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成熟
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陽射しは強さを増し、夏がその気配を本格的に帯び始めていた。
蝉の声が遠くから聞こえるたびに、時が確かに進んでいるのを実感させる。
それでも、耀作の中には、あの春の記憶が色濃く残っていた。
「恵はもう、この世界にはいない」
頭では分かっている。けれど、夜空を見上げるたびに、
ふとした拍子に香るブルースターの匂いに、彼女の姿が浮かんでしまう。
彼は前に進もうとしていた。いや、進んでいた。
それでも、成長には“痛み”が伴う。
それが、「成熟」というものだと、この章で彼は知ることになる。
◇
夏休み目前。進学希望者向けに行われるオープンキャンパスに参加するため、耀作はひとり、東京の国立天文大学へ向かった。
目当ては、あの綾城恭平が登壇する特別講義だった。
「観測できないものを、いかに信じるか?
それこそが、科学の本質であり、人の“祈り”と地続きである。」
登壇した綾城の言葉は、静かな講義室をしんと包み込んだ。
「宇宙の研究は、膨大な“不可視”との対話です。私たちは見ることも触ることもできない暗黒物質を、なぜか“ある”と信じて解析しようとする。それは突き詰めると、人の“在り方”の研究とも言えるでしょう」
スライドには、「星の記憶」「光年と想い」「存在と不可逆性」など、詩のようなテーマが並んでいた。
「――まるで恵の言葉みたいだ」
耀作は、胸の奥でそう呟いた。
講義が終わったあと、綾城が再び彼に声をかけてきた。
「どうだった? 今日の話は」
「……まるで、恵が僕を通して言葉にしているような気がしました」
綾城は驚いたように一瞬目を見開き、それからふっと微笑んだ。
「実はね、あの講義の構成、恵の言葉をベースにしてるんだ。星の話だけじゃない。あの子が最後に残した、“願いを超えた存在”という概念が、僕の中にずっと生きてる」
「願いを超えた存在……?」
綾城は、大学の研究棟へと耀作を連れていった。
案内されたのは、彼が主催するゼミ室だった。
「ここでね、僕は“記憶を持つ星”の研究をしている。人類が目にする星の光の中に、“誰かの観測した記憶”が蓄積されているのではないか、という仮説に基づいてる」
それは、既存の天文学では異端にも等しい考え方だった。
だが、耀作には不思議とその言葉が腑に落ちた。
「つまり、“見る”という行為自体が、宇宙のどこかに情報として残るってことですか?」
「そう。情報は、時間と空間を超えて残り続ける。量子レベルでは、観測された瞬間にその状態が確定する。ならば、それが“誰のまなざし”かによって、星もまた形を変えるのではないか」
「……“想い”が、星の姿に干渉するってことですね」
「そう。君の言葉で言うなら、“夢が重力を持つ”ような感覚だ」
綾城の目は、かつての自分のようにどこまでもまっすぐだった。
◇
帰りの電車の中、耀作は考えていた。
――僕は、本当に星を追いかけているのだろうか。
いや、違う。
僕は、彼女が“遺してくれたもの”を追っているのだ。
それは決して逃避ではない。むしろ現実への最も誠実な向き合い方だ。
“想いは、記憶になる。そして記憶は、光になる。
その光は、時間を超えて誰かに届く”
それが真実だとしたら――恵はもう、とっくに耀作の中にいる。
そして、耀作自身もまた、誰かにとっての“星”になることができる。
◇
夏休みに入り、耀作は独学の研究を始めた。
内容は、光の揺らぎによって個人の感情を記録できないか、というもの。
現時点ではほとんどオカルトに近い領域だったが、それでも彼は必死だった。
なぜなら、その研究を通して「存在を証明」したかったからだ。
この世界に確かに“想い”が残るということを――
そんなある夜のこと。
久しぶりに、夢を見た。
場所は、あの展望台。
誰もいない星空の下で、ふいに風が吹き、彼女の声がした。
「耀作。成熟したね」
振り向くと、そこには恵がいた。
あの頃と変わらぬ優しい眼差しで、こちらを見ている。
「私は、もうどこにもいない。けど、君の中にはずっといるよ」
「……ありがとう。君がいたから、僕は“自分”になれた」
彼女は静かに頷いた。
「次は、君が誰かの“願い”になる番。君が照らす誰かの闇が、きっと新しい星を生むから」
「恵……」
夢は、そこまでだった。
朝、目覚めた耀作の目から、一筋の涙がこぼれていた。
◇
夏休みも終盤に差し掛かった頃。
進路希望票の最終提出日、彼は担任に封をした用紙を渡し、こう言った。
「村杉先生。俺、決めました。俺、“星の記憶”を研究する学者になります」
「……ははっ。まるでSFの主人公みたいだな。でも、お前なら本当にやってくれる気がするよ」
先生の笑顔は、本物だった。
教室を出る時、ふと背中越しにこんな声が聞こえた。
「それが、お前の“成熟”ってやつなんだろうな」
そうかもしれない――耀作は、少しだけ微笑んだ。
そして、彼は歩き出した。
恵が託した光を胸に、まだ見ぬ夜空へ。
蝉の声が遠くから聞こえるたびに、時が確かに進んでいるのを実感させる。
それでも、耀作の中には、あの春の記憶が色濃く残っていた。
「恵はもう、この世界にはいない」
頭では分かっている。けれど、夜空を見上げるたびに、
ふとした拍子に香るブルースターの匂いに、彼女の姿が浮かんでしまう。
彼は前に進もうとしていた。いや、進んでいた。
それでも、成長には“痛み”が伴う。
それが、「成熟」というものだと、この章で彼は知ることになる。
◇
夏休み目前。進学希望者向けに行われるオープンキャンパスに参加するため、耀作はひとり、東京の国立天文大学へ向かった。
目当ては、あの綾城恭平が登壇する特別講義だった。
「観測できないものを、いかに信じるか?
それこそが、科学の本質であり、人の“祈り”と地続きである。」
登壇した綾城の言葉は、静かな講義室をしんと包み込んだ。
「宇宙の研究は、膨大な“不可視”との対話です。私たちは見ることも触ることもできない暗黒物質を、なぜか“ある”と信じて解析しようとする。それは突き詰めると、人の“在り方”の研究とも言えるでしょう」
スライドには、「星の記憶」「光年と想い」「存在と不可逆性」など、詩のようなテーマが並んでいた。
「――まるで恵の言葉みたいだ」
耀作は、胸の奥でそう呟いた。
講義が終わったあと、綾城が再び彼に声をかけてきた。
「どうだった? 今日の話は」
「……まるで、恵が僕を通して言葉にしているような気がしました」
綾城は驚いたように一瞬目を見開き、それからふっと微笑んだ。
「実はね、あの講義の構成、恵の言葉をベースにしてるんだ。星の話だけじゃない。あの子が最後に残した、“願いを超えた存在”という概念が、僕の中にずっと生きてる」
「願いを超えた存在……?」
綾城は、大学の研究棟へと耀作を連れていった。
案内されたのは、彼が主催するゼミ室だった。
「ここでね、僕は“記憶を持つ星”の研究をしている。人類が目にする星の光の中に、“誰かの観測した記憶”が蓄積されているのではないか、という仮説に基づいてる」
それは、既存の天文学では異端にも等しい考え方だった。
だが、耀作には不思議とその言葉が腑に落ちた。
「つまり、“見る”という行為自体が、宇宙のどこかに情報として残るってことですか?」
「そう。情報は、時間と空間を超えて残り続ける。量子レベルでは、観測された瞬間にその状態が確定する。ならば、それが“誰のまなざし”かによって、星もまた形を変えるのではないか」
「……“想い”が、星の姿に干渉するってことですね」
「そう。君の言葉で言うなら、“夢が重力を持つ”ような感覚だ」
綾城の目は、かつての自分のようにどこまでもまっすぐだった。
◇
帰りの電車の中、耀作は考えていた。
――僕は、本当に星を追いかけているのだろうか。
いや、違う。
僕は、彼女が“遺してくれたもの”を追っているのだ。
それは決して逃避ではない。むしろ現実への最も誠実な向き合い方だ。
“想いは、記憶になる。そして記憶は、光になる。
その光は、時間を超えて誰かに届く”
それが真実だとしたら――恵はもう、とっくに耀作の中にいる。
そして、耀作自身もまた、誰かにとっての“星”になることができる。
◇
夏休みに入り、耀作は独学の研究を始めた。
内容は、光の揺らぎによって個人の感情を記録できないか、というもの。
現時点ではほとんどオカルトに近い領域だったが、それでも彼は必死だった。
なぜなら、その研究を通して「存在を証明」したかったからだ。
この世界に確かに“想い”が残るということを――
そんなある夜のこと。
久しぶりに、夢を見た。
場所は、あの展望台。
誰もいない星空の下で、ふいに風が吹き、彼女の声がした。
「耀作。成熟したね」
振り向くと、そこには恵がいた。
あの頃と変わらぬ優しい眼差しで、こちらを見ている。
「私は、もうどこにもいない。けど、君の中にはずっといるよ」
「……ありがとう。君がいたから、僕は“自分”になれた」
彼女は静かに頷いた。
「次は、君が誰かの“願い”になる番。君が照らす誰かの闇が、きっと新しい星を生むから」
「恵……」
夢は、そこまでだった。
朝、目覚めた耀作の目から、一筋の涙がこぼれていた。
◇
夏休みも終盤に差し掛かった頃。
進路希望票の最終提出日、彼は担任に封をした用紙を渡し、こう言った。
「村杉先生。俺、決めました。俺、“星の記憶”を研究する学者になります」
「……ははっ。まるでSFの主人公みたいだな。でも、お前なら本当にやってくれる気がするよ」
先生の笑顔は、本物だった。
教室を出る時、ふと背中越しにこんな声が聞こえた。
「それが、お前の“成熟”ってやつなんだろうな」
そうかもしれない――耀作は、少しだけ微笑んだ。
そして、彼は歩き出した。
恵が託した光を胸に、まだ見ぬ夜空へ。
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