139 / 150
レモンの憂愁
03 ー 冬将軍と銀狼
しおりを挟む日本酒は醸造酒だ。ウイスキー等のように途中で蒸留作業を行わないので、アルコール発酵されたままの状態で飲まれる。酒粕は日本酒を圧搾した後に残る白い固形物で、当たり前だがほんのりと日本酒の香りがする。
アレクセイにはスコッチウイスキーを出したことがあるが、レビ達はビールだ。ビールは醸造酒だから日本酒はセーフだろうか。けれど日本酒の方がアルコール度数が強く、匂いも強い物もある。けれど喜んで米を食べているから大丈夫だろうか。
誠は少し悩んだが、酒粕の袋を開けた。結果、鼻が良い彼らの顔が歪んだ。
慣れないと、そういうふうになるのだろう。酒粕はそこまで匂いがキツいわけではないが、流石は犬系と熊だということらしい。唯一無事だったオスカーだけは気になったらしく、袋を押しては粘土のようだと楽しんでいた。
しかしこれでは彼らの酒粕のイメージが悪くなる。誠としても御神酒のお裾分けを貰う身だ。日本酒のイメージを向上させるべく、バッグからとっておきを取り出した。
「まあ、一献」
食器棚から小さなグラスを人数分取ってくると、日本酒を注ぐ。誠は辛口の方が好きなので、用意した日本酒も辛口だ。温燗にしても良いのだが、温めると余計に匂いが立ち込めるので常温の状態で勧めた。
「この酒の残り滓が、さっきの酒粕なんだ。元は米だよ。いつも食べてる米とは種類が違うけど」
「はー…いろいろあるんだな」
まだ酒粕の袋を揉んでいたオスカーが今度は一番乗りだ。アレクセイは昼間から酒かと言っていたが、興味はあるようだ。確かに休日と言えどいつ魔獣の亜種が出現するかは分からない。食前酒代わりだと何とか言いくるめると、アレクセイは少し尾を揺らしながらグラスを空けた。
「…美味いな」
「うん。スッキリしてる。美味しい」
アレクセイとオスカーが美味いと称賛したので、ようやく立ち直ったレビ達も恐る恐るグラスを鼻に近付けた。少し眉を寄せていたが、少しずつ飲むとその顔は一瞬で晴れやかなものになった。
「うっま。何これ」
「美味しいですね。ちょっと匂いが気になりますが」
「僕も美味しいと思います」
お替わりと突き出されたグラスを回収しながら、誠は得意気になった。
「ワインと同じく、日本酒も醸造酒だよ?匂いは慣れだと思うけど、今日は日本酒じゃなくて酒粕がメインだから。ちょっと待ってて」
誠はまたアレクセイに手伝いを頼み、甘酒を作ることにした。生姜を入れても良いのだが、三十分も煮込んでいたら彼らを待たせ過ぎてしまうので今回はシンプルなものにした。
入れる砂糖もグラニュー糖ではなく、黒糖を使うことにする。
実は世界的には砂糖と言えばグラニュー糖のことを言うのだと知ったのは、製菓学校に入ってからだ。まさか和三盆や上白糖が日本だけの砂糖だとは知らなかった。
アレクセイは黒砂糖を見て驚いていたが、中世ヨーロッパだと十一~十三世紀には十字軍がサトウキビを持ち帰っているはずだ。ヨーロッパ内で普及したのは十六世紀以降なのだが、なぜだかこの国では当たり前のようにグラニュー糖が普及している。
原材料は黒糖もグラニュー糖もサトウキビなのだが、グラニュー糖は搾り汁から不純物を取り除いて煮詰め、その結晶を遠心分離して…と、まだまだ手をかけなければ、あの綺麗な色と結晶にはならない。
この世界のどこで製造されて、サトウキビの産地はどこだと調べてみたい衝動に駆られてしまうが、それはまた今度の話だと誠は好奇心を鎮めていた。
誠は黒糖の小さな塊をアレクセイの手に乗せつつ、これはサトウキビの絞り汁にあまり手を加えずに作った砂糖だと説明してやった。黒糖の方がミネラルやビタミンが豊富に含まれているので体にも良い。少しでも体に良いものをと考えているので、こちらの方が良いだろう。
マグカップに甘酒を注ぎ、またデシャップに戻る。先程の食前酒で余計に腹が減ったのか、待ちきれないとレビ達は甘酒に飛びついた。
「おお…さっきのニホンシュと何か似てるけど違うな」
独特の匂いが立ち上るが、レビはもう気にならないようだ。アレクセイもゆるく尾を振っていて、ご機嫌な様子でこちらまで嬉しくなる。この様子なら粕汁も気に入ってもらえるかもしれない。
誠は小さくガッツポーズをすると、昼食の準備に取り掛かった。
と言っても、途中まで用意している。あとは火を通すだけだ。四つの土鍋に火をかけると、誠はその間にパン生地を捏ねることにした。
暇を持て余しているレビ達にもパン作りの復讐だと促して手伝ってもらう。立っている者は諏訪でもアレクセイでも使う。それが遠野一族というものだ。焼けるだけオーブンに入れると、厨房内には良い匂いが充満していた。
「マコト、そろそろ良いのではないのか?」
アレクセイは平静を装っているが、尾の動きで誤魔化しきれていない。見ると、レビもルイージも元気に尾が揺れていた。分かりにくいが、良く見るとドナルドの尾も揺れている。オスカーだけは人型だと尾が無いのだが、こちらを見る視線が痛かった。
鍋敷きが無いので布巾を代用して、食堂のテーブルに鍋を全て置く。今日の昼食は鍋だ。
「おお…鍋だ。久し振り?」
「そうだっけ?」
蓋を開けるのを手伝ってくれたレビが、どれから食べようかと目移りしている。もう少し鍋もメニューに加えた方が良いかと聞くと、全員からそうしてくれと言われてしまった。
どうやら、もう一度食べたいと思っていたらしい。
鍋毎に味や具を変えているので、基本的には早いもの勝ちだ。最初こそアレクセイに譲っていたレビ達だが、途中からはそうも言っていられなくなるのがアレクセイ班というものだ。弱肉強食。その言葉が当てはまる。
一応おたまを各鍋に突っ込んでいるが、誠だけは菜箸でおたまを掻い潜り、ひょいひょいと取り皿に盛る。ずるいと言われようが、 箸の歴史はスプーンよりも古いのだ。途中で牛すじをアレクセイの取り皿に入れてやりながら、締めの雑炊まで完食すると、鍋には綺麗に空になってしまった。
夜は夜で、完全な和食尽くしにした。休肝日ならぬ休胃日と休舌日だ。寒鰤もしっかり購入していたので、塩焼きにして出した。牛肉ならぬミノタウロスの時雨煮も粕汁も気に入ってくれたらしく、どれもこれも翌日に持ち越すことはなかった。
夕食の片付けを終えたが、誠はまだ厨房に残っていた。小鍋や皿を確認していると、足音を響かせながらアレクセイが中に入って来た。
「…兄上か?」
作業台の上を見て確信したのだろう。あまり餌付けをしてくれるなと言われたが、フレデリクとは持ちつ持たれつなので、仕方が無い。
「うん。勇者のことも気になるし」
「先程兄上と連絡を取ったが、勇者一行は全員若者で、五人だということしかまだ分かっていないそうだ」
「そっか。相模さんにも伝えとくね」
「ああ。…兄上の後は、シャンディ侯爵領に行くつもりだろう?」
正確に言い当てられ、誠は一瞬動きを止めてしまった。アレクセイはそれを見逃さなかったのか、小さな溜息を吐いてから誠に近付いた。そしてぎゅっと抱きしめると、顎を誠の頭に乗せた。
「君の自由を奪いたくないのだが…離したくないな」
「そりゃどうも。でも、アレクセイと"約束"したじゃん。見たらすぐに戻って来るって」
「…ああ」
「神は約束を違えられない。俺も龍神の血が作用してるから、同じだよ。約束は破れないし、アレクセイとした約束なら尚更だ。破るつもりは無いよ」
誠がキッパリと言うと、初耳だとアレクセイは眉を顰めた。
「あれ…言ってなかったっけ」
「ああ、聞いてないな。だが、それは…重要事項なんじゃないのか?」
「うーん…別に神々やそれに近しいのなら誰でも知ってるし。それに、安易に約束をしないように気を付けてるよ」
「そうか…それなら良いが…」
また心配をさせてしまったのだろうか。やはり遠野の常識と、人間や獣人達の常識は違うようだ。
改めて気付かされた誠は、自分からアレクセイに抱きついた。
「俺に何かあったら、龍玉が知らせてくれる。逆にアレクセイに何かあったら、俺のことを強く想って。すぐに飛んで行くから」
「飛ぶと言うか、俺の影から出て来る…だろ?」
「…言葉の綾だっつーの」
顔を上げてむくれてみせると、アレクセイは笑いながら軽いキスを仕掛けてきた。
そうして暫く戯れあうと、どちらからともなく体を離した。なにも長い別れではないのだが、どうしてか離れがたくなってしまった。
全てはアレクセイのせいだ。誠はそう思うことにして、さっさとバッグに小鍋や皿をしまうことにした。
「じゃあ、行ってくるよ」
「ああ。気を付けて」
アレクセイも同じなのか、いつものように触れてこようとはしない。誠はさっとその頬にキスをすると、素早く影に潜んだ。「マコト、戻ってきたら覚えておけよ」と恐ろしい言葉を聞いたような気がしたが、聞かなかったことにした。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
《本編 完結 続編 完結》29歳、異世界人になっていました。日本に帰りたいのに、年下の英雄公爵に溺愛されています。
かざみはら まなか
BL
24歳の英雄公爵✕29歳の日本に帰りたい異世界転移した青年
落ちこぼれ同盟
kouta
BL
落ちこぼれ三人組はチートでした。
魔法学園で次々と起こる事件を正体隠した王子様や普通の高校生や精霊王の息子が解決するお話。
※ムーンライトノベルズにも投稿しています。
【BL】捨てられたSubが甘やかされる話
橘スミレ
BL
渚は最低最悪なパートナーに追い出され行く宛もなく彷徨っていた。
もうダメだと倒れ込んだ時、オーナーと呼ばれる男に拾われた。
オーナーさんは理玖さんという名前で、優しくて暖かいDomだ。
ただ執着心がすごく強い。渚の全てを知って管理したがる。
特に食へのこだわりが強く、渚が食べるもの全てを知ろうとする。
でもその執着が捨てられた渚にとっては心地よく、気味が悪いほどの執着が欲しくなってしまう。
理玖さんの執着は日に日に重みを増していくが、渚はどこまでも幸福として受け入れてゆく。
そんな風な激重DomによってドロドロにされちゃうSubのお話です!
アルファポリス限定で連載中
二日に一度を目安に更新しております
悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?
* ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。
悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう!
せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー?
ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください!
できるかぎり毎日? お話の予告と皆の裏話? のあがるインスタとYouTube
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます
プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
全8話
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
黒に染まる
曙なつき
BL
“ライシャ事変”に巻き込まれ、命を落としたとされる美貌の前神官長のルーディス。
その親友の騎士団長ヴェルディは、彼の死後、長い間その死に囚われていた。
事変から一年後、神殿前に、一人の赤子が捨てられていた。
不吉な黒髪に黒い瞳の少年は、ルースと名付けられ、見習い神官として育てられることになった。
※疫病が流行るシーンがあります。時節柄、トラウマがある方はご注意ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる