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三ノ段 夕、連日と宮本家に通い、伊織、城中にて同僚に冷やかされる事。
(一)
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あれから四日が過ぎた。
◆ ◆ ◆
その日の伊織は、主君である小笠原忠政の茶の相手をさせられていた。
近習の仕事というのは種々あるが、要するに殿様の秘書のようなもの、と思えばそうそう間違いない。
身の回りの世話をする小姓とは別にあるもので、近辺の護衛などもその仕事の名目としてはあった。とはいえ、この明石小笠原家においての近習の仕事というのは、多くは忠政の茶の相手である。後に一流派を立てるほどになるこの藩主は、当代でもなかなかいない趣味人であった。
そんな忠政に仕える伊織は、やはり茶事に堪能である。その日も主君のたてた茶を作法どおりに含み、若くして完成された所作を他の近習達の前で見せていた。
だが。
(今日の空気は、少しおかしいな……)
何処かしら興味深いものを見るかのような、何か面白いものがあって、好奇心を押さえつつも見つめているかのような……そんな視線を感じるのである。
それは周りの同僚たちからのものでも、主君の忠政からも同様があるように思えた。
(何か気になるようなことが――起きている、な、やはり――、)
あれから四日目か、と改めて伊織は思う。
あれというのは岩流縁者のゆうが宮本家にやってきた日からということで、伊織にとっては面倒ごとが増えてから四日が過ぎたということである。
(あれから四日――まだではなく、もう四日たつのか)
それだけの時間があれば、ゆうのことが世間に広まりだしている頃合だ。
伊織は家人にゆうのことは吹聴せぬようにと言い含めてはいたのだが、人の口に戸は立てられない。家の人間が喋らずとも、近隣の家にも人はいる。
四日もあればどういう経由をしてかなどは考えるまでもなく、外部におおよそことの次第は流出しても不思議ではない。
(それもそれなりの尾鰭がついて――)
とりあえず当初心配していたような、撲殺して討ちかえすような羽目にもならず、ゆうも特に街で吹聴している風でもない。
(まだ誤魔化せる範囲のことだ)
そう考えていたのであるが。
やがて。
「武蔵殿のことだがな」
と忠政から口を開いた。
殿、と家臣の父である人物に対してつけているのは少し奇妙なことかもしれないが、武蔵は小笠原家にとっての客分という扱いである。
伊織は「は」と姿勢を正して主君の言葉に備えた。
「噂で聞いたぞ」
「どのような噂でございましょうか」
そう無茶なものにはなってないだろうと予測していたのだが、どうしてかその時、伊織の心中に何か得体の知れない不安が突如として巻き起こった。ろくでもないことが起きる予感だった。
忠政は悪戯っぽく笑い。
「武蔵殿が、若い娘を囲って日参させておると――どうした、伊織?」
主君に問われ、伊織は「いえ、なんでもございませぬ」と顔を上げた。自分の表情を見られたくなくて俯いていたのだが、さすがにいつまでもそうしているわけにはいかない。
しかし。
(どうしてそういう話になっているんだ?)
と思った。
いや、大方の話の筋は解る。
ゆうのような美しい娘が日参しているのなら当然のように浮かぶ話だ。
遊女か何かの類と思われたのかもしれない。
(しかし、それでなんで相手が父上なのか)
年頃からいえば、自分とゆうとの組み合わせの方が順当なのではないか。
もっとも、聡明な彼は言われずとも気づいている。宮本家は新免武蔵の家であるということなのだろうと。要するに、伊織の相手よりも、武蔵の相手という方が面白いのだ。
脳裏に、ふわりと何処か曖昧な笑い方をしている、ゆうの姿が浮かんだ。
(どうしたものかな……)
伊織は考える。
いっそ、このまま誤解させるのが一番よいような気もした。
英雄色を好むという。
豪傑が少々好色であろうとも世間では充分と受け入れられる。武蔵には今までは浮いた話はなかったが、今回のことはこのまま放置しておけば、「剣豪で知られる男が女を囲った」というありきたりの話として世間に定着するだろう。忠政が興味を示しているのは、武蔵の身辺にそのような話が今までなかったからということからに違いない。
――にも関わらず。
「父上は、妾など囲っておりません」
「ほう」
「その娘は囲い者ではなく、敵討ちにきたとのことです」
と本当のことを言ってしまったのは、伊織としてはあくまで主君に虚偽を言いたくなかったということもあるが。
さらにも増して興味深そうな顔をしている忠政を見て、伊織は改めて思う。
(茶事の席には、つまみの一つもあった方がいい)
そんな打算もあった。
さて、どういう風に話したものかと考えたのは一瞬だった。
「敵討ちにきた娘を、殺しもせずに飯を食わせて日参させておると?」
そのまま話した方が、一番おかしいのだ。
◆ ◆ ◆
その日の伊織は、主君である小笠原忠政の茶の相手をさせられていた。
近習の仕事というのは種々あるが、要するに殿様の秘書のようなもの、と思えばそうそう間違いない。
身の回りの世話をする小姓とは別にあるもので、近辺の護衛などもその仕事の名目としてはあった。とはいえ、この明石小笠原家においての近習の仕事というのは、多くは忠政の茶の相手である。後に一流派を立てるほどになるこの藩主は、当代でもなかなかいない趣味人であった。
そんな忠政に仕える伊織は、やはり茶事に堪能である。その日も主君のたてた茶を作法どおりに含み、若くして完成された所作を他の近習達の前で見せていた。
だが。
(今日の空気は、少しおかしいな……)
何処かしら興味深いものを見るかのような、何か面白いものがあって、好奇心を押さえつつも見つめているかのような……そんな視線を感じるのである。
それは周りの同僚たちからのものでも、主君の忠政からも同様があるように思えた。
(何か気になるようなことが――起きている、な、やはり――、)
あれから四日目か、と改めて伊織は思う。
あれというのは岩流縁者のゆうが宮本家にやってきた日からということで、伊織にとっては面倒ごとが増えてから四日が過ぎたということである。
(あれから四日――まだではなく、もう四日たつのか)
それだけの時間があれば、ゆうのことが世間に広まりだしている頃合だ。
伊織は家人にゆうのことは吹聴せぬようにと言い含めてはいたのだが、人の口に戸は立てられない。家の人間が喋らずとも、近隣の家にも人はいる。
四日もあればどういう経由をしてかなどは考えるまでもなく、外部におおよそことの次第は流出しても不思議ではない。
(それもそれなりの尾鰭がついて――)
とりあえず当初心配していたような、撲殺して討ちかえすような羽目にもならず、ゆうも特に街で吹聴している風でもない。
(まだ誤魔化せる範囲のことだ)
そう考えていたのであるが。
やがて。
「武蔵殿のことだがな」
と忠政から口を開いた。
殿、と家臣の父である人物に対してつけているのは少し奇妙なことかもしれないが、武蔵は小笠原家にとっての客分という扱いである。
伊織は「は」と姿勢を正して主君の言葉に備えた。
「噂で聞いたぞ」
「どのような噂でございましょうか」
そう無茶なものにはなってないだろうと予測していたのだが、どうしてかその時、伊織の心中に何か得体の知れない不安が突如として巻き起こった。ろくでもないことが起きる予感だった。
忠政は悪戯っぽく笑い。
「武蔵殿が、若い娘を囲って日参させておると――どうした、伊織?」
主君に問われ、伊織は「いえ、なんでもございませぬ」と顔を上げた。自分の表情を見られたくなくて俯いていたのだが、さすがにいつまでもそうしているわけにはいかない。
しかし。
(どうしてそういう話になっているんだ?)
と思った。
いや、大方の話の筋は解る。
ゆうのような美しい娘が日参しているのなら当然のように浮かぶ話だ。
遊女か何かの類と思われたのかもしれない。
(しかし、それでなんで相手が父上なのか)
年頃からいえば、自分とゆうとの組み合わせの方が順当なのではないか。
もっとも、聡明な彼は言われずとも気づいている。宮本家は新免武蔵の家であるということなのだろうと。要するに、伊織の相手よりも、武蔵の相手という方が面白いのだ。
脳裏に、ふわりと何処か曖昧な笑い方をしている、ゆうの姿が浮かんだ。
(どうしたものかな……)
伊織は考える。
いっそ、このまま誤解させるのが一番よいような気もした。
英雄色を好むという。
豪傑が少々好色であろうとも世間では充分と受け入れられる。武蔵には今までは浮いた話はなかったが、今回のことはこのまま放置しておけば、「剣豪で知られる男が女を囲った」というありきたりの話として世間に定着するだろう。忠政が興味を示しているのは、武蔵の身辺にそのような話が今までなかったからということからに違いない。
――にも関わらず。
「父上は、妾など囲っておりません」
「ほう」
「その娘は囲い者ではなく、敵討ちにきたとのことです」
と本当のことを言ってしまったのは、伊織としてはあくまで主君に虚偽を言いたくなかったということもあるが。
さらにも増して興味深そうな顔をしている忠政を見て、伊織は改めて思う。
(茶事の席には、つまみの一つもあった方がいい)
そんな打算もあった。
さて、どういう風に話したものかと考えたのは一瞬だった。
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