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第8章 影の罠、揺らぐ心
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甲羅谷を覆う瘴気は、日ごとに濃さを増していった。
朝日が差しても川面は黒ずみ、鳥の声は途絶え、夜になると谷を囲む山々が不気味に唸りを上げる。谷の外れには、いつしか薄い壁のような黒い幕が張り巡らされていた。それは触れたものを吸い込み、形も声も飲み込んでしまう影の結界だった。
「……逃げ道を断たれたな」
ポンが息を呑む。
「結界の内側で、俺たちを仕留めるつもりだ」
ミクの言葉に、クララは小さく肩を震わせた。谷はまるで牢獄となり、亀たちは怯えながら甲羅に籠もるしかなかった。
その夜、影はついに動いた。
村の中心に、九つの尾を模したかのような狐の幻影が現れたのだ。燃えるような赤い瞳を持ちながらも、身体は靄のように揺らめき、斬っても手応えを残さぬ影の分身。
「来たぞ!」
ポンとミクは即座に甲羅刀を抜き放ち、襲いかかる幻影に立ち向かう。
刃が影を裂くたびに黒い霧が散るが、次の瞬間にはまた形を成して立ち上がる。
「キリがない!」
ミクの額に汗が滲む。
その最中――声が響いた。
「……ポン、ミク」
振り返ると、そこに立っていたのは、亡き父・ゲンザブロウの姿だった。
逞しい甲羅、鋭い眼差し、低く響く声。忘れようのない存在。
「父さん……?」
思わず声を洩らしたポンの胸が熱くなる。ミクも刀を下ろし、震える手で一歩踏み出した。
「まだ間に合う。戦うな。逃げろ。お前たちは……家族を守って生きよ」
幻影のゲンザブロウはそう告げ、影の狐を従えて二匹を包み込むように手を広げた。
「お父さん……本当に?」
クララが泣きそうな声をあげる。
しかし次の瞬間、ゲンザブロウの影が歪み、その口元が裂けたように笑った。
「愚かだな。父の声でさえ、疑えぬか」
その声は黒尾のものだった。
幻影は一瞬で崩れ、無数の影の狐となって兄弟を取り囲む。
「心を惑わし、力を削ぐ。お前たちが抗おうとも、影はすべてを呑み込む」
黒尾の声が頭の奥に響き渡る。
ポンは歯を食いしばり、刀を振り抜いた。
「父の影で俺たちを揺さぶるとは……卑怯な!」
ミクも叫び、影の群れへ斬り込む。だが影は再び形を変え、尾のようなものを伸ばしては兄弟の身体を絡め取ろうとする。
戦いは激しさを増し、村の地面は黒く焦げたように蝕まれていく。
クララは震えながらも、兄たちの背を見つめ、必死に声を張り上げた。
「だまされないで! 父さんはもう……でも、兄さんたちは生きてる! 本物はここにいる!」
その叫びに、兄弟の迷いが断ち切られた。
「そうだ……父さんなら、逃げろとは言わない。戦えと、そう言うはずだ!」
ポンの瞳が再び炎を宿す。ミクも強く頷き、連携して影を斬り払った。
次第に幻影は霧散し、結界の闇に吸い込まれて消えていった。
辺りに静寂が戻ると同時に、黒尾の嘲る声だけが残る。
「よい、少しは楽しませてくれる。次は……影そのものをもって、貴様らを呑み込もう」
声が消えると、村には深い静寂と恐怖だけが取り残された。
ポンとミクは互いに息を荒げ、クララは兄たちの甲羅にすがりついた。
戦いはまだ始まったばかり。黒尾は遊ぶように彼らを試し、そして本当の闇を解き放とうとしている。
決戦の日は、確実に近づいていた。
朝日が差しても川面は黒ずみ、鳥の声は途絶え、夜になると谷を囲む山々が不気味に唸りを上げる。谷の外れには、いつしか薄い壁のような黒い幕が張り巡らされていた。それは触れたものを吸い込み、形も声も飲み込んでしまう影の結界だった。
「……逃げ道を断たれたな」
ポンが息を呑む。
「結界の内側で、俺たちを仕留めるつもりだ」
ミクの言葉に、クララは小さく肩を震わせた。谷はまるで牢獄となり、亀たちは怯えながら甲羅に籠もるしかなかった。
その夜、影はついに動いた。
村の中心に、九つの尾を模したかのような狐の幻影が現れたのだ。燃えるような赤い瞳を持ちながらも、身体は靄のように揺らめき、斬っても手応えを残さぬ影の分身。
「来たぞ!」
ポンとミクは即座に甲羅刀を抜き放ち、襲いかかる幻影に立ち向かう。
刃が影を裂くたびに黒い霧が散るが、次の瞬間にはまた形を成して立ち上がる。
「キリがない!」
ミクの額に汗が滲む。
その最中――声が響いた。
「……ポン、ミク」
振り返ると、そこに立っていたのは、亡き父・ゲンザブロウの姿だった。
逞しい甲羅、鋭い眼差し、低く響く声。忘れようのない存在。
「父さん……?」
思わず声を洩らしたポンの胸が熱くなる。ミクも刀を下ろし、震える手で一歩踏み出した。
「まだ間に合う。戦うな。逃げろ。お前たちは……家族を守って生きよ」
幻影のゲンザブロウはそう告げ、影の狐を従えて二匹を包み込むように手を広げた。
「お父さん……本当に?」
クララが泣きそうな声をあげる。
しかし次の瞬間、ゲンザブロウの影が歪み、その口元が裂けたように笑った。
「愚かだな。父の声でさえ、疑えぬか」
その声は黒尾のものだった。
幻影は一瞬で崩れ、無数の影の狐となって兄弟を取り囲む。
「心を惑わし、力を削ぐ。お前たちが抗おうとも、影はすべてを呑み込む」
黒尾の声が頭の奥に響き渡る。
ポンは歯を食いしばり、刀を振り抜いた。
「父の影で俺たちを揺さぶるとは……卑怯な!」
ミクも叫び、影の群れへ斬り込む。だが影は再び形を変え、尾のようなものを伸ばしては兄弟の身体を絡め取ろうとする。
戦いは激しさを増し、村の地面は黒く焦げたように蝕まれていく。
クララは震えながらも、兄たちの背を見つめ、必死に声を張り上げた。
「だまされないで! 父さんはもう……でも、兄さんたちは生きてる! 本物はここにいる!」
その叫びに、兄弟の迷いが断ち切られた。
「そうだ……父さんなら、逃げろとは言わない。戦えと、そう言うはずだ!」
ポンの瞳が再び炎を宿す。ミクも強く頷き、連携して影を斬り払った。
次第に幻影は霧散し、結界の闇に吸い込まれて消えていった。
辺りに静寂が戻ると同時に、黒尾の嘲る声だけが残る。
「よい、少しは楽しませてくれる。次は……影そのものをもって、貴様らを呑み込もう」
声が消えると、村には深い静寂と恐怖だけが取り残された。
ポンとミクは互いに息を荒げ、クララは兄たちの甲羅にすがりついた。
戦いはまだ始まったばかり。黒尾は遊ぶように彼らを試し、そして本当の闇を解き放とうとしている。
決戦の日は、確実に近づいていた。
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