毒蝕の剣

谷川裕也

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3 夢見の城

24 無間の抱擁

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 デュランの戦斧が振るわれる。地から天へ、天から地へ。渾身の力を込めたその一撃は、王矛象の頭を縦に割った。
 眉間から顎まで、地面から垂直に断面を作った一閃は、勢いを殺しきれず地面に突き刺さる。頭身の半ばまで地面に突き立てられ、戦斧は土煙を高く巻き上げた。
 ゆっくりと、王矛象の顔が縦に割れていく。断面から血がプツプツと滲み出し、重力に従い地面へ向かって王矛象の顔面を駆け下りていく。重力が張力に打ち勝ち、地面へと飛び降りた時、王矛象の顔が綺麗に2つへ別たれた。
 その途端、噴水のように血が噴き出す。血はデュランを濡らし、地を汚していく。ぼたぼたと撒き散らされていく。そこに刹那はなかった。
 デュランは確信的な手応えに震えていた。アダムの囮があってこそだが、己が出しうる力の全てを込めて、王矛象という災害級の魔物に叩き込むことができた。この喜びこそ、彼を動かす原動力なのである。
 だが、戦いはまだ終わりではない。血を浴び動かぬデュランが、王矛象の一撃で吹き飛ばされる瞬間を、アダムは確かに見ていた。


 バルディスとカトリーナは、森の魔物に囲まれていた。
 当然といえば当然だが、森には数えきれぬほど魔物が生息している。はじめに彼らが相手したのは、そのごく一部なのである。
 バルディスは身動きが取れず、カトリーナも余力がない。じりじりと包囲網を狭める魔物たちに、彼らは死を覚悟した。
 しかし、1秒で状況が変わった。魔物たちが上を見上げた途端、その半分が頭部を貫かれ即死した。
 続けて、雨あられと矢が降ってくる。生き残った魔物たちは身をくねらせてかわそうとするが、すぐに矢に全身を貫かれる。魔物たちが皆絶命したあと、木の上からラッドが降りてきた。
 呆気にとられていると、ラッドは2人に回復薬を投げてよこした。

「ここにいな。あいつらは俺に任せて休んでろ」

 2人は何も言うことができなかった。ラッドを見つけたら詰問するつもりだったカトリーナも、どうすればいいかわからずラッドの投げた回復薬を受け取る。かなり良質な薬だ。これがあれば、魔力は平常の2割まで回復するだろう。

「心配するな。このラッド様にとっちゃ王矛象なんて子犬と一緒だ!」

 そう言って返事も聞かず、ラッドは走り出した。残された2人はきっちり10秒固まったあと、回復薬を飲み干して後を追うのだった。


 ラッドが戦場に到着し、最初に見たものは切り裂かれた王矛象の顔だった。
 デュランの戦斧が王矛象の顔面を割った、ということはわかった。普通の生き物ならここで決着である。
 しかし、ラッドはすぐに奇妙な光景を目の当たりにした。顔を真っ二つに切り裂かれた王矛象の、両目がデュランをとらえたのだ。ぎょろりと擬音が聞こえるほど不気味に、王矛象の両目が動く。そして、首を振って長い鼻をデュランに叩きつけた。
 ラッドはギョッとして固まる。明らかに致命傷を受けた魔物が、動くどころか意思を持って攻撃したのである。
 不意の一撃をもらったデュランは、数10m吹き飛ばされ大木に激突する。ラッドはすぐさま行動を開始した。


「ーーーー!!!!」

 王矛象が叫ぶ。痛みと怒りと憎しみがはち切れんばかりに膨れ上がっている。心地いい思念だ、とアダムは嘆息し、剣を構え直した。
 王矛象が振り返る。アダムと目が合う。割れた顔面の傷口がうごめき出し、内部から緑の触手が生え出す。
 触手はお互いに絡み合い、王矛象の顔面も元どおりにつなぎ直す。傷がみるみるうちにふさがり、顔面は元どおりに修復される。見れば、アダムが斬ったはずの足も再生していた。

「ーーーー!!!!」

 もう一度、王矛象が吠えた。その目から、真っ赤な涙が溢れだす。同時に、触手が皮膚を突き破り飛び出す。
 狂ったようにうねる無数の触手とともに、王矛象は暴れ出した。

「そうか」

 アダムは剣を振るう。一振りで、触手をまとめて切り落とす。地面に転がった触手は、痙攣するように蠢き、触手の切断面からはさらに新たな触手が生える。

「お前は、死にたいのか」

 王矛象が吠える。アダムに向かって突進し、触手を伸ばす。アダムは身を翻し、迫る触手を叩き斬る。斬れば斬るほど触手は増えていき、王矛象の体を包み始める。
 触手の先が割れ、口となる。鋭利な牙が揃い、発声する。笑うように慄くそれは、獲物を前にしたケダモノのようだ。
 斬っても斬ってもキリがなく、捌き切れない触手の攻撃が、アダムの鎧を削る。
 王矛象は狂ったようにわめきながら、あたり一帯に身をぶつけ出す。アダムは王矛象から距離をとり、剣を握り直した。

「その恨み、もらってやろう」

 アダムの黒剣が鈍く輝き出す。その黒い光は剣を伝わり、アダムの全身を覆い始める。そして、爆発したようにアダムの体から瘴気が噴き出す。湯気のように立ち上るのは、命すら脅かす「呪い」である。
 声がする。毒を食み、命を食らう、怨嗟の言霊である。あらゆる幸福を許さず、あらゆる不幸を憎む、際限のない欲望の塊だ。
 王矛象が後ずさる。瘴気にまかれた木々が一瞬のうちに枯れる。鳥が墜ちる。土が腐る。アダムは一歩を踏み出した。

 アダムの持つ名もなき魔剣。アダムの魂に共鳴し、その在り方を歪められた悲しみの剣。アダムにより侵食され、アダムに力を貸し、アダムに生かされるその剣は、人の負の思念を極上の餌とする最悪の魔剣だ。
 アダムにしか扱えず、アダムにしか許されぬ瘴気こそ、彼の腐った魂の呼吸と言える。

 だからこそ、アダムはこの世で最強となり、同時に最悪となる。
 その剣が、彼らの世界に撃ち込まれる。
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