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マクデブルクの半球
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しおりを挟むその雑居ビルの階段に設置されていた監視カメラの映像は、もう何日も前から録画されていなかった。なんてことのない偶然が重なりそのカメラは壊れ、そしてその修理をビルの管理人は後回しにした。───たったそれだけのことのはず、だった。
けれどその行動が二乃 幸を窮地に追い込むことになった───録画されなかった映像データはわたしの手元にはもちろんないし、当然、わたしはその瞬間に立ち合わせていたりしなかった。彼とはもう、六年も会っていないのだ───でも、何があったのかは、分かる。
二乃 幸は落ちてゆく直前、わたしに電話した。
うれしそうな、堪え切れない顔で、それでいて今にも泣き出しそうなくしゃくしゃの笑顔で───ずっとずっと記憶していた番号を指先で紡いだのだ。
そして───それが許せなかった人間に、突き落とされた。
バランスを崩し、のばした手は何も掴めず、誰かがその手を握ってくれることもなく、片方の手に握りしめたスマートフォンと共に階段を転がり落ちるというよりは落下し、踊り場に叩き付けられ頭を強く打ちきっとその瞬間鈍い音を響かせ、ほんの少し間を置いてからじわりじわりと赤い血液を冷たい鉄の踊り場に浸し───そうして彼は、意識を失った。
彼の中での電話の向こうのわたしは、まだ未完成なままの少女だっただろう。当たり前だ、彼が最後にわたしを見たのは、きっと高校の卒業式の時なのだから。もう二十四になっているはずのわたしの姿を、想像出来るわけがない。結局、着信歴にあたたかみのない数字だけが残され、登録されていない彼の番号は不在着信のひとつとして処理されてしまった。
加害者と被害者。
彼は強くて、わたしは泣きたくなるほど弱かった。
わたしの携帯にも、彼の番号は登録されていない。
でも知っている。思い出すまでもなく、覚えている。彼も同じく、覚えていた。
それを知った時、わたしはとっさに笑顔を隠した───代わりに、どんな顔をしていいのか分からなくなってしまったけれど。
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