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第一章 孤独の果てに
1-7 雪中止宿
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それから、ほどなくして山の気圧が荒れる気配が感じられてきた。
これは良くない按排だった。
アリエスが危惧しているらしい追跡者がいる事も考慮に入れてなるべく先へと進んでおきたかったのだが、そうもいかなくなってきたようだ。
それに、さほどかからずに山々には漆黒の帳が舞い降り、ここも直に闇の版図に包まれる事だろう。
「子供達、今日はここまでだ。山が荒れる」
「本当? 何も感じないし、今日もそのうちに素敵な夕焼けが見られそうな空なのに」
「ああ、気圧が低下しているのを皮膚のセンサーで感じ取れるし、空の空気の流れがな。
俺の目は人の目には見えない物が観測できる。
大気のヘクトパスカルという物の違いで、それらの見え方すら微妙に変わる事すらある。
いわば、俺は目で見ている景色で嵐の到来の予兆すらも感じとれる者なのだ。
山の天気は変わりやすいし、ここらの山の猛雪の恐ろしさはお前達もその身で味わっただろう」
あの苛烈な雪山で遭難した時の事を思い出したものか、アリエスも少し身を震わせて、その美しい面差しを若干苦悩に歪めた。
「わかったわ。じゃあ、今日はここまでね。
今まで散々追われてきたから、進める状態なのに止まってしまうのには少し抵抗があるけれど、この山の主のようなあなたが言うのならきっとそうなのでしょうし、それは仕方がないわよね」
俺は下側の一対の手を膝にやってしゃがみ、彼女に笑いかけた。
元は一対の腕しか持たぬ人の身の俺も、二対の腕を動かしてこのような動作をする感覚に、いつの間にか慣れてしまっていた。
「案ずるな、王女よ。
今はこの山を知り抜いたお前の騎士が一緒なのだぞ。
仮に何者かが追跡してきていたとて、決してそうそう後れを取るものではない」
「シルバーもいるの!」
彼女を乗せたままの体勢で、その大きな忠犬は叫んだ。
二人の王女は思わず微笑み、その柔らかで温かい美しい白銀の毛並みを小さな白い手で撫でた。
ああ見えて、シルバーの奴も剣だの槍だの矢などはまったく通さない、大妖怪のように凄まじく頑丈な毛皮なのだが。
そして彼は緩やかに伏せの姿勢をとって彼女達を地面に降ろし、俺は目星をつけておいた山肌の蔭に広がる空きスペースに、この俺が中に立って入れるほどの巨大なかまくらの家を設置した。
いわば、仮宿である止宿とでもいった方がいいような代物だが、冬の間はこれで過ごす事にしてある。
日本を懐かしむ気持ちもあるのだし、またこれ自体も雪国で生まれた暖かい代物なので。
この中には何体もの山岳山羊ガルダンの皮が敷き詰められている。
この激寒極寒の山の寒さをピシャンっと跳ね返すほどの厚い毛皮を張り合わせたもので、地面の寒さなど完全にシャットアウトしてくれる代物だ。
かまくらの入り口は雪が吹き込まぬように盾となる山肌の方へむけておいた。
そもそも、このかまくらは、もし風の向きが変わっても、そこの入り口は塞いで反対側に出入り口を簡単に開けられるようにしてあるのだ。
元々、こいつは俺の強大な氷雪魔法で作った物で、このような物など俺はあっという間に再構築してしまえるのだが、なんとなく出来が気に入って持ち歩いているだけなのだ。
家を建て、というか設置して間もなく風は強まり、雪がチラついてきた。
「本当に吹雪いてきたね」
「ああ、まあこいつばかりはこの時期に仕方がないというものさ。
さあ、寒いだろう。
二人とも火鉢の傍においで」
そこに置かれた巨大な火鉢は、この広大なスペースをものともせずに温めてくれ、その傍に置かれた切り株の椅子に座った子供達はもう帽子やコートすら脱いでいる。
このかまくらは暖かいが、入り口が空きっぱなしなので換気は十分だろう。
換気が不足ならばルーが得意とする風魔法を使って換気してくれるだろうし、強い風が吹き込まないように調節もしてくれる。
また入り口の警備は立派な番犬がいるので、そう簡単にはあれを排除する事は不可能だし、あれが騒げば何かの兆候を見逃していたとしても俺も気づくはずだ。
この人間にとってはちょっとしたドームのように巨大なかまくらの一角には子供達用に独立したトイレスペースさえ作ってあり、吹雪の中で外へ用足しにいかなくても済むようにしてある。
あの子達のために急遽用意したものだ。
火鉢で燃える暖かな炭火で調理された、ルーの心尽くしの暖かな夕食を平らげて、二人共座った状態で既にうつらうつらし始めていた。
そっとそのまま山羊の毛皮と干し草で作ったベッドに寝かせるとぐっすりと眠ってしまい、ルーが彼女の手製の保温性に優れた丈夫な草の繊維で編んで、それに山羊の毛を織り込んで作った掛け布団をかけ直していた。
「子供達はかなり疲れてしまったようですわね」
「ああ、いくら快適なシルバーの背の上だとはいえ、この時期の人も入らぬような山岳地帯を丸一日揺られてきたのだから。
今日は風呂に入れてやりたかったが、生憎とこの天気だしな。
明日はいいお天気になるといいのだが。
俺の感覚では、この吹雪は明日の朝には止むはずだ。
その風雪の洗礼も、ここまでやってきた俺達の痕跡を消してくれただろうから、むしろ好都合であるともいえるが」
「そうですわね。
彼女達の言う追手とやらは本当に来るのでしょうか」
「さあ、わからんなあ。
できれば遭遇は避けたい。
おそらく倒すのは容易いのだろうが、もしそいつらが帰らねば、我々というか、この子達の位置を敵に知らせる事になるからな」
そして山の神が歌う吹雪の子守歌は一晩中止むことはなく、不気味に先の暗示をするかの如くに、山の息吹を白い雪が月明りに照らされたかのような景色に向けて吹き散らしていた。
これは良くない按排だった。
アリエスが危惧しているらしい追跡者がいる事も考慮に入れてなるべく先へと進んでおきたかったのだが、そうもいかなくなってきたようだ。
それに、さほどかからずに山々には漆黒の帳が舞い降り、ここも直に闇の版図に包まれる事だろう。
「子供達、今日はここまでだ。山が荒れる」
「本当? 何も感じないし、今日もそのうちに素敵な夕焼けが見られそうな空なのに」
「ああ、気圧が低下しているのを皮膚のセンサーで感じ取れるし、空の空気の流れがな。
俺の目は人の目には見えない物が観測できる。
大気のヘクトパスカルという物の違いで、それらの見え方すら微妙に変わる事すらある。
いわば、俺は目で見ている景色で嵐の到来の予兆すらも感じとれる者なのだ。
山の天気は変わりやすいし、ここらの山の猛雪の恐ろしさはお前達もその身で味わっただろう」
あの苛烈な雪山で遭難した時の事を思い出したものか、アリエスも少し身を震わせて、その美しい面差しを若干苦悩に歪めた。
「わかったわ。じゃあ、今日はここまでね。
今まで散々追われてきたから、進める状態なのに止まってしまうのには少し抵抗があるけれど、この山の主のようなあなたが言うのならきっとそうなのでしょうし、それは仕方がないわよね」
俺は下側の一対の手を膝にやってしゃがみ、彼女に笑いかけた。
元は一対の腕しか持たぬ人の身の俺も、二対の腕を動かしてこのような動作をする感覚に、いつの間にか慣れてしまっていた。
「案ずるな、王女よ。
今はこの山を知り抜いたお前の騎士が一緒なのだぞ。
仮に何者かが追跡してきていたとて、決してそうそう後れを取るものではない」
「シルバーもいるの!」
彼女を乗せたままの体勢で、その大きな忠犬は叫んだ。
二人の王女は思わず微笑み、その柔らかで温かい美しい白銀の毛並みを小さな白い手で撫でた。
ああ見えて、シルバーの奴も剣だの槍だの矢などはまったく通さない、大妖怪のように凄まじく頑丈な毛皮なのだが。
そして彼は緩やかに伏せの姿勢をとって彼女達を地面に降ろし、俺は目星をつけておいた山肌の蔭に広がる空きスペースに、この俺が中に立って入れるほどの巨大なかまくらの家を設置した。
いわば、仮宿である止宿とでもいった方がいいような代物だが、冬の間はこれで過ごす事にしてある。
日本を懐かしむ気持ちもあるのだし、またこれ自体も雪国で生まれた暖かい代物なので。
この中には何体もの山岳山羊ガルダンの皮が敷き詰められている。
この激寒極寒の山の寒さをピシャンっと跳ね返すほどの厚い毛皮を張り合わせたもので、地面の寒さなど完全にシャットアウトしてくれる代物だ。
かまくらの入り口は雪が吹き込まぬように盾となる山肌の方へむけておいた。
そもそも、このかまくらは、もし風の向きが変わっても、そこの入り口は塞いで反対側に出入り口を簡単に開けられるようにしてあるのだ。
元々、こいつは俺の強大な氷雪魔法で作った物で、このような物など俺はあっという間に再構築してしまえるのだが、なんとなく出来が気に入って持ち歩いているだけなのだ。
家を建て、というか設置して間もなく風は強まり、雪がチラついてきた。
「本当に吹雪いてきたね」
「ああ、まあこいつばかりはこの時期に仕方がないというものさ。
さあ、寒いだろう。
二人とも火鉢の傍においで」
そこに置かれた巨大な火鉢は、この広大なスペースをものともせずに温めてくれ、その傍に置かれた切り株の椅子に座った子供達はもう帽子やコートすら脱いでいる。
このかまくらは暖かいが、入り口が空きっぱなしなので換気は十分だろう。
換気が不足ならばルーが得意とする風魔法を使って換気してくれるだろうし、強い風が吹き込まないように調節もしてくれる。
また入り口の警備は立派な番犬がいるので、そう簡単にはあれを排除する事は不可能だし、あれが騒げば何かの兆候を見逃していたとしても俺も気づくはずだ。
この人間にとってはちょっとしたドームのように巨大なかまくらの一角には子供達用に独立したトイレスペースさえ作ってあり、吹雪の中で外へ用足しにいかなくても済むようにしてある。
あの子達のために急遽用意したものだ。
火鉢で燃える暖かな炭火で調理された、ルーの心尽くしの暖かな夕食を平らげて、二人共座った状態で既にうつらうつらし始めていた。
そっとそのまま山羊の毛皮と干し草で作ったベッドに寝かせるとぐっすりと眠ってしまい、ルーが彼女の手製の保温性に優れた丈夫な草の繊維で編んで、それに山羊の毛を織り込んで作った掛け布団をかけ直していた。
「子供達はかなり疲れてしまったようですわね」
「ああ、いくら快適なシルバーの背の上だとはいえ、この時期の人も入らぬような山岳地帯を丸一日揺られてきたのだから。
今日は風呂に入れてやりたかったが、生憎とこの天気だしな。
明日はいいお天気になるといいのだが。
俺の感覚では、この吹雪は明日の朝には止むはずだ。
その風雪の洗礼も、ここまでやってきた俺達の痕跡を消してくれただろうから、むしろ好都合であるともいえるが」
「そうですわね。
彼女達の言う追手とやらは本当に来るのでしょうか」
「さあ、わからんなあ。
できれば遭遇は避けたい。
おそらく倒すのは容易いのだろうが、もしそいつらが帰らねば、我々というか、この子達の位置を敵に知らせる事になるからな」
そして山の神が歌う吹雪の子守歌は一晩中止むことはなく、不気味に先の暗示をするかの如くに、山の息吹を白い雪が月明りに照らされたかのような景色に向けて吹き散らしていた。
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