8 / 8
外伝 02
神の子
しおりを挟む
昔 天から一つの命が授けられた。
それは人の形をとらず、白き蛇の姿で地に降りた。
神はその存在に名を与えず、ただ一言だけを告げた。
「汝は我が使いである」
指名の意味も、いく先も示されぬまま、その命は地上へと送り出された。
後に人はそれを見て、畏れと祈りを込め、同じ言葉で呼ぶようになる。
ー神の使い、と。
やがてその命は、一つの神域に導かれた。
神の気配が色濃く残る、深い森の奥へと。
そこには、人の目には映らぬ九尾が在ったと伝えられている。
人は見えぬ妖怪を神と称えながらも、目に映る白き蛇を、その神域の主として祀った。
その日から、白き蛇は名を持たぬまま、
神と人の狭間に在り続けることになる。
ーー後に「巳波」と呼ばれる存在の、始まりであった。
やがて九尾は、力を持たぬ神の子に人の形を与えた。
「さぞ生きにくかろう。力を与えられたからには、役に立つことだな」
人の姿を手に入れたそれは、しばし動かず、ただ自らの手を見つめていた。
指があり、形があり、
大地に触れる感覚が、確かにそこにあった。
まだ幼き人の姿をした蛇を見ては、人々は果実を携え、口を揃えて祈った。
「あぁ神よ、どうか、どうか村をお救いください…」
鬼が棲むという噂に、人は恐れを募らせていた。
九尾はその話を耳にし、蛇に見せつけるように、一人の子を連れてきた。
人の子ほどの背丈でありながら、その影は妙に歪み、
足元には、夜の匂いがまとわりついていた。
「人間を襲うかどうかは、お前が判断するといい」
それは鬼の子であった。
だが、ただの鬼ではない。
人の恐れを糧とし、闇に灯るもの――
後に“青行燈”と呼ばれる存在である。
蛇は鬼の子と関わっていくうちに、優しさに触れ、
いつしか友と呼ぶほど、共に在ることを選ぶようになっていた。
鬼の子は人を恐れ、蛇は人を知らず。
互いに異なるもの同士でありながら、
焚き火のそばで夜を越し、言葉を交わさぬまま時を重ねた。
その姿を見て、九尾は何も語らなかった。
ただ静かに、運命が動き始めたことを悟ったという。
月日が流れるにつれ、人々が神社を訪れる回数は増えていった。
あちこちの村が、何者かによって襲われたと噂されるようになったのだ。
姿も定かでないその存在を、
人は恐れと共に「鬼」と呼んだ。
蛇には、どうしても信じがたいことだった。
鬼の子は誰かを襲うどころか、いつも蛇のそばを離れなかったからだ。
その時まで、沈黙を保っていた九尾が、初めて口を開く。
「人間は愚かだ。何も見ていないというのに、すぐに何かのせいにする」
そう言って、九尾は蛇の両眼を静かに覆った。
「お前に、よいものを見せてやろう。──人間が、いかなる生き物であるかを」
次の瞬間、蛇の視界は闇に沈んだ。
黒いものが暴れ出す姿。
逃げ惑う人間の声。
そして──人の姿をした何かが、笑いながら立っていた。
その背後には、なにも言えぬ大きな何かが立っていた。
「これは、まだ名を持たぬ未来だ」
九尾の声が、遠くで響く。
「やがて人は、この存在を恐れ、
鬼よりも深い罪を背負わせることになる」
蛇の胸に、言い知れぬ寒気が走った。
それは鬼ではない。
しかし、人の欲と恐れが生み出した──災いだった。
蛇は、その光景から目を逸らした。
だが、覆われたはずの視界の奥で、なおも未来は蠢いていた。
耐えきれぬ恐怖に、蛇の身は震え、
その震えは、やがて一つの形を成す。
白き身より分かたれた、もう一匹の蛇。
それは声を持たず、意思を語らず、
ただ主の首に巻きつき、外界を拒むように静かに息づいていた。
見ることを拒み、
知ることから逃れるために生まれた影である。
後に人はそれを、守りとも呪いとも呼ぶ。
どうしても目の前を見ることを恐れた蛇は、
布を両眼に巻きつけ、地に伏して叫んだ。
「あぁ、悍ましい……悍ましい……。
あの男が、怖くてたまらない。
なにも見とうない……なにも……」
予知の力を授かってしまった蛇は、
見ることを恐れ、両眼を覆ったまま生きる道を選んだ。
やがて成長したその蛇は、
かつて未来で見た、人の形をした災いを思い出しながら、
静かに、こう語ったという。
「いつか、あの男を倒せるよう……導き出さねばならないねぇ」
それは人の形をとらず、白き蛇の姿で地に降りた。
神はその存在に名を与えず、ただ一言だけを告げた。
「汝は我が使いである」
指名の意味も、いく先も示されぬまま、その命は地上へと送り出された。
後に人はそれを見て、畏れと祈りを込め、同じ言葉で呼ぶようになる。
ー神の使い、と。
やがてその命は、一つの神域に導かれた。
神の気配が色濃く残る、深い森の奥へと。
そこには、人の目には映らぬ九尾が在ったと伝えられている。
人は見えぬ妖怪を神と称えながらも、目に映る白き蛇を、その神域の主として祀った。
その日から、白き蛇は名を持たぬまま、
神と人の狭間に在り続けることになる。
ーー後に「巳波」と呼ばれる存在の、始まりであった。
やがて九尾は、力を持たぬ神の子に人の形を与えた。
「さぞ生きにくかろう。力を与えられたからには、役に立つことだな」
人の姿を手に入れたそれは、しばし動かず、ただ自らの手を見つめていた。
指があり、形があり、
大地に触れる感覚が、確かにそこにあった。
まだ幼き人の姿をした蛇を見ては、人々は果実を携え、口を揃えて祈った。
「あぁ神よ、どうか、どうか村をお救いください…」
鬼が棲むという噂に、人は恐れを募らせていた。
九尾はその話を耳にし、蛇に見せつけるように、一人の子を連れてきた。
人の子ほどの背丈でありながら、その影は妙に歪み、
足元には、夜の匂いがまとわりついていた。
「人間を襲うかどうかは、お前が判断するといい」
それは鬼の子であった。
だが、ただの鬼ではない。
人の恐れを糧とし、闇に灯るもの――
後に“青行燈”と呼ばれる存在である。
蛇は鬼の子と関わっていくうちに、優しさに触れ、
いつしか友と呼ぶほど、共に在ることを選ぶようになっていた。
鬼の子は人を恐れ、蛇は人を知らず。
互いに異なるもの同士でありながら、
焚き火のそばで夜を越し、言葉を交わさぬまま時を重ねた。
その姿を見て、九尾は何も語らなかった。
ただ静かに、運命が動き始めたことを悟ったという。
月日が流れるにつれ、人々が神社を訪れる回数は増えていった。
あちこちの村が、何者かによって襲われたと噂されるようになったのだ。
姿も定かでないその存在を、
人は恐れと共に「鬼」と呼んだ。
蛇には、どうしても信じがたいことだった。
鬼の子は誰かを襲うどころか、いつも蛇のそばを離れなかったからだ。
その時まで、沈黙を保っていた九尾が、初めて口を開く。
「人間は愚かだ。何も見ていないというのに、すぐに何かのせいにする」
そう言って、九尾は蛇の両眼を静かに覆った。
「お前に、よいものを見せてやろう。──人間が、いかなる生き物であるかを」
次の瞬間、蛇の視界は闇に沈んだ。
黒いものが暴れ出す姿。
逃げ惑う人間の声。
そして──人の姿をした何かが、笑いながら立っていた。
その背後には、なにも言えぬ大きな何かが立っていた。
「これは、まだ名を持たぬ未来だ」
九尾の声が、遠くで響く。
「やがて人は、この存在を恐れ、
鬼よりも深い罪を背負わせることになる」
蛇の胸に、言い知れぬ寒気が走った。
それは鬼ではない。
しかし、人の欲と恐れが生み出した──災いだった。
蛇は、その光景から目を逸らした。
だが、覆われたはずの視界の奥で、なおも未来は蠢いていた。
耐えきれぬ恐怖に、蛇の身は震え、
その震えは、やがて一つの形を成す。
白き身より分かたれた、もう一匹の蛇。
それは声を持たず、意思を語らず、
ただ主の首に巻きつき、外界を拒むように静かに息づいていた。
見ることを拒み、
知ることから逃れるために生まれた影である。
後に人はそれを、守りとも呪いとも呼ぶ。
どうしても目の前を見ることを恐れた蛇は、
布を両眼に巻きつけ、地に伏して叫んだ。
「あぁ、悍ましい……悍ましい……。
あの男が、怖くてたまらない。
なにも見とうない……なにも……」
予知の力を授かってしまった蛇は、
見ることを恐れ、両眼を覆ったまま生きる道を選んだ。
やがて成長したその蛇は、
かつて未来で見た、人の形をした災いを思い出しながら、
静かに、こう語ったという。
「いつか、あの男を倒せるよう……導き出さねばならないねぇ」
0
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(1件)
あなたにおすすめの小説
転生後はゆっくりと
衣更月
ファンタジー
貧しい集落で生まれたリリは、生まれた瞬間から前世の記憶があった。
日本人特有の”配慮”に徹した赤ん坊を演じていたことで、両親から距離を置かれた挙句、村人からも「不気味な子」として敬遠されることに…。
そして、5才の誕生日に遠くの町に捨てられた。
でも、リリは悲観しない。
前世の知識チートは出来ないけど、大人メンタルで堅実に。
目指すは憧れのスローライフが出来るほど、ほどほどの守銭奴としてリリは異世界人として順応していく。
全25話(予定)
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
その断罪、三ヶ月後じゃダメですか?
荒瀬ヤヒロ
恋愛
ダメですか。
突然覚えのない罪をなすりつけられたアレクサンドルは兄と弟ともに深い溜め息を吐く。
「あと、三ヶ月だったのに…」
*「小説家になろう」にも掲載しています。
モブ転生とはこんなもの
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
あたしはナナ。貧乏伯爵令嬢で転生者です。
乙女ゲームのプロローグで死んじゃうモブに転生したけど、奇跡的に助かったおかげで現在元気で幸せです。
今ゲームのラスト近くの婚約破棄の現場にいるんだけど、なんだか様子がおかしいの。
いったいどうしたらいいのかしら……。
現在筆者の時間的かつ体力的に感想などを受け付けない設定にしております。
どうぞよろしくお願いいたします。
他サイトでも公開しています。
乙女ゲームは始まらない
まる
ファンタジー
きっとターゲットが王族、高位貴族なら物語ははじまらないのではないのかなと。
基本的にヒロインの子が心の中の独り言を垂れ流してるかんじで言葉使いは乱れていますのでご注意ください。
世界観もなにもふんわりふわふわですのである程度はそういうものとして軽く流しながら読んでいただければ良いなと。
ちょっとだめだなと感じたらそっと閉じてくださいませm(_ _)m
なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた
下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。
ご都合主義のハッピーエンドのSSです。
でも周りは全くハッピーじゃないです。
小説家になろう様でも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
ありがとうございます!とても嬉しいです…!気長にやっていく予定なので続き楽しみに待っててください!