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レイズの過去を知る
涙の味
しおりを挟むレイズは無言で走り出した。
足音だけが、夕暮れの街に乾いた音を響かせる。
石畳を蹴るたび、胸の奥で何かが軋んだ。
――自分がやったわけじゃない。
だが、過去の自分がやったことなら、それはもう「自分として生きるレイズの責任」だ。
(……だから、気にするな)
そう言い聞かせた。
心を落ち着かせるように呼吸を整える。
だが、喉の奥に広がったのは汗の味ではなかった。
ほんの少し――しょっぱい、涙の味。
(……くそっ)
舌打ちを飲み込み、レイズはただ前だけを見て走り続けた。
頬を伝う風の中に、悔しさと決意が滲んでいく。
その背を、リアナが追いかけていた。
出発のときに浮かべていた無邪気な笑顔はもうない。
ただひたすらに、胸にあるのは心配と敬意だけだった。
(……レイズ様。やっぱり……強い方です)
涙をこらえようと唇を噛む。
胸の奥が熱くなっていくのは、悲しみだけじゃない。
そこには――いつかこの人に追いつきたいという、確かな憧れがあった。
リアナは拳を握りしめた。
(私は……絶対に、あの方を守る。どんな言葉を投げられても、笑われても)
小さく息を吸い、もう一度、彼の背を追う。
一方で、クリスは表情を変えなかった。
冷静沈着な騎士の顔のまま、淡々と主の後を追う。
しかし――その胸の奥底に渦巻いていたのは、リアナの心配よりも遥かに重く、鋭く、恐ろしいほどの感情だった。
(……あの方を笑った連中。許さない。
命に代えてでも、この方を――護る)
静かに、だが燃えるように。
クリスの中で、忠誠の焔がさらに深く刻まれていく。
レイズが手を出さないなら、自分がその手足となる。
主が“穏やかさ”を選ぶのなら、騎士として“剣”を選ぶ――その決意が揺るぎなく宿っていた。
アルバードの敷地へ戻ってきた三人。
門の前には、心配そうに立つリアノとイザベルの姿があった。
「……っ、レイズ様!」
リアノが駆け寄ろうとしたが、途中で足を止める。
レイズの表情を見た瞬間、息を呑んだ。
イザベルもまた、胸に手を当てて立ち尽くす。
その目が、わずかに揺れていた。
声をかけようとした――けれど、何も言えなかった。
濡れた髪。
握りしめた拳。
そして、何も語らぬ背中。
黙って。
ただ黙って、その姿を見守るしかなかった。
レイズは無言のまま、ゆっくりと屋敷の中へと歩みを進める。
リアナも、クリスも――その後を追おうとはしなかった。
あの背中は、今は一人にしておくべきだと悟っていた。
レイズの姿が、廊下の向こうへと消えたあと。
静寂を破ったのは、リアナの嗚咽だった。
震える声で押し殺そうとしても、涙は堰を切ったように溢れ出す。
両手で顔を覆っても止まらない。
「……っ、う……うぅ……」
その泣き声が、静まり返った屋敷の中に、いつまでも響いていた。
イザベルは小さく目を伏せ、唇を震わせながら呟いた。
「……レイズくん。あなた……また、背負おうとしているのね……」
彼の背に宿る孤独と優しさを知る者たちは、
その涙の意味を――痛いほど理解していた。
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