【悪役転生 レイズの過去をしる。】

くりょ

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レイズの過去を知る

真面目な鍛練

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――結局レイズは、最後の一皿まできれいにたいらげた。

腹の内側がぽうっと温かく、まぶたがわずかに重くなる。
見栄で張った“元気”と、ほんとうの疲労の境目を、湯気のような心地よさが曖昧にしていく。

ヴィルが杯を置いた。

「さて……このあと、どうするのですか」

胸を張る。言い切る。

「イザベルと、魔法の鍛練を」

「ほんとに!?」
イザベルの瞳がぱっと綻び、椅子が小さく軋んだ。

三人は食堂を後にする。
扉口で、ヴィルが一歩だけ近づき、低く告げた。

「……無理はするな。――私は、待っている」

イザベルが軽やかに手を振る。「じゃあね、レイズくん!」

レイズは背中で片手を上げ、食後の重さを抱えたまま、庭へ出た。

手入れの届いた芝、風に鳴る生け垣、陽を孕んできらめく泉。
満たされた腹が、草と土のにおいをより濃く感じさせる。

ふと、木陰に小さな影が立っているのに気づいた。

リアノだった。
きちんと結い上げた髪が風に揺れ、影の下で瞳は静かに伏せられている。
彼女の正面には、灰色の石。研ぎ澄まされた刃のように、深い名が刻まれていた。

レイズは言葉を飲み、歩みを止める。
リアノは胸の前で指を組み、祈りの形にしたまま、長く息を吐いた。
その横顔に宿るのは、懐かしさと、喉の奥に押しやった涙の色。

やがて彼女は静かな礼をひとつ残し、屋敷へ戻っていく。
淡い香りだけが、木陰に取り残された。

レイズは、吸い寄せられるように石へ近づいた。
日を浴びた表面が温かい。指先でなぞると、彫りは深く、名は凛としていた。

――メルェ・イェイラ。

「……メルェ、イェイラ……?」

舌の上で転がし、音の順を確かめる。
見慣れない並び。けれど、その中に確かな既視の棘――“メルェ”の二字が刺さっている。

(……クリスが口にしていた、あの名前……?)

胸の奥で何かが小さく鳴った。
それは記憶ではなく、まだ形になっていない“予感”の音だ。

どんな人だったのか。
なぜ、過去のレイズに――周囲の人々に――これほど深い影を落としているのか。

墓の上を、小さな葉が一枚、さらりと滑っていった。
答えは沈黙の下に眠ったまま、まだレイズの手には届かない。

彼は静かに一礼し、踵を返した。





再び合流した二人は、庭の端の、陽と影が半分ずつ差す場所へ移った。
石畳に淡い苔が縁どり、植え込みの間を薄い風が渡っていく。

イザベルが腰に手を当て、いたずらっぽく、しかし真剣な眼で微笑む。

「レイズくん。“魔力の質を高める”って、どんなイメージ?」

レイズは腕を組み、顎をさする。

「量じゃないなら……濃度? 磨く? いや……澄ませる、か? でも、それだけでもない気がする」

言葉にしようとするたび、輪郭が逃げる。
イザベルは頷き、ひとつ息を整えると、右の掌を前に差し出した。

「――こういうこと」

ぱさ、と見えない幕が降りたように、掌の周囲の空気が変質する。
光が撓み、薄い膜が現れ、手そのものが“境界”になる。

次の瞬間、膜は厚みを増し、色味を失い、ぎゅっと密度が上がった。
硬質な気配が、指先から肘へ、肩口へと伝わって見える。

彼女は薄く笑い、膜をふたたび薄く――水面のように透ける状態へ戻す。

「厚みを調整して、自分を包むの。これができるほど、生き残りやすくなる」

淡い言葉。だが、その先に積みあがった経験は深い。
――魔力の壁。

レイズの脳裏に、ゲーム内で初めて“攻撃が通らない敵”に遭ったときの、あの冷たい絶望がよみがえる。
理屈ではなく、結果として“通らない”。
いま目の前の彼女は、その“通らなさ”を片手で形にしてみせている。

イザベルが掌を差し出す。

「掴める?」

「掴めるわけ……いや、試すけどな」

レイズは指先を伸ばした。
触れた瞬間、空気の密度が弾ける。

そこに“何か”がある。
透明で、形がなく、なのに確かな抵抗が掌に広がる。
押しこもうとすると、ぐぐ、と均質な反発が返り、握ろうとすれば、岩盤を握るみたいに指が止まる。

「……なんだ、これ……」

押すほどに、押し返される。
力のベクトルが、手の骨まで正確に返ってくる。
“物理”に似ているのに、決定的にちがう――そんな、異世界の法則。

イザベルは楽しげに目を細める。

「これが“質”。同じ量でも、粒を揃えて、並べ替えて、結束を高める。
 水を氷にするみたいにね。――ほら、もう少し強く押して」

レイズは歯を食いしばり、肩で押す。
膜はびくともしない。だが、わずかに沈む“感触”はある。
ほんの髪の毛一、二本分――そのくらいの“撓み”。

(……沈む、なら。たぶん、割れる)

「くっそ……いつか、ぶち破る」

低く、熱のこもった声。
イザベルはそれを聞いて、子どものように無邪気に笑った。

「うん。――だから、今日は“ぶち破らない方法”から教えるね」

「は?」

「質は、強さだけじゃない。薄く、軽く、速く――“通して”“受け流す”。
 攻撃は全部止めればいいわけじゃないの。止めきれない時は、抜いて、滑らせて、殺す」

イザベルの掌の膜が、一瞬で薄羽のように変わる。
彼女は小石を拾い、軽く弾いた。
小石は膜に触れた瞬間、角度を変え、ふっと軌道を滑らされて、彼女の肩後ろへ抜けていく。

「いまの、わかる?」
「……“受け身”か」
「そう。“受け身”。魔力にも、体と同じ理があるよ」

イザベルはレイズの周囲に、薄い輪を三つ、距離を変えて浮かべた。
空気が撚れ、光が縁どり、風の粉がそこだけ渦を描く。

「この輪に小石を投げるから、通す・止める・滑らせる、を言って。――合図なし」

「上等」

小石が飛ぶ。
音は軽いのに、軌道は鋭い。
レイズは反射で“止める”を選び、正面の輪に魔力を集める。
ぎゅ、と薄膜が瞬時に厚みを帯び、小石が“ぼふ”と音を立てて跳ね返る。

次。
斜め後ろ、低い位置――滑らせる。
膜を薄く、角度をつける。小石は擦って、草むらに吸い込まれた。

最後。
真横から“通す”。
輪の密度を意識してほどき、隙間を一瞬だけ開ける。
小石は空洞を抜け、距離の先でころりと止まった。

「……できるじゃない」
イザベルが目を丸くし、すぐに満面の笑みへ戻る。
「じゃ、ここから本番。量を削って質を上げる。雑味を捨てて、粒を揃えて――“壁の精度”を一段上げるよ」

「やってやる」

レイズは深く息を吸い、肺の底の重さを吐き出す。
わずかな寝不足、食後の余熱、胸に残る墓石の名。
それらすべてを、呼気に混ぜて手放すみたいに。

掌の上に、見えない“場”が生まれる。
魔力が集まり、整い、秩序を持って並び始める――はずが、どこかで歪む。
肉体の“癖”が混ざる。焦りが粒子の大きさを揺らす。

「肩、力みすぎ。肘を抜いて、手首だけで“面”をつくる」

イザベルの声がすっと届く。
レイズは肩の根元の“こわばり”を意識でほどき、肘の重さを地面へ預ける。
掌だけが、宙に“薄い板”を差し込んだ。

――整う。

わずかに、空気の音が変わった。
庭の鳥のさえずりが、膜の向こう側で少し遠くなる。
光がわずかに鈍り、輪郭がくっきりする。

「……いまの。もう一回」

イザベルの声は、喜びを飲みこんだ緊張の色。
レイズは同じ動きを、呼吸だけ少しゆっくりにしてなぞる。

同じ“面”が生まれた。
先ほどより、薄く、均一で、強い。

イザベルは嬉しそうに頷き、指を鳴らす。

「――合格。じゃ、走ろっか」

「は?」

「質を保ったまま動くのが、いちばん難しいの。止まって強い壁は、実戦だとすぐ割れるよ」

イザベルはくるりと背を向け、芝を軽やかに蹴った。
レイズは笑い、追う。
薄い“面”を掌に保ったまま、陽と影の境目を駆け抜ける。

風が膜を撫で、汗が額へ落ちる。
呼吸が荒くなるたび、面がわずかに波打つ。
揺らがせず、固めすぎず、ただ“並べ直す”。

「いいよ、そのまま――もう三周!」

「鬼か!」

「可愛い鬼だよ!」

「ちっとも可愛くねぇ!」

笑い声が、庭に跳ねた。
面は保たれ、粒は揃い、壁は薄く、しかし確かに強く。

レイズは走りながら気づく。
“ぶち破る”のだけが、強さじゃない。
“通す”“受け流す”“保ち続ける”――その全部が、いまの自分に必要な筋肉だ。

最後の角を曲がると、芝に長い影が伸びていた。
屋敷の窓から、ヴィルが黙って見ている。
その影の端に、祈り終えたばかりのリアノの小さな影が並ぶ。

レイズは速度を緩めず、掌の面をさらに薄く――限りなく“空気”に近づけた。
風と面が重なり、境界が消える。

イザベルが振り返り、親指を立てる。

「――それ!」

レイズは息を吐き、笑い、もう一歩、前へ出た。


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