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57,好みの青年
しおりを挟むなんだかこじんまりとした小さな屋敷に定住した義父のシーザの最近の趣味は庭いじりだという。
「そういえば、庭に咲く花がとても綺麗でした」
「そうだろう?あれは私が特に手をかけたんだ」
国境近くだからか、よく国境を超えて隣国へも遊びに行くらしい。屋敷にはメイドと執事が一人ずつだけだ。
「やはりお義父様もいっしょに屋敷で…」
「嫌です」
ばっさりと切って捨てたロイスを思わず睨むが、シーザはいやいや、と笑った。
「もう政に関わる気もないし、こちらの方が私には落ち着くからね。それに新婚夫婦の邪魔をしては申し訳ない」
「全くだ」
「ロイ。…それにしても、やはり不便ではありませんか?私も仕事がありますが、偶にはこちらに遊びに来られては…。レイ様も顔をお見せになればお喜びになるでしょうから」
「そうだな…偶には孫の顔を見るのも良いか」
「来るなというのに」
もうこの際ロイスのことは無視を決め込み、ローレンは義父に笑いかけた。
「もし迷惑でなければ、庭を見せて頂けませんか?私もいつか庭をいじってみたくて」
「あぁ、大歓迎だとも。なんなら今見せようか」
「ちょっと、ローレンさん。外は暑いですし、もう帰…」
「わぁ、いいんですか?是非お願いします」
なにやらブツブツ言っている男を放置し、義父の後に続く。庭へ出る窓から、色鮮やかな花たちが見える。
「…どうかな、息子は。君を大事にしてくれているかい?」
シーザの言葉に、えぇ、と肯定する。本当に大切にされているし、愛されているとも思う。
「では、不安は他のところにあるのかな」
「え……」
「なにか相談があったんじゃないか?」
「……何故」
何故分かったのだ、というよりも先に、自分の愚かさに気付く。
何年もこの国の貴族のトップとして生きてきた人だ。そんな方にお願いなんて、なんて図々しいのだろう。
「なにか、誰かに気になることでも?」
「……彼は性別など関係ないと言っていましたが……やはり、アグシェルト公爵となると、話は違うと。彼の子孫を残さねば、領民に迷惑がかかると」
「…それで、どうにか出来ると言われたのか?」
「彼が妾を取り、子供を産ませろと」
「……まさかだが、それを私に勧めろと言うんじゃなかろうね?」
「……」
無言は肯定だ。期待をかけてみたが、顔を青くしたシーザがふるふると首を横に振る。なんだかその仕草が可愛くて笑いそうになったが、いやいや、笑っている場合じゃない。
「無理だ。見る限りでもアイツの君への執着心は普通じゃない」
「そんなこと…」
「二人で何を話し込んでいるんですか?」
声にびくりと反応すると、無表情でロイスが立っている。まさか聞かれたのかと思ったが、そんな様子はない。
「そろそろ帰りますよ」
「え、夕食くらいご一緒に…」
「私は夕食より貴方を食べたい」
「なっ、…!」
父の前で平然と言い切る彼に何を言っているのだと腕を摘むが、それさえも愛しそうな目で見られる。
「じゃあ父上、もう帰りますから。精々動いて寿命を伸ばすことですね」
「あぁ、そうするか」
「…また気が向いたら来ます」
素直じゃないなぁ、と微笑ましく思いながらローレンも挨拶をして、邸を後にする。
ーー最後の頼み綱が切れたのを知るのは、もう少ししてからだった。
「それで、父上と何を話していたんですか?」
「……貴方と仲良くやっていけているのかと」
「はっ、聞かずとも分かることでしょうに」
まだ日も暮れてないというのに、ベッドに押し倒されるこの現状を仲睦まじいと言っていいものか。
公爵家のベッドよりは固いけれど、そこそこ良い部屋だ。いつの間に予約を取ったのかと驚く。
「泊まるなんて聞いていません」
「その為に休みを取ってくれたのでは?」
「バカ」
「それで?もうはぐらかされませんよ。大体貴方は私に隠し事が多すぎます」
「そんなこと…」
ない、わけではない。言えないことはたくさんある。過去も、現状でさえ。
「…ロイ」
「なんですか」
「愛してる」
「っ……はぐらかされませんからね」
襲ってくると思ったのに読みが外れ、ローレンは冷静を装いながらも内心焦っていた。まさか直球に妾を取ってくれなんて言えるわけがない。
大体この前に王妃に騙された彼がどんなに怒っていたことか。
「……あの、っ……!?」
ロイスは何か言おうと開きかけた口をそのままに、びくりと身体を揺らした。
「ロイ…?」
「…オメガのフェロモン…」
ぼそりと言われ、ローレンも意識し、一気に頭が冷めた。
「外からだ」
まだ夕方のこの時間帯に、建物の中からでも分かるほどの強烈なフェロモンの匂い。脳を痺れさせるような匂いに、ロイスが立ち上がる。
「先に見てきます。貴方は服を着てから」
「あ、あぁ」
彼に外されたボタンを一つ一つ締めてから、ローレンは部屋を出て行った彼の後を追う。
こんな国境の田舎にアルファがいるかどうかは不明だが、少なくとも発情期を迎えた者をそのままにはしておけない。
(……あれ…?)
匂いがぴたりと消えたことにローレンは困惑した。あんなにも強烈だったのに。ーーまさか、彼が誘惑されて番になってしまったのでは。そんな想像が浮かんで、搔き消す。
「…ロイス?」
夕方だからか、町を歩く人はまばらだ。だが見る限り、フェロモンに誘発されている者はいない。
「っ…ロイ…!」
路地の裏を走り、何とか彼を探すが見つからない。ひとまず宿に帰ろうとした時、ローレンは一つの事実に気付いた。
(どうして俺、匂いがした時に気付かなかったんだ…?)
彼に言われてようやく意識したけれど、自分だって紛れもないアルファだ。例えどれほど愛しい人と抱き合っても、オメガのフェロモンに誘われるのは当たり前だ。
(…そんなこと、あるはずないけれど…でも、…)
都市伝説だ。運命の番、なんて。たった一人、運命の相手にだけ強烈なフェロモンが届くなんて、そんなこと。
頭の中がごちゃごちゃになりながら、ようやく宿に着く。部屋の扉に手をかけ、中に入りーー息が止まった。
「…ロイス…」
ベッドの上に横たわる青い髪の青年と、そこに腰掛ける夫の姿。まさか、そんなはず、と頭痛がする。
「ローレンさん!帰ってきてもいないから心配しました。この子、さっき抑制剤を飲ませましたが…アルファ用なので、効くかどうか。私もさっき飲んだのですが、効いていますか?」
薬を飲ませた、という言葉に安堵する。なんだ、じゃあ匂いがしなくなったのはそのせいか。
「…あぁ、匂いはしない。連れて来てよかったのか?」
「薬を持って出るのを忘れてしまって」
「そう…」
ため息をついて椅子に腰掛ける。ちらりと横目で見た青年は、平民なのだろう。寝息を立てているのを見て、再度安堵の息をつく。
「……俺、鼻詰まってるのかな」
「え?ローレンさん、何か言いましたか?」
「…あ、いや。なんでもありません」
今まで仕事中も何度もオメガのフェロモンを嗅いだことはあった。その度に崩れそうになる理性を保っていたのだけれど。言われるまで気付かないなんて、まずあり得なかった。
だがそんなことを相談したって彼は困るだろう。
「ロイ、オメガ用の薬売ってる店探して来ますね」
「私が行きますよ」
「目が覚めたとき、保護した貴方がいた方がいいでしょう」
「そう…ですか。ではすみません、お願いします」
「うん」
本当は二人きりにするのは嫌だったけれど、薬がいつまで効くかは分からないのだ。
それに不安というのは彼を信じていないからだと自分を諭し、ローレンは店を回る。まだ開いていた店に入り、店主に声をかけた。
「すみません、オメガの方用の抑制剤…」
そんなローレンの言葉をかき消すように、後から息を荒くして入ってきた青年が声を響かせた。
「ここに薬買いに来たオメガの奴いませんでしたか!?」
「この人か?」
店主が自分の方を指差したので、ローレンは振り返った。そこにいたのは見ず知らずの青年ーーだが、すごく顔が好みの。
「違う。もう少し背が低くて、青い髪の…」
「…もしかして、目の下にホクロがある」
「っ…どこにいましたか!?」
縋り付いてくるような青年に、今頃眠っているであろう彼をほんの少し羨ましく感じる。いや、お門違いなのはわかっているが、とにかく顔がタイプなのだ。ドストライクに。
「発情期がきたようで、私の…友人が保護したんです。今はアルファ用の薬を飲んで眠っていますから、ちゃんと薬を買いに来たんですが…知り合いの方ですか?」
咄嗟についてしまった嘘に、夫に心の中で謝る。
「あ、兄です。アイツ、発情期が不定期で…薬を買いに行くって事書きがあってから何時間経っても帰ってこないから…。ご迷惑をおかけして本当に申し訳ない」
頭を下げられ、いやいや、と肩を叩く。なんにせよ、身元がわかって安心した。
「弟くん、無事だから。友人はアルファだけれど、ちゃんと薬も飲んだし。一緒に迎えに行こう」
「ありがとうございます!」
「すみません、オメガの方用の薬をお願いします」
「はいよー。ちょっと待ってくれよ」
店主の間の伸びた声が店の奥へと消えていく。未だ緊張した面持ちの青年に手を差し出してみると、握手してくれた。
「私はローレン・アグ………ローレンだ。君は?」
「テオと言います。弟はハルです。本当にありがとうございます。アイツに滅多に出歩くなって言ったんですけど、いうこと聞かなくて…」
「彼に番は?」
「…いません。アイツは………」
言いかけたテオがすん、と鼻をこすりこちらを見る。
身長は同じくらいだったので、視線が交じるーーが、咄嗟に逸らしてしまうのは、あまりに好みにピンポイントすぎる造形だったからだ。
夫がいる身でなんだし、こんなこと屋敷のメイドに知られたら叱られてしまうだろうが。
「…失礼ですが、貴方もオメガの方ですか?」
「は?」
一瞬何を言われているのか分からず首をかしげると、いや、とテオが口ごもる。
「貴方からいい匂いがしたので」
ほんの少し頰を赤らめてそっぽを向く彼に、ローレンはもう胸がキュンキュン鳴りっぱなしだった。
「香水の匂いかな。友人がつけているものが移ったのかも」
「そうですか。失礼しました」
やばい、格好いい。今までに顔しか見ない恋愛しかして来ず、夫であるロイスも最初は一目惚れだった。その前のライエルは特に意識しなかったけれど、やはりどこがと聞かれたら顔が一番だ。グランは言わずもがな。
(って、いやいやいや。俺は結婚したんだぞ!)
自分に言い聞かせてみるが、好みの顔が目の前にあって何もせずにはいられない。
「テオ、って呼んでもいいかな?タメ口でいいよ」
「あ、はい。…いや、うん。俺はなんて呼べばいい?」
「ローレンって、そのまま」
「わかった。…旅行か何か?こんな辺鄙な村、何もないけど…。あ、陛下を見に来たのか?」
「…うん、まぁそんなとこ」
当たった、と無邪気に笑う彼はもう駄目だ、もろタイプ。これ運命じゃない?ってくらい。
「それで、見れたのか?どんなだった?俺は仕事があって行けなかったけど」
「あー、普通に………うん、普通だったよ。それより、仕事って?」
初対面なのに立ち入り過ぎかと思ったが、所詮旅行者の気まぐれだと、テオは気にした様子もなく答えてくれた。
「牛乳の配達。ハルが外で働けないから、代わりに俺が。二人暮らしなんだ」
「へぇ、そうなんだ…」
さっき握手した時のテオの手を、ローレンは邪な気持ちは無しで好きだと思った。決してロイスの手が嫌いというわけではないけれど、苦労した人のゴツゴツした手は、純粋に素晴らしいと思う。
ロイスの手にあるのはペンだこくらいだろうか。
「お客さん、どれがいいんかね?」
奥から出てきた店主がいくつかの箱を持ってくる。テオが「いつも使ってるやつはこれです」と言うので、それの代金を支払った。
「ごめん、慌てるあまり財布とか持ってきてなくて…」
「いいよ、気にしなくて」
「お金は後でちゃんと払うから」
「本当にいいって。気にしないでよ」
とは言っても、日々の生活を苦労してる彼からすれば薬代は遥かに高いだろう。陛下が即位してからそこらへんも整備したおかげでいくらかは市場価格もマシになったが、こういう彼らにはまだまだ手が届きにくいようだ。
「高価なものだし、そういうわけにもいかないから」
「んー…じゃあ、夕食を一緒に食べよう。美味しいお店、教えてくれる?」
「それくらいならいくらでも。…いやでも、それとこれとは」
まだ言う彼の言葉を止めて、宿の部屋の扉を開ける。荷物の中に入れていたのか、何やら書類に目を通していたロイスが顔を上げた。
「ローレンさん。早かったです、ね…」
「ロイス、彼、その人のお兄さんだって」
「…そうですか。どうも」
「あ…よかった、弟です。お二人とも、本当にありがとうございます」
ベッドの上でスヤスヤと眠るハルの肩を、テオが叩く。
「ハル、起きろ。おい、…おいって」
「ん………兄さん…?」
目をこすりながらゆっくり起き上がった彼は、キョロキョロと部屋を見回した。
「どこ、ここ」
「お前外で発情期きたんだぞ。この人たちが助けてくれたんだ、ちゃんと礼を言え!」
「あ…え、あっ、すみません…!」
ようやく自体がわかったのか、真っ青な顔をしてベッドから飛び降りて頭を下げる青年に、いやいや、と声をかける。
「お兄さん、すごい君のこと探し回ってたよ」
「そう…なの?」
「当たり前だろ馬鹿が。ほら、歩けるか?」
「ん……」
立ち上がったハルを支えるようにして、テオが歩き出す。
「ごめん、ローレン。コイツ家に届けてから薬代持ってくるから。その後一緒に飯食いに行こう。あの、ありがとうございました」
あまり言葉を発さなかったロイスに一礼したテオたちが扉に手をかける。
「わかった。気を付けてね」
「ありがとう」
バタン。
音を立てて、扉が閉まった瞬間。
「…ローレンさん」
「ん?」
「怒ってもいいですか」
ーーはい?
応援ありがとうございます!
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