刷り込まれた記憶 ~性奴隷だった俺

希京

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本気

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まさか俺が換気扇の下で煙草を吸うことになるとはな。
最近は喫煙者への風当たりが強くて後藤は笑ってしまう。
何のために外道に堕ちたのか。これなら一般人の方が仕事もしやすかったし、背負った看板がむしろ邪魔でしかない。
それでも誰かが自分に電話をかけてきて泣きついてくる。
「そんなこと言われても俺は万能じゃない」
煙を遠くに吐き出して後藤は煙草をガラスの灰皿に押しつけて火を消した。
「まわりに起こっている現象はだいたい自分に原因がある。長谷川の場合は佐伯くんを過信しすぎたんじゃないのか?人間は裏切る生き物だ。そこを頭のどこかに入れておかないと痛い目をみる」

よく『話が長い』と言われるが、言わないと人は何度でも同じ失敗をする。
「都合のいい人間なんていない。お前がほかの人間に心を移せば佐伯くんだって嫉妬するだろ?そんな事俺が言わなくてもわかるだろう。色恋沙汰は、起きる前から予兆はあるもんだ」
そろそろ新しい事業を立ち上げたいと考えていた後藤は、相談役の立場を降りたいと思っていた。

通話を切って、死んだように眠っている佐伯に目を向ける。
ここ数日、佐伯はマンションから出ていない。長谷川は後藤が絡んでいると踏んでわざと何もしらない体で話をふってきたが、雑に扱いすぎた長谷川が悪い。
片手間でこなせる事は適当に、これからの時間は自分のために使う。

今日もひとりで事務室にこもって仕事をしているだろう黒部佑に会うために、今の気分で決めた暗めのTシャツの上に淡い色のジャケットを羽織る。
会う予定はなく一方的に行くので営業時間内に着くように昼の暑い時間にマンションを出た。

おそらく佐伯を探してあちこち手をまわしているだろうが、ネット上では有能でも足で稼ぐ能力はない。
佐伯の忠犬として従順な男。
「餌が欲しいのか、飼い主が欲しいのかどっちかな」
いきなりドアを開けて事務室に現れた後藤に、驚きと迷惑げな視線を向けて立ち上がった。

「どういう意味ですか?」
「そのままだ。佐伯拓海が欲しいのか、彼からご褒美が欲しいのか、さてどちらか」
閉めたドアに背をつけてポケットに手をつっこんだ姿勢で後藤は立っている。
狭い室内で男ふたり対峙する。
「ここには何の情報もありません」
「別に探りを入れに来たんじゃない。ヒントだけあげようと思って来た」
「何のですか?」
「君の人生」

突然やってきて何を言い出すかと思ったら予想外の言葉が飛んできた。
「佐伯くんがいないのにここで働く理由はないんじゃない?」
「帰ってください。まだ仕事があります」
暇人の話し相手をする時間はないとばかり黒部は視線を外して座り直した。
「長谷川から佐伯くんを奪える絶好のチャンスなのに残念だな」
嫌な笑顔を浮かべてうつむく後藤をちらりと見て、黒部はため息をつく。

「佐伯さんは…あのままですよ。長谷川オーナーから離れられない」
タイピング音が止まる。黒部は寂しそうな目で窓の外を眺めていた。
「そうでもないぞ。俺は簡単に奪えた。欲しいならあげるよ」
片耳に髪をかけながら挑発するような笑顔で黒部に言う。
「あなたもオーナーみたいに佐伯さんをモノ扱いするんですか?」
「見て見ぬフリしていたのは誰だろうな。君がもっと早く救いの手を伸ばしてあげればよかったんじゃない」
「…佐伯さんの邪魔をする権利はないですから」

「違うね。みんな同じだ。他人や状況のせいにして本質から目をそらして結論を先延ばししていただけだ。見てて不愉快だったから少しつついたら長谷川もパニック状態だ。まああいつは自分が悪い。佐伯くんを利用し続けたいなら自分もその分犠牲にするものがあったのに油断して佐伯くんに裏切られた」
「…え?」
いつもどおり話が長い後藤の、最後のセリフに黒部の動きは止まる。
「あの佐伯さんがオーナーを裏切るなんて…信じられない」

「子どもの頃はさ」
後藤は急に話を変える。今日は一体どれだけしゃべったら満足するのだろう。
「安い駄菓子でももらえばうれしかっただろう?だけど大人になったら100円程度のお菓子をいくらもらったって幸福度は薄い。佐伯くんもいつまでもガキじゃない、君だってそうだ。欲望は膨らむ。最初はそばにいられればいいと思っていてもいつか相手を欲しくなる。誰が最初の一歩を出すか、俺はずっと見ていた」
斜めから黒部の顔を覗き込むように、少し長い髪をかきあげる。そこに見えた後藤の顔は人の心の奥深くを見抜く恐ろしい笑顔だった。
凄みのある美しい顔で自分の本心を見抜かれた事に気がつく。

「欲しかったら全てを捨てる覚悟で本気で動け。後始末は手を貸してやる」
黒部の考えはお見通しだ。後藤は彼の心を煽る。

後藤はポケットからスマホを取り出して、パソコンに保存していた動画を映して黒部の目の前にかざした。
「……」
長谷川と佐伯のセックス動画。
ぼんやりしていた疑惑が一気に現実味を帯びる。

「この動画拡散されているぞ。君でも見つけられなかった?」
「…はい」
「長谷川の馬鹿がいろんな人間に送りつけたんだ。こんなものがあったらそりゃ佐伯くんも長谷川から離れられないよ。風評被害でこの店も危ない。一度流出したら全部消すことは無理だが俺も出来る限り削除要請を出してみるよ。君は沈む泥舟から早く逃げたほうがいい」
背中を押すのはこれくらいでいいだろうと判断して後藤はスマホをポケットに戻す。
「俺には無くて君にあるものは、若さと自由だ」
そう言い残して後藤が事務室を去っていった。

相変わらず話が長くて、最初に言われたことを忘れている。ただ見せられた映像は網膜に焼きついた。
どれだけ佐伯をいたぶれば気が済むのか、黒部の中にあったぼんやりした疑惑が、長谷川への憎悪に変わった。



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