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「坊ちゃまの場合は、それ以外の理由はありますが……さすがに、それは私の口からでは言えません」
「……うん」
「奥様……本当に、申し訳ございません」
「ううん。いいの」
「では、一時的に部屋を替えさせていただいてもよろしいでしょうか?」

 左手を強く握り、頷くことしかできなかった。



 意識がふわりとしていたら、夜が訪れた。
 ニコルの説明を聞いたあとの記憶が、正直言うと少し曖昧だった。
 今日の晩御飯の味も何もしなくて、ソフィと話す気力すらわかない。
 浴室に入り、手入れされ、慣れない客室に案内されて、そのままベッドの上に転がる。

 体と頭がとても重いのに、意識はとても明瞭だ。何回か寝返りを打ったが、変化はなかった。
 これは、眠れない夜になると悟った。

 そもそも、あんな説明を聞いた直後だ。
 寝られるわけがない。
 考えないようにすればするほど、気になってしまう。

(少し、体を動かそう)

 もう、こうなると寝ることを諦めた。
 ベッドから起きて、ストールを羽織り、部屋を出た。

 時間は時間だから、できるだけ物音を立てないように、ゆっくりと歩いた。
 窓から差し込む月の光を頼りに、屋敷の中を徘徊する。
 一階と二階を繋ぐ階段に辿り着くと、自然と視線がその先にある部屋の方に行った。

(旦那様……)

 好奇心が私の足を動かした。
 理性と警戒心が、それを途中で止めた。

(駄目ね……大人しく部屋に戻ろう)

 彼がいる方角から魔力が禍々しい程に私を拒んでいる。その証拠として、近づけば近づくほど鳥肌が立つ。
 だから、大人しく引き返すべきだ。
 そう思った時、ふっと物音が耳に入った。
 いや、物音というよりは、声の方が近いかもしれない。

 理性に抑えられた好奇心がそれに刺激された。

 だって、その音は、おそらく――。

 唾を飲み、階段を昇る。
 一歩ずつ、一歩ずつ。
 近づく度に、行く先から流れる魔力が濃くなる。
 それにつれて、足が重くなる。震えが、強くなる。

 彼の部屋の扉の前に辿り着いた時、心臓の音が耳の奥まで届いた。
 駄目だと、わかっている。
 引き返すべきだと、わかっている。
 彼も、ニコルも、駄目だと言ってるから。

 だけど、部屋の奥から聞こえる騒音が私の心臓の音と響き合っている。

 誘われたかのように、私は手を伸ばした。

 ――コン、コン。

 ノックはまるで合図のようだった。
 音が、全部消えた。

「……旦那様?」

 震えている声で、短く彼を呼んだ。
 だけど、何の反応もなかった。

(呼ばれたと思い込んでるなんて……ああ、恥ずかしい)

 頬の熱と共に、理性を取り戻した。

(ニコルに駄目って、言われたのに)

 早く、ここから離れないと。ニコルに気付かれる前に戻らないと。
 そう思った次の瞬間。

 カチャ。その音に私の動きが止まった。
 向う側に、金色が輝いている。

 そのまま、私の腕が引っ張られた。

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