さよなら艶子

藤美りゅう

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 黒瀬弥艶くろせみつやは週末になると、艶子つやこという別の人間になる。ウィッグを付け化粧をし、華やかな洋服に身を包む。艶子になるこの瞬間が弥艶にとって、唯一の楽しみでもあり生き甲斐であった。

 女装バー「Heavenヘブン
 毎週末の夜、女装した弥艶はここでキャストとしてアルバイトをしていた。

 昼間は市役所に勤めるしがないサラリーマン。ゲイで女装癖のある自分を後ろめたさからか、無意識に存在感を消し、目立たぬように生きてきた。

 だが偶然知ったこのHeavenで昼間の自分と夜の自分を切り離し、ここにいる時だけは身も心も女になりきれた。

 メイクルームで弥艶は丁寧にメイクをし、最後に黒髪のロングヘアのウィッグを付ける。目の前の鏡には美しく仕上がった自分。この瞬間が弥艶にとってたまらない瞬間だった。

 ホールに入ると京子ママに呼び止められた。
 警察が艶子と話をしたいと、訪ねて来ているという。
「警察?」
 弥艶は京子ママに聞き返す。
「そうなの、艶子ちゃんと話したいって」

 カウンターの中から目の前に座っている二人の男を眺めた。弥艶が男だと信じられないのか、少し面食らった表情をしている。
「艶子です」
「ちょっとお聞きしたい事がありまして」
 関と名乗った体育会系のガッチリした大柄な男が警察手帳を見せた。隣には大柄な男よりも年上らしい黒髪短髪、不精髭を生やした垂れ目の男。
 不精髭の男は食い入るようにじっと弥艶を見ている。垂れ目でぱっと見は優しそうな風にも見えた。だが、その奥のギラギラとした眼光に目を逸らしたくなる衝動に駆られた。

「いやー、男性だなんて信じられないな! とてもお綺麗ですね! 大友さんもそう思いませんか?」
「確かに……女だったら口説いてるかもな」
 大友と呼ばれた男は、ニヤリと口角を上げ弥艶を見て笑った。
(結構タイプかも……)
 少しワイルドな感じで、男臭い色気がある男だと思った。

「最近、女装した人物が被害に合っている事件、知ってますよね?」
「ええ、ニュース見ました」
 この近辺で女装の男をターゲットにした連続殺人事件が発生していた。性行為をした後、首を締めて殺されているという。確か二人が殺され一人は意識不明の重体だと言っていた。まだ目ぼしい進展がないとニュースで報道していたのを思い出す。

「何かご存知ありませんか?」
 大友はギラリとした目を弥艶に向ける。
「何かって……そんな漠然とした事言われても」
「例えば、怪しい人物がこの店に来たとか……襲われそうになった、とか」
 大友の言葉に一瞬弥艶の肩が揺れた。
 弥艶は先週の事を思い出す。

 先週の土曜日、店の帰りに襲われそうになった。後ろから抱きつかれ犯されかけたのだ。弥艶は昔、合気道を嗜んでいた事があり何とか身を守る事ができたが思い出すとその時の恐怖が蘇る。真っ先に股間を触られた事を考えると、あれは自分が男だと分かって襲ってきた。
 動揺が大友に伝わらなかったか不安になる。
「いえ、思い当たる事はありません」
 そう言ったものの、怪しい人物にも心当たりがあった。
 過去二~三度自分を指名した客の一人で、手首に傷がある四十代の男だ。あの時、手首に縫ったような傷跡があったのを弥艶は見ていた。
 だが一切話すつもりはない。
 襲われかけた事を言って、面倒に巻き込まれるのは御免だ。きっと、延々と話を聞かされるのが目に見えている。そんな話しをして、万が一Heavenに出入りしている事がバレたなら自分は生きてはいけない。

「お役に立てなくて、ごめんなさい。でも、なぜ私に?」
「あなたがここで一番人気だと聞いたからですよ」
 そう言って大友はタバコを咥えると弥艶はライターを手にし、大友のタバコに火を点けた。
 そのタイミングで弥艶は常連客の指名が入った。
「もういいですか?」
「これ、俺の名刺です。何か思い出した事があったら、いつでも連絡下さい」
 その名刺を受け取り目を落とした。
 《S署捜査一課 巡査部長 大友勇心 おおともゆうしん
 そう名刺に印刷されており、携帯番号が手書きで書かれていた。

「プライベートで連絡くれてもいいんですよ」
 大友に背を向けた瞬間そう言われ、振り返ると大友は悪戯を企む子供の様な顔をしていた。
 ニヤけた大友の顔が腹立たしく、思わず大友を睨んでいた。そして、少しでも大友をタイプなどと思った自分にも腹が立った。
(どうせ女装する人間を珍しがってるだけだ)
 大友勇心に対する第一印象はいいものではなかった。
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