マクデブルクの半球

ナコイトオル

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詐欺師と嘘

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 見付かるかもしれないなんて考えなかった。
 どうやって抜け出したのか、覚えていない。けれどもいつの間にかに自分は車の運転席で荒い息を吐き、だらだらと流れる汗をそのままに座り込んでいた。
 無様に。
「───ちっ、くしょうッ!」
 がんっと拳をハンドルに叩き付ける。何度も。何度も何度も。八つ当たりだ。悪いか?
 額から、こめかみから、涙のように汗が滴り落ちるのを無視しつっぷする。───どうしてこんなことに、なんて、子供みたいなこと思わなかった。いずれはこうなるはずだった。それが今来ただけのこと。これでも遅かったくらいだ。
(ニノ コウはまだ眼を醒まさない……現当主が死ねば、こうなることは分かりきっていた)
 時間が。時間が足りない。早く。早く。
 眼を醒ましてほしい? それとも、犯人が誰だか突き止めたい?
「はっ……」
 息を吐く。もう一度、ハンドルを殴った。
 ぶー、ぶー、と、スマートフォンが鳴る。睨むようにディスプレイを見やると、ナオミの名前があった。いつも通り家の固定電話から転送されてきたらしい。
「……はい、もしもし」
『ユキっ……』
「どうしたの? ───お葬式で何かあった?」
『家の人間が、カスガさんが死んだからっ早く当主をってっ……一ヶ月経ってもコウさんが目覚めなかったら、兄さんが当主に成る、って!』
「……ごめん、聞いてた」
『え?』
「その話、聞いてた。廊下で」
『はっ……?』
 うろたえるような、吐き棄てるような呼吸音がして、それから、
『何してるのッ!』
 泣き声がした。いや、本当にもう、電話の向こうで泣いているようだった。
『なんでそうなの、なんでそんなことするのッ! 見付かったらどうするの!』
「うん……ごめん」
『どうしたの、じゃないじゃない! 分かってるんじゃない! どうして嘘吐くの! どうしてそんな、本当みたいに騙せるの!』
「ごめん」
『疑われたらどうするの! あの人たちのやり方、知らないでしょう! やってなくても犯人に仕立てられることだってあるの! 出来るの、あの人たちは! 手段なんて選ばないの、そうなったら止められないの!』
「知ってる」
 思い識っている。
『誰が、誰がこんなこと、したの。どうしてこんなことになってるの』
 泣き声が嘆く。何故、どうしてと。
「ナオミは。誰が犯人だと思う」
 静かに問う。怒りは、もう反省の中に溶けていた。
『……ユキだと、思った。けど、ユキじゃないといいと願ってる』
「うん。私は、犯人じゃない」
『信じるよ? ユキは、嘘が上手だから。本当に、上手だから。それでも、信じるよ?』
「うん、信じて。信じて欲しいな。……フルミくんは大丈夫? 無理してそうな声だったけど」
『……兄さんは出て行った』
 声は沈んだ。
『頭冷やしてるのかな。お客様への挨拶はとりあえず終わってるし、親戚たちもさっきの会合で気まずいみたいで何も言わないけど。……大丈夫、なのかな』
「ん……じゃあ、私が会いに行くよ」
『場所知ってるの?』
「秘密の場所があるんだよ」
『……私と一緒だ』
 知ってる。
「そうなんだ。……どんな場所?」
『……自分を守る場所』
 その場所にあったジオラマを思い出す。彼女が作り上げた、あの残酷なジオラマ。
 けれど、今考えると。あれは理解の仕方だったんじゃないんだろうか? 起きたことを反芻して考えて見つめ直す、犯人探しの行為だったんじゃないんだろうか?
 分からない。単にナオミが犯人で自分の犯行を愛でていただけなのかもしれない。けれど。
「ちゃんと自分を護り切ってあげて」
 あなたが犯罪者でも、そうでなくても。
 とん、とんとハンドルを指先で叩く。もう叩き付けたりはしなかった。
「終わりにしないで。最後まで護り切ってあげて。自分が行きたい場所に行けるまで」
 言えることは少ない。けれど、伝えたいことくらいあった。
「じゃあね。気を付けて」
『うん、そっちも』
 通話を切る。視線を上げる。
 兄の方に会いに行こう。




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