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しおりを挟む藍の両親は、世間一般とは違うタイプの夫婦だった。
お互いの気持ちは冷めきっているのだろうけれど、お互い社会で働く者同士、結婚しているという事実はどうしても必要だったのだろう。
かと言って仲が悪い訳でもない。ただ、必要のない会話はしない。お互い信用しているけれど、愛し合ってはいない。それは藍に対してもそうであり、まだ子供の藍に必要以上に踏み込んでこなかった。
親子なのに、話すことは殆ど無かった。
愛されていないと感じていた。愛されたいと願っていた。けれど誰も自分のことなど見てくれなくて、勝手にやさぐれて。
そんなときに出会った京司は言った。
「じゃあ俺がお前の親の分までお前のこと愛してやるよ」
簡単にそう言ってのけた。
何を馬鹿なことを、と笑い飛ばそうとした。冗談でも言って良いことと悪いことがあるぞと怒ろうとした。なのに藍が出来たのは結局、その言葉に泣いてすがり付くことだけだった。
いつまでも自分を愛してくれると言った。どんなときでもお前を大切にすると言った。
そのくせ簡単に忘れて、気持ち悪いと罵って。
先に踏み込んで来たのは、京司のくせに。
「…さいあく」
カーテンの隙間から差す朝日で目が覚めた藍は、はあっとため息をついた。
今まで思い出すことも無かったのに。あんなメールがきたせいだ。無視すれば良かった、と今更ながらに後悔する。
けれど後悔しているのはそのせいだけではない。多分京司に関わること全てに後悔しているのだ。傷付けたいと思った。自分が傷付いた、十分の一でも。ほんの少しでも良いから、あの時の苦しみを分かって欲しかった。
早い話が仕返ししたかったというだけだ。
亮一と付き合っていると知った彼は傷付いただろう。それは分かっているのに、こんなにも気持ちは晴れない。モヤモヤする。
「藍。起きたのか」
ほのかに鼻を霞むトーストの匂い。出来るときに出来る人が、というのが俺たちのルール。けれど最近は殆ど亮一に任せきりだ。
「亮一、ごめんね。朝ごはん作ってくれてありがとう」
「…お前……」
「ん?」
何か変なことを言ったか?と首を傾げると、ふわりと笑った亮一がキスしてくる。
「…そうやってありがとうとか、律儀に言ってくるとこ。好き」
「い、いきなりどーしたの…」
恥ずかしさで視線を逸らすと、くすりと笑った亮一が頭を撫でてきた。
「好きだなぁって思ったから言っただけ。冷めるから食べよう」
「あ、うん。…いただきます」
「召し上がれ。んじゃ俺も、いただきますっと」
穏やかな朝。ずっと憧れていた、愛される生活。あの時は漠然と、こういうのを京司とするんだろうなぁって思っていた。家族団欒とは違うけれど、こたつに入ったりして、みかんを食べたりして。
けれどそんな漠然とした想像を実際に共にしたのはあのとき友達として側にいた亮一だ。
不思議なものだと思う。京司が事故に遭ったという事実だけで、未来がこんなにも変わるなんて。
「藍?どした?」
「…しあわせだなぁって思ってた。俺も、亮一のこと好きだなぁって」
「……珍しいな。お前が好きって言ってくれるの」
「んー…」
しあわせ。そう、俺はしあわせ。
この男は京司のように縛り付けたりしない。緩やかな束縛と嫉妬はあるけれど、理不尽なことはしない。だから隣にいて安心する。
亮一は会って話し合った方がいいと思うのだろうけれど、会うつもりもなければ話すつもりもない。それは昨日の俺の態度で分かってくれているだろう。
それに会ったところで、両方が傷付くだけだ。
もう京司のことで傷付きたくない。
俺はそこまで、強くないから。
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