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2 侵食の街
8 後始末
しおりを挟む「つまり、あの気持ち悪い生き物が、街の人々を襲い卵を産み付けていたってことか」
衛兵の宿舎に戻り、アダムと兵士たちは状況を整理していた。テーブルに置かれたランプの光が、ゆらゆらと部屋を照らしている。椅子に座った兵士たちは、疲れ切った顔で途方に暮れていた。
「あんな生き物、見たことないぞ。生き物に寄生するモンスターはいるらしいが、あれもモンスターの一種か?」
「だろうな。少なくとも、このまま野放しにしていい生き物じゃない」
これは自分たちの手に余る、兵士たちはそう判断した。
「王都に連絡し、専門家を呼ぼう」
「ああ。住民にはまだ事実を伏せておけ。こんなこと知ったら、街全体がパニックになるぞ」
机の上に置かれた瓶に目をやる。中には、先ほどの生き物が入っている。
もちろん、5人目の被害者の喉も裂いた。その死体の喉から、まだ数センチの幼生が見つかった。アダムが瓶に入れ、密閉し、ここに持ってきた。瓶の中でおとなしくじっとしている。
「こいつが、死体を貪って成長し、喉から出てきたってわけか」
「逆算すると、4、5日で成体になるようだな」
速すぎる。これでは、あっという間に街はこの生き物に飲み込まれてしまうだろう。
「しかし、変だな。もしこの生き物が街に潜んでいるなら、もっと被害者が出ていると思うが」
「そうだな…。それに、被害者がみんな独身の30歳だ。何だか妙だよな」
犯人は人間だ、と思っていた。しかし、死体から出てきたのは、謎の生き物だった。
兵士たちの会話が途切れる。その様子を見ていたアダムが、ボソリと言った。
「……私は、帰る」
兵士たちは顔を上げた。
「ああ、そうだな。今夜は本当にありがとう。おかげで捜査が進展したよ」
「危険な目に遭わせちまって、すまねえな。と言っても、俺たちが助けられたんだが」
アダムは兵士たちを一瞥し、宿舎を後にした。
外に出て、屋根へ跳躍する。暗闇に沈んだ街は、不気味なほど音がない。
おかしな気配はない。漂う思念もない。アダムはさもつまらなそうに辺りを見回すと、宿屋へ向かって歩き出した。
宿屋のドアを開ける。中は小さな明かりがついていた。
カウンターには亭主が座っている。
「おお! 帰ったか! 心配したぞ。こんな夜に出歩くなんて、あんたも命知らずだなあ」
亭主はアダムの顔を見ると、ほっとしたように声をかけた。
「何か飲むか? ミルクを温めておいたが……」
亭主がアダムにミルクの入ったコップを差し出す。アダムはそれを受け取り、じっと中身を見つめた。
「何だい。まさかミルクも飲んだことがない、っていうのか?」
はは、と笑う亭主に、アダムはコップを突き返す。
「……飲んでみろ」
亭主の顔色が変わる。
「……え」
「飲んでみろ、と言った」
はっきりと、突きつけるようにアダムは言う。
「いや、あ。それは、アンタに」
「私に飲めるのなら、お前も飲めるはずだ」
亭主が後ずさる。おもむろに、アダムはコップをカウンターにひっくり返した。
白いミルクが溢れていく。ビチャビチャとカウンターを濡らしていく。
最後の一滴とともに、小さな生き物が宙を舞った。
「……」
アダムはコップの底で、その生き物を潰した。緑色の液体が、コップを汚す。
「なぜ、わかった」
亭主が俯く。その肩は、わずかに震えていた。
「初めから、知っていた」
「嘘をつくな!!」
突然の殺気に、アダムはカウンターから飛びのく。同時に、亭主の拳がカウンターを叩き割っていた。
「こうするしか、こうするしかなかったんだよ!」
ビキビキと音を立て、亭主の体が変形していく。肩から新たな腕が生え、胴体が伸び、肉が裂ける。さながら、かの生き物のようになっていく。
「どいつもこいつも、幸せそうにしやがって……。俺の娘は、あんなに残酷に死んでいったのにぃぃぃぃ」
体調はすでに3mを超えている。テーブルや椅子を吹き飛ばしながら、亭主はアダムに迫る。
「死んじまえばいいんだぁぁああ! お前たち、全員ンンンン!」
亭主の口が裂け、歯が抜け落ちる。その下から、獰猛な牙が所狭しと生えてくる。
アダムに掴みかかろうと、亭主の手が迫る。アダムは一歩も動くことなく、その手を切り落とした。
「グギッ!」
「……お前から、極上の恨みの思念を感じた」
腕を失った痛みで、亭主はのたうちまわる。家具が壊れ、食器が割れ、宿全体が揺れる。
「コ ロ シテ ヤ ル」
緑色の血を撒き散らしながら、亭主がアダムに飛びかかる。
だが、アダムは顔色1つ変えず、亭主の手足を切り落としていく。
「グギィィィィィィイイイ!!」
手足を失いもがく亭主の頭を踏みつけ、アダムは嗤った。
「さあ、私にその思念を寄越せ!」
言うや否や、アダムは亭主の額に剣を突き刺す。淡く昏い光を纏った剣は、亭主の脳から直接思念を吸い取る。
「ア、ガ、ガガ」
どくん、どくんと剣が蠢動する。まるで何かを咀嚼し飲み込むように、脈打っている。
どこまでも深く、暗い亭主の恨みが、アダムに喰われていく。亭主の体にひびが入り、ボロボロと崩れ始める。
アダムの表情は、どこまでも恍惚としていた。
剣を通して、負の思念を食べる。それこそ、彼に課せられた呪いなのだ。
剣を引き抜くと同時に、亭主は床に崩れ落ちた。
「……最後に聞かせろ。これは、誰の差し金だ」
亭主は地に伏したまま、くつくつと笑い始めた。
「さあ、な。俺はローブを着た男に、こう言われただけ、だ」
君の復讐を手伝おう、と。
「……」
「そいつは、俺に小さな生き物を埋め込んだ。その瞬間、嘘みたいに体が軽くなってよ。気分も開放的になった」
「なんだってできる、やってやる、と思った。男は言ったよ。君に埋め込んだのは、マザーモンスターだ。君の意思で、分身を作ることができるってな」
亭主は続ける。
「それから俺は、娘と同じ年齢の人間を選んで、俺の分身を埋め込んでやったんだ。そいつらが踠いて苦しんで死ぬ様は、サイコーだった」
「でも、やっと正気に戻ったぜ。アンタのおかげでな」
亭主は皮肉気に口元を歪めた。
「俺は、娘を失った悲しみや、怒りを誰かにぶつけたかったのか、でも、それで、娘はーー」
パキパキと音がして、亭主の体に亀裂が入り始める。
「アイシャ……俺、は……ただ、お前、を……」
言い終わる前に、亭主の体は真っ白になり砕け散った。人体改造の副作用なのか、肉体を一切残すことなく、風に運ばれていった。
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