるほどね」

 その「行動」とは、魔獣から身を守れということと、アレクセイの足を引っ張るような不用意なことをするなということだろう。
 売られた喧嘩は買うのが遠野だ。誠はニヤリと笑い、アレクセイに向き直る。

「アレクセイ。オニーチャンの権力って、どれくらい大きいんだ?」
「兄上か?まあ…騎士団の中だとかなり上だな。騎士団長がトップで、その下に三人の副団長が居る。そして各部隊長という階級だ。もちろん、王家の直属の騎士団が王都騎士団だから、忠誠は王家にある。兄上は王弟だから団長とも対等に話せる存在だ。…マコト、何を考えている?」
「ん?まぁ…知らないことを、しっかり知ろうと思って」

 仕掛けられていないうちは、こちらもおとなしくしていよう。けれど、対策を取っている場合とそうでない場合、圧倒的に有利なのは前者だ。後手に回るつもりはない。

「…なあ、ドナルド。俺、要らないこと言っちゃったかな」
「オスカー先輩、どう見てもそうだと思いますよ。マコトさん、何か燃えてますし」

 聞こえてるんだよ、そこの鷹と熊。
 誠は声に出さず、視線でオスカーとドナルドを黙らせた。

「マコト」

 アレクセイは誠の名前を呼び、自分の方に注意を向ける。

「俺は君の行動を縛りたいとは思わない。けれど…危険なことだけは、しないでくれ」
「…分かった」

 アレクセイが本気で自分を心配したので、了承をした。したのだが、危険なことをしないというのを了承したのだ。
 食事中に話すことではなかったとアレクセイが謝り、すっかり冷めてしまった料理を誠が狐火で温め直したところで、食事は続行された。
 明日も屋台を出したいからと、今晩は徹夜でクッキー作りをすることにする。という名目で、誠は怪しまれずに一晩中厨房に籠る理由を手に入れた。アレクセイは少し寂しそうだったが、それも今日だけだ。
 おやすみ、と頬にキスをしてやって、誠は材料を作業台に並べた。
 暫くは本当にクッキーなどを作っていたが、別館の気配を探って皆が寝静まったのを確認すると誠は動き出した。
 とぷりと闇に潜ると、行き先を探る。行ったことはない行き先だが、探ることなんか朝飯前だし、特徴のある気配だ。すぐに掴める。
 誠はゆっくりと闇の中から出た。行き先は、闇の色を持つあの相手。まだ仕事をしていたのか、室内のデスク周りだけ明かりが灯っていた。

「…誰だ」

 低く腹に響く声には、わずかな怒りが乗っている。誠は刺激しないようにゆっくりとその人物に近づいた。

「こんばんは、オニーチャン」
「マコトか…!?どうして…いや、君は闇に潜れるんだったな」

 フレデリクはわずかに目を見開くが、前回のことを思い出したのか尖っていた気を鎮めていた。

「そう。それを使って来たんだけど…話を聞いて欲しいんだ」
「…聞こうか。そこに座ってくれ、紅茶を用意しよう」

 誠はその言葉に甘え、デスクの前にあるソファセットに座った。少ししてフレデリクが戻って来る。その手には、ティーカップとポットが乗ったトレーがあった。

「お茶請けは俺が。食べます?」
「ああ、いただこう。丁度小腹が空いていたところなんだ」
「遅くまでご苦労様です。ローゼスは…もう寝てる?」
「ああ。書類の確認だけだったからな」

 誠はバッグから皿を出し、そこにメレンゲクッキーとビスコッティを乗せて、テーブルの中央に置いた。

「これは…クッキーとは違うのか?」
「こっちがビスコッティで、こっちはメレンゲクッキー。あんまり材料は変わらないんだけど。あ、気に入ったら置いてきますよ」
「助かる。…うん、美味いな」

 フレデリクは何の躊躇いもなくメレンゲクッキーに手を伸ばして口にする。口に合ったようで、小さく笑った顔は、やはりアレクセイに少し似ていた。

「…出した俺も俺だけど、オニーチャン、もっと毒味とか鑑定とか気にしたら?」
「何がだ。君はアレクセイのツガイだろう?警戒する意味が分からん」
「そう信じられても、ちょっと困るんだけど」

 アレクセイ達は、袖口に隠すように腕輪状の鑑定の魔道具をそれぞれ着けている。店や屋台で購入したものを食べる前にチラリとその魔道具に視線を向けているのを、誠は何度も目撃していた。けれど目の前の人物は、誠がアレクセイのツガイだから。それだけの理由で、自分が出した食べ物をそのまま食している。
 それだけ信用を得ているのだが、それが少し不思議で、少し嬉しい。

「私はアレクセイ達だけを家族だと思っている。ヴォルク家の家族の絆は絶対だ。だから、そのアレクセイが選んだ君は、アレクセイの非になるようなことは絶対にしない。違うか?」
「違わないけど…」
「だから君が私に対して対等に口をきくことにも、何も言わないだろう。むしろ、その方が兄弟っぽくて良い。アレクセイは、何度言ってもあの口調が直らないからな」
「そうなんだ」
「ああ。…それで。話を聞こうか。君の目的は?」

 妙に歓迎的な態度のフレデリクに、誠はここに来た目的を話した。夕食時に王都に向かうルートが変更になったことや、オスカーに聞いたことなどを全部だ。

「なるほど…それで君は、情報が欲しい、と」
「そ。何も無かったらそれで良いんだけど、あったら困るし。だから場合によっては、俺がオニーチャンの駒になっても良いとは思ってる」

 本来、遠野の妖狐は誰の下に従くなどはしない、孤高の存在だ。それは牡丹達の教えもあるが、妖怪は実力社会のため、生まれながらに九本の尾を持つ遠野の妖狐は、それはそれは実力とプライドが比例しているのだ。
 その遠野の妖狐としてのプライドを曲げてまでフレデリクの下に従くというのは、それだけアレクセイの力になりたいという、誠なりのアレクセイへの気持ちの表れだ。

「ほぉ…。王都騎士団の第三部隊は、諜報部隊だ。そこに私の子飼いの者が何名か居るんだがね。君は彼らよりも辛い仕事をするはめになるかもしれんのだぞ」
「それでも。…それでも、アレクセイの力になるんだったら良いよ。俺は見た目は人間だけど人間じゃないし、自分の身は守れるんでね。それに、アレクセイは俺のツガイだ。俺は自分の物が壊されるのが大嫌いなんだよ。だから、力を貸してください。お願いします」

 誠は姿勢を正し、フレデリクに深く頭を下げた。
 こんな時は、プライドなんか必要無い。ただ、アレクセイが好きで、大事だから。それだけなのだ。
 アレクセイが魔剣で刺されたことは、誠が自分で思っている以上に、心に深い傷となって残っている。
 怖かった。今までの、どんな出来事よりも怖かったのだ。
 その怖さがあるからこそ、何が大事で何が不要なのか、その選別が簡単になった。プライドは大事だが、アレクセイの命や幸せに比べると、何てことはない。

「…さすがはヴォルク家のツガイになる者だな。それほどあの弟が大事か」
「ええ、大事です。俺の持てる力全て使っても足りないくらいに。それが何でかって聞かれると分からないけど…でも、アレクセイの隣は楽しいし楽だし、嬉しい。まだまだ愛ってのが何だか分からないけど、アイツの隣に立つためなら俺は何だってやるよ」
「そうか」

 フレデリクは大きな深呼吸を一つすると、ゆっくりと長い足を組み替えた。そしてゆっくりと紅茶を含む。

「以前私は君に、アレクセイの願いなら手を貸そうと言ったが、今回は違う。君の、君だけの願いだ」
「ええ」
「…そういう汚い仕事は、おにーちゃんの仕事なんだがな」
「え…?」
「いや、なに。もう少し違う角度で、おにーちゃんを頼って欲しかった。そう言いたいのだよ」

 黒豹は、ゆるりと尾を揺らした。

「私は王弟だが、王家があまり好きではなくてね。だから余計に、育ててくれたヴォルク家が好きだし、実家だと思っている。アレクセイ達兄弟も可愛い。だからマコト、君とは協定を結ぼう」
「協定?」
「ああ。王侯貴族は、君が考えるより数倍は面倒臭いんだ。そして君を王都騎士団の問題にも巻き込みたくはなかったのだが、その分じゃ、君は首を突っ込んでくるんだろう?」
「その必要があれば、かな」
「だからだ。私は必要な情報を君に流す。その上で君は自分とアレクセイを守れ。それができなければ、私は何もしない」
「…それで、アンタのメリットは?」
「メリットね。アレクセイとそのツガイの身が守れる。言っただろう。私はアレクセイ達、家族が大切だと。誰もが…とは言えないが、理由なんて無しに家族は大切だろう」
「そうだね。俺も家族が大切だ」

 いつもは飄々とした態度のフレデリクだが、アレクセイ達のことを語る顔は優しい。彼の過去に何があったのかは知らないが、心の拠り所はアレクセイ達だけだったのかもしれない。だから家族に固執するし、自分を兄だと呼べと言ったのだろうか。
 フレデリクは、寂しい人だ。いや、寂しかった人、と。過去形にする方が正しいのか。

「分かった。俺は、自分とアレクセイを守る。"約束"する」
「ああ。君に何かあれば、アレクセイが発狂しかねんからな。それに私も、君を気に入っているんだ。ローゼス程ではないがな」
「オニーチャンの基準は、ローゼスかよ」
「当たり前だ。あの子猫ちゃんに勝てる者は、誰一人居ないよ。それが国王陛下であれ、な」

 ニヤリと笑うフレデリクの目の色は、冷たい。やはり何か確執があるようだが、今聞くことではないと誠は流した。

「マコト、一つ聞いておきたい。我々獣人族のツガイは、決してそのツガイ契約を違えることができない。ヴォルク家や私は特に、ツガイへの執着心が強い。君はアレクセイとツガイになったが、ソレは我々と同じ感覚だと認識して良いのか?」
「ああ、九割方は同じだと思うよ。遠野家では、始祖の血が強く出てようが、人間の血が強く出てようが、己のツガイや伴侶を強く求める一族だ。多分、獣人族とそんな変わらないと思う」
「そうか。人間族の婚姻の話は聞いているのだが、そちらと同じかもしれないと思っていた。だから、齟齬があってはいけないと思ってね。深い意味は無い」

 誠にとっては当たり前過ぎた話だが、一歩引いて自分達を見るとそんな問題があったのかと誠は改めてフレデリクを見直した。ただただ自分の弟がツガイを得たことを、手放しで喜んでいるだけではないようだ。
 フレデリクは満足したのか、またもや菓子に手を伸ばす。多めに盛ったいたのだが、すでに半分をフレデリクは胃に収めていた。

「…オニーチャン」
「何だ?」

 誠はこの部屋に来た時から気になっていたことを、フレデリクに聞いた。

「もしかしてさぁ…今、呪われてる?」

 その言葉を聞いた瞬間、フレデリクの瞳の色はなお一層冷たく煌めいていた。
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