交差点を渡るまで

ツチフル

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交差点を渡るまで

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「真剣に考えたことってあったかしら」
「…なんのこと?」
 三十デシベルの独り言は、くじらの耳にまで届いてしまったらしい。
 彼は一刻も早く脳卒中になるために、血液に粘り気をだす巨大なハンバーガーをほうばっている。今日はもう五つ目。午前八時。
「真剣に何を考えたって?」
「血圧はどう?」
「まあまあ。上が170で、下が115」
「いつ飛んでもおかしくないわね」
「綺麗に飛べるといいんだけどなあ。こればかりは飛んでみないとわからないから」
「知り合いの話だと、半分の人は綺麗に飛べて、残りの半分は後遺症を抱えて留まることになるみたい」
「知り合いって、医者?」
「医者のさなぎ」
「それを言うなら、卵」
「炒り卵」
「孵化しそうにないな」
 信号がかわる。赤から青へ。
 私が交差点に一歩目を踏み入れるのを待ってから、くじらも一歩目の足を出す。
「ねえ、お母さん。何でみどり色なのに青信号っていうの?」
 隣を歩く少女が信号をさして母親に聞く。
「昔はちゃんと青色の信号だったのよ。だけど青色は暗くて見づらかったから、明るい緑色に変わったの。でも、みどり信号ってちょっと言いにくいでしょう? だから、呼び方は青信号のまま残ったってわけ」
「ふうん」
 こともなげにでたらめを教える母親を、私は感心して眺めた。流暢なウソはたどたどしい事実よりも説得力がある。
「じゃあ、お母さんがよっちゃんおばさんに 『美人ね』 っていうのも、むかしは美人だったから? 今はぜんぜんなのに」
「そうよ。『醜くなったわねえ』 なんて言いにくいでしょう。それが事実だとしても。だから、今はそうじゃなくても呼び方は美人のままなの」
『なるほど』
 少女と私とくじらの声が重なる。
 四人はそれぞれの顔を見合わせて笑った。
 横断歩道の白線だけを踏んで歩く少女。白線を避けて歩く私。
 私のほうが広い世界を歩いている。
 彼女のほうが綺麗な世界を歩いている。
「お姉ちゃんたちは恋人同士なの?」
 少女の無邪気な質問に答えたのは、くじら。
「そうだよ。交差点を渡るまではね」
「渡ったら、ちがうの?」 
「渡ったら、ちがうんだ。僕は右へ歩いていくし、彼女は左へ歩いていく」
「お別れしちゃうんだ」
「そう。お別れしちゃうんだ。それでまた明日、この交差点で出会って、どちらかが告白をして恋人になるってわけ」
「へえ」
「今日は、どちらが告白をしたのかしら?」
 少女の母親が興味津々の瞳で私たちを見比べる。
 そういえば、今日はまだ告白していない。親子の会話に聞き耳を立てていて、すっかり忘れていた。交差点も半ばを過ぎたところで私は気づき、多分、くじらも今気づいた。
「あ、いえ。今日はまだ」
「あらあら。早くしないと、交差点を渡り終えてしまうわよ」
 私とくじらは目を合わせる。
「昨日は、私が告白したわ」
「その前までは、三日連続で僕だった」
「告白ってなあに?」
「好きな人に好きですって伝えること。この場合はね」
「わたし、お母さんのこと好きよ」
「ありがとう。これで今日はすっかり良い気分で過ごせるわ。私もあなたのことが好きよ」
 少女と母親は手をつなぎ、幸せな笑顔になって見つめ合う。
「ほんとだ。すっかり良い気分だね。お姉ちゃんたちも早くすればいいのに」
「なかなか言い出せないのよ。告白はしたほうの負けだから」
「負けちゃうの?」
「そう。負けました、あなたが好きですってこと」
「じゃあ、わたしは負けたんだ」
「そうね。告白は負けを認める勇気があるほうが言うものなのよ」
「わたし、勇気がある」
「お母さんはなかった」
「お姉ちゃんたちは勇気がないんだね」
「どうかしら。まだわからないわよ」
 くじらの頬は紅い。私も多分、同じくらい紅い。
 まもなく交差点が終わる。
 歩行者信号が点滅を始める。
 くじらが食べ終わったハンバーガーの包み紙をポケットに突っ込む。
 私は気づかれないように深呼吸をする。
 
 三十デシベルの告白が、交差点の終わりにこぼれ落ちる。      (了)
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