飛んで火に入る火取蟲

白樫 猫

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火を恋う青蛾は焔に焼かれ

20話

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あの事件から10日が過ぎた。
響の身体と心の傷は徐々に回復の兆しを見せ、最近は悪夢で目が覚める事も少なくなり、入眠剤が無くても眠りに付けるようになっていた。
顔の痣は薄く、切れた傷は瘡蓋になり、痛々しさはあるものの、もう痛みもないようで、経過とともに響は順調に回復していた。
そして、退院する日が決まった。

「何かしたい事は見つかったか?」

大石の言葉に、響は小さく頷いた。
少しづつだが心を開いているように感じる響に、少し前からこれからの事を考えておくようにと話をしておいたのだ。

「‥でも、俺‥お金持ってないよ。これから暮らしてくのに、お金が必要でしょ?」

不安そうな響に、大石は笑いながら答える。

「お金の心配はするな。お前にと預かっている金がある。それを使うから、自分のやりたい事を言ってみろ」

大石は、そのお金がどこから預かったものかは言わないが、響はすぐに分った。

「‥じゃあ、俺‥勉強がしたい‥学校に行きたい。通信制で良いから、高校を卒業したい」

俯き少し恥ずかしそうに言ったその言葉に、大石は大きな手で響の頭をグシャグシャと撫でた。

「ああ、分かった。手配しておく」
「‥ありがとう‥」

はにかみながら笑う響に、大石は一瞬だが眉を潜め、次の言葉を口にした。

「あと、ひとつあるんだ‥響、お前は名前を変えた方がいい」

思ってもみなかったその言葉に、響はキョトンとした顔になる。

「悪いな‥黒須響って名が、これから狙われる要因になるかもしれない。これから平穏な生活を送るには、名前を変える必要がある」

響は、もっともだと思った。
この名を知っている人間は沢山いる。
あの時の石塚の仲間も、どこかで機会を窺っているかもしれない。
その報復を考えると、この名でいる事が、危険だと響も理屈では分かっている。
だけど、愛してくれた人に優しく名を呼ばれたことを、忘れなくない。
獅道があの低く優しさを含んだ声で、『‥響』と、呼んでいた事を忘れたくない。
それは自分の我儘なんだろうか。

「‥このままでは、ダメですか‥?」

苦しそうに口にする響に、大石の眉間に更に深く皴が寄る。

「‥ああ、黒須響は、この世界から居なくなる‥その事は、すでにあいつも知っている」

あいつとは、当然、獅道の事だろう‥もうすでに結論が出ている事なんだと、今更ながらに気が付く。

「‥そうですか、なら‥変えます‥‥名前‥」

響の大きな瞳に涙が溢れて、零れ落ちそうになり、大石が再び頭に触れた。

「‥響。名前が変わっても、お前はお前だ‥あいつに愛されたことは、なにひとつとして変わらない。お前が生きてきた人生は、お前のもので、変えられない事実だ。だからお前が心の中で‥誰かをいつまでも想うのは自由だ。お前の心を覗くことは誰にも出来ないからな‥。心配するな、自分は愛されていると胸を張って生きろ‥」

慰めてくれているのだろうか、響は零れ落ちた涙をグイッと拭うと、うんと頷いた。

「‥じゃあ、名前を考えとけ、新しい自分の始まりだ」

考え込みそうになる響に、大石が言葉を続けた。

「おい、すぐじゃなくてもいい、退院するまでで‥」

その言葉を遮る様に、決意を込めた響の顔が大石を真っ直ぐに見つめた。

「決めた。俺は‥俺の名前は、神代朱雀かみしろすざく‥」

そう言った響の目は、すでに前を向き始めていた。

「‥神代、朱雀‥」

大石は咀嚼するように口に出した名は、神代は響の祖母の姓、そして朱雀は‥獅道の背に大きく彫られている、神話の中でのみ存在する、炎を操る霊獣‥。

「‥いい名だ」

大石が大きく頷くと、響は満面の笑みを向けた。



・ー・・・ ー・・ー・ ・ー

「獅道さんの背中‥綺麗だね‥」

ベッドで横になっている獅道の背を、ウットリと眺めながら手を這わせていく響。

「‥もう痛くないの?」
「‥ああ」

雄々しく逞しい背に、沢山の業を背負うかのような彫り物。
手に剣を持つ武将姿の火之迦具土神ひのかぐつちのかみと火を纏い大きく羽を広げている美しい火の鳥・朱雀すざく

「これ何の鳥?」
「ああ‥これは朱雀‥火の鳥‥」
「‥綺麗だね」
「ああ‥最も、気高く‥柔靭‥」

獅道の手が、響の頭に触れ、その口元が少しだけ綻んでいた。

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