horízōn ~はるかとおく~ :咎人之王

つみ²

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奴隷商人

断崖の沖(トロペア沖)

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右舷前方、海と空が溶け合う水平線の際に、不吉な黒い点が二つ。

ティレニア海、トロペア沖。陸の断崖が視界に入る距離でありながら、そこにある絶望には決して手が届かない――そんな絶酷な距離感だった。

「……商船だ」

舵輪を握るラウロの低い声が、甲板の空気を鋭く研ぎ澄ます。

船首楼に上がった監視員は、望遠鏡を覗き込んだまま動かない。レンズの向こう側にある真実を、彼は無機質に読み取っていく。

「違う…二つじゃない…。三つです」

一つは、腹の膨らんだ鈍重な商船。
もう一つは、その獲物に寄り添うように影を重ねる細身の船。
そして、さらに外側――風上の有利な位置を確保している、もう一隻。
旗は見えない。いや、意図的に隠されている。

「私掠だな」

ラウロの断定は、判決のように響いた。
商船は逃げていないのではない。逃げられないのだ。風向きは最悪。帆を一杯に張ってはいるが、波を分かつ動きは泥を這うように鈍い。積みすぎた荷が、今は自らを沈める重しとなっていた。

対照的に、私掠船の動きは獣そのものだった。
風を食らい、波を御し、獲物の舷側を掠めるほどに距離を詰める。
その時、乾いた閃光が網膜を焼いた。

――ドォォォォォン。

遅れて届く破裂音。放たれた弾丸が水面を撥ね、商船の舷側を無慈悲に抉った。それは沈めるための打撃ではない。逃走の意志を完膚なきまでに叩き潰すための、冷徹な一撃だった。

「狙ってるな……」

私掠船にとって、船を沈めるのは損害でしかない。殺す必要もない。ただ、無力化すればいい。
商船の帆柱がへし折れ、甲板を人影が蟻のように走り回るのが見える。混乱という名の疫病が、一瞬にしてあちら側の甲板に蔓延していく。

外側にいたもう一隻が、流れるような連係で退路を断った。
ニ隻による挟み込み。それはもはや戦闘ではなく、家畜の解体作業に近かった。
商船の甲板から、降伏を示す白い布が力なく振られる。
それでも、砲撃は止まらない。
一発、二発。ダメ押しのように帆を裂き、舵を砕く。

「……見せしめだ」

従えば命は助ける。だが、二度と立ち上がれぬよう、その牙をすべて引き抜く。海の掟という名の暴力だった。

私掠船が接舷し、無数の鉤爪が獲物の肉に食い込むような音が聞こえた気がした。
そこからは、もう剣戟の音も叫びも届かない。だが、手に取るように分かる。これから始まるのは、略奪という名の精算だ。

貨物、金、身代金。そして――不要と判断された「物」たちの処理。
監視員は望遠鏡を下ろし、背後に立つラウロを振り返った。

「船長。……あれ、どうしますか?」

ラウロは答えない。その視線はただ一点、商船の影に縛り付けられた、小さな人影のようなものに注がれていた。
助ければ、戦になる。相手はニ隻。こちらは三隻。キャラック船の重厚な船体は、乱戦には向かない。勝てない戦ではないが、無傷では済まない。

そして何より、自分たちの任務は、この海域の「正義」を守ることではないのだ。
ラウロは静かに、拒絶するように首を振った。

「……距離を保て」

命令は、それだけだった。
ミケーレは一瞬、言葉を飲み込むように喉を鳴らしたが、すぐに冷徹な指揮官の顔に戻った。

「全艦、針路維持。旗は上げるな。速度、落とすな」

去り際、監視員はもう一度だけレンズを覗いた。
私掠船の甲板で、誰かが笑っているのが見えた。それは勝者の歓喜ではない。一日の仕事を終えた、職人のような、慣れきった顔だった。

船団は、巨大な沈黙を纏ったまま、その惨劇の横を通り過ぎた。
誰も、振り返らない。振り返れば、その重荷を背負わねばならなくなるからだ。

海は何事もなかったかのように青く、トロペアの断崖は夕陽を浴びて、血のように赤く染まり始めていた。
その美しすぎる静けさこそが、この海がまだ、終わりのない戦争の渦中にあることを証明していた。
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