悪女になりきれない貴女におやすみを

柵空いとま

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8-2 ※ライネリオ視点

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 悲劇は突然に訪れるものだ。
 視察のために訪れたジェラルドが彼女を正式に自分の娘として迎えたいと告げた。
 唐突な展開に悩み、相談されたその夜のことは今でもライネリオは鮮明に覚えている。

『私は王女様になるより、今がいいです。このままライネ様と――皆様と一緒にいたいです』

 あの夜、彼女はそう願ったはずなのに。
 星に。
 そして、自分にも。

 そのはずなのに――。

『私、王様の娘になれて、嬉しいです』

 目の前には、ただの物体となった親が転がった。
 そして、彼らの命で濡れた剣を握っている悪魔ジェラルドと彼の腕の中に笑う彼女がいる。

 裏切られた。

 その光景はライネリオを絶望の淵に落とした。
 皮肉なことに、そこから芽生えた感情は彼の命を繋いだ。

(だから彼女は、彼女も、俺の仇だ)

 ライネリオは強く握った拳から力を抜いて、それを見つめる。
 その黒い手袋の下には他でもない、自身の手がある。
 数えきれないほどの他人の血で染まった手だ。

 ライネリオが奴隷落ちした後の日々は、言葉通りの生き地獄だった。

 命令一つで何の躊躇もなく人の命を奪った。
 己の尊厳を守るために人を殺めることも幾度もあった。
 主人だった人、同じく奴隷だった人、自分に悪意を向けない人にもなんでも。

 ライネリオは、暖かい世界から泥まみれの深淵に落ちた。
 心が壊れてもおかしくないくらいの落差だった。
 だが、それを繋ぎ止めたのは他でもない、復讐心だった。
 彼の世界を壊したジェラルドに対して。

 そして、両親を、家族全員を、自分を裏切ったセレスメリアに対して。

(そう、思っていたはずなのに。思わないといけないはずなのに)

 大人になった彼女と再会した瞬間、今でも時々鮮明に蘇った。
 ジェラルドを暗殺するために王妃の間に入った時のことだった。
 ライネリオも一員としてその作戦に加わった。

 あの時、月の光を浴びたセレスメリアの姿はあまりにも清らかだ。
 記憶の中に残る面影を残しながら、少女が女性に変わった。
 憂いを漂わせる雰囲気が、何故彼女があそこにいることに対する疑問と復讐心を忘れさせた。

 それだけではない。
 『塔』で再会した時の、大きく見開いた青い瞳。
 本が逆さまだったと指摘した時の林檎のように赤くなった頬。
 困った時、何かを隠している時に視線を左下に逸らす癖。

 肉親すら誘惑する毒婦とはほど遠い表情だった。

 ライネリオの知っている少女が姿をちらつかせている。
 一滴の想い出が炎のように燃える憎しみの感情を弱らせる。

 彼の生きる理由も、頼りないロウソクの火のように揺らいでしまう。

 今のように。

 そんなことを考えながら歩くと、気が付けば二人は書庫の前まで辿り着いた。
 書庫の扉を開くと、その中に一人の老人がいる。

「おや、姫殿下? 何故ここに?」
「本を返しに来たわ。ついでに新しい本も欲しい」
「……ん? あ、いいえ、どうぞどうぞ、気軽に見てください」

 セレスメリアはそのまま何も返事せず書庫の奥に姿を消した。
 取り残されたライネリオは三冊の本を書庫番である老人に手渡した。
 小さく笑いながら、老人はライネリオから本を受け取った。

「君も、何か借りたいのか?」

 突然の提案に、騎士は少し驚いた。
 ライネリオは確かに、昔は本を読むのが好きだ。
 知らないことを知るのも、知ってから実践することも、そこから喜びを感じる。

 彼にとって、本と言うものは幸せの象徴の一つなのだ。

「いいえ、私は、大丈夫です」

 だが、今はそれどころではない。
 自ら昔の古傷を掘り起こす必要はない。

「そうか? それは、少し残念だな」

 眉を落とした書庫番に一礼をして、ライネリオはセレスメリアの背中を探す。
 少し奥の方に行くと、彼の足に違和感が走る。
 何か、異質なもの踏んでしまった、そのような違和感。

 それが何かを確認するために、足を上げると、そこにはありえないものがあった。
 踏んでしまった物の正体はライネリオの言葉を奪った。

 シンプルな花のペンダント。
 淡く光る青い石。

 その組み合わせは、この世の中に一つしかない。


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