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第3章 黒尾の囁き
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その夜、甲羅谷は深い闇に包まれていた。月は雲に隠れ、星々もわずかな光しか届かない。昼間の賑わいが嘘のように静まり返った谷を、冷たい風だけが駆け抜けていく。
ポンとミクは眠ることなく、集落の外れに立っていた。谷を見守るように張り出した岩場の上、二人はじっと夜を凝視する。耳を澄ませば、ざわめく木々の奥から低いうなりのような音が響いてきた。
「まただな……」
ポンが呟くと、ミクは強張った顔で頷いた。
「兄ちゃん……あれ、やっぱり黒尾なんだろう?」
「断言はできん。だが……」
言葉の先を飲み込む。兄として軽々しく答えることはできなかった。だが心の奥では、すでに確信していた。これはただの影ではない。父が命を賭して封じた“闇”の名残――黒尾が再び目を覚ましつつあるのだ。
そのときだった。谷に、低く響く声が落ちてきた。
『……忘れたか、ゲンザブロウの息子たちよ……』
二人は息を呑んだ。声は風に乗って響いてくるのではなく、まるで耳の奥に直接囁きかけてくるようだった。
「今の……聞こえたか?」
「……ああ」
ポンとミクは互いに目を見合わせ、背筋を冷たいものが走るのを感じた。
谷の地面を、黒い影が蠢くように広がっていく。尾の形をした闇が伸びたり縮んだりし、土や草を這うたびに枯らしていく。九つの尾を思わせる揺らぎが、一瞬、月明かりのない闇の中で煌めいた。
『……お前たちの甲羅に宿る血……それは我が欲するもの……』
囁きは甘く、そして禍々しい。まるで心の奥底に潜む恐れを撫で回し、揺さぶるようだった。
ミクは思わず耳を塞ぎ、苦しげに顔を歪めた。
「やめろ……! 俺たちは、お前なんかに……!」
その肩をポンが強く掴み、支える。
「惑わされるな、ミク。これは挑発だ。俺たちを揺さぶろうとしている」
闇の囁きはなおも続いた。
『……父の末路を見よ……息子らよ……やがてお前たちも……』
その瞬間、地面に走った影がひときわ大きく広がり、獣の咆哮のような響きを谷に轟かせた。
と、その背後から小さな声がした。
「……兄さん……?」
振り返ると、そこにはクララが立っていた。まだ幼い顔に怯えの色を浮かべ、眠たげな瞳をこすりながらこちらを見上げている。どうやら不穏な気配に目を覚まし、心配になって追いかけてきたのだろう。
「クララ! ここに来ては駄目だ!」
ポンは慌てて妹を抱き寄せる。小さな身体は震えていた。
「こわい夢を見たの……兄さんたちが遠くに行っちゃう夢……」
クララは弱々しい声でそう言い、ポンの甲羅に顔を埋めた。
ポンはその頭を抱きしめ、静かに答える。
「大丈夫だ。俺たちはどこにも行かない。」
ミクもまた、妹の肩に手を置いた。
「クララを泣かせるようなことは、絶対にさせない」
その言葉に応えるように、闇の尾はふっと収縮し、やがて森の奥へと消えていった。囁きも途絶え、谷に再び静寂が訪れる。だが、冷たい余韻だけが胸に残り続けた。
ポンは夜空を見上げ、強く拳を握りしめる。
「……黒尾は、生きている」
ミクは黙って頷いた。恐怖を押し殺し、決意の光を瞳に宿しながら。
クララはまだ不安げに兄たちを見つめていた。その視線を受けながら、ポンとミクは心に誓う。――いずれ必ず、黒尾と対峙する時が来る。その時、二度と家族を失わぬよう、己の甲羅を刃として振るわねばならないのだ。
ポンとミクは眠ることなく、集落の外れに立っていた。谷を見守るように張り出した岩場の上、二人はじっと夜を凝視する。耳を澄ませば、ざわめく木々の奥から低いうなりのような音が響いてきた。
「まただな……」
ポンが呟くと、ミクは強張った顔で頷いた。
「兄ちゃん……あれ、やっぱり黒尾なんだろう?」
「断言はできん。だが……」
言葉の先を飲み込む。兄として軽々しく答えることはできなかった。だが心の奥では、すでに確信していた。これはただの影ではない。父が命を賭して封じた“闇”の名残――黒尾が再び目を覚ましつつあるのだ。
そのときだった。谷に、低く響く声が落ちてきた。
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二人は息を呑んだ。声は風に乗って響いてくるのではなく、まるで耳の奥に直接囁きかけてくるようだった。
「今の……聞こえたか?」
「……ああ」
ポンとミクは互いに目を見合わせ、背筋を冷たいものが走るのを感じた。
谷の地面を、黒い影が蠢くように広がっていく。尾の形をした闇が伸びたり縮んだりし、土や草を這うたびに枯らしていく。九つの尾を思わせる揺らぎが、一瞬、月明かりのない闇の中で煌めいた。
『……お前たちの甲羅に宿る血……それは我が欲するもの……』
囁きは甘く、そして禍々しい。まるで心の奥底に潜む恐れを撫で回し、揺さぶるようだった。
ミクは思わず耳を塞ぎ、苦しげに顔を歪めた。
「やめろ……! 俺たちは、お前なんかに……!」
その肩をポンが強く掴み、支える。
「惑わされるな、ミク。これは挑発だ。俺たちを揺さぶろうとしている」
闇の囁きはなおも続いた。
『……父の末路を見よ……息子らよ……やがてお前たちも……』
その瞬間、地面に走った影がひときわ大きく広がり、獣の咆哮のような響きを谷に轟かせた。
と、その背後から小さな声がした。
「……兄さん……?」
振り返ると、そこにはクララが立っていた。まだ幼い顔に怯えの色を浮かべ、眠たげな瞳をこすりながらこちらを見上げている。どうやら不穏な気配に目を覚まし、心配になって追いかけてきたのだろう。
「クララ! ここに来ては駄目だ!」
ポンは慌てて妹を抱き寄せる。小さな身体は震えていた。
「こわい夢を見たの……兄さんたちが遠くに行っちゃう夢……」
クララは弱々しい声でそう言い、ポンの甲羅に顔を埋めた。
ポンはその頭を抱きしめ、静かに答える。
「大丈夫だ。俺たちはどこにも行かない。」
ミクもまた、妹の肩に手を置いた。
「クララを泣かせるようなことは、絶対にさせない」
その言葉に応えるように、闇の尾はふっと収縮し、やがて森の奥へと消えていった。囁きも途絶え、谷に再び静寂が訪れる。だが、冷たい余韻だけが胸に残り続けた。
ポンは夜空を見上げ、強く拳を握りしめる。
「……黒尾は、生きている」
ミクは黙って頷いた。恐怖を押し殺し、決意の光を瞳に宿しながら。
クララはまだ不安げに兄たちを見つめていた。その視線を受けながら、ポンとミクは心に誓う。――いずれ必ず、黒尾と対峙する時が来る。その時、二度と家族を失わぬよう、己の甲羅を刃として振るわねばならないのだ。
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