飛んで火に入る火取蟲

白樫 猫

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花を貪る胡蝶は蜘蛛の網にかかる

19話

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「臆測でしかない話ですが、おそらく的は得ているでしょう‥」

先程まで毅然とした姿で座っていた玖美子だったが、今は、先程の颯馬と同じ様に、指先が小刻みに震えている。

「凜乃さんは‥‥豊成さんの子ではないですね?」

頭から冷たい水を浴びてしまったかのように、玖美子の目が見開く。
また颯馬は、それ以上に驚いた顔をして玖美子を見つめる。

「‥‥‥どこまで調べたんですか?」
「あなたにとって辛い事かもしれませんが‥重要な事なので‥」
「そうです‥凜乃は‥‥和弘さんの子です‥」

玖美子の決意した様に伝える言葉は、弱々しく今にも消えてしまいそうな程、儚く聞こえた。

「‥思い出したくはありませんが‥結婚してすぐ主人が出張に行った時‥‥和弘さんは‥あの人は、主人を恨んでいました。その怒りを、復讐として私に向けてきたのでしょう‥私は‥主人に言えませんでした。言える訳ありません‥ですが、凜乃を妊娠した時‥もしかして‥そう思う気持ちもありました。堕胎しようと本気で思った時期もありました。‥でも、出来なかった‥。凜乃が産まれて、可愛くて‥そして優紫が産まれ‥幸せに暮らしていたのに‥」

これ以上、言葉が続かないのか、玖美子は両手で顔を覆う。
その肩に優しく颯馬が手を添えていた。

「そして、2年前、和弘さんが帰国したんですね‥」

沈黙が流れる。

「颯馬さん‥和弘さんの残した手紙‥ありますか?」
「‥はい」
「玖美子さんに、読んでもらってください‥」

颯馬は、再びポケットから手紙を取り出すと、今にも泣きそうな玖美子の手に渡す。
躊躇ってはいたが、素直に受け取ると、震える指で封筒から手紙を出し、読み始めた。
そして読み終えると、その瞳から涙が零れ落ちる。

「玖美子さん、和弘さんは、分かっていました。あなたが‥復讐する事を‥」

その言葉に、玖美子は嗚咽する。

「あなたのご実家は病院でしたね‥そして一昨日、ご実家に行かれましたね?何を取りに行かれたんですか?」

玖美子の嗚咽だけが室内に響き、神代は再びゆっくりと言葉を繋ぐ。

「これ以上、誰も傷付けたくないと、颯馬さんがおっしゃっていました。守ってあげたいと思う中に、あなたも含まれているのですよ‥」
「‥母さん」

颯馬は、細い身体を抱き締めた。
今まで、こんなに力強く抱き締めた事があっただろうか‥幼い頃は、大きくて力強くて優しくて‥いつも自分達の事を考えてくれた母は、とうに自分より小さくなっているのに、いつまでも大きく強いと思っていた。

「和弘さんも凜乃さんの事を、始めは自分の子だと思っていなかったと思います。そして昨年‥凜乃さんが貧血で倒れた時に、一緒に遺伝子検査をされたのではないですか?」
「‥はい、それは‥和弘さんが‥勝手に‥私は、その後、結果を聞いて‥思わず取り乱してしまって‥」
「その時の様子を、優紫さんに見られたのですね?」
「‥‥はい」
「そして、その後、優紫さんのひとことで、何かおかしいと感じた豊成さんは、和弘さんを問い詰め、知ってしまったんでしょう‥凜乃さんが和弘さんの子だと‥そして、おそらくアトリエで凜乃さんの絵を見てしまった。‥颯馬さん、和弘さんの部屋にあった絵を持って来て下さい」

先程は、なんとなく言葉を濁したが、すでに神代の中では確信に変わっていた。
和弘の絵を持っているのは、颯馬だと。

「‥はい」

とても長い間、颯馬は迷っていたが、暫くすると短い返事をし、部屋へ向かって行った。

「凜乃さんは、知っています…。自分が誰の子か‥」

颯馬が席を外すと、神代が口を開いた。

「‥そうだろうと思います」
「知っていましたか?」
「‥ええ、なんとなく様子がおかしいと‥もともと、あの子は、もっと明るく天真爛漫な、思った事は何でもよく話す子だったんです。今のあの子を見ると、本当に別人みたい‥。変わったのが、ちょうど‥和弘さんが私に遺伝子検査の結果を見せた時くらいだったので、和弘さんが話したんだと‥」
「そうですか」

その時、颯馬がキャンバスを持ち、応接室に戻ってきた。

「‥お待たせしました。あの時、優紫の声で和弘さんの部屋に入った時、このキャンバスに和弘さん手が触れていたんです。そして、この絵がチラッと見えた時、私は‥隠さなくてはと思い‥慌てて3枚とも部屋へ隠してしまいました‥申し訳ありません‥」

そう言って颯馬が渡してきた絵は、一枚は穏やかに微笑んだ豊成とすみれの絵。
優しく愛情の込められた絵だ。
そしてもう一枚は、凜乃がバイオリンを弾いている絵。
これは今にもバイオリンの音が聞こえてくるような、素晴らしい絵だった。
おそらくこの2枚の絵は、和弘が描いたものだろう
とても人物画を描いていない人とは思えない。
そして最後の一枚は、油絵の重ねられた絵の具が、すべて剥ぎ取られ完成された絵とは、とても思えないモノだった。

「‥すみません‥私が‥消しました‥」

颯馬が謝罪する。
颯馬が消したいと思うのは当然だった。
そのキャンバスには、薄っすらと下書きが出ていたが、女性の裸体の絵だったから。
本当は、神代は初めて和弘の部屋に入った時に、注意されたが、すでにこの絵を見てしまっていた。
その時、見えたのは、凜乃が防音室にあるソファに一糸纏わぬ姿で横になり、視線を作者に向けていた。
その瞳にはうっすらと笑みを浮かべ、赤く染まった頬にも潤った唇にも、愛おしさが詰まっていた。
愛しい者を見る瞳。
それは少女から大人に羽化するような姿だった。

「もうこれは、必要ありませんね‥」

神代は、その剥がれた絵を持ち、応接室から窓を開き庭に出る。
どういう事か分からず、颯馬も玖美子も同じ様に、庭についてきた。

広い芝の上にキャンバスを置くと、神代は一歩下がり片手をキャンバスに向けた瞬間、キャンバスに勢いよく燃え上がった。

「‥ああっ‥‥」

颯馬と玖美子は驚き、一歩下がるが、後ろに出てきた葉月が、大丈夫だからと言い聞かせ、その場にとどまる。
そのまま、キャンバスが燃えている様子に視線を落としたまま、神代は再び口を開く。

「和弘さんにとって、すみれさんは大好きな人だった。だが自分の兄と結婚した。自分が海外へ行き離れた事で、時がその気持ちに終止符を打たせてくれた。そして、幸せになっていると思っていた矢先、事故で亡くなってしまった。部屋を出る事が出来なくなるくらい、悲しみが深かったのでしょう。だけど豊成さんは、すぐに再婚を決めた。すみれさんの絵はアトリエに仕舞われ、まるで存在しなかった様に振る舞う豊成さんが、許せなかったんでしょう。憎しみに苛まれ、玖美子さんを傷付け‥自分は逃げる様に再び海外へ‥。そして2年前帰国した時は、凜乃さんを見て惹かれたんでしょう。これは血の繋がりがあるからか、どこか自分と似ている所があったのかもしれません‥おそらく凜乃さんも‥」
「そうよ‥私も‥叔父様が‥あの人が‥好きだったのに‥」

突然、背後から声がして振り向くと、応接室の窓際に凜乃が立っていた。


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